手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

花蓮の大地震

花蓮の大地震

 

 昨日(4月3日)台湾の花蓮県マグニチュード7の大地震が発生しました。実際の地上で体感した震度はマグニチュード6強だそうで、台湾東部の花蓮(かれん)一帯で大きな被害があったようです。日本政府は早速災害対策救助隊を出動させました。

 然し、日本が台湾に対して支援をすると、なぜか中国は不快感を現し、露骨に反発します。おかしなことです。今現実に被災して苦しんでいる人がいるのに、中国自らは救助支援をしない上に、なぜ日本の支援を否定するのでしょうか。

 台湾島は、南北に、長く高い山が連なり、平野は西側、東シナ海に面した地域に集中しています。太平洋に向いた東部側は、ちょうど岩手県三陸海岸のように、海岸すれすれまで山が迫って来ていて、平地が少ない地域です。無論、川の河口付近など、わずかながら平地はありますが、新幹線の走っている台北、台中、台南などの西側地域とは全く景色が違い、耕作地は少なく、人口も少なく、従って大きな都市はありません。

 台湾は、日本と同じく太平洋プレートが大きく南北にのびていて、地震の多い地域です。ただ、日本と少し違うのは、日本の場合太平洋プレートが、太平洋沖の海の中に伸びているのに対して、台湾島は、なぜか台湾島の真下にプレートが来ています。

 1月の能登半島地震は、震源地が、輪島沖の日本海にありました。多くの日本国内の地震は、海が震源地になります。最近頻繁に起こる、茨城県や、千葉県の地震も太平洋沖に震源地がある場合が多いです。こうした点、直接の震源地と離れていますので、実際地震が発生しても震度は小さくなります。

 ところが台湾の東部では、地震が起きると、その振動が直接地上に響くため、直下型地震となり、大きな災害が発生しやすくなります。

 昨日の地震も、まず初めに上下に大きく揺れて、その後横揺れが続いたと言います。上下に大きく揺れると言うのが直下型の特徴です。かつての東日本大震災は、三陸海岸の沖に震源地がありました。そのため、揺れは横揺れで、地域は広かったのですが、直下型ではなかったのです。

 この三陸沖の震源は、今年になってからも岩手県地震があったばかりです。なぜこうも地震が多いのかはわかりませんが、昨日の台湾の地震も、沖縄や、沖永良部島あたりまで大きく揺れて、一時は那覇空港で、飛行機が発着を見合わせたそうですから、他国の災害ではありません。

 

 地震で怖いのは、地震そのものよりも、建物の倒壊と、火事です。台湾の地震を見ると、さほどに大火が起こることはないようですが、建物で耐震構造を持って出来ているビルが少ないようです。中にはずさんな工事で、コンクリートや鉄骨を間引いて作ったビルもたくさんあるようです。そうした建物が直下型地震を被ればたちまち倒壊してしまいます。

 特に中国のビルは、昔から、一、二階に商店やテナントが入っているように作られていて、商店は四方からお客様が入りやすいように、柱の少ない、壁の少ない空間を好みます。見た目はその方が開放的でいいのですが、柱や壁が少なければ耐震構造は思いっきり下がります。その上に10階、15階とアパートを拵えてしまうと、もう一階の柱は地震に耐えられなくなります。結果、中国のビルは、一階が押しつぶされるような崩れ方をします。無論一階が潰されたら、高い建物は維持できませんから、倒壊します。

 

 これを見て、「だから中国の建物は信用できない」。なんて思っていてはいけません。日本の建物も危ないのです。どこの国にもいい加減な建築屋さんはいますし、建物は建ててしまうと中の構造が分かりずらく、建築後数十年経ってからの震災は責任が曖昧になりますので、手抜き工事をすれば、やった者勝ちになってしまいます。結局倒壊するまで建物の本当の強度は分からないのです。

 ほとんど柱らしき柱がないまま、開放的な商店などが入っているビルを見ると、「これは危ないなぁ。今度地震が来たら間違いなく倒壊するなぁ」。と、建築家でもない私が見ても危ないビルはたくさん見受けられます。

 私などは、仕事上、知らない都市に行って、喫茶店や、レストランを利用する機会が多いので、その店のビルが構造上大丈夫かどうかなんて、初めて入った店のことは詳しくはわかりません。それでもなるべく、狭い敷地に建てたビルや、避難用の外階段もないようなビルには行かないようにしています。

 ビルの上層階で火事に巻き込まれたりすると、非常階段が無ければ、中の階段にお客様が集中し大混雑をします。その階段に火が入って来たなら下に降りることは出来ません。そのうちに煙が上がってくれば、もうどうにもなりません。

