手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

NHKラジオ深夜便 4

NHKラジオ深夜便 4

 

   翌月には、キョードー大阪本社内で記者会見が行われました。新聞社五社が集まり私へのインタビューです。記者会見で思い出すのは、20年ほど前、種明かし問題でテレビ局を訴えたとき以来二度目のことです。あれは後味の悪い思い出です。でも今回の記者会見は私の芸能に対する評価ですのでとても気分のいいものでした。どこの新聞社も手妻や水芸のことを大きな記事にしてくれて紙面に載せて下さいました。

 会見を終えて、外に出ると外は晴天でした。私はこんなに晴れやかな気持ちで大阪の街を歩いたことはありませんでした。中之島のビル群が皆私の仲間のように見えました。つくづく「人生なんて、誰を知って生きているかで同じ景色でも、全く違って見えるものなんだなぁ」。と知りました。

 一社が私の手妻を新聞記事にしてくれるたびに、すぐに東京の私の事務所にチケットの申し込みが30件くらい集まりました。特に朝日新聞はかなり大きな特集を組んで記事を載せて下さったので、100枚近くチケットが売れました。

 ラジオも効果が大きく、トーク番組に出て、雑談を交えて30分程度話をすると、すぐにチケットの申し込みがありました。ぴあを通してチケットを買ってくださるお客様もあり、一日の文楽劇場の公演チケットはたちまち売れて行きます。

 劇場から「文楽劇場に置いてあったチラシが、足らないからすぐに持ってきてくれ」。などと言う電話がかかって来て、対応が間に合わない状態になってきました。今まで40年以上もリサイタルを開催して来て、こんなことは初めてでした。

 私は生まれて初めて、大きな劇場に出演して、チケットを売ると言うことはどういうことなのかを知りました。自分で切符を売って歩いていてはとても間に合わないのです。多くの人に協力をしてもらいつつ、話題を作ってマスコミが記事にして、その噂をお客様が知ってチケットを探して、初めて800人の劇場が満席になるのです。

 当日は満員御礼となり、当日券を求めてくるお客様をかなりお返しする結果となりました。私の公演で、こんなことは今までなかったことです。せっかく来てくださったお客様には誠に申し訳ない思いでいっぱいでした。

 劇場の担当者さんが、「こんなだったら、3日間くらい開催しても良かったですねぇ」、と言ってくれましたが、それは結果論で、始めは半分も埋まらないんじゃないかと思っていたのですから、満席になっただけでも感謝です。

 

 私の公演が満席だったと言う話はすぐに吉本興行に伝わり、本社内で噂話になっていた。と、あとで澤田先生から伺いました。まさか私の手妻の公演が、吉本興行本社で話題にされるとは思ってもいませんでした。

 そればかりか、キョードー大阪の橋本社長がものすごい気持ちの入れようで手妻を応援しているという噂まで伝わっていました。無論噂は事実ですが、私のたった一日の手妻公演がそんな風に噂になると言うのはむしろ光栄の至りです。

 リサイタルはいつでもそうですが、朝早くに楽屋入りし、機材を搬入して、道具を組み立て、邦楽さんと音のきっかけを打ち合わせをし、そしてリハーサル、ここまでが大体5時に終了し、食事をしているうちに、お客様が楽屋を訪ねて来ます。食事は半分もできないまま、お客様の対応をしながら、小道具のセットをし、舞台周りのチェックをし、衣装を着るともう本番です。まったく休みのないままそれから2時間公演をします。何分出演者裏方、邦楽の演奏家まで総勢20人を東京から引き連れてきています。大阪でお願いしている音響照明、撮影班まで入れると40人近い人が動いています。そうした人たちから何かと私が呼ばれますので、全く体の休まるときがありません。

 さて初の文楽劇場は、私が舞台に現れたときはものすごい拍手でした。考えたなら当然なことで、お客様は私が見たくて来ている人たちですから、声援がものすごいのは当たり前です。でも、800人のお客様から一斉に上がる拍手は迫力が違います。

 特に水芸です。暗転の中、木頭(きがしら)が鳴り響いて、東西東西の掛け声で、舞台がパッと明るくなった瞬間、一面真っ赤な橋の欄干が見えたときに、お客様はものすごい歓声をあげました。この時私は「やった、これで今晩の興行は大成功だ」。と確信しました。

 水芸は幕末期に大坂で活躍した手妻師、養老瀧五郎や、吉田菊五郎が工夫の末に完成させたもので、今の水芸の形式は大阪で出来上がったのです。それを大阪で見ることがなくなったと言うのは残念なことです。何とか大阪の、しかも道頓堀の地で年に一回くらいは水芸が見られるようになったらいいと思って今回、文楽劇場を借りたわけです。

 そうした私の想いを理解してか、お客様は実に熱心に見てくださいます。水芸は後半に行くにしたがって盛り上がり、大水(たいすい)をすべて出し終えると、お客様は熱烈な拍手をしてくださり、それが止まりませんでした。音楽は完全に終わってしまいましたが、やむなく演奏家リタルダンド(繰り返し)をして、拍手が続く限り曲を演奏をし続けてくれました。

 公演が終わった後はロビーに出て、お客様をお見送りしました。大阪のお客様は人懐っこくってなかなか帰ろうとしません。私に一生懸命話しかけてくれます。私もそれが嬉しくて、しばしこの時間を楽しみました。

 殆どのお客様が帰った後、ロビーの奥に橋本社長さんが残っていらっしゃいました。

 「藤山さん客席が一杯になって良かったですねぇ、皆さんとても喜んでいましたよ」。

 「有難うございました。おかげ様で満席になりました。こんなに気持ちの良い舞台は久々でした。皆様のご協力のおかげです」。

 「私も見たいと思っていた水芸が見られて幸せでした。こうした芸能は何としても残さなければいけません。また、困ったときにはいつでも相談に来て下さい。協力しますよ」。

 何ということでしょう。何百回感謝しても足らないほど助けていただいた社長から、また相談に来てくれと言われました。思えば半信半疑で引き受けたNHKラジオ深夜便トークショウの細いご縁が、蜘蛛の糸のごとくここまで伸びて、大きな実を結びました。人の情けは有り難いものです。こんな舞台を体験し、これほどの余韻に浸れる人生を経験したことは最高の幸せでした。

 文楽劇場はその後、翌年にまた公演しました。やはり満席で、この時も水芸をいたしました。有難いことです。本当は今年あたりもう一回文楽劇場で公演したいと考えていたのですが、コロナ禍でどうにもなりません。「やったらきっと大阪のお客様は喜んでくれるだろうなぁ」。と思いつつ、それが果たせないままこうして過去の思い出に浸っています。

NHKラジオ深夜便終わり

 

 今日は玉ひでの舞台がありますので今から出かけます。チケットは完売です。悪しからず。

 

 明日はブログはお休みです。