手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

可憐な花 峯ゼミ

可憐な花 峯ゼミ

 

 昨日(18日)は峯ゼミに参加しました。時折横殴りに強い雨が降り、台風の大きさを知ります。この雨の中にも関わらず、参加者10名は熱心に田端までやって来ました。

 私自身、何としても峯村さんのシンブルが見たかったのですが、先月は用事があって休んでしまいました。今期の峯ゼミは、前半3回がシンブル。後半3回がカードマニュピレーションと言う、内容たっぷりの企画です。そして昨日は、3回のレッスンの内の2回目でした。

 まず初めに、プロにとってシンブルは、手習い芸と言う先入観があります。初心者が手始めにやる演目と決めてかかって、シンブルをどう面白く見せようか、とはなかなか考えないのです。地味で目立たないマジックですから、肌って手順を作ったりはしないのです。

 逆に、この演目を大きく発展させたのは学生マジシャンで、今となってはそこに多くのハンドリングの蓄積があります。シンブルとウォンドは学生マジックの文化と言えます。

 学生の発表会を見に行くと、毎回何か変わった技法が工夫されていて、面白いと感じます。が、如何せんシンブルは、小さな素材で、あまり目立たない作品ですから、優れたハンドリングがあったとしても、自分なりに工夫してみようとは考えません。

 

 まず峯村さんは、そうした、私らのような長年マジックで生活して来た者たちの、誤ったシンブルに対する先入観を、一つ一つ解きほぐして行きます。私は、以前にレクチュアービデオを頂いていて、全体の内容は一度拝見しています。内容が面白いことは勿論承知しておりました。

 ただ、出来れば峯村氏自身からどうしてこうしたハンドリングを考えたのか、なぜこうした手順が出来たのかを話してもらいながら習いたかったのです。それゆえに、一回目からじっくり習いたいと考えていました。

 ある意味、このシンブルの手順には、峯村さんがスライハンドをどう考えているか、スライハンドとはどういう芸能なのか。についての峯村流の答えが出ています。

 それは学生の手順とも違い、従来から普及している手順とも違う、峯村氏の独自の考え方が随所に現れています。実際、昨日のレッスンを拝見しただけでも、私の知らないハンドリングがたくさん出て来ましたし、何より大きく構えて演じてない演技の仕方に共感を覚えました。

 いいですねぇ。これぞ成熟した国のマジックです。こんなレッスンが普通に行われていることがその国の文化の熟成度を感じさせます。世界中でここまで成熟したマジックの文化を持っている国が何か国あるかと考えたなら、峯村さんの指導は大きな価値があります。

 実際昨日は、私の頭の許容量には十分すぎる内容でした。どこまで参加者がこれを受け入れたかはわかりませんが、恐らくはあまりあるほどの満足を手に入れたと思います。

 基本的にはシェルを使ったシンブル手順です。然し、多くのシェル手順は、かぶせたシェルを片手で抜いて、隣の指に移す動作が続くため、仮に、タネは分からないとしても常に手の指がもごもご動く動作が繰り返されます。これが不自然なため、演技全体が演者の自己満足に見えてしまいます。

 氏自身の手順も、ハンドリングのために余分に動く動作を排除しています。実際に演技を見せてもらうとおかしな動作は全くなく、すっきりとした手順に仕上がっていました。

 順に申し上げると、赤いマジックインキのハイマッキーを取り出して、そのキャップを取り外し、キャップを人差し指にはめたところから演技が始まります。つまり、シンブルとは何かという答えが示されています。これはとても重要なことです。

 私は、シンブルは好きなマジックではありますが、なぜ人前でしないかと言えば、その素材のチープさです。ある程度年齢の行った人が使うにはあまりにチープなのです。もう少しいい素材の道具だったらなぁ、と常に思っていましたが、峯村氏は、そのシンブルの弱点を逆手に取りました。つまりマジックインキのキャップを使ってマジックを始めるのです。これなら素材のクオリティは関係ありません。良い工夫です。

 その赤いシンブルが出たり消えたりするうちに、白に変わり、赤に戻り、行きつ戻りつするうちに手を広げると指先には4本全部赤いシンブルが並んでいます。不思議です、白いシンブルを散々見せられていたので、その白が消えて、4本すべてが赤くなって出て来たのはとても不思議でした。色彩もはっきりとして鮮やかですし、小さな世界であるのにちゃんと可憐なお花畑が出来ています。「あぁ、いい世界だなぁ」と感じました。ここだけさらりと演じてもとても上質なマジックを感じます。

