手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ロシア マジックの旅 2

ロシア マジックの旅 2

 

 知らない国に行って、予定通りに行動が出来ないときほど不安なことはありません。東京を立って早、まる一日経っていながら、いまだモスクワの飛行場でうろうろしています。

 顔の長いイタリヤ人は呑気に週刊誌を読んで椅子に腰を掛けたままです。私は思いっきり時間があるなら外に出て観光もしますが、いつ出発するともわからない飛行機を待つのでは何もできません。

 見ると待合室の奥にスロットマシンが20台ほど並んでいます。レートを見ると、日本円で10円くらいです。

 「あぁ、これなら退屈しのぎに遊ぶ分には大した負けにはならない」。と思い、売店で小銭を100枚ほど両替して、コインを投入していると、すぐに当たりを引きました。ルールは分からないのですが、当たりが連動する機会らしく、一度当たると、どんどん小当たりを繰り返します。

 マシンの上にパトカーのランプのようなものがあり、激しく回転して光っています。カフスボタンサイズの銀色の小銭がマシンからジャラジャラ出て来ます。その当たりが珍しいのか、売店の親父も、周囲のお客さんも寄って来て騒いでいます。ほんの退屈しのぎにと思っていたスロットマシンが思いがけなく小銭稼ぎにつながりました。

 一時間ほど遊んで、売店に持って行くと500枚くらいになっていました。売店の親父は私を天才とか何とか、お世辞を言っています。そこで、紅茶とケーキを二つずつ買い、イタリア人に持って行きました。

 「君はわずかな時間にいい仕事をするねぇ、周りのロシア人がヤポンスキーがスロットマシンを当てたと騒いでいたよ」。「そう、私のことです。これが戦利品です」。と言ってケーキを渡しました。食べてみると、ただ甘いだけで少しも旨くありません。

 それでもマシンもお茶も一時の気晴らしにはなりました。地味なイタリア人と二人で午後の紅茶を楽しむこと30分。再度人の動きがありました。階下に降りて行くと黒い掲示板にソチ行きが出ています。

 今度は飛行機に乗れそうです。大きな飛行機です。機体に乗り込むために滑走路を乗客がぞろぞろ歩いて行きます。時刻は昼。外は晴れてはいますが、かなり温度は下がっています。

 飛行機は胴体の前方がパックリ大きく口を開けていて、幅広い階段が付いています。階段を上がると広い荷物置き場があって、そこから再度階段を上がると客席になっていました。随分旧式なシステムです。まるで戦闘機に乗り込むような気持です。客席は300席くらいあるでしょうか。

 やがて機体は離陸して、モスクワから一路ソチへ向かいます。ソチはロシアの最南端で、ロシアの中では暖かい土地です。そのためロシア人の金持ちの別荘が並んでいて高級リゾート地になっているそうです。日本の感覚で言うなら沖縄あたりに行くような雰囲気なのでしょうか。

 下界は曇り空で、景色は良く見えませんでしたが、ところどころ雲の間から広い耕作地が見えて、シベリアの景色とは全く違います。二時間半ほどして大きな海が見えて来ました。黒海でしょう。海岸線がずっと続き、海と山との間にあるわずかな平地に町が見えます。どうやらそこがソチのようです。

 飛行機が無事着陸すると、乗客がみんなで拍手をしました。これがロシアのマナーのようです。

 

 外に出ると、モスクワとは打って変わって少し蒸し暑い陽気です。飛行場は小さく、日本で言うなら、高知空港とか米子空港と言ったサイズです。飛行場にはユーリさんと言うロシアのマジシャンが迎えに来ていました。アメリカのコンベンションで会って以来7年ぶりくらいでしょうか。正直顔も忘れかけていました。

 タクシーに乗ってコンベンションホールへ。さて会場は、国の施設であろうことは分かりますが、建物の作りは大学の構内のように見えます。マジックコンベンションですので、ロシア国内のマジシャンがたくさん集まっていると思いましたが、人はほとんどいません。

 ここからが謎の三日間の始まりです。結局マジックコンベンションらしき催しはなかったのです。では何のために私とイタリア人は呼ばれたのかと言えば、近々、マジックコンベンションを開催したいが、コンベンションとはどんなものなのかを国の役人に説明してほしいと言うものだったのです。

 なるほど、それでFISMの副会長のダンテさんが招かれたのかと納得が行きました。私はと言うと、当時日本国内でコンベンションを開催していましたので、日本の大会主催者として招かれたようです。

 明日には役人やスタッフを交えて説明会を開くそうです。それはいいのですが、そもそも今回の催しが説明会であると言うことを私は聞いていません。頼まれればコンベンションについて説明もしますが、私が話をするために日本語の通訳が必要です。通訳はいるのかと尋ねると、いないと言います。すなわち私が英語で話し、その英語をロシア語に訳すそうです。

 えらいことになりました。マジックの解説なら何とか英語でも話せますが、役人の質問に英語で受け答えなんてできるわけがないのです。そうならあらかじめ質問内容など教えてほしいと頼んだのですが、そんなものはないそうです。

 正直、私は困りました。私をここに招いてマジックをして、会議をして、一週間泊まらせると言うことは、全て含めて80万円くらいの経費が掛かるはずです。80万円分の価値ある日本のコンベンションの情報を私が提供しなければ、私がここに来た価値はないのです。然し、通訳は当てになりませんし、私の英語はもっといい加減です。

 「今日中に簡単な資料くらい作りましょうか」と、スタッフに尋ねましたが、「軽いミーティングですから大丈夫」。と呆気羅漢としています。

 ははぁ、多分、イタリア人が、詳細なFISMの資料を持っているのでしょう。ここはイタリア人に全てお任せしたほうがいいと思い、説明会の件を尋ねました。ところが、ダンテさんは、長い顔で少しも騒がす「いや、FISMのパンフレットは持ってきているけど、別に他の資料はないよ」。と言います。

 そんなことで大丈夫なのか、そもそも、この会の趣旨が説明会であること自体、今聞いたのです。こんな催しに限って、帰りがけにギャラを渋られたり、約束にないショウを頼まれたりすることが往々にあります。

私は一気に不安になりました。

続く