手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

安倍晋三さん狙撃される

安倍晋三さん狙撃される

 

 今日は朝から車で外出。と言っても特別なところに行くのではなく、浅草近辺で買い物をしました。私の良く行く場所は、徒歩ではかなり不便であるうえに、買い物をすると荷物が多いので、浅草近辺には車で出ることが多いのです。

 と、早速出ようとすると、私の駐車場の前で水道工事がされていて、ショベルカーが入って、溝が彫り込んであります。私が「車を出します」、と言うと、工事関係者は、トラックを移動し、ショベルカーを移動し、掘っていた溝に鉄板を張り、車が出せるようにしてくれました。親切は有り難いのですが、この間約10分間、工事に付き合わされて、無駄な時間を使いました。

 さて、浅草方面に向かう途中、珍しく道が混んでいます。なぜ混んでいるのかはわかりません。町全体の景気が良くなってきたのでしょうか。そうなら、少々の混雑も我慢します。今迄の景気の状況が続いていい訳がありません。

 約一時間かかって下谷の井上先生のアトリエへ行きました。お願いしていた引き出しがようやく完成しました。仕事を依頼してからもう一年以上です。いろいろ理由はあるでしょうが、それにしても時間がかかり過ぎです。まぁ、出来たことは良かったと思います。お道具を受け取り、そのあと合羽橋漆器屋さんへ。合羽橋も心なしか不景気が少し抜けて来て、よき方向に進んでいるように見えます。

 この後、本駒込に出て、踊りの稽古。このところ三日に一回踊りを稽古しています。来週は発表会です。私は少しも上手くなりませんが、何十年も続けているため、師匠に言われるがまま、発表会に出ます。

 

 さて一度帰ります。途中どこかで食事をしようと思います。なんせ車ですから、どこかに車を駐車できなければいけません。運転をしていると、本郷通り不忍通りの交差点に小さなイタリアンレストランがあります。普段なら特に興味も持たないのですが、この間の三軒茶屋のピザレストランの思いが残っていて、やけにイタリアンに目が行きます。急に入って見たくなりました。

 路上に駐車しても、車が少なくて問題なさそうです。店の前に停めて、中に入ります。入れ違いに女性二人が店から出て行きました。店は若い夫婦で経営しているのでしょう。亭主は厨房で忙しく働いています。奥さんと思しき女性は不慣れながらもけなげにお客様の応対をしています。客席は、一人定食を食べているマダム。そして私だけ。ランチ時間が過ぎたので、こんな状態です。サービスランチ1000円を頼みます。

 初めにサラダ、葉野菜の脇に、ポテトサラダが付きます。わずかに炒めた野菜が脇にあしらってあります。饅頭のようなパンが付いていて、これが餅のように粘りがあります。これらを食べて、少し空腹を満たしました、そしてメインがマカロニ。マカロニはガスのホース状のものを、4㎝くらいに斜めに切ってあります。煮込んだ上で、ホワイトクリームに絡めてあります。マカロニはかなり硬めに茹でてあります。

 ホワイトクリームが濃厚で、この甘みと塩気で食べてしまいます。マカロニはもう少し柔らかいものを期待して居たのですが、ここまで硬く煮るのが、本場の作り方なのでしょうか。そうだというなら、これはいい料理なのでしょう。なんせイタリア料理は素人ですから判断が付きません。

 確かに固ゆでのマカロニを皿一杯食べると、かなり満足します。然し、腹の中の感想は、名古屋のあの固ゆでの味噌煮込みうどんをそっくり腹に収めたような、あの生っぽいうどんの感触に似ていました。仕上げにアイスティーが出て来て、税込みの1100円。まずまず満足しました。店の名前はトラットリア・デ・コビーノです。駒込駅から六義園に行く道の大きな交差点です。

 

 安倍晋三さん狙撃される

 途中で銀行に寄り、その後車で帰宅、帰ると、安倍晋三さんが狙撃されたニュースが飛び込んできました。安倍晋三さんは私よりも一つ年下。8年に及ぶ総理大臣を経験して、精力的に海外の首脳と関わり、ずば抜けた政治力を見せました。おかしな癒着もありましたが、功罪を天秤にかければ、大きな成果を上げた人です。

 この人のお爺さんは岸信介さん、お父さんは安倍晋三さん、岸信介さんの弟さんが佐藤栄作さんです。保守政治の中でもサラブレッドの血筋です。しかも、その保守の姿勢を素直に受け継ぎ、憲法改正を唱え、9条を訂正し、自衛隊を日本国防軍に昇格させようと躍起になった人です。一部の人はこれを軍国主義者などとレッテルを張りますが、