 その先には、紅白が交互に指に並ぶ手順、4色のシンブルが次々に現れて指に並ぶ手順、そして5色のシンブルが並ぶ手順と、4種類のハンドリングが紹介されました。

 その途中には、人差し指にシンブルを嵌めて、親指と人差し指でシンブルを挟み、左右に振っていると、色が変わるハンドリング(昔フランスのマジャックが得意で見せていた手順)。あれがアレックス・エルムズレイの作品であると知らされて、改めてエルムズレイの偉大さを再認識しました。

 こうして3時間30分のレッスンは終わり。田端のレンタルハウスでの実り多き指導は終了しました。毎度のことながら細部までしっかり考えを通して、一つ一つ結論を出して行く手順の作り方には感心させられました。

 

 さて、レッスン終了後、私は、ザッキーさんを連れ出して、田端の居酒屋に入りました。実は少し混み入った話があって、それはこの先の私の活動にも関わることで、少し密に打ち合わせをしました。どのみち明日(つまり今日)もザッキーさんと会うのですが、事前に考えを聞いておかねばなりません。と言いつつも、後半の話は、舞台のこと、芸の話になってしまいました。タップリ芸の話をして、夜8時に帰宅。充実の一日でした。

続く

 

 

村八分

村八分

 

 何とも情けない話ですが、一昨日パソコンが作動しなくなって、どうやっても画面が変わりません。こんな時は前田がいて、いつもならさっと直してくれるのですが、7月いっぱいで弟子の修業を終えてしまいましたので、頼る人がいません。

 幸いにも昨日手伝いとして前田が来る日だったので、見てもらうと、二階の事務所にある、大元のコンセントに何らかの理由で電波が溜まっていたらしく、コンセントを抜いて少し休ませて、再度繋いだら簡単に直りました。未だに何の理由でトラブルになったのか、何で治ったのかがわかりません。

 電波にも流れがあり、時々接続部分に流れが滞る何かがあり、それは風呂場や洗面所のパイプのように、長く使っていると、汚れが溜まるのでしょうか。そうだとするなら、汚れた電波と言うのはどんなものなのでしょうか。世の中にいい電波と悪い電波があるのでしょうか。

 「電源を調べてみたら、先生のブログがコンセントのつなぎ目に、ごっそりこびりついて出て来ましたよ」。などと言われたらショックです。私のブログが悪い電波を製造している事になります。何とかコンセントのつなぎ目に滞ることのないブログを書きたいと思います。

 

 村八分と言うと、村人全員が、特定の人を阻害して、いじめをすることだと思っている人がありますが、少し違います。村の中で問題を起こす人を、村人が制裁を加えようとして、付き合いをしなくするのはその通りなのですが、そうした中でも、十ある村人の付き合い(婚礼、祭り、田植え、稲刈りなど)、と言った、村総出の行事の付き合いの中で、八つは付き合いをやめても、葬式と火事の時だけは助けてやろうと言うのが村八分です。

 つまり、どんなにどうしようもない人でも、全く付き合わないわけではなく、葬式と火事だけは面倒を見ようと言うのが村八分です。100%駄目と言わないのが根本の考え方です。こうした考え方こそ日本人の優しさであり、理性の働きが生きていると思います。

 実際火事となったら、他に家にも飛び火しないとも限りませんから、何としてもみんなで消火をしなければいけません。火事は我が身の問題でもあるわけです。

 葬式は、如何に生前村人に阻害されていたとしても、死んでしまってまで相手にされないのは当人も浮かばれません。死んでしまったなら、これまでのことは一度ご破算にして、まともに人としての応対をするのが大人の付き合いです。こうしたことははるか昔から日本人の知恵だったわけです。

 

 時々人を憎む余り、葬式にはいかないと言う人があります。私はそうした人は間違っていると思います。縁ある人で、亡くなった人なら、少々嫌な人でも、生前散々に嫌がらせをされたをされた人でも、葬式くらいは出るべきです。行かないことは自身の狭量であり、結果として自身の世間を狭くします。年をとったならなるべくわだかまりを捨てて、故人を認めるように努めなければいけません。