 我々は上の階でスモークポークハムのようにいぶされて、脂汗を流して息絶えることになります。お歳暮にもらったスモークポークハムを独り占めして食べた報いで、自分がスモークされる結果になると言うのは、辛いことです。

 そうならないために、レストランに入る前には必ずビルの外観を見ます。危なっかしいビルに入っている店には行きません。喫茶店も同様です。雑居ビルで、3階4階にある喫茶店にはなるべく入らないようにしています。

 

 花蓮ではトンネルの中にいる人や、ビルの一階で押しつぶされた人がまだ残っていて、今も救援を求めているそうです。日本の救助隊が行って、多くの人が助かればよいがと思います。一人でも多く、救出されることを願っています。

続く

プーチン圧勝

プーチン圧勝

 

 ロシアの大統領選挙でプーチンさんが圧勝しました。そう言われても多くの人は驚きもしなければ、喜びもしません。「またか」。と言うだけでしょう。全くの出来レースで、投票箱からして、開票の際にはそっくり箱の中身が取り換えられていたりすると聞きます。

 つまりどうやってもプーチンさんが当選する仕組みなのです。然し、だからと言ってロシア国民が内心反発しているかと言うと、どうもそうでもないようなのです。けっこう、プーチンさんを支持している人は多いのです。どうもロシア人はよくわからないところがあって、不正をしても、力ずくで政権を手に入れても、とにかく強いものが好きなようです。

 選挙前に政敵であった、プリゴジンさんが、ヘリコプター事故でお亡くなりになりました。その原因は曖昧なまま亡くなったことだけが伝わりました。プリゴジンさんと言う人は、自ら私設の軍隊を組織して、当初、ウクライナ戦で戦った人です。かなり人気のある人だったのに、不審な死に方で葬り去られてしまいました。

 そのことを今となってはロシア人は何も言いません。もう一人、民主主義を唱えていた、ナワリヌイさんは、選挙前に警察に捕まり、刑務所行きとなり、刑務所で謎の死を遂げています。一体ナワリヌイさんに何の罪があったのか、なぜ刑務所に行かなければならなかったのか、さっぱりわからないまま亡くなっています。

 結局、プーチンさんに一度にらまれると、命を失うのでしょう。こうした状況下でプーチンさんと政権を争うライバルなんて現れるわけはありません。ロシアはスターリンの時代と何も変わっておらず、政権を持っているものは何でもやりたい放題です。

 そうして強い政治家が出来て行って、国民はその強い政治家に憧れるのです。民主主義国家と言うにはほど遠く、帝政や全体主義が今も続いているのです。

 

 そんな国が、ウクライナを攻め続けています。攻めているロシア人はどう思っているのか、と言えば、ウクライナはロシアの連邦国家の一部だと信じているのです。多くのロシア人にとっては、かつての鉄のカーテンで仕切られていた時代の連邦国家、すなわちバルト三国ポーランド東ドイツチェコスロバキアルーマニアブルガリアユーゴスラビア、と言った国々まで、いまだロシアの一部だと信じているのです。

 そうしたロシア国民が、ウクライナを占領することは当然の行為であって、「ウクライナ人が可哀そう」。なんて思っている人は殆どいないのです。

 ロシアの考え方は世界の常識からかけ離れています。しかしロシア人にはそのことは伝わらないのです。選挙後に再々大統領になったプーチンさんはこの先、国民の支持を得て、堂々とウクライナを攻め続けることになります。

 ウクライナ侵攻の当初は、ロシア軍と志願兵で戦争をしていましたが、2年もすると兵士が不足して来たため、徴兵をしなければ補えなくなりました。初めは徴兵を躊躇していたプーチンさんですが、大統領に再選されたのなら、おおっぴらに徴兵をして、戦えるようになりました。

 一方のウクライナは、このところ、長い戦いで疲労が見えてきました。なんせ、国全体が戦場になっていて、連日、大都市も空襲に見舞われています。これでは政治も産業も成り立たなくなっています。戦争だけをしていては生活が出来ません。

 武器も、金も全て欧州、アメリカ頼みで戦争をしています。然し、それにも限界があります。春になって、ロシアが新兵を引き連れて、本格的に攻め込んで来ると、いよいよウクライナは不利になります。

 二年間支援をした欧州も、アメリカもこのところ及び腰です。昨日、ポーランドの大統領が、「もっとウクライナを支援しないと、この先は欧州にまでロシアが攻めて来ることになる」。と危惧していました。

