手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

明日は我が身

 昨日は、名古屋のキャッスルホテルで水芸を演じてきました。広いパーティー会場で気持ちよく水芸の演技ができました。有難いと思います。長いこと舞台が出来なかったものですから、この先、舞台のチャンスが永遠に来ないのではないかと心配していました。でも、これからは舞台回数も増えて行くでしょう。

 昨晩、舞台を終え、深夜に新幹線で帰京し、さすがにくたびれて寝てしまいました。翌朝は、銀行に何ヵ所か回らなければならず、朝から忙しく動いていました。昼には、名古屋の荷物トラックが到着し、前田とスタッフで荷物のかたずけをし、それから私は再度銀行行き。何のかんのと仕事から解放されたのが午後3時過ぎです。

 事務所に戻ると、昨日の水芸で湿った衣装は、全て前田が事務所にロープを張って、乾かしています。蝶々や傘出しの道具の入ったスーツケースは、演技終了後に、急いで詰めたために、道具の詰め込み方が間違っています。そこで、アトリエにスーツケースを広げ、道具を詰め直しをします。なんにしても大きな仕事をした後は翌日は道具と衣装整理に一日取られます。夜6時、ようやく少し自分の時間が出来たので、ブログを書き始めました。忙しい毎日ですが、充実しています。

 一緒に仕事をしたアシスタントや、スタッフが、「あぁ、久しぶりに仕事ができて楽しかった」。と喜んでいました。そうなのです。何より、いつもの生活に戻ったことが幸せなのです。何もしなければ楽、というのは間違いなのです。どんな大変な仕事をしても、自分の仕事を持っていると言うことはこの上なく幸せなことなのです。

 

明日は我が身

 ここへきて、非常事態宣言の行き過ぎが騒がれ始めています。当然だと思います。私が以前から、非常事態宣言などしてはいけない。ロックダウンなどもってのほかだと書いたときには、多くの人は、「ウイルスを抑え込むためにはやむを得ないことだ」。と言って、私の話を聞こうともしませんでした。「今は耐え忍ぶときだ」。などとまるで子供を諭すようなものの言い方をする人がたくさんいました。

 そんなことを言いながら、他人の生活を壊してゆく行為を平気で繰り返して、何ら忸怩たる思いのない人が殆どだったのです。

 初めの内は、ライブハウスや、カラオケ店、飲み屋さんや、料理屋さんがつぶれ始めた時には、「それも致し方ない」。と多くの人が思っていたのです。然し、日が経つにつれ、いろいろな仕事がうまく行かなくなって行きました。倒産や不景気が身近に及んできたのです。非常事態宣言が解除された今も、不景気風は去らないばかりか、一層ひしひしと伝わってきています。

 

学校閉鎖は無意味

 日本全国の小中学校を閉鎖したときに、給食業者や、農家や、パン屋さんが休業に追い込まれてみんなが困っていると言った時でも、まだほとんどの人は「致し方ない」。と、非常事態を肯定していたのです。

 しかしよく考えてください。コロナウイルスに対して、学校を半年も休む理由が本当にあったのでしょうか。コロナウイルスは、感染力が弱く、子供には罹りにくいウイルスです。なぜ学校を閉鎖にする理由があったのですか。明らかに過剰反応ではないのですか。その過剰反応の大小は、子供の学業を遅らせ、多くの業者を失業に追い込んでしまっています。

 

劇場閉鎖は芸術の死滅

 同様に、劇場や、野球場の入場制限です。そんな必要がどこにありますか。日頃、山手線や、中央線の混雑を経験している人たちが、それで感染しないなら、コロナウイルスは感染しにくいウイルスだとは思わないのですか。野球場や、相撲の体育館、劇場、どこを取っても、山手線の混雑ほどには混雑しません。そうなら、満席にしたところでほとんど感染しないはずです。それをなぜ過剰反応して劇場閉鎖に追い込むのですか。なぜ、他業種の仕事を邪魔するのですか。見たい人、来たい人が見に来るならそれでいいではないですか。

 

コロナ2よりも恐ろしい、人の監視

 感染したところで寝ていたら治る病気です。大騒ぎする理由がどこにありますか。そんなことよりも、過剰反応をして、経済の発展を止めてしまったなら、この先には自殺者が出るでしょう。そのほうがよっぽど問題です。

 今後、もう一度非常事態宣言を出したら、日本は必ず亡国につながって行きます。大きな会社が倒産するようになります。失業者もたくさん出ます。そうなってよいことは一つもないのです。そろそろ過剰反応から目覚めて、今をどう生きるかを冷静に見つめてはどうですか。ウイルスと共存(ワクチンや、特効薬ができない現状では、共存の道しかないではありませんか)して生きて行く道を考えなければならないのです。

 多くの人は、コロナ2が来ることを恐れています。然し、それは大きな問題ではありません。これまでのウイルスのバリエーションが来るだけです。似たことの繰り返しなのです。無論死者は出ますが、少数です。こう書くと、「人の死を大切に考えていない」。等と言う人がありますが、一億三千万人が住んでいる国で、ウイルスが流行れば、どんなウイルスでも数百人の死者が出ます。死者が出ることは前提の話なのです。それでも、、数百人の死者と言うのは、極めて感染度の低いレベルのウイルスなのです。健全な生活をしていれば決して死亡にはつながりません。

 それよりも人々の健全な活動を、第三者が監視することで、活動の邪魔をしています。ウイルスよりも恐ろしいのは、人の監視です。相撲や野球を無観客で公開するなどと言うことに何の意味があるのか、それを陰で強要する人々は現代の魔女狩りと同じです。それがどれほど国の発展を妨げていることか、早くわからなければいけません。

 この半年で政治は大きな間違いを犯してしまいました。コロナウイルスに過剰反応をしたことで、無駄な金をかけて、結果、人を不幸に陥れてしまっています。こんなことが許されるわけはないのです。

 もっと、大人の対策の立てられる人を政治家を世に出さなければなりません。人気や、パフォーマンスで人の注目を集めるような政治家はいりません。近々選挙があるようです。その時は軽薄な代議士は選ばないようにご注意ください。今回のようなことを繰りかさないようによく人を見て選んでください。

 続く