 年を取ると言うことは大人になると言うことです。大人になると言うのは、好き嫌いをしなくなり、許容が広がると言うことです。子供の内は、食べ物でも、ピーマン嫌い、ニンジン嫌い、鳥の皮が嫌い、と嫌いなものばかりでも、だんだん大人になるに従って色々なものが食べられるようになります。大人と言うのは人が丸くなり、何でも受け入れられるようになることなのだと思います。

 

 そこで、最近の話題ですが、安倍元首相の国葬です。国を挙げての葬儀であるのに、国会の承認のない葬儀は行かない、だの、経費が掛かり過ぎる、だの、あからさまに招待状に不参加に丸を付けてネットに載せたり、何とも人として下品な行いをする人がたくさんいます。

 それぞれ政治信条があって、素直に認められないのは分かります。それはそれとして結構です。然し、テロにあって、無念の思いで命を落とした人に、難癖をつけて何が面白いのでしょうか。それを聞いた家族や一門の政治家は何と思うでしょうか。

 招待を受けても、葬儀に行く行かないは自由です。但し、行かないなら、行かないと心に秘めておけばいいことで、世間に知らせることではありません。冠婚葬祭にケチをつける人は世の中を暗くする人です。余りに失礼です。

 いい年をした大人が、ピーマン嫌い、ニンジン嫌いと言って、ネットに写真を乗せて騒いでいるのです。己の未熟を恥も外聞もなくさらしているのです。

 

 バカの極みは、エリザベス女王が亡くなって、「そら見たことか、葬式が重なってしまったではないか。イギリスの葬儀が先に来て、各国の元首が集まったなら、わざわざ日本なんかに来ない」。などとしたり顔で言う人がありますが、これも失礼なことです。この時期にエリザベス女王が亡くなることなど誰も予想できなかったことです。たまたまエリザベス女王が亡くなっただけなのに、国葬をする意味がないなどと言うのはどんな理由でしょうか。物事を何かにつけて反対する人はいますが、こんなこじつけな理由で国葬に反対する理由がありますか。

 どなたがなくなろうとも、何事かが起ころうとも、安倍さんの葬儀は粛々と行うべきです。国の行う大切な行事なのですから、天皇陛下はどちらの葬儀にも出席しますよ。それが良識ある人の行いだからです。

 地方公共団体によっては、半旗の啓礼もやらないと言った地域があるようです。それも幼稚です。市や、県、学校を挙げてピーマン嫌いと言って何がいいのでしょうか。葬儀の際には半旗で答えるべきです。半端に批判をするようなことは避けるべきです。日本人なら、国葬にケチを付けるのはやめませんか。

続く

 

 

悪に強きは善にもと

悪に強きは善にもと

 

 このセリフは歌舞伎の河内山宗俊(こうちやまそうしゅん)が高僧に扮して、大名屋敷に乗り込んで、強請(ゆすり)、語りをしてまんまと金品をせしめ、帰りの玄関先で、思いがけなくも大名の家来に顔見知りのものがいて、素性がばれ、引くに引けなくなって、ふてぶてしくも居直る時の有名なセリフです。それまで高僧として上品な話し方をしていたものが、素性がばれると一転し、

 「何だ何だ、こんなひょうきん者に出てこられたんじゃぁかなわねぇや。いかにも俺は河内山だ、静かにしねぇか。悪に強きは善にもと、親の嘆きが不憫さに、娘の命を助けようと、腹に匠の魂胆を、練塀小路に隠れもねぇ、お数寄屋坊主の宗俊が、頭の丸いを幸(せぇーうぇい)に、衣でしがを忍岡(しのぶがおか)」。

 と、七五調のセリフが続いて行きます。この後、宗俊は、居直るだけ居直って、大名の家来をやり込めて、まんまと金を強請取って帰って行きます。河内山宗俊の芝居はさておいて、セリフに出て来る、「悪に強きは善にもと」が興味です。悪に強い者は、善にも強いと言う意味でしょう。強いとは何か、拡大解釈すれば、悪い仕事の出来る奴は、いい仕事も出来ると言う意味なのでしょうか。

、実際、宗俊は、大名に無理強いされて、連れて来られた町娘を、救出しようと大名屋敷に乗り込み、まんまと娘を奪回し、ついでに強請って、自分のギャラまでしっかり取ったのですから、善人でありながら同時に悪人です。