 そうなのです。ロシアから見たなら、もうウクライナ侵攻は先が見えたのでしょう。ウクライナ自体に戦える余力がありません。これでアメリカの大統領選挙でトランプさんが当選すれば、間違いなくウクライナへの援助を中止するでしょう。そうなればウクライナは年内には和平交渉をせざるを得なくなるでしょう。

 何ともしっくり行かない結末ですが、結局戦争は国力の差が最後の決め手になります。悲しいかな、大国の前に小国はどうにもならないのです。

 さてそうなると、ウクライナ侵攻以降どうなるかと言えば、ポーランドの大統領が危惧しているように、ロシアは、ウクライナに支援をしたNATOを逆恨みしています。近年、うまいことロシアの衛星国から逃がれたバルト三国や、フィンランド、勝手にNATOに加入を決めたスゥエーデンなどを決して許すことはないでしょう。

 本来ロシアの衛星国であった国々にロシアからの離脱を促して、NATOに入れてしまったこと自体が、ロシアからすればルール違反なわけですから、ロシアの言い分としては、初めの東西冷戦時代の元の陣営に戻すのが正しいと信じているでしょう。

 ちょうど囲碁の勝負で、途中に不正があったと言い立てて、何十手か前に碁石を戻すようなもので、それを正義だと主張されたら、もうこの先は第三次世界大戦をするか、ロシアのすることを許す以外に手がありません。

 そうならないようにするにはどうするかと言えば、今、ウクライナを強力に支援して、東部地区やクリミア半島に巣食っているロシア軍を一掃して、ウクライナからロシア軍を追い出して、NATO軍がウクライナに駐留して、ウクライナの安全が守られるまで保護するのが正解なのでしょう。

 然し、NATOウクライナ侵攻に初手から及び腰です。ロシアが油断していた初戦に大きく戦ってロシア軍を追い出していればこんなに長引かなかったのに、今となっては解決が難しくなっています。

 戦争も政治も駆け引きですから、相手が引けばこちらは前に出て来ます。なまじ遠慮しながら戦えば、いいように攻め込まれてしまいます。「ウクライナに攻め込むようなことがあれば、NATOはロシアと戦う」。と宣言しても、ロシアが「元を言えばロシアの衛星国だ。自国に入り込むことに他人がとやかく言う資格はない」。と言えば、NATO大義はありません。

 さてどうしたらいいでしょう。結局半端な支援が全てをこじらせています。躊躇していればずるずる戦争が拡大します。このままではウクライナの敗北で終わってしまいます。それがNATOの希望するウクライナ侵攻の終結なのでしょうか。

続く

 

大地震はいつ来る

地震はいつ来る

 

 関東大震災は必ず来る。という話は、実は私が中学生だったころから言われ続けています。私が中学生と言えば、昭和44~5(1969~70)年です。以来、「そろそろ来るぞ」。「今年こそ地震が来るぞ」。と言われ続けて来ましたが、実際、今日まで大震災は来ていません。

 なぜ昭和44~5年ごろから関東大震災が来る、と言われて来たかと言えば、関東大震災の一つ前に安政の大地震があり、それが安政2(1855)年に起こり、それから60年後に関東大震災があったため、当時は50年から60年の周期で関東大震災が来ると推測する研究家が何人もいたのです。そうなら更に50年後の1975年頃にもう一回大地震が来る。と言うわけです。

 昭和の時代はニュース番組などで、大体関東大震災は50年から60年周期でやってくるとまことしやかに語られていたのです。もし50年周期なら、私の中学生のころ、即ち1970年ころから、その周期の入り口に来ていると考えられていたのでしょう。

 然し、ご存じの通り、1970年代になっても80年代になっても関東大震災は来ませんでした。そして今日にいたるまで、実に100年経っても、大震災は来ていないのです。予言者によれば、今年の末か来年あたりに大きな地震が来ると言う人があります。

 あるいは富士山の噴火を予言する人もいます。来るのか、来ないのか、私にはよくわかりません。

 私は、東日本大地震の数日前に、死んだ祖母が夢に現れた、という話をブログに書きました。祖母は若いころ塩釜に住んでいて、その後関東大震災があって、東京が復興景気で大忙しだと言うので東京に出て来てそのまま移り住んでいます。

 その話を聞いていたので、塩釜、祖母、関東大震災、と話をつなげて、東日本大震災が起きたときに、これは予言だ。私には予知能力があるのかも知れない。と考えました。同様に、熊本の大地震の際に、熊本の知人(当時は生存していました)、が夢に現れたために、ひょっとしてこれは災害の知らせなのか。と考えていると、数日後に、熊本大地震が来ました。

