日本奇術 西洋奇術 7
ご自身が手妻の継承者になりたいなら、直接会ってきっちり習うことです。私は子供のころからそうして習って来ました。そして今も手妻を知る人を見つけては習いに行っています。それは決して大変なことではなく、古典を継承したいなら絶対しなければいけないことなのです。
昨年10月に90歳で亡くなられた、帰天斎正華師(3代目正一氏の芸養子)には、つい1年前まで、私は度々ご自宅に出掛けては手妻を習っていました。当時としても大阪で帰天斎の芸を継承する数少ない手妻師であり、貴重なお師匠さんでした。
私が、「最近どなたか尋ねて来ましたか」。と尋ねると、「いえ、誰も来ません」。と言っていました。手妻がようやく再評価されている現代においても、直接習って芸を継承して行こうと言うマジシャンはほとんどいないのが現状なのです。
今から15年前、青森に「金輪の曲」(リンキングリング)を残しているアマチュアさんがいると聞いて、泊まり込みで出かけて、五戸(ごのへ)と八戸(はちのへ)の金輪を見せていただき、教えを乞いました。継承者は複数いて、どちらも同じ系統の演技でした。然し、微妙に違いがあります。
その微妙な違いとは一体何だったのか、東京に戻って資料を調べつつ考えました。「放下せん(せん=竹冠に全の文字)」で解説されている数少ない絵柄と説明文とを合わせて、青森の手順を見るに、
青森の金輪は、キーリングを2本使用します、そのことは五戸も八戸の手順も同じです。そして残りがシングルリングです。
使うリングの本数は、五戸が6本、八戸が7本です。どちらも同じ系統でありながら本数が違うことは不自然です。この本数の違いこそが、本来の手妻がどんなものだったかの鍵があるように思います。
ちなみに放下せんでは7本を使用していたように見えますが、全貌は見えません。挿絵では7本を一列につないでいます。「こんなつなぎ方が出来るわけはない」と、長らく放下せんの解説の挿絵は誇張して描かれているのではないかと考えられていました。
然し、青森の金輪が2本のキーを使用していたことが分かったなら、6本までを一列につなぐことは可能です。然し、7連は無理です。
7本を一列につなげるには、wのリングがあれば可能です。少し見えて来ました。私が想像するに、旧来の手妻の演技にはwがあったのではないかと思います。
今日、wを使う演技はポピュラーですが、wを使うためにはすり替えや、つなぎ外しが奇麗にできなければいけません。ここは秘伝中の秘伝だったのでしょう。
金輪の手妻師が、青森の素人さんに指導する際に、すり替えの技法を教えるには難しいため割愛したのか、或いは秘密にしたのだと思います。結果、青森に残された手順は、wリングの技術が継承されなかったのでしょう。
無論、放下せんの解説でもそのことをはぐらかしています。放下せんではキーリングが2本であることすらも隠しています。当時の金輪はそれほど貴重な芸であり、安易に公開できなかったのだと思われます。
それでも、金輪の継承者が五戸と八戸に残されていたこと、そして、八戸が7本と言う、中途半端な本数を使用すること。放下せんの解説が仕掛けを隠しつつも昔の様子を伝えていたことで、ようやく江戸の金輪の全貌の解明が出来ました。
恐らく日本のリングは、wを使って、8本の演技だったと思います。また、少し拡大解釈をして、9本の可能性もあります。
今は、私の一門が9本金輪として保存継承しています。本数は増えましたが、全体の流れは青森の演技を継承させていただいています。口上なども青森のセリフを随分取り入れています。
金輪の曲が残ったことは本当に良かったと思います。私にとっても、長く手妻を続けて来た活動の中で金輪は、エポックメーキングな仕事でした。
私は40代半ばから、口上やせりふの入った手妻を随分復活させたり、創作したりしています。20代30代までは、逆に口上を取り去って、手妻のスピードアップを図ってきたのですが、必ずしも、スピードアップすることが手妻を面白くすることにはつながらないと知り、40代以降は、積極的に口上を取り入れるようにしました。
それまでも一人で喋ることはサムタイや札焼き、五色の砂などでやっていましたが、弟子と一緒に掛け合いをすることはあまりやっていませんでした。
弟子も、かつては昔の口調で語ることを学びたがっている人もいませんでした。然し、手妻が評価されるようになると、語りの重要性を理解する弟子がどんどん入って来るようになりました。そこで掛け合いや口上をたくさん足して、作品を復活させたり、新作を作ったりして行くようにしました。
現代で、昔の掛け合いが出来るマジシャンは奇術界にはいないのです。昔風に喋り、口上声と、世話(昔に日常会話の話し方)を使い分けられるような人はいなくなり、それを教えられる師匠もいなくなりました。唯一私のところで掛け合いや口上を維持しています。
この15年は、私も、お客様も、世間全体も、ある種、原点回帰をしてきたように思います。実際昔風の世話の語りをすると、現代のお客様でも結構楽しんで聞いてくださいます。そして、そうした会話の手順を加えると一層古風な独特の雰囲気が生まれます。まさに古典の世界です。
但し、これもさじ加減が問題です。ただ古いセリフを言っていたのでは、現代のお客様には何のことかわからなくなってしまいます。古風さを残しつつ、適当に現代に伝わるように言い換えなければいけません。
また時には今の流行りも取り入れなければいけません。古典だからいい、伝統芸だからいいと言うのではありません。常にお客様を見ていないと、また昭和40年代のように、理解者を失い、継承者を失い、仕事を失って世界から取り残されて行きます。
明日はこの長いブログをまとめます。
続く