手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

水芸をしました

水芸をしました

 

 昨日(5月3日)蕨市のくるる劇場で、水芸をしました。160人入る劇場でお客様を半分にしての開催です。公演は2時と5時の二回いたしましたが、東京都の緊急事態宣言を聞き、その時点でチケット販売を中止したため、2時の公演は80人の満席だったのですが、5時の公演は、30人でチケット販売をストップしたまま開催しました。

 主催者側としては、周囲の反対などもあって、いろいろな人の考えを聞かざるを得なかったのかと思います。客席を半分にしたり、二回目の公演のチケット販売を止めたり。やむを得ない手段かも知れません。ただ、私からすると、せっかくの公演を、興味をそぐ結果にしかならず、できることなら、二回公演ともに80人満席にして、予定通りに行いたかったと思いました。

 芸能の公演は、この1年4か月と言うものは、ずっと周囲の無理解のために逆風に見舞われてきました。舞台公演と言うものは、直接出演者とお客様が接触するわけではありませんので、コロナの影響は限られたものだろうと思います。客席自体もみな同じ方向を向いて座っていますし、お客様自体は、ほとんど会話をしませんので、劇場内の感染は極めて稀な現象かと思います。

 然し、お客様はコロナの感染を恐れて、客席数を半分にしても、まだイベントに集まっては来ません。結果、コロナの影響で全くイベントが発生しません。それは、国内も海外公演も同じで、どこからも舞台の依頼が来なくなってしまったのです。それは私だけではなく、芸能で生きる人すべてがそうした状況に追い込まれています。

 芸能で生きる者にとって、芸能を自粛すると言うことは、生活が成り立たなくなることで、「はいそうですか、それなら自粛をしましょう」。と了解できる話ではありません。自粛はまったく失業状態になってしまうのです。

 いくら席数の制限をしても、アルコール消毒を徹底しても、時間ごとに劇場に風を入れても、マスクをしても、結局は風評被害が広がって、イベントは開催しにくくなってしまったのです。そこを無理にでもイベントを開催しようとして、クラスターでも発生させたら、主催者は責任を追及されます。周囲の批判を恐れて、誰もイベントを開こうとはしないのです。

 私の手妻のイベントから、オリンピックに至るまで、イベントをするとなれば内部ではすったもんだの大騒ぎです。開催をしようとする人は、もし問題が起これば、責任を問われて叩かれます。そうなると誰も責任者を引き受けようとはしなくなり、話は前に進まなくなります。

 実はコロナの問題は誰も先のことは分かりません。ほとんどの人はこの先どうしていいかわからないのです。分からないながらも何かあれば周囲の人は、その責任を人のせいにしようとします。コロナはコロナが問題なのであって、人のせいではないはずです。

 政治家も、医者もマスコミも、実際のところは何もわからないのが実情なのです。そうなら、まず、やるべきことはやることです。オリンピックは国や東京都が引き受けたことですから、そこは尊重すべきです。批判をせずに、どんな形であれ、まず行うことです。

 マスコミも、批判ばかりしていないで、どうしたら人々が楽しい生活が送れるか、明るい前向きな話題を前提として語るべきです。さもないと、ますます、人々はテレビや新聞から離れて行くでしょう。得体の知れないコメンテーターが批判だけしていれば問題解決するなんて言うことはあり得ず、高所からものを言っていれば知性があるように見えるなんて言うこともあり得ないのです。このままテレビの言うことを聞いていたならほとんどの職業は倒産してしまいます。

 人々は、何とか日常の仕事を維持しつつ、コロナと向き合って生きて行く以外生きるすべはないのです。

 

 そうした中の久々の水芸公演でした。朝からスタッフと出演者計8名が蕨に集合して、道具を組んで行きます。小さな舞台ですので、水芸の装置が舞台一面に飾られると、見た様はとても豪華絢爛です。

 スタッフも出演者も気持ちが生き生きしています。やはり舞台の仕事があると言うことは、自身の存在を認めてもらったことと同じで、生き甲斐を感じます。お客様もわずか80人でしたが、熱心にご覧くださり、とても喜んで見てくださいました。

 本当は、ロビーでお見送りをして、お客様の反応を聞きたいと思いましたが、ここでも、人と人との接触はできないということで、お見送りはできませんでした。でも何とか、お越しくださったお客様とのつながりは今後も維持したいと思います。

 それでも舞台があったこと、お客様と接する機会があったことは大きな喜びでした。やはり舞台で生きるものには舞台活動がなければどうにもなりません。それは私だけでなく、スタッフ全員にも舞台活動があることが喜びを与えることだと思います。と同時に主催者様、お客様に喜んでいただけたなら誠に幸いです。

 この先も、今月15日には玉ひでの公演があります。今朝も、昨日ご覧になったお客様から、玉ひでの申し込みがありました。昨日ご覧になったうえで、また見たいと思ってくださったことは有難いことと思っております。

 わずかでもお客様との輪が広がり、そこから舞台が発生して行くことが私の喜びです。玉ひでの公演は順調です。このままお客様が増えて行けば、年内には二日間の開催になると思います。そうなれば一層出演者の励みになります。

 コロナに負けていてはいけません。自分を信じて活動していれば、必ず道は開けます。どうぞこの先もご声援ください。

続く