 これで、私は自分の予知能力に確証が持てたと勘違いし、その後に、亡くなった友人が夢に現れたときに、ブログに関東大震災が来るかもしれない。という予言を書いたのです。ところが、これは外れました。

 そこから気づいたことは、そもそも、死者が夢に現れることを地震に結び付けることが既に間違いなのではないかと気が付きました。平常では感じ得ないことが感じると言うことは、私に限らず、誰にもあることです。但し、それが特定の、関東大震災であるとか、富士山噴火である。などと簡単に結びつけることは無理なのです。

 

 そもそも、私自身が、地震の度に特別な何かを感じていたわけでもなく、必ず予知が出来たわけでもないのですから、短絡に夢と地震を結び付けて考えることは出来ません。根拠など全くないのです。私の予知能力は当てにはなりません。

 ただ、全くの嘘や思い付きかと言うと、そうでもないのです。今まで、様々なことで危険を察知して、行動を改めたことは何度かありました。サイドビジネスを始めようと友人と話を進めていた際に、何気に買ったお御籤に、「○○はしない方が良い」。と具体的に書いてあって、びっくりしたことがあります。

 無論サイドビジネスは取りやめました。結果それはリスク回避につながりました。そうしたことが過去に何度かあったため、私は、全く予言や余地は当てにはならないとは考えないのです。全くないとは言えない、でもほとんどの場合は嘘だ、と思うわけです。

 

 このところ、東京に震度3程度の小さな地震が頻繁に起こっています。私は、地震が起こるたびに、揺れながら、「この数日前に誰か夢に現れただろうか」。と一瞬考えます。夢に誰も訪ねて来なかったとわかると、「それじゃぁ、今起きている地震はきっと大したことにはならないな」。と根拠のない判断をして、勝手に安心しています。

 まだ夢のお告げを100%嘘とは考えていないのです。頼りないお告げですが、私にとっては、大地震になるかならないかの判断材料なのです。

 

 100年間関東大震災が来なかったと言う話は、次の百年も大震災が来ないと言う保証にはなりません。いつかは来るのでしょうが、でも、いつ来るかわらないことに一喜一憂していても意味はありません。せいぜい、水と非常食と簡易ガスコンロくらいを用意して、非常に備えることくらいが我々の対策なのでしょう。

 但し、家やビルの耐震に関しては真剣に考えておかないと危ないと思います。輪島の地震でビルが完全に倒壊している映像を見ましたが、あれと同じことは確実に東京でも起こるなと思います。高円寺の駅前を散歩していても、間違いなく、輪島のビルと同じ結果になりそうな、頼りないビルを数々見ます。以前に、高円寺の駅前で、台風で倒れた薄っぺらい建物の立ち食いそば屋がありましたが、良く見ると、あれと同じような結果になりそうなビルがたくさんあります。

 この際、耐震のための補強工事をしたほうが良いのではないかと思いますが、倒れるビルと言うのは、そうした工事をする金がないから倒れるのでしょう。立ち食いそば屋も流行っていませんでした。台風で倒れなくても、自然につぶれたかもしれません。借りている人も、貸している人も、ビルが倒れそうなことは内心わかっているのでしょう。分かっちゃいるけどやめられないのでしょう。

 それをおためごかしに、「補強したらどうですか」。などと言うのは、傷口に塩を摺り込まれるような行為で、他人にとやかく言われたくはないのでしょう。「倒れようと倒れまいと俺の勝手だい」。と居直られるだけでしょう。

 補強する金がなくても多分しばらくは大丈夫だと思っているのでしょう。かくして災害が来ると分かっていても、対処しようとする人は少ないのでしょう。毎度毎度地震や台風は来るのに、必ず死者が出るのは、分かっちゃいるけど今を変えようとしないからなのでしょう。

続く

 

 

 

 

シン・エンタメライブ

シン・エンタメライブ

 

 3月31日、浅草公会堂の和室で、「シン・エンタメライブ」というタイトルでマジックショウが開催されました。これまでも度々開催されてきたようです。15時からと18時からの二回公演。15時は45人のお客様が集まり満席。私は18時を拝見。

 私はショウ開始前に朗磨と一緒に合羽橋に行って、いろいろ道具の素材の買い物をしました。手拭いを買ったり、看板屋さんに弟子の朗磨の名札を注文したり、グラスを買ったり、椀を買ったり、朗磨を連れて行ったのは、この先、必要なものがあったときには、朗磨に買い物に行ってもらうためです。いろいろ店を教えているうちに4時になりました。