 善人でありながら同時に悪人とは、おかしな人のように見えますが、現実には、善人と悪人の区別などできるものではありません。両方兼ねている人はいくらでもいます。疑う前に自分の心の中を覗いてみればお判りでしょう。常に善意と悪意が交差しているはずです。そもそも人は立場や見方で良くも悪くも見えます。

 どこからどう見ても悪人と言う人はなかなかいませんし、同時に全ていい人と言うのもまず見ることはありません。

 

 何が言いたいのかと言うなら、東京オリンピックの賄賂事件で捕まった高橋治之さんです。5000万円のリベートを受け取ったとか、紳士服の青木に便宜を図ったとか。角川からもリベートをもらったとか、次から次とリベートの問題が出て来ます。

 高橋さんは、元々が電通の社員で、車内では、スポーツ関連のコネに強い人で、高橋さんに相談すれば、世界のスポーツ関係者とはすぐに連絡が取れて、難しい話も簡単に解決するそうです。そんな人なら、たとえ5000万円でも、一億でも、リベートを渡して話を進めてもらったなら、交渉がはかどるのでしょうから、頼みごとが集中するのは当然でしょう。

 リベートが集まると言うのは、仕事のできる人だから集まるのです。仕事のできない人に何を頼んでも無駄です。政治でも役所の仕事でも、特定の人に話をすると、あっという間に話が解決することはよくあります。

 そう言う人は、何をどうしなければいけないかを知っているのです。うまく行かないときでも、どうしたら前に進むのかの解決策を知っているのです。そうした人と仕事をすれば、仕事は驚くほどはかどります。

 今回、新聞に載った高橋さんを見ると、まるで悪代官のように見えるかも知れません。然し、私はそうは考えません。見るからに仕事が出来そうで、きっとこの人なら、難しい話も簡単に解決してくれる人だと思います。リベートの金額がそれを裏付けています。

 恐らく高橋さんは、何でも素早く決断をし、膨大な仕事をあっという間にかたずけてしまう人なのでしょう。仲間や後輩からは怖がられる人ですが、上役や仕事先からは逆に頼られる人なのでしょう。それゆえに、世界中のスポーツマンから信頼され、そしてオリンピックの理事になって、バリバリ仕事をしたのでしょう。

 そうした人がリベートをもらって逮捕されると周囲はすぐに怨嗟(えんさ)の嵐です。、リベートは法に触れるからいけない。特定の人に利益を誘導するからいけない。と言うのはその通りです。良いか悪いかを問われればよくないのです。

 しかし、物事が進まず、いたずらに人件費ばかりがかかってムダ金を消費しているよりも、仕事を巧く繋げてスムーズにさせる人に頼った方が、よほど経費がかからず仕事が成功することもあります。物事はきれいごとだけでは進まないのです。と、こういうふうに書くと、今の時代はあちこちから非難されます。いけないことはいけないと正論で責め立てられます。

 いけないことは分かっています。私は高橋さんを知りません。弁護する立場でもありません。然し、今までいろいろな人を見て来て、あの人の顔を見ると、きっと仕事のできる人だと思います。然し、出来る人には必ず裏があるのです。裏を認めてやれるかどうかで事業のスピードは大きく変わって来ます。

 

 賄賂政治で知られた江戸時代の老中田沼意次は、賄賂について、「命の次に大切な金をくれると言う人はよほど奇特なの人だから、特別に扱ったやらなければいけない」。と、露骨に賄賂を肯定しています。そう言って通ってしまう時代は分かりやすいと思いますが、田沼意次ほど露骨ではないにしても、今日に至るまで贈賄がなくならないのはそれが必要なものだからでしょう。表向きはみんないけないと言っても、結局無くならないのは、心の奥でもらうことをよしと思う人が多くいて、渡す方でも、「これくらいのことはしておかないと、後で睨まれるといけない」、と、気を回しておくから無くならないのでしょう。

 できればこの際、高橋さんの口から言ってほしいのです、「世の中で、命の次に大切な、金を俺にくれようとする角川や青木はいい会社です。こうした会社は是非引き立ててやらなければいけません。皆さんも文句を言う前に、金を持って来なさい。わずかな金を惜しんで、嫉妬しても成功にはつながりません。成功するためには私とつながることです。そうすれば必ず面倒を見ます」。

 判で押したようなわかりやすい悪人が現れることを希望します。悪ければ悪いほどいい仕事もできるのでしょうから。

続く

圧巻「評伝 宮田輝」

圧巻「評伝 宮田輝

 