これだけ経済の発展した国が、国防軍も待たずして、誰が日本を守ってくれるのか。と考えれば、安倍さんは軍国主義者ではなく、普通に先進国の政治家と同じ物の考え方をしている政治家に過ぎないことは明白です。

 そのことはロシアのウクライナ侵攻を見れば明らかで、戦争はよそう、平和を唱えようと言っても、戦車や大砲を持って攻めてきた人に、いかに平和を唱えても全く無力なことは明らかです。ウクライナが何か間違ったことをしてきたかと言えば何も間違ってはいません。ただ単に弱いから攻め込まれたのです。

 彼らは、この4か月で、ロシアに攻め込まれ、国全体がめちゃくちゃに破壊されました。「戦争はしたくない、やめてくれ」、そう言ってロシアは戦争をやめますか。こんな理不尽なことが繰り返されているのを毎日テレビで見ているのに、相変わらず日本では、相手に平和を求めて、「話し合いをしよう」。と言って、軍備拡張に反対する日本人がいることの方が不思議です。

 テレビで、評論家が、「話し合うことだ。戦争反対を訴え続けることだ」。と言い続けている人がいますが、そんな評論家は、是非ともウクライナに出かけて、直接、ロシアに向かってそのセリフを言ってみて下さい。それがどれほど空しい叫びか、ものの3分で理解できるはずです。

 ようやく安倍さんの言い続けてきたことが正論として、世間に通るようになった矢先に、命を落としてしまいました。さぞやご当人は無念なことでしょう。私とほぼ同じ年月人生を送り、やるべきことをすべてやって、人生を全うしたのですから、その姿勢は立派です。苦しいことの連続の日々だったでしょうし、悩みも多かったと思います。

 私のように、マカロニが固い方がいいのか、柔らかい方がいいのか、などと言う問題にこだわっているのとは、次元が違います。優れた政治家を失ったことは日本としても、私個人としても残念です。黙祷。

続く

劇場を持つ 2

劇場を持つ 2

 

 マジシャンを育てる方法が、ただ単にタネ仕掛けを教えるだけなら、とても簡単なことです。然し、タネ仕掛けで育つのはマジシャンの興味を満足させるだけなのです。マジシャンとして成功するかどうかという次元とはかけ離れています。

 全く同じマジックを演じたとしても、プロは、マジックの現象でお客様を引付けるのでなく、演者の魅力でお客様を引付けなければいけません。マジックを演じていながら、観客に与えるものは現象でもなければ手順でもありません。一にも二にも、魅力あるマジシャンでなければ、お客様は集まって来ないのです。

 魅力ある演者が現れて、目の前の小さな現象を、大きな立体画像に作り変えたときに、マジシャンの世界が生まれて行き、お客様はその独自の世界の虜になります。それには、マジシャンがマジックにこだわって現象云々を語っている限り、外の世界の人の興味を取り込むことは出来ません。

 マジックを演じていながらも、マジックから離れて、今まで誰も見たことのなかった世界が見えて来たときにお客様はほかのマジックでは満足できなくなるのです。一度そうした世界を作り上げたなら、お客様の心は離れることはありません。末永くご贔屓になってくれます。なぜなら、他のどのマジシャンを見てもそこまでの世界が見えないからです。

 この事はマジックに限ったことではありません。芝居でも、歌でも、楽器演奏でも全く同じことが言えます。いい役者が演技をすると、全く今まで見えなかった世界が見えて来ます。役者が演じる主人公の過去のエピソードまでもが幾つも見えて来ます。そんなこと、台本のどこにも書いていないのに、その主人公が何をしてここまで生きて来たのかがわかります。

 ギターやバイオリンの演奏でも、巧い人の演奏からは、他の人では聞こえてこなかった音が聞こえてきます。演奏する音から、演奏者はこんな性格なのだろうなぁ、と想像せるような、個人の背景が見えて来ます。喜びを語りつつも、苦しみに耐えて稽古をした芸の下地が見えて来ます。

 そして、その結果に生まれた世界が何を語ろうとしているのかが分かったときに、芸術の扉が開きます。お客様は「あぁ、この人が作り上げた世界なら、付いて行ってもいい」。と思うのです。

 

 そんなマジシャンをどうやって育てて行ったらいいのでしょうか。私は弟子を育て、マジック教室を開いて生徒を指導し、指導によって、マジックがどんなものであるのか芸能の輪郭を教えています。そこから、プロに成りたいと言う人が出たときに、もう狭い部屋の中の指導ではどうにもなりません。

