手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

国を守る

国を守る

 

 昨日、テレビを見ていたら、コメンテーターの玉川徹さんが、「国は国民の命を守ることを第一に考えなければいけない。ウクライナはロシアと戦って2000名以上の死者が出たのだから、もう降伏したほうが良い」。などと言う、頓珍漢なコメントを出していました。

 こんなコメンテーターを使っているからテレビは信頼されないのです。大国が攻めて来て、自国民に死者が出たなら降伏をすべきだ、と言うなら、小国は永久に独立を維持出来ません。例え、自国の数十倍の国力を持った国が攻め込んできても、自国の尊厳を維持するために国民は戦わなければいけないのです。

 玉川さんは、「その戦いに負けても何年かすれば国は復活できる」。と言っています。その例として、「第二次大戦のときに、ベルギーがドイツ軍に攻め込まれ、ベルギーは二週間闘って降伏した。降伏はしても数年後、イギリスやアメリカ軍によって国は復活したじゃないか」。と言っていました。

 あぁ、この人は国を守ることがどういうことか分かっていないのです。自国の安全を他国任せにしていては自主独立などできません。ベルギーはたまたま独立出来ましたが、一度国を滅ぼされたなら、その国はほとんど復活されません。例えば、ユダヤはどうだったのですか。

 紀元前に、周辺の国に攻め込まれたユダヤは国を失い、その後は世界をさまよう民族になりました。そして外国にいながら、自国の宗教や、生き方を頑なに維持しようとする姿は世界中から嫌がられ、差別の対象となりました。ナチスユダヤ人虐殺もその結果なのです。

 そのユダヤ人が、国を奪還したのは2000年後の20世紀になってからです。それも、無理無理、現地人を追い払い、「ここらは2000年前は我々の土地だったのだから返せ」。と宣言をして、イスラエルと言う国を建国しました。2000年前のことを言われて土地を奪われて、「はいそうですか」と納得する国民はいません。

 結局、イスラエルは国を持つことが出来ましたが、ユダヤ人に変わってパレスチナ難民は、新たな国を持たない民となって放浪する以外なくなってしまったのです。イスラエルは今に至るまでパレスチナとの紛争が絶えないのです。

 玉川理論で言うなら、「たとえ2000年かかっても国が戻ったならそれでいいじゃないか」。と言うことになりますが、それでいいわけではありません。国を失うと言うことは、一国の文化、宗教、哲学、生活、全てが奪われることなのです。

 国と言うのは大国が攻めて来ても、自力で守ろうと言う気持ちがなければ、国は維持できないのです。国とは、国民が、自国を維持しようとする気持ち、それが国を維持しているのですから。

 こうした基本的な考えが理解されていないと言うのは、日本が国防がどういうことなのかをしっかり子供に指導していないからです。平和を願うことは大切ですが、平和と言っていれば平和が維持されるものではありません。

 平和は平和を乱すものが攻めて来たなら、戦うことによって守られるのです。今回、ウクライナの市民がいざとなれば銃を取って率先して闘う姿を見れば、国と言うものがどういうものなのかが良くわかるはずです。

 彼らは決して、アメリカやイギリスが何とかしてくれるとは考えてはいません。自国は自国で守る以外ない、と知っているのです。それを見て、「早く降伏したほうがいい」。と言うコメンテーターは、失格です。

 

 世間には、「戦う前によく話し合うことが大切だ」。などとしたり顔で言う人がありますが、始めから人を貶めようとする人、詐欺を働こうとする人、殺意のある人に何を話し合っても無駄です。こちらが条件を出して譲歩すれば、相手は「弱い奴だ」。と見て、一層条件を引き上げるだけです。

 始めからだまそうとする人と交渉すると言うことは、結局すべてだまし取られるまで相手にしゃぶりつくされることなのです。それを交渉とは言わないのです。

 

 よく考えて下さい。日本はプーチンさんと何度も何度も北方領土の話し合いをしました。その都度、ロシアの天然ガスを買ったり、技術指導を持ち掛けたり、貿易上の優遇をしたりと、あらゆる譲歩をしてきました。然し、北方領土は1㎜も返っては来ていません。なぜですか。

 彼らは始めから島を返す気などないのです。ひたすらはぐらかしていれば、何もしなくても日本がいろいろ貢物を持ってきてくれるのです。彼らはただ黙って貢物を受け取ればいいだけの話です。

 彼らの心の奥にあるものは、「島が欲しければ闘って勝ち取って見せろ」。と言っているのです。世界の常識では一度失った土地は戦って勝ち取る以外戻る可能性はないのです。

 「そうは言っても、尖閣諸島は戦わずして手に入ったではないですか」。そういう人もいるでしょう。然しそれは間違いです、尖閣を一方的に領有したことは、中国に対して将来の戦争の口実を与えたのと同じことになります。

 尖閣は日本の土地だと言っても、取られた方は忘れません。必ず大きな復讐が来るのです。もし自国の領土を取られたなら、すぐに取り返さなければ効果はありません。尖閣は50年も前に取っておかなければ意味はなかったのです。

 韓国との竹島問題も同様です。いかに日本の主張が正しいとしても、すぐに取り返さなければ何の効果もありません。北方領土も同じです。要は自国を守る気持ちが国民にあるかどうかが問題なので、その気持ちのない国民がいかに自国の領土を主張しても世界では通用しません。

 

 今回の戦いは戦争が瞬時にテレビやネットに放送されることで、劇場型の戦いになっています。事が同時に進行するため、世界の人の反応が即座に事件に反映されて、紛争の解決を早める効果が出て来ています。

 これはかつて、アメリカがフセイン政権を攻撃した時に、連日戦争の画像がテレビニュースでで放送されるようになり、テレビでミサイルがピンポイントで軍事施設を攻撃をするのを同時時間で、目の当たりに見たときに、私たちははっきり新たな時代になったことを認識しました。

 NHKのニュース解説者が、アメリカの攻撃する映像を流すときに、うっかり軍事評論家に、「先生、今日の見どころはどんなところですか」。と質問して顰蹙(ひんしゅく)を買い、スタジオが一瞬氷つき、沈黙が起こったのを記憶しています。アナウンサーの言ったことは本音で、戦争と言えどもテレビで流せば娯楽になってしまっているのです。

 でも戦争は娯楽ではありません。ウクライナの国民にとっては命をかけた戦いなのです。そして、日本も明日は我が身なのです。なぜなら、プーチンさんのすることは必ず、習近平さんもすることだからです。今日のウクライナの戦いは、明日の台湾の戦いなのです。

続く

明日はブログを休みます。