手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

伝統芸能が危ない 4

 昨日は浅草に出かけ、買い物をしました。ところが、そこで転んでしまったのです。右足を滑らして、足が左右に大きく広がり、また裂き状態で転びました。然し、その場は立ち上がって、大したこともなく、その後も買い物をしました。夕方に自宅に戻り、寝る段になって、左足が動きません。やむなくそのまま寝ました。そして、朝起きると、階段が下りられません。今は痛いままブログを書いています。

 この後、鼓の稽古をして、そのあと病院へ行こうと考えています。12日の神田明神、13日の玉ひでの舞台が差しさわりなければよいがと思います。

 

7、その他の伝統芸能(手妻、曲芸、曲独楽、軽業、車人形、写し絵等)

 1、能狂言、2、歌舞伎、3、文楽、4、落語、と、この四つのジャンルは、専門の劇場を持って活動しています。それに比べて、5、舞踊、6、邦楽、7、その他の芸能は専門の劇場がありません。(車人形は八王子に専門劇場があります)

 専門劇場があれば、一年中公演が可能で、そこで若手も、裏方も育てることができます。劇場には長く支援してくれているお客様がいて、毎日公演ができます。然し、劇場を持たない芸能は、お客様も、若手も、裏方も育てることができず。どんどん、じり貧の状態に陥ってしまいます。仕事先も、常に、新たな場所で演じなければならず、市民会館などの伝統芸能の催しなどに呼ばれて公演しても、常にその場その場の観客では、支援者のできようもありません。

 何とか、芸能が根付いてくれればよいがと考えつつも、果たせぬまま社会から徐々に取り残されてゆきます。

 この中で、一部の曲芸、曲独楽、手妻は噺家の寄席に出て、色物として活動しています。そこに出ている限りは出演場所に不安はありません。但し色物ですから、身幅を小さくして生きて行かなければなりません。

 

巨大な江戸時代の曲芸、曲独楽

 私は、江戸時代の軽業や、曲芸、曲独楽の浮世絵を見ると、その時代の壮麗な芸能がいかに多くの人々に支持されていたかを垣間見ることが出来ます。座員も40にから50人を擁し、曲独楽だけで単独に800人も千人もの劇場をあけて見せたのです。

 足芸で仰向けに寝て、唐船(からふね、真っ赤で派手な中国船)を足で持ち上げ、船に子供を二人乗せ、その船のへさきから水が吹き上がる仕掛けや、背中に3m以上もある竹竿を差し、その上に子供を縛り付け、上の子供と下の親父とで、独楽を羽子板を使って、上から下に飛ばし合ったり、三尺(1m)もの大独楽を、縄で巴にくくり、両側から二人掛りで縄を引っ張ると、大独楽がぐるぐると回転し、拍手喝さいの中、独楽が二つに割れて、中から金太郎の格好をした子供が現れて踊りを踊る。

 こうした大仕掛けの曲芸、曲独楽が日常行われていたのです。そんな曲芸や、曲独楽をもう一度今に再現したらどんなに楽しいでしょう。そんな人たちとなら、一度組んで、手妻の興行と一緒になって、市民会館などで興行したなら、多くの現代の観客は大喜びをするだろうと思います。

 しかし、残念ながら、意欲のある曲芸師や曲独楽師に出会うことはありません。現代の曲独楽師、曲芸師はいつしか小さな身幅で生きているうちに、大きく羽ばたくことを諦めてしまっています。先祖の遺産がありながら生かせないのは残念です。

 

サーカスにわずかに残る軽業、綱渡り、

 軽業は、玉乗りや、綱渡りなど独特の芸能があったのですが、多くは明治期にサーカスの方に移って以来、マジックや手妻とのつながりが絶えてしまいました。今ではサーカスそのものが下火ですので、なかなか復活も難しいのではないかと思います。

 足芸、綱渡りなどは、幕末期から明治にかけて、欧米で日本の芸能が大当たりしたのですが、今、その頃の芸能を残している軽業師をほとんど見ることがありません。暁あんこさんという若い女性が、日本の足芸を残していますが、それ等は稀有な芸能です。

 

車人形、写し絵

 車人形は、文楽の原型のような人形芝居で、そろばんのように、車輪のついた台に尻を乗せ、体を屈しながら、一人で人形を扱います。当然3人遣いの文楽よりは動きが単純ですが、そこはそれなりに美しい動きをします。題材は文楽同様に、浄瑠璃物(義太夫狂言)が主になっています。かつては八王子近辺の集落を回って興行していたようですが、今ではその維持も簡単ではないようです。

 写し絵は、日本式のスライドで、蝋燭灯りで、スライド機械に種板(映像の板)を入れて、映像を壁に写します。これを浄瑠璃に合わせて芝居仕立てにして進行させて行きます。江戸から明治にかけて随分流行ったようですが、今は見ることも稀です。

 

 車人形も、写し絵も、文楽同様、浄瑠璃物を演じているため、現代人に受け入れられるには少々難しいものがあります。然し、仮に専門劇場があれば、連日内容を変えて番組を組むことが出来ます。

 

なぜ専門のマジック劇場ができないか

 良くマジック関係者の中で、「なぜ、マジックで専門劇場ができないのか」。と不思議がる人がありますが。答えは簡単で、演目が少なすぎるのです。マジックも曲芸も、3日くらいは内容を変えて演じることが出来ても4日目からまた元の内容に戻ってしまいます。そこへ行くと、語り物は昔からの財産がありますから。10日間演じても内容が重なりません。それは落語も同様です。喋りの芸、語りの芸は豊富に残された財産のお陰で別の内容を演じられます。それゆえ、毎日公演してお客様を呼ぶことが出来ます。

 

 マジックが専門劇場を持つと言うことになったら、その内容に何らかのストーリー性がなければ継続してゆくことは不可能でしょう。多くの劇場は、人間の喜怒哀楽を舞台で表現して観客を集めているのです。ただ箱を開けて何かが出て来ると言う芸能では、長く観客を集めることは不可能なのです。こういうと「しかしロサンゼルスのマジックキャッスルはクロースアップや、スライハンドで観客を集めているではないですか」。と言う人があります。仰る通り、

 でも、先ず、マジックキャッスルは専門劇場ではなく、会員制クラブの社交場です。レストランや酒場がメインで、ショウはサービスです。観客が入り口でチケットを支払って入るような形式で、食事もアルコールも出ないなら、観客はもっともっとマジックの内容にシビアになるでしょう。キャッスルはまだまだマジシャンに甘いのです。

 専門劇場を持つために、マジシャンは何をしなければいけないのか。それについてはまた明日お話ししましょう。 続く