 NHKのアナウンサー古谷敏郎さんが、同じくNHKのアナウンサーの大先輩である宮田輝さんの一生を本にしました。「評伝 宮田輝」(文芸春秋社)がそれで、400ページにわたる大著でハードカバーの立派な装丁です。

 私のように昭和20年代に生まれたものにとって、宮田輝と言う人は、まさにミスターNHKと言うべき人で、NHKのメイン番組には欠かせない人で、当時の日本人なら誰もが知っている司会者でした。

 と言って、決して派手さはないのですが、見るからにNHKの優等生と言う雰囲気の人で、紅白歌合戦の司会から、しろうとのど自慢、ふるさとの歌祭り、三つの歌、それらの番組を創成期から長く手掛け、お化け番組にまで成長させた功労者でした。

 でっぷり太っていて、丸顔、いつもにこやかで、見るからにNHK的な優等生と言う雰囲気の人で、てらいもなく、常にメインの出演者を立てながら一歩引いていて、ある意味、この人が人生をかけて、NHKのアナウンサーと言うイメージを定着させた人なのではないかと思います。

 晩年には自民党からタレント候補として立候補して、参議院議員を、三期(一期6年)務め、その三期目の中ばで病に倒れて亡くなっています。

 

 私はこの本を今年の春に頂いて、読み始めたのですが、読んですぐに、著者の意図が極めて壮大な構想を描いていることが分かりました。そこには宮田輝の人生が詳細に書かれているのは勿論ですが、それは単に年代を追って教科書のように事柄が書かれているわけではなく、戦前からアナウンサーだった、和田信賢、終生のライバルであった、高橋圭三との関わり等々、人間ドラマが次々と現れ、知らず知らずのうちに昭和20年代30年代のラジオ、テレビの創成期の話に引っ張り込まれて行きます。

 しかし、著者の書きたかった事は実は、その奥にある、放送局の開設(ラジオ放送)から、テレビへの移行。アナウンサーの誕生。生番組から、録画番組へ。民放の誕生。等々、目まぐるしく動いて行く昭和の放送の世界を残したかったようです。

 いわば昭和の芸能史の中から、放送と言うものの歴史が詳しく記録されています。考えて見れば、映画や、音楽の歴史書はたくさん出ていますが、放送局の歴史や、そこで活動していたアナウンサーの資料と言うものはほとんど見ることがありません。

これは大変に貴重な文化史と言えます。

 

 今年亡くなった、芸能評論家で、テレビプロデューサーの澤田隆治さんがもし生きていたなら、どれほど喜んだことか。これこそ澤田さんが待ち焦がれていた第一級の評伝だったでしょう。

 

 私は12歳の時に銀座松屋デパートのマジック売り場で、ショーケースを除いているときに、脇に立っていた中年紳士からいろいろ質問されたことを覚えています。「君はマジック好きなの」。「自分でもどこかでやるの」。「マジックのどんなところが面白いの」。などと質問されました。当たりの柔らかい人でした。私のようなどこにでもいるような少年に興味をもっていろいろ質問する変わった人だと思いました。無論その人が宮田輝さんだと言うことはすぐにわかりました。私にとっての宮田輝さんとの接点はこの時一回限りでした。

 

 宮田輝は、大正7年生まれ。戦前に明治大学を卒業してNHKに入ります。戦時中ですので、先輩たちは、陸軍や海軍の戦果の報告などをニュースでやっていた時代です。そんな中、まだアナウンサーなどと言う言葉のない時代から放送に携わり手探りでマイクの前で語る仕事とはどういうものなのかを模索していたのです。

 

 話は、著者、古谷さんが宮田輝さんの奥さん恵美さんのお宅を訪ねる所から始まります。世田谷にあるお宅は長年宮田輝さんと共に暮した家で、そこには長い間NHKに勤めて番組をやってきた様々な資料が残されていました。古谷さんはそのお宅に数えきれないくらい出掛けては古い資料を調べ上げ、丹念に宮田輝の足跡をたどって行きます。

 更には、古谷さん自身が、NHKの北海道支局や、松山支局などを転々と移動するときにも、宮田輝が「ふるさとの歌祭り」などで実際にその時にテレビに出演した地元の素人さんや、地元の郷土芸能の保存会を訪ねて、宮田輝の人柄、仕事の仕方などを聞いて回ります。