 二時間以上買い物をして歩き回りましたので、さすがにくたびれました。歩き疲れて浅草の梅園に行き、粟ぜんざいを注文しました。朗磨は梅園は初めてです。170年以上前に、浅草寺茶店から始めた店が、今では行列になるくらいの人気店です。隙間の時間を狙って行くようにしていますので大概座れます。この日もほとんど並ばずに入れました。

 黄色い粒粒の残る搗き立ての粟餅に、たっぷりあんこを乗せたもので、言ってしまえばそれだけのものですが、これが素朴でいい味です。薄く塩味の利いた粟餅が魅力です。あんは少し柔らかめの甘みの強いあんで、甘味好きにはたまらない味でしょう。ここと並木の藪は、浅草に行く時の楽しみの一つです。

 5時30分に会場入り、6時公演開始、観客は少なくて15人。真ん中にお客様がいないため、私が犠牲になって真ん中奥に座っていたら、結局最後まで私の前の席に誰も来なかったために、私が真ん中で舞台ににらみを利かすような結果になってしまい、演者はやりにくかったことでしょう。申し訳ないことをしました。

 

 一本目は藤山大成。空中から延べを出して、中から煙管出現。そこから襷を出して紐切り。お椀と玉。金輪の曲。まとまっていて、手堅い演技。できればもう少し尖った手順を作り込んでもいいのではないでしょうか。

 

 二人目はTOMOKO。10年振りくらいに見ます。歌いながらマジックをします。ショウほど素敵なものはないで始まり、マイフェアレディなど、歌で綴りながら、シルクやステッキなど様々な小品を演じます。途中鳩が出て、アヒルが出て、かなり大掛かりな舞台を見せます。手慣れて巧さを感じます。ただ、マジックが脇役のように見えて、不思議が伝わりにくく感じるのは、演者の心が音楽の方に行っているからでしょうか。

 

 ここで今晩の出演者の紹介を、高橋司さんとトランプマン中島さんがしました。ショウの真ん中で既に演技を終えた出演者と、この先出演する出演者を同時に紹介するのはどうでしょう。フィナーレで紹介する方が気が利いていると思います。このコーナーはなくてもいいのではないですか。

 

 三本目はザッキー。挨拶代わりに眼鏡の手順、もっと長く眼鏡手順をまとめて見せて欲しいと思いました。色変わりハンカチ、3本ロープの変形手順。得意にしているマジックで手慣れています。小さな工夫が加わって、反応も良かったと思います。

 お終いはチャイニーズステッキ。フィニッシュにステッキを一本増やすのがオリジナル。

 更にサービスで、大成を呼んで、卵袋の対抗戦。和洋の対決です。このところ二人が出ると、これを得意にしています。共に見た目のいいお育ちのよい坊ちゃんが演じるマジックですから、おばさま方には受けがいいのでしょう。でも、できればもっと研ぎ澄まされた、緊張感のある舞台が見たいのですが・・・。

 

 4本目は和田奈月。大トリです、私のアシスタントで入社したのはかれこれ30年前。今ではこの社会の幹部です。初めに蝶柄の打掛を着て日本舞踊。これが10秒か20秒なら綺麗な幕開けですが、本気になって踊ってしまうのは疑問。マジシャンが踊ってはいけません。もし、私が水芸を演じる前に、黒田節を踊ったら、ショウ全体が素人芸になってしまいます。それは絶対にやってはいけないことです。

 日本舞踊の世界で仮に5000人のプロがいたとしても、そうした師匠はお稽古屋さんの師匠であって、舞踊で金を貰って踊れる人は日本に10人とはいないのです。簡単な世界では有りません。安易に踊るのは、手妻の評価を下げます。マジックの手順がしっかり作り込まれていて、そこに舞踊の振りが付くのは気が利いていますが、只踊るのは駄目です。

 そのあと双つ引き出し。柱抜き(サムタイ)、連理の曲。その後、衣装変わりをして、法被(はっぴ)姿になって、松尽くし。今はなかなか見ることのない座敷芸です。その昔は太鼓持ちや、芸者が余興で演じたもの。

 扇子を松の葉に見立てて、だんだん数を増やして行って、自分自身が大きな五葉の松になって行くのが趣向。せっかく復活させるなら、扇子を一本一本マジックで増やして行っては如何ですか。それができたなら、マジックの番組にこの演技を取り入れる理由が出来ます。このままでは単に踊りを見せたいだけに終わってしまいます。

