手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ロシア マジックの旅 4

ロシア マジックの旅 4

 

 奇妙な縁で私はロシアに行き、マジックコンベンションに出演する予定が、コンベンションはなく、得体のしれない会議に出て、夕方には、野外マジックショウに出演する羽目になりました。一体自分は何をしているのかといぶかしく思いました。

  ここで冷静に周りを見てみると、ユーリとユーリの奥さん、それにユーリのマジック一座の座員数名。それにイタリア人のマジックショップのオーナー、ダンテさん。そして私の三組しかマジシャンはいません。

 今のところ観客は皆無です。ロシア国内のアマチュアマジシャンとも会ってはいません。これではマジックコンベンションとは呼べません。「この集まりは一体何なんだ」。見当もつきません。

 夕方になって町の広場に行き、野外で催されているイベントに加わりました。観客は500人ほどいるでしょうか。ユーリが簡単なイリュージョンを2,3演じ、そのあと、イタリア人が私服で出て来て、自分の店の売り物のマジックを2つ3つ演じました。そして私の出番です。正直、こんなショウを政府関係者に見せて、来年のコンベンションが獲得できるとは思えません。規模も内容も、あまりにお粗末なショウです。

 それゆえ、私がしっかり演じなければ全くショウの体裁も成していません。私は派手な和服と金の袴で出て来ると、それだけで客席が湧きます。然し、野外の舞台ですから、蝶は飛ばせません。やむなく連理の曲をします。滝や、吹雪が散りますので和の要素はたっぷりで、華麗です。

 演技は予想以上の拍手でした。次に、喋りながらサムタイを演じました。一人お客様に舞台に上がってもらい、紙紐で私の両指を結んでもらいました。そして、マイクスタンドを貫通します。予想以上の反応です。

 ところがここで、頼みもしないのに司会者が出て来ました。司会者はロシアのコントをする人たちなのか、3人組です。この3人組が、勝手に出て来て、私の指を調べ始めます。笑いを足して舞台を盛り上げようとしているのでしょう、「俺の腕を通して見ろ」とか、「膝を貫通して見ろ」などと注文します。予め打ち合わせが出来ていたならそれも可能ですが、いかにも思い付きでことをしますので、無駄に時間がかかって舞台はぶち壊しです。

 私はあまりにセンスのないコメディアンを見て情けなくなりました。これでは私のショウはめちゃくちゃです。この場をどう終結させたらいいかと思案し、リングを観客に渡し、放り投げてもらい、舞台の3人はほったらかしでさっさとリングの貫通をしてサムタイを終わらせました。

 それでも観客は予想外に大喜びです。然し、私は不愉快でした。ローカルマジシャンのイリュージョンと、ディーラーショウのような売りネタをするマジシャンと、三流の司会者と、その中で私の芸が受けるのは当たり前です。何とも後味の悪い舞台を経験して、野外ショウを終えました。

 夜にユーリとホテルのバーで飲みました。来年のコンベンションに来てくれと言います。然し、いつ開催されるのかも分からないコンベンションでは出演のしようがありません。

 またモスクワのクレムリン宮殿で催される年末のイベントにも来てくれないかと言います。その際には水芸をお願いしたい、などと調子のいい話をします。まったく当てにならない話です。何もかもいい加減な話を聞き、したたか呑んで、この晩は、悪酔いしました。

 

 翌朝は、朝食を済ませ、ユーリの奥さんに、車で町の土産物屋さんに連れて行ってもらい、マトリョーシカを買ってもらいました。こうしたことにはきっちり気を使ってくれます。まったくいい加減な人たちではないようです。

 午後になって、飛行場に行き、モスクワへ戻ります。この時、突然、ロシアの憲兵隊のような人につかまり、なぜか別室に連れて行かれました。彼らが何者かは知りません。然し、私が黒海に行った時とか、外に買い物に出たときなど、ときどき遠目に私を見張っていたことは知っていました。

 どうも、浴衣を着てうろうろしていましたので、怪しい奴だと疑っていたようです。この国で彼らに疑いをかけられたら、その先どこに連れて行かれるか分かったものではありません。 とにかく、気持ちを落ち着けなければいけません。

 彼らは私が何しに来たのか、なぜここにいるのか尋ねました。そこで招聘状を見せて、マジシャンであると言いました。すると、「どんなマジックをするのか」、と興味で言ってきました。仕方なく、通いの銭(コインアクロス)、を演じました。若い憲兵たちは大喜びです。もっと見せろとせがみます。

 私は来年マジックショウをするからそこで見てくれと言いました。無論私の英語は彼らには理解できません。それでも何となくわかったようです。大国の国民は、純粋で素直です。憲兵は自分の興味を満たしたことですっかる上機嫌で、解放されました。その後、飛行機に乗り、中でぐっすり寝てしまいました。

 

 モスクワに着くと、夕方でした、外は粉雪が舞っていて相当に冷えています。イタリア人と共にタクシーでホテルに行きます。モスクワの街は大きく、人通りも多く賑やかでした。あちこちに寿司レストランがありました。日本食が大ブームで、金持ちは寿司を食べるのがステータスなのだそうです。美人に寿司に行こうと誘うと簡単について来るそうです。

 私はホテルに入って、一人レストランでステーキとボルシチ、生野菜を頼みました。ステーキはフィレを頼みましたが、肉は硬く、サイズは小さくいいところのない肉でした。シチューも野菜もまぁまぁで、値段だけは7000円しました。7000円の晩飯の食べられるロシア人が一体どれだけいるでしょうか。味は三流、値段は一流の晩飯でした。

 翌日は昼に東京行きの飛行機が出ます。午前中に飛行場に行くと、いつまで待っても案内板が出ません。午後3時くらいになってようやく搭乗出来ましたが、機内で待つこと1時間、一向に離陸しません。そのうち降りてくれとアナウンスがあり、全員一度飛行場に戻されました。飛行機は修理を始めます。

 何とか飛行機の修理が済んで離陸を始めたのが深夜12時でした。結局この日も1日飛行場にいたことになります。ロシアの食事には失望していますので、何も食べず、紅茶やコーヒー、ビ-ルばかり飲んでいました。一路東京に向かいましたが、機内ではひたすら眠っていました。

 私は社会主義の国に生まれなかったことを幸いと思いました。今東京で普通に享受できる様々なことがどれほど恵まれていることなのか、しみじみと有難く思いました。

ロシア マジックの旅 終わり