手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

十牛図 2

 明日から猿ヶ京でマジックの指導があります。10人のマジック好きが集まって、合宿をします。2日間、朝から晩までマジックの練習をして、手順物を2作程度習得します。稽古の間に、山歩きをしたり、温泉につかったりして、東京とは違う生活を満喫し、たっぷりとマジックをすることの面白さを味わう企画です。

 猿ヶ京の私の稽古場には、立派な舞台があります。元々が芸者衆の見番ですから。これをフルに生かして、手順物を勉強します。なかなかこうした機会は少ないと思いますので、みんな張り切っています。本来は毎月一回出かけて、稽古したいのですが、そうもいきません。できれば、今度は8月に開催したいと思います。ご参加ご希望の方がいらしたら、東京イリュージョンまでお申し込みください。03-5378-2882

 

十牛図 2

  前回は、第一段階の「尋牛」、第二段階の「見跡」、第三段階の「見牛」までお話ししました。ここで、私は、アマチュアはこの先には行けないと話しました。全く行けないわけではないのですが、先に進める人は少数なのです。この件で何人かの人に質問を受けましたので、第四段階に入る前に、少しお話ししましょう。

 

 もし、マジシャンが、マジックに出会って、マジックの面白さにのめり込み、それを自分仕事にして行きたいと考え、実際、プロ活動をして少し人気が出てきて、これで生きていけると手応えを感じたころに、思いもよらない挫折が立ちはだかって来ます。

 天一で言うなら大やけどです。天一ほどの挫折に出会う人はそうはいないと思いますが、例えば、私ごとで言うなら、12歳で舞台を踏んで、親は芸人でしたし、早くからギャラを稼いで、性格も愛嬌がありましたから、舞台向きな子供でしたので、仕事もたくさん来ました。私がこの道で生きて行くには何ら悩みもなかったのです。

 18歳の時に、名古屋の大須演芸場に出演していて、曲芸の若い人と毎日、毎夜一緒に食事をして、取り留めのない下らない話をしていましたが、ある日、その先輩が、真顔で、私の顔をしげしげと見て、「君は下手だ」。と言いました。突然のことに私はびっくりしました。いつものギャグかと思って、冗談で返すと、相手は一層真顔になって、「下手だ」、と言います。こうなるとどう言葉を返していいか困ります。それからその先輩は、事細かに、なぜ私が下手なのかを話し始めました。

 私は今までそんな風に私の演技を語る人に出会ったことがありませんでした。この時は、言っていることの全てが素直に理解できませんでしたが、どうやら自分は下手らしいと言うことはわかりました。さすがにその晩は寝付かれませんでした。次の日も、また次の日も、自分のマジックについて考えこみました。

 

 私は子供のころから、松旭斎清子に習い、その後、アダチ龍光に習い、ダーク大和、渚晴彦、高木重朗、二代目天海さんから初代石田天海のハンドリングを習い。あらゆる人の所に通っては、マジックを習得していました。その甲斐あってか、若い仲間の中では知識もありましたし、仕事も多く、恵まれた活動をしていました。

 しかしよく考えてみれば、そうして習ったマジックは、全く外から仕入れてきたもので、それらを知っていると言うことは知識にはなっても、自分事ではなかったように思います。先輩芸人からは「あの子は何でも知っているよ」。等と言われていたのですが、それはいわば腕時計を買って、腕につけていることで自分自身が光り輝いているようなもので、本当に自分自身が輝いているわけではないのです。ちょっと似合わないと思ったら、すぐにまた別の時計や、宝飾品を買って、自分の身を飾っていたのです。自分が自分を磨く修行と言うものをしたことがなかったのです。

 ただ習った演技を適当に寄せ集めて、順にこなして行くだけで、少しも自分とマジックが一体となっていないのです。話を戻して、初めは先輩から、下手だと言われたことが何の事かわかりませんでした。自分自身は「さほどに下手ではない」。と思っていたのです。しかし、20歳を過ぎてから、徐々に下手の意味が分かって来ました。

 

 初めに、十牛図は、牛を見つけ、牛を飼い慣らしてゆく図だと申し上げましたが、それはその通りなのですが、最も肝心なことは、牛とは自分自身であり、飼い慣らして素直な牛に育てると言うことは、自分を律して生きて行く生き方を語っているのです。

 牛が自分自身なら、そもそも、牛を探すと言うこと自体が間違いなはずです。本来自分を見つめる旅であるはずがに、初めから問題や、悩みの原因を外に求めて、自分を見ないところが初めから間違っているのです。

 

 マジックを通してアマチュアが自分を見つめるかどうかと考えると、ほとんどは素通りをしてしまうと思います。多くのアマチュアは、マジックを演じることが楽しくて、見ている人に喜んでもらえばそれで満足なのだと思います。それでよいのです。

 アマチュアと言う存在はマジックを趣味としている人のことですから、マジックと自分の人生を一体にして生きる必要はないのです。稀にそうした人もありますが、そうしたアマチュアが幸せな活動をしているかと言うなら、必ずしもそうではないように見えます。プロにもなれず、アマチュアとしても全うできない人に見えます。

 

 プロになろうとするなら、どこかでマジックを自分事として見直すときが必要なのです。そして、いかに自分が浅い考えでマジックをしていたのかと言うことに気付いたときに、よき指導家に出会えたなら、その人の技量は思い切り高く引き上げられます。

 また逆に、教える側からすると、とことん悩んで、苦しみ抜いた人を弟子に取れば、その人は上手くプロの道につながって行きます。然し、この見極め方が難しいのです。

 弟子希望の人は、現状を何とか救ってもらいたいばかりに、実にうまく「迷える子羊」を演じます。そこで私がついつい手を差し伸べて、弟子に取ったあとで、ものすごい優越感の凝り固まった男であることに気付いて、愕然とすることがあります。

 弱そうに見えたのは当人の処世術で、あくまで変わった種仕掛けさえ覚えたなら生きて行けると信じています。私から幾つかのマジックを覚えてしまえば、当人はもう一端のマジシャンになって、弟子修行習得したと勘違いし、マジックを物としか見ずに、私をものをくれる親切な親父としか見ないのです。当人の本心は入門の前の素人のまま、だめの原因が何なのかを見極めようともせず、卒業して行きます。

 プロと称する人の中にも、かなりの数で、素人を引きずったまま、自己を見つめることもせずに、まるで腕時計を買い替えるがごとく、マジックを取っ替え引っ替え、ただの道具として扱う人がいます。無論それでどうにかなるものではなく、年齢が行くにしたがって、生きて行くことが危うくなって行きます。

 知識が付いたと言っても、借り物のマジックが溜まって行っだけのことで、何一つ自分の芸は生まれません。アマチュアとして生きるならそれでいいのです。しかしプロになるなら、第三段階で自分をしっかり見つめて、マジックの基礎を一つ一つ見つめ直さない限りプロとしては花開かないのです。

続く