手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ロシア マジックの旅 3

ロシア マジックの旅 3

 

 さて、少し時間があったので近所を歩いて回りましたが、およそソチの街は、観光する場所がありません。飛行場から、コンベンションホールまでのタクシーの窓から眺めたときも、大きな邸宅が並び、公園などもあり、豊かな町であることは分かりました。然し、余り商店街のようなものは見当たりません。

 これはロシアの国情がそうなのでしょうか。コンビニもなければ、どこにでもあるような商店街、マーケット、レストラン街も見当たりません。飛行場の売店からして殺風景で、そもそも商売気がありませんでした。

 プーチンさんの別荘があると聞きましたが、別段行ったところで中に入れるわけでもないでしょうし、さほどに興味もありません。手持無沙汰で結局戻って来てしまいました。

 晩に、コンベンションホールで関係者とビュッフェパーティーがありました。食事はとても楽しみです。ピロシキボルシチはありました。これは日本でもおなじみです。他には、餃子のような皮で肉を包んだ煮物がありました。これはこの晩で一番旨い料理でした。

 肉は、鶏の煮込みや、牛肉と野菜の煮物がありました。ロシアはこうした、日本で言う鍋料理のようなものがポピュラーです。生野菜は限られていて、余り新鮮には見えませんでした。パンはライ麦パンでしょうか、ぼそぼそしています。果物の数は少なく、あまり興味をそそりません。ケーキはいくつか並んでいましたが、甘いばかりでデリカシーがありません。

 デリカシーがないと言う点ではすべての料理が共通しています。何を食べても大味なのです。ある意味アメリカと共通しています。大国は甘いも辛いも極端で、繊細な味は望めません。

 一通り食べましたが、感動はありません。それでも恐らくロシア人にとってはこの晩の食事はかなりいい方なのでしょう。スタッフはみんな喜んで食べています。

 イタリア人はマイペースで一人黙々と食べています。「旨いですか」。と尋ねると、「まぁまぁ」、と答えました。どんな話をしても面白い返事が返って来ない人です。話はすぐに途切れてしまいます。

 恐らくこの会場を離れたら何もないのでしょうから、なるべくここに残って、スタッフと話をする以外ありません。アルコールもいただきました。ワインやウオッカの水割りを飲みましたが、気を付けないと呑み過ぎて足を取られます。遅くまで主催者と飲食をし、その晩は休みました。

 翌日は昼に会議、夕方に野外のパブリックショウに出演します。朝食を済ませると大分時間がありましたので、黒海に行ってみようと思いました。スタッフに聞くと海はすぐそばで、歩いて行けるそうです。ユーリの仲間が連れて行ってくれました。

 私は浴衣を着て、雪駄履きで行きました。すると、行く道々ロシア人が寄って来て、握手を求められ、勝手に肩を組み写真を撮られました。私は写真は許可をしていないのにどんどん撮ります。撮りながら、右を向けだの笑えだの要求してきます。失礼です。

 しかも、次々に人が集まって来て、後ろを見ると、私と写真を撮ろうとする人が順番待ちしています。私はただ海岸に向かって歩いているだけなのに、とても歩ける状況ではありません。みんな「ハポンスキー(日本人)、ハポンスキー」と大騒ぎして仲間を呼んで来ます。

 とにかく私はこの場のロシア人から逃げて、黒海に向かいます。歩くこと10分。大きな海が広がっています。みんなビーチパラソルを出して浜辺に寝そべり、海水パンツで泳いでいます。

 黒海と言うくらいですから水が黒いのかと思うと、色は鼠色で、決して奇麗ではありません。地中海の水が遥かここまで流れ込んで来ているために水は暖かく、確かに泳げないものではありません。ロシア人にとっては数少ない海水浴場なのでしょう。帰り際も観光客の写真攻めで、とても面倒でした。

 

 午後にはミーティングがありました。私は和服で羽織袴で出席しました。主催者が喜んだことは勿論ですし、役人も寄って来て、私と記念写真を撮りたがりました。これで私の役目は一つ果たせました。その後、話は私を中心に進んで行きました。

 スタッフと役人(見た目の区別はありません)、それにマジシャンが10人程度、合計20人ほどの前で、私はコンベンションの話をしましたが、どうも彼らの意向は、コンベンションと言うよりも、ソチでマジックショウを開催したいと言うような話でした。

 ロシアの地方都市ではショウビジネスが未成熟で、世界のタレントを呼び込む方法が分からないようです。私に、「日本のマジシャンを10人呼んでくれるか」、とか、「中国や、ほかのアジアのマジシャンとコンタクトを取ってくれるか」、など、私を呼び屋として使いたい意向が見えました。

 逆に私が、「ロシアではどれくらいアマチュアの数がいるのか」。などと言う質問には全く答えが出て来ませんでした。つまり、マジック愛好家を集めてのコンベンションではなく、一般の観客に対するショウを望んでいるようです。

 ある意味それは納得が行きます。ソチの街を歩く人を見ても、コンベンションホールで働くスタッフを見ても、実に質素で、豊かな生活をしているようには見えません。

 今のロシアで簡単に一週間仕事を休んで、飛行機に乗って、マジックの世界大会に出かけられるロシア人は極く少ないのでしょう。

 彼らが望んでいるのもは、政府が資金を出して、世界のマジシャンを集めて、マジックショウをすることのようです。

 イタリアのダンテさんもFISMの話をしました。3年に一遍2000人のマジック愛好家を集めて、世界中で大会を開催している。など、説明をしていましたが、そもそも役人はコンベンションに興味を示しません。あまり質問もないまま終了してしまいました。

 このままでは会議も空中分解だなと思ったので、私はその場でお椀と玉を演じました。三味線のBGMを流して古典手妻を演じると、参加者は目を見張って喜んでくれました。

 主催者が求めていたことは、私のような未知なる世界から珍しいマジシャンが来てくれること、そして主催者であるユーリが、私のようなマジシャンを電話一つで呼べると言う、信用があることを確かめたかったのでしょう。結局会議はそれで終わりです。まぁ、多分こんなことだろうと予想はしていました。

続く