 そこから先は、実際舞台に上げて、細かく、全体を見て行かなければどうにもなりません。これまで、マジックマイスターと言う、アマチュアの発表会を主催し、私のリサイタルにゲストで出演させたり、ヤングマジシャンズセッションに出演の場を作ったりしてきましたが、そうした活動を繰り返して行けばプロが育つかと言うと、難しいと言わざるを得ません。年に数度の舞台を提供しただけではプロは育ちません。

 もっともっと毎日にように舞台を踏んで行かないとプロにはなりません。そこで、3年前から毎月一度、日本橋人形町のお座敷、玉ひでで月に一回、公演を始めたのです。そこでは私の他に若いマジシャンを毎回3本、出演する時間を作って、一緒に舞台をしました。ここは座敷ですから、靴を履くことは出来ません。タキシードで演じる人にとってはやりにくい舞台です。然し、客席が近く、確実にお客様の反応が掴めます。受けている時と受けない時ははっきり違います。生半可な演技をすると、冷めた目で見られます。これはいい修業の場です。

 ここを約3年続けました。然し、今年の5月に玉ひでの建て替えのためにお店自体が閉鎖になりました。幸いなことに、玉ひでの山田社長さんから、アゴラカフェを紹介していただきました。ここは前々からエンターティナーを常時公演して行く場所にしたいと言う話を聞いていました。然し、コロナの影響などで、それが達成できず、話は止まっていました。

 思いがけなくも、玉ひでの建て替えで私の劇場探しと、アゴラカフェさんの思いが合致しました。そして、先月の6月から、一か月に毎週日曜日、マジックショウをすることになりました。毎週日曜日なら、年間48日間の公演になります。48日マジックショウが出来る場所が、日本橋の、しかもマンダリンホテルで出来るなんて、願ってもないことです。

 私が常々、マジックの専門劇場を持ちたい。と言っていた夢が、一歩近づいたことになります。しかも、毎週の公演のため、私だけが公演するのは無理です。そこで、第一週は、私と若手マジシャンの公演。第二週は、ザッキー、早稲田康平、前田将太他の若手の公演。第3週は、カズカタヤマと若手マジシャンの公演。第4週は演劇を柱としたマジック公演。それぞれ違ったショウ構成を提供することになりました。

 いずれにしても、今まで全くチャンスのなかったところにいきなりステージチャンスが出来たのですから、大きな可能性が生まれました。ここでもっともっと仲間同士セッションして、新しい芸術を作って行ったらいいのです。稽古ばかりしていても実際見せるお客様がいなければ、演技はどんどんカビが生えてしまいます。いつもみずみずしく、華麗な演技を維持するためには、お客様の協力が必要です。

 この舞台が、少しでも世間の話題になれば、今後、インバウンドで、海外のお客様が来るなどして、きっと生の舞台は賑って行くでしょう。そうなれば、地方のホテルなどでも、同様の企画を求めてくるはずです。その時、今のメンバーが主流となって、毎月手分けして、地方の公演を回るようにして行くことになります。そうなれば、次々に若いマジシャンを育てて行かなければなりません。

 そうなった時に、ここを発信地として、プロマジシャンが育って行きます。そうした日が目の前に来ていると思います。いきなりマジックの専門劇場は出来ないとしても、今、確実に一歩、劇場を持つ夢が近づいたと言えます。目的を定めて、そのための努力をして行けば、必ず目的は達成できます。大丈夫です。今までもそうして目的を達成してきたのですから。必ずマジックの劇場は出来ます。

続く

 

 7月10日アゴラカフェ公演

 出演、ザッキー、前田将太、菰原裕、黒田智紀、4000円、食事付き、12時から食事、ショウ開始は12時30分から、要予約。03-6262-6331

 

 

 

劇場を持つ 1

劇場を持つ 1

 

 私がこの20数年間、何をしてきたかのお話をしましょう。一つは若手の育成と指導。二つ目は手妻の復活上演、創作活動。三つ目は自主公演。四つ目はお客様の開拓。五つ目はマジックの劇場を持つ。

 今から23年前、44歳の時、文化庁芸術祭大賞を頂いて、私自身は、仕事の上でも、生活面でも安定して来たために、残りの人生は、自分の活動だけでなく、マジック界のため、若手育成のために活動して行こうと考えました。