 

 全体を見終わって、感じるのは、色々なマジックを見ても、寄席の色物芸を見たような感じがしました。マジックのインパクトが欠けているように思いました。本来、技量のある人達であるのに、見終わってマジックの印象が残りませんでした。

 一つ一つのマジック(あるいは手妻)をもっと丁寧に演じ、不思議を語り込むことを第一に考えて演じたなら、同じ演技でも見違えるように充実したものになると思います。もののついでに、マジックがおまけのようについて来るのではなくて、自身が演じる不思議の、一作一作に責任を持たなければマジシャンとは言えないと思います。

 この日は一日中浅草は大変な人出でした。通りと言う通りは人で溢れていました。そうした人の内、0・1%でも、マジックショウに来てくれたなら、マジック界は大賑わいになります。そうなるためにはどうしたらいいのか、何を見せなくてはいけないのか。マジシャン自身が考えて答えを出さなければ、世間の人は永久に振り向いてはくれないのです。

 続く

「マジックと意味」ユージン・バーガー

「マジックと意味」ユージン・バーガー

 

 昨日(3月29日)、田代茂さんからユージン・バーガー著、「マジックと意味(Magic & Meaninng)」の大著が届きました。この書物は、もう15年くらい前にユージン・バーガーさんが書き下ろしたマジックの哲学書で、マックス・メイヴィンさんも関わって出来たものです。マックスさんもユージンさんも今は亡く、共に、こうした哲学に関する話は大好きで、会うと随分色々聞かせてもらいました。

 マックスさんからは是非買って読むといい、と言われましたが、原著は英文で、その本の厚さと、中に書かれている意味の難解さ、(ユージンさんの言葉は、日常でもしばしば日頃使わない英語が出て来ます。ある意味、私の手妻の語り口と似たところがあってい言い回しが古いのです)。いずれにしても私が読みこなせる本でないと諦めていました。

 然し、私はユージンさんのマジックは大好きでした。クロースアップマジシャンの中で、プロフェッサーと認めることのできる数少ないマジシャンでした。

 それはプレイヤーとしての才能もそうでしたし、何より、その存在感の厚みは大したものでした。声は太く、小声でも響き渡るような話し方でしたし、演技は終始椅子に座って行う古典的なベーシックなクロースアップでした。

 テーブルの上には必ず蝋燭立てが置かれ、蝋燭に火が灯されています。それ自体が神秘的で、そこから低い声で語りが始まると、もうそこはユージンさんの世界でした。ヒンズーヤン(糸を切ってつなげるマジック)を時間をかけて演じましたが、あれほど不思議で、説得力のあるヒンズーヤンを他に見たことがありませんでした。

 太った体で真っ白いあごひげ、どこのコンベンションにいても一目見ればユージンさんであることはすぐにわかります。何度か仕事を一緒にして、話をする機会がありましたが、私の手妻にはとても興味を示してくれました。

 そのユージンさんのマジック哲学の集大成が、「マジックと意味(マジック&ミーニング)」で、読みたいと思いつつもついぞ入手する機会もないまま過ごしていましたが、この度、田代茂さんが翻訳されました。

 9年の歳月をかけて、関係者の了解を取ったり、文中の聖書の意味を調べたり。故事を確認したり、原点を調べるなどの膨大な作業をされ、ようやく発刊するに至ったわけです。著書はハードカバーの大判で、ページ数は300ページに及び、ほとんどが文字で、イラストや写真はわずかです。

 これを自費出版してこの度出したわけです。その精力たるや大したものです。そもそも、ユージンさんの話は難しいのです。本書も、かなり難解な部分があります。然し、まだ全部読んではいませんが、対談の部分も多く、覚悟していたほど読みにくくはありません。かなり平易に書かれています。

 内容は、マジシャンとは何者なのか、という話で、冒頭の対談に出てくる、「マジシャンは、マジックを恐れている」。という話からして興味をそそります。「マジシャンは、自分がマジックを演じつつも、実は本当のマジシャンではないと言うそぶりを見せようとする。ギャグを言ったり、マジックの不思議を打ち消すようなことを平気でする。それはつまり、自分に人を超えた力がないと吐露していることで、今起こった不思議を打ち消している」。などという興味深い考察が述べられています。この冒頭の対談こそ、本書の疑問の中心にあり、それを解き明かすことに本書の意味があるように思います。

