手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

別の入れ物へ入れ替える

 一昨日、11日は、富士の指導、17時まで富士で指導をして、急ぎ新幹線に乗って、20時までに岐阜に行きました。駅で峯村さんと、辻井さんと合流し、軽く食事。私にとっては毎度のコースですが、このところ、峯村さんがこの会合に参加し、たまたま波長があったと見え、峯村さんお気に入りコースとなりました。

 そのまま3人は柳ケ瀬のクラブに、いつも話し相手に指名していた、「肩幅広子(初めて会った時に、肩パットを入れた上着を着ていて、肩幅が広く見えたので、以来私は彼女をそう呼んでいました)」さんが、お店を変えたため、新しい店に行きました。

 今度の店は以前より小さな店でしたが、チーママが友禅の着物をきっちり着こなして、なかなか高級感が漂っていました。肩幅さんも元気に仕事をしています。ロシア女性もいました。

 我々は、別段悪い遊びをするわけではありません。女性を相手にくだらない話をするだけのことです。合間合間にマジックの話をします。辻井さんは、DVDを見たり、テレビを見たりして、面白いマジックがあるとそれを話題にします。峯村さんは、それに関してしっかり答えを持っています。それを聞いていると、私は、彼らが注目する情報を素通りしてきたことを不覚に思います。もっと、もっと注意深くマジックの動向を見るべきだと反省させられます。

 たまたま話題が、M1になり、峯村さんが「このあいだの漫才のレベルは、今までをはるかに超えて全然違う世界になっていた」。と漏らしました。私もそう思いました。

私は、「あの時審査していた漫才の先輩は、もし、今回挑戦者になっていたら、誰も予選突破できなかったでしょう。それだけここ数年、漫才のレベルが上がったのです。ある意味、漫才が行きつくところまで来てしまった感があります」。

 お笑いの需要が大きくなって、それにつれてお笑い志望の人が増えて、みんなで競争した結果、ものすごいスピードでお笑いの質が向上して 行っています。

 

 翻(ひるがえ)って、マジックは低迷を繰り返しています。国内のコンベンションはどこも開催が難しくなってきています。コンベンションが出来なければ、コンテストの開催数も減り、ディーラーも出店場所が減ります。40年間、マジック界の基盤となっていたコンベンションが今や人を集めきれなくなっています。コンテストはどこも盛り上がりに欠けているように思います。入賞者のレベルも一時期ほどのものではないように感じます。

 これは国内ばかりではありません。SAMやIBMアメリカのコンベンションも、リーマンショック以来の低迷から脱却していません。昔のように、マジックに関することなら何でもあると言う、マジックのデパートのようなコンベンションのやり方はもう通用しないことはわかります。

 ひとりFISMは成り立っていますが、それも、ヨーロッパの開催は難しくなってきています。FISMが成立しているのは、これまではアジアの情熱があったお陰ですし、次回はカナダが主宰です。その次にようやくスペインですが、恐らくその先はオーストラリアや、中南米になるのではないでしょうか。但し、オーストラリアや中南米でどれだけ人が集まるか。先々は混沌としています。つまり、スペインを除けばFISM開催はヨーロッパでは無理なのです。

 ならば何をどうしたらマジック界が活性化するのか、そこの答えを持って開催している主催者が現れていません。

 

 私は、コンベンションが従来の形で生残ることは不可能だと考えています。コンベンションの中でも、コンテストとゲストショウのみを充実させれば、コンベンションはまだ残る可能性はあります。例えば、コンテストとショウを同時にする開催する必要はないのかもしれません。コンテストだけのコンベンションだって十分可能です。ゲストショウだけを見せるコンベンションがあってもいいのかもしれません。例えばコンテストも、40本も50本もチャレンジャーを出すのではなく、トップ5,6人を競わせることで十分です。数よりもレベルを高めることのほうが絶対価値があります。

 賞金もM1同様に1000万円を出したいです。それくらいの賞金が集まるようなシステムを作りたいです。こんな話をすれば、多くのマジック関係者は無理だ、不可能だと言いだすかもしれません。しかし、実際、日本のちょっとした音楽や、演劇の催しはこれくらいの費用はすぐに出ます。要は、マジックがそれだけ価値があるものだと言うことを一般に知らしむることができれば、難なく開催できるのです。

 つまり、マジックをマジックの理解者の中だけでしていては、今の現状から抜け出すことはできません。じり貧状態のままいつか消え去ることになります。

 現状のコンベンションなり、マジックの催しなりが、外に向って何か発信しているかどうか。情報を発信しているなら、まだ可能性はあります。内々の人が集まって、マジック関係者だけの催しをしている限り、その社会は消えてなくなります。

 常に外に情報を発信するマジシャンがいなければなりません。芸能とはそもそも内々に見せるためのものではないのです。外の観客がとり込めなければ、その世界は生き残れません。それは当たり前な話なのです。この基本的な考え方をマジック界の皆さんはどうもわかっていません。

そんなことを話しながら、くだらない話も交え、柳ケ瀬の夜は更けて行きます。

 

 翌朝12日は名古屋で指導です。指導は午前10時から3時までで終えて、駅前に場所を移して、生徒さんと私と峯村さんで新年会です。飛騨牛の溶岩焼きがメインで、実際かなり濃厚な飛騨牛のロースが大皿に並びました。ほかに刺身や、釜飯なども出てかなりボリュームがありました。

 日頃マジックを習う、教えると言う関係だけの集まりですが、こうしてじっくり話をすると、それぞれの思いが聞けて興味が尽きません。夜8時近くまで宴会をして、この晩は名古屋にとまります。

 

 さて、一日ブログを休んでしまいましたので、今朝は5時に起きて、二日間の出来事を書きました。まもなくホテルを出て、大阪に向かいます。今日も一日忙しくなりそうです。