 この辺りが年表から宮田輝を話してゆくのではなく、まさにアナウンサーが番組作りをするような、事前調査を入念にして、宮田輝の実像を浮き彫りにして行きます。そうしてできたストーリーはまるでNHK大河ドラマの如くに壮大なスケールで迫って来ます。

 全体を通じて、宮田輝と言う人の番組の取り組み方が、誠実で入念な調査の日々から生まれていることが分かるように語られています。今更ながら、宮田輝と言う人は、タレントではなく、サラリーマンだったんだと言うことが良くわかります。それは今でも脈々とNHKに生きているようで、どことなくNHKのアナウンサーは学校の先生のように、およそタレント性が薄く、派手さがなく、几帳面な感じがします。こうしたアナウンサーの典型的なスタイルを作ったのが宮田輝さんだったように思います。

 

 その宮田輝さんが、田中角栄さんにそそのかされて、50代半ばでNHKを去り、政界に打って出ます。タレント候補の走りです。結果は250万票越えの第一位に選ばれ、NHKのアナウンサーの人気のすごさを誇示します。華々しき成果です。そして6年後、再度選挙があって、今度は180万票で当選。これも立派な成果です。然し、初めは自民党内でもちやほやしてくれた政治家たちも、票数が減って行くに従って、扱いが軽くなり、三度目の選挙では最下位当選するに至って、明らかに用済みの扱いになり、宮田輝さんは内心、失意を募らせます。

 

 私は、この頃、同じ参議院議員をしていた漫才のコロムビアトップさんと親しくお話をさせて頂くことが多々あり、その中で、トップさんが、「宮田輝さんも、議員になったって、結局は議員パーティーの司会者に使われているんだからなぁ、可哀そうなもんだよ」。とタレント議員の悲哀を語っていました。そんな中、宮田輝さんは、癌にかかってていることを知り、密かに何度も手術をしますがその甲斐なく亡くなってしまいます。

 そんな晩年の宮田輝を寂しく思いつつ、司会者時代の素晴らしき成果を讃えてドラマは終わります。お終いには奥さんの恵美さんの晩年を語り、その葬儀まで見取って冥福を祈ります。こうした姿勢を見ると、古谷さんもまた典型的なNHKのアナウンサーなのだと言うことがよくわかります。日本人のアッパークラスの人が持っているコモンセンスを濃厚に感じさせる上質な生き方が全編から読み取れます。

 宮田輝さんの人生も、奥さんの恵美さんも、NHKも、そこに勤める多くのスタッフ、司会者も、とても輝いて見え、美しい世界だなぁと感じさせます。しかもどの人も充実した仕事をして来たことが分かります。読んだ後、久々さわやかで、嬉しくなるような本です。お勧めします。

続く

 

代理戦争

代理戦争

 

 ウクライナは、9月に入ってからロシアに対して反攻に出るようになりました。東側のハルキウと言う、ウクライナで第二の大都市周辺を奪還しました。また、南部のヘルソンと言う、クリミア半島に至る周辺地域も反攻を続けています。ゼレンスキーさんは、全てのロシア軍をウクライナから追い出す。と宣言して、8年前のクリミア侵攻までも、全て奪還すると宣言しています。

 その言葉の根拠は、このところアメリカからの武器供与が整って来て、明らかにウクライナ軍の戦い方がロシアをしのいで、戦争の展開がウクライナに有利になっています。それまで強固に陣地を構えていたロシア軍が支えきれなくなって、どんどん敗走して行きます。

 それも、守備隊全体が撤退するならまだしも、武器や戦車を捨てて、ロシア兵が民間人に変装して、ばらばらに身一つで逃げて行くそうです。つまり戦争の放棄をしているそうです。ロシア兵の去った後は、大砲から、戦車から、武器、弾薬に至るまでそのまま残っている場合がほとんどだそうです。

 通常、自国の兵が退却するときに、大砲や武器弾薬を残して行くことは考えられません。残して行けば敵軍に使われることになるからです。みすみす敵軍に武器弾薬を与えるようなことをすれば、後になって自国軍が大きく不利になります。武器は、撤退の際に持ち出すか、さもなくば破壊するのが常套でしょう。しかし戦争の常識もわきまえず。ロシア軍は何もかも置き去りにして逃げて行きます。