 「そうであるなら、あなたは一体何者?」。とマジシャンに問うてもなかなかマジシャンから答えが出て来ない。そんなマジックを見せられたお客様は、マジシャンから何を感じるのか。マジシャンがマジシャンを演じ切らずに、得体の知れないことを繰り返すのみで、それで観客に感動を与えられるのか。と疑問が進みます。

 

 これはマジシャンが、マジックをする以前に、マジシャンとは何者なのかを知った上で、マジシャンを演じなければならない。という根本の話をしています。当たり前のことですが、その当たり前がマジックの社会で理解されていません。大概のマジシャンは種仕掛けを買うことから始まり、不思議のノウハウばかりを学びます。結果として、種仕掛けを山ほど知っているマジシャンは数多く存在しますが、魔法が上手くかけられません。中には魔法を否定してしまう人までいます。

 

 実は私の長年の悩みも、そこにありました。私は10代から日本舞踊を習い、三味線長唄を習い、鳴り物を習いましたが、なぜそんなことをするのかと言えば、和の世界の風(ふう=雰囲気)を見に付けるためです。然し、日本舞踊や三味線をすれば手妻師になれるかと言えば、それは全く関係のないことで、手妻師(マジシャン)であるためにはどうでもいいことなのです。

 同時に私は若いころはジャズダンスを習っていました。それはタキシードや燕尾服を着たときに身のこなしが奇麗になるためです。然し、これも実はどうでもいいことなのです。魔法使いが魔法使いになるために、タイツを履いてジャズダンスの練習をする必要はないのです。然し、昔の師匠は、やたらと稽古事を勧めました。

 実際そうした稽古をすると、他のマジシャンよりも雰囲気が身について、仕事先の受けがいいのです。つまり、見た目がよりマジシャンらしくて、事務所やお客様の評判が良くなるのです。

 全ては、エンターティナーというくくりの中で、マジシャンを考えているから、そうした素養が必要なわけで、マジック本来からすると何ら意味のない行為です。手つきが奇麗、とか、身のこなしに芸の厚みが感じられる。というのは基礎修行の末に生まれるものですから、私も弟子たちには、稽古ごとに通うことを勧めます。

 然し、どんなに手つきや身のこなしが奇麗になっても、そこから本物のマジシャン(手妻師)は生まれては来ないのです。何がマジックなのか、何がマジシャンなのか、それは自分自身が常に自分に問うていないと出来て行かないものなのです。

 つまり我々はマジシャンとは本来全く関係のないマジシャン像を勝手に作り上げて、それを売り物にしているのです。いわば偽物なのです。

 ユージンさんは、物の本質を教えてくれます。料金8000円は、決して高い出費ではありません。ビニールに包んで売っている得体の知れないマジック道具を、一つ、二つ買うのを諦めて、ユージンさんに投資してみて下さい。目から 鱗の金言が書かれています。こうした地味な著作が翻訳され、少数ながらも理解者に渡ることこそ、日本のマジック文化の成熟なのです。

続く

 

 問い合わせ先は、すまいるらいふ。045-543-2102 info@smilelife.co.jpまで。

ハンドルネーム

ハンドルネーム

 

 毎日ブログを書き続けています。私は普段、酒を呑まなくなりましたので、その分朝早く目が覚めます。長く床に入っていても意味はないので、さっさと起きて、その分何か用事をしようと思い、ブログを始めました。

 内容は、日常のとりとめのないことを書いています。徒然草を引き合いに出すのは余りに烏滸(おこ)がましいのですが、思うに任せて世相を書いています。ブログを始めたときに自分自身である種の決まりを作りました。

 一つは毎日2000字程度(原稿用紙5枚)書きます。休みは週一回。最低3年続ける(もう4年続いています)。ハンドルネームで意見を言ってくる人には返信しない。

 毎朝5時30分ころから書き始めて、7時くらいに書き終えます。その後、一度朝食を取り、8時20分くらいに原稿を見直して、9時30分頃にブログに出します。この時点で気の早い人は50人くらい覗きに来ています。

 連日平均300人くらいの読者が見てくれています。少し話題の内容だと1000人を突破します。意外なところで意外な人から、「いつも読んでいますよ」。と言われます。私にとっては嬉しい感想です。

 

 ところで、なぜ読者のメッセージに返信をしないのか、というと、以前、ハンドルネームで質問してきた人がいて、初めは気軽に返信していたのですが、私の文章の細部にケチをつけて来て、執拗に攻撃して来る人がありました。どう見ても些末なことの揚げ足取りで、私を怒らせようとしていました。