 幸いに、手妻を学びたいと言う若い人は次々にやって来るようになりました。教えることはやぶさかではありません。但し、若い人を相手にすると言うことは、とても多くの費用が掛かります。劇団のように、授業料を取って生徒を募集して教えるのではありません。話は逆で、私が若手の生活の面倒を見つつ、教えて行くのです。

 これは言うは易く、行うは難しで、修行期間と言うのは、まるで、大学生を一人丸々仕送りして養うような活動です。しかも、自分の子供なら一人、二人育てればそれで終わりですが、弟子は次々にやって来ます。結局今に至るまで、自分自身の所得から弟子のために出費し、人を育て続けてきたわけです。なぜそんなことをしたのかと言えば、手妻が明日にでもなくなるのではないかと言う不安から、育成を続けてきたのです。それは簡単な活動ではありませんでした。

 しかも困ったことに、教えているうちに、手妻の作品数が少ないことに気付きます。自分自身の得意芸を教えている限り、三人も指導すれば、もう教えるものが無くなってしまいます。又自分の作品を教えていると、同じことをする弟子ばかりが育ってしまいます。もっともっと内容豊富な世界を作って行かねばなりません。

 

 そこで二つ目の活動である、復活上演と創作活動私が必要になって来ます。私が手妻の復活上演に真剣になって行ったのは、実は芸術祭大賞を頂いた後のことで、それは、新たな作品(旧作の復活も含めて)をたくさん作りださなければ、急に増えた一門を維持できなかったのです。今、普通に私のレパートリーに入っている、金輪の曲(リンキングリング)も、植瓜術(しょっかじつ)も、掛け合いによる「お椀と玉」も、みんなこの時代に作ったものです。

 また滅多にやりませんが、「呑馬術(生きた馬を舞台に上げて、馬の顔を触っているうちに、顔が細長くなり、それを端から呑み込んで行き、しまいには馬を丸々呑み込んでしまう術)」、「壺中桃源郷(こちゅうとうげんきょう=大きな壺で、壺の口は20㎝ほどしかありません。その口の中に女性がするりと入り込み、又するりと出て来ます)」「怪談手品(大きな箱からお化けが出て来たり、小さな豆腐小僧が出て来たり、狸が出てきて綱渡りをしたりします)」。こんな作品を次々に発表して行きました。いずれにしても三百年から、千年以上昔に演じられていたもので、今は私以外誰もやらなくなった作品ばかりです。

 結局、人が増えたら増えたで、人のために作品を考えなければならず、人が増えることが私自身の舞台活動が楽になることではなく、負担が増える結果にしかなりませんでした。手妻だけではなく、例えば、「テーブルクロス引き」などを、弟子と掛け合いでする手順を作ったり、何とかして、見た目の変わった舞台を作ろうと毎年毎年創作活動を続けて来ました。

 さらに人が増えてくれば。マジックや手妻を発表する場が必要になって来ます。そこで、三つ目は「自主公演」の場を作って行きました。とにかく地方の市民会館などを手当たり次第に借りて、公演を打って行きました。私が日本全国にそうたくさんのお客様を持っているわけではありませんので、どこで演じても、お客様を集めることは至難の業で、随分自己資金を使いました。しかしこうした苦労が、徐々にではありますが、周辺の地方自治体の協力を頂けるようになり、私の公演を買ってくださるスポンサーが出来て来ました。それは今も続いていて、有難いことだと思っています。

 

 それが、四つ目の「お客様の開拓」につながって行きます。舞台で生きて行くと言うことは、自分のしているマジックや手妻が、直接お客様の夢や憧れに繋がって行かなければお客様は見に来てくれないのです。自分のしているマジックが自己満足であっては少しも理解は得られません。常に、演じている作品が面白くて、演じている現象以上に大きな世界が表現されていて、お客様の夢と合致しているかどうかが問われます。

 とかくマジックは、指先のテクニック一つで作り出すものだと考えているマジシャンが多いのですが、実は、それだけでは手遊びに過ぎないのです。それはマジックではありません。マジックとは、指を動かすしぐさや、表情、体のこなしをお客様に見せているうちに、お客様を知らず知らずに別の世界に誘い込み、あたかも3D画像のように、ありもしない世界を作り上げて、その中で縦横にストーリーを展開して行くものがマジックなのです。

 演じているものが、カードであれ、コインであれ、どんな小さなマジックでも、巧いマジシャンが演じると、大きな世界が隅々まで目の前に浮かんできて、この世にはない世界を見せてくれるのです。それが出来て初めてマジシャンです。

 