 これは、軍事訓練を済ませていない兵士を使って、頭数だけ揃えた結果、こうした戦争をするわけで、明らかにロシア兵が不足をしている証拠なのです。ロシアはウクライナに進行して半年、既に訓練された兵士が不足したために、教育のできていない兵士によって表面だけ維持されているのです。

 逆に、ウクライナ軍はアメリカからの武器が充実して、安定した攻撃を続けています。こうなると既に勝負ありかと思いますが、実は、東側の三州と、南部クリミア半島周辺はロシアとしては自国領として計算済の地域で、ここを取られてしまうと今回の侵攻以前の立場に戻されてしまうため、引くに引けなくなっています。

 この現状でロシアが休戦することは不可能で、ロシアとすれば再度、東側の三州、プラス南部のクリミア半島とその周辺、そこまではロシア領として、自力で押し戻さなければなりません。でも現状でロシア軍にその余力はありません。

 今のロシアは、大軍を率いて万全の態勢で戦争に挑んだものの、思わぬ敗北が続き、引くに引けない状況に陥っています。何とか挽回したいと考えていますが、世界からは総スカンを食らっていますから、ロシアを援助する国も見当たりません。

 頼みの中国も何となく日和見で、いい顔をしてくれません。やむなく北朝鮮を頼って、とりあえず武器やミサイルを借りて補充している状況です。よりによって北朝鮮にまで協力を求めるようでは、ロシアは国そのものが危うい状況になって来ています。

 

 それでもロシアが敗北を認めないのは、もう少しすれば秋風が吹いてきて、ヨーロッパは寒気がやって来ます。寒くなれば、石油や、天然ガスの需要が急激に上がって来ます。そうなると、石油、ガス欲しさに欧州各国がロシア詣でを始めます。その時に、石油を輸出するのを条件に、ウクライナ支援の手を緩めるように取引をし始めるのです。

 今は人道的にウクライナを支援しているEU各国ですが、寒くなれば背に腹は代えられません。自国の石油欲しさに、東欧やドイツはあっさりウクライナを見捨てるでしょう。EU が消極的になれば、アメリカだけが大っぴらに支援を強化できなくなります。 その時こそ本格的なロシアの反攻のチャンスが来ます。寒い時期に強いのはロシアの伝統的な戦い方です。ロシアは冬が来るのを待っているのです。

 

 然し、いくら石油の力で欧州各国を黙らせても、肝心のロシア兵に厭戦気分が蔓延していて、このまま戦争が継続できるとも思えません。近々ロシア国内でプーチンさんが失脚して、ウクライナ侵攻に幕が下ろされるのではないかと噂をする評論家もいます。ロシア国内のクーデターが起こるかどうかは予測は出来ません。

 

 とにかく、ウクライナは、アメリカ、EUの支援を受けて、少しずつでも領土復帰を果たしています。ただこのことでロシアとは休戦協定をしずらくなっています。そうなると、戦いは長引き、このままでは世界中に不況がやって来ます。

 こんな時期に、日本では今月、安倍さんの国葬が催されます。安倍さんの国葬には、安倍さんが統一教会を支援していたと言う理由で反対する人が国内にもたくさんいますが、国内問題と世界情勢を混同してはいけません。統一教会統一教会で法案を立ち上げるなどして、カルト集団を取り締まるようにすればよいことです。

 それと国葬とは別問題です。大きく世界を眺めたなら、今、日本で世界中の元首が集まって結束する姿を見せることはとても重要です。

 中国にしろ、ロシアにしろ、国家元首が亡くなったからと言って、世界中の元首が弔問に訪れることはあり得ないのです。圧倒的に自由主義陣営の方が世界の大勢を占めていますし、特にウクライナ問題に関してはロシアは支持を失っています。仮に、ロシアも中国も国威を見せようとしても世界の多くは知らん顔です。そうした社会主義陣営に対して、何か事があれば自由主義陣営はさっと元首が集まると言う姿勢を見せつけることはとても有意義なことです。日本の国葬は、社会主義国にとって無言の戦争抑止力になるのです。

 安倍さんは裏も表もある人ですし、死んだ後も裏街道を引き摺っています。それでも世界の中では極めて重要な役割を果たした政治家なのですから、ここは安倍さんの国葬を無事済ませることが、世界平和に大きく役立つと思うのですが、どうでしょうか。

続く