 この時、「これがネットの炎上の原因なのだな」。と気付きました。何でも善意で話をすることがいいとは言えません。相手が私をひっかけて問題を大きくしようとしているのは見えていました。考えてみれば、誰だかもわからない人に丁寧に返信することは無駄です。

 中には、真面目な意見を言って来る人もあります。ところが、返事を出すと突然豹変して、猛攻撃をする人があります。全く何を考えているのかわからないのです。以来、ハンドルネームには返事をしません。危険です。

 

 さて、数日前に、ジャパンカップでのコンテストの感想を書きました。多くの場合、私の感想を楽しみにして下さる人は多く、直接、間接的にいろいろ感想を言って下さいます。また、チャレンジャーからもメールを貰います。名前を名乗って、メールが届く場合は返信をします。

 ところが先日、ハンドルネームで来た内容は、なかなかすごいものでした。「勝手にコンテストのことを書かないでください。削除してください」。と言うものでした。

 まず、私が名前を名乗って、意見を述べている以上、責任をもってしていることです。感想は、勝手に思い付きで書いていることではありません。主催者の田代茂さんの了解があってしています。

 第一、削除を求めるなら、自ら名前を名乗って、その理由を述べなければいけません。ハンドルネームの人は対象になりません。

 マジック界の催しと言うのは、50人とか100人と言う、微々たる人数の中で開催しています。せっかくいい内容だったとしても、日本中の愛好家にその内容は伝わりません。それを少しでも多くの人にお知らせしようと、微力ながら書いています。私が話題にすることで、50人の催しが1000人に伝わるのです。

 チャレンジャーの中で、私がコンテストの内容を書くことが気に入らない人がいるとするなら、逆に主催者である田代さんが、毎年、如何に多くの費用と時間をかけて会を開催しているのかを理解していないのです。

 コンテストは単にマジックをしたい人にマジックをさせる場ではないのです。コンテストについて書くなと言って来るのは自身の考え以外の意見を聞く気持ちがないのです。書くなと言う人は、この催しを広く伝える意識がないのです。それでは今以上のお客様は集まらないのです。「今度東京に行ってジャパンカップを見よう」。そう思う愛好家を一人でも多く作らなければジャパンカップは残りません。

 また、そもそもコンテストと言うのは自分のマジックを見ず知らずの人に見てもらうことが目的です。知らない人が見るのですから、感想は様々で、自分とは真逆の意見も出てくるのです。それまでは仲の良い仲間同士見せあっていたものが、いきなりコンテストに出て、いろいろな人に見られたならば、余りに自分が考えとは違うことを言われてびっくりするでしょう。でもそれが大人の社会なのです。

 全く考えの違う人たちに演技を見てもらい、それで、「巧い」、「凄い」と言われて、初めて入賞するのです。それが褒め言葉だけではありません。否定的な意見も出て来ます。自らの評価を、いい言葉だけを聞こうとせずに、むしろ反対意見をよく聞くことが自身を大きくします。

 自分が好きでマジックをしていて、それで満足ならコンテストに出る必要はないのです。そうなら次のステップのアジア予選出場も必要ないのです。でも現実には、主催者は、彼らの中からアジア予選出場者を選ばなければなりません。多くのマジック関係者が危惧していることは、日本代表のコンテスタントが、余りにアマチュア化してしまって、世界からかなりかけ離れてしまっています。コンテスタントは、自分寄りな演技ばかりするようになり、少しも観客を考えていない人がいます。そうした結果、日本の代表者は、ステージも、クロースアップも、イタリアの本選に到達しないのではないかと危惧します。

 そうならないためにはローカルなコンテストで、入り口を絞って、なぜその演技で入賞しないのかをはっきりと伝えなければ、この先日本で世界に通用するマジシャンは出て来なくなります。このままでは日本のマジック界全体が沈没することに、審査員も、コンテスタントも気付いていないのです。

 何とか、努力をしている人はもう少し日の当たる場所に出してあげたいと思いますが、それには、もっと自身の意識を高めようとしなければどうにもなりません。

 「勝手にコンテストのことを書くな」。というのは余りに視野が狭過ぎます。コンテストが何のためにあるのかを知らないのです。本来ならあらゆる人の協力を得て、今の自分の技量を引き揚げなければならないときに、自分だけの世界に閉じこもっています。周囲が何でこうまでして時間と費用をかけて次の世代を育てようとしているかに気付いていないのです。

 そうした人に、演技の場を与えること自体が空しく感じられます。日本のマジック界は既に沈みかけています。それを活性化させるのは前途多難です。

続く