 今マジシャンは、危機に瀕しています。ネットや、DVDでマジックを覚える人が多く、そうして覚えたアマチュアマジシャンは、種仕掛けこそがマジックだと信じて疑いを持ちません。そして、マジックを演じることがマジックだと思い込んでいます。しかし実際幾らそれを繰り返しても、一つも仕事の依頼が来ないのです。ところが仕事が来ない理由を、「それは演じているマジックが良くないからだ」。と思い込み、またまた種仕掛けを追い求めます。こんな人ばかりが増えたために、マジシャンは育たないのです。

 どうしたらいいプロマジシャンが育つのか。それは、実際に、お客様を前にしてマジックがどんなものなのかを学ばなければなりません。そのためには日本でマジックショウが毎日でもできる場が必要なのです。そのために、

 五つ目の「マジックの劇場を持つ」。と言う活動をしなければならなくなります。話は長くなりましたが、私の20数年間のマジック活動が、劇場を持ってマジックの公演をすると言う活動に結びつこうとしています。

 と、序章を書いているうちに紙面が尽きてしまいました。残りは明日またお話ししましょう。

続く

 

 アゴラカフェ、ヤングマジシャンズズショウ

 10日、12時から、日本橋マンダリンホテル二階、アゴラカフェにて、出演者、ザッキー、前田将太、菰原裕、黒川智紀、4000円、食事付き。要予約 03-6262-6331

初音ミケ 14

初音ミケ 14

 

 私が一日の仕事を終えて、三階に上がろうとしたときに、外にミケが座っていました。「どうしたんだ、こんな時間に来るなんて珍しいね」。「洋子おばさんの家を閉め出されちゃった。三日も家を留守にしていたから、おばさんも機嫌が悪いんだよきっと」。ミケはしょんぼりしています。

 「私が心配していた通りのことになったなぁ。ミケよ、お前は仲間のために働くことも大切だが、先ず自分が人に養ってもらっていることを忘れたらだめだ。お前から聞く限り、高円寺北の飼い主さんはとてもいい人だ。それを裏切ってはいけない」。

 「わかるよ。分かっているけどさぁ。じゃぁほかにどうしろと言うの。若ミケだって、放っておいたら野垂れ死んじゃったと思うよ。そのままにしておくの。まぁ、若ミケは車にひかれて死んじゃったけども、それは、野垂れ死にがいいか、車にひかれて死ぬのがいいかと、どっちがいいかと言う話じゃないよ。

 若ミケは人にいじめられ、仲間にいじめられ、生まれてこの方、少しもいいときがなかったんだよ。それを、ほんの一時でも仲間の情けに助けられて生きていけたことは若ミケに取っては幸せだったと思うよ。

 若ミケは本当にあたしのことを母親だと思っていたよ、あたしも、若ミケを跡継ぎにしたいと考えていたんだ。この三日間はそのために必死になって若ミケを助けようとしていたんだよ。それがいけないことなの。あたしのしていることなんて誰もわかっちゃくれないよ」。

 「ミケよ、お前のことは私が一番よくわかっているよ。でもねぇ。世の中にはどうにもならないことがあるんだ。いくら猫助けだと言っても自分自身が生きて行けなくなったら誰も助けてやれなくなるじゃぁないか。先ずお前がちゃんと生きて行けること。そのために何度も飼い主さんに謝らなけりゃぁいけないよ」。

 「さっき、洋子おばさんの家に帰ったら、玄関が閉まっていて、庭のサッシのところに回ったら、サッシも閉まっていて、ガラス越しにオクゲがいてね。オクゲはあたしのことを心配してくれていたけど、洋子おばさんはサッシを開けてはくれなかった。あたしは何度も鳴いたんだけど、洋子おばさんは開けてはくれなかったよ。

 あの時オクゲが強く洋子おばさんに、あたしを入れてくれるように頼んでくれたなら、きっとおばさんも根負けをして入れてくれたと思うんだ。でもオクゲはそこまで本気になってあたしを助けようとはしなかった。オクゲはガラスの向うからあたしをじっと見ているだけだった」。

 「ミケよ。それがオクゲなんだ。オクゲは飼い主の言うことを守って、自分を押さえて生きているから飼い猫として生きて来れたんだ。それをお前のように反発して、自分の好き勝手に生きるんなら、飼い猫としては失格なんだ。そうなら人に養ってもらおうなんて考えずに、自分で生きて行ったらいいと言うことだよ。お前のような生き方をする猫を、オクゲは助けてやることは出来ないよ。オクゲは自分の立場を知っているんだから」。

 「わかっているよ。分かっているけど悲しいんだ。猫何て何の力もありゃぁしない。世の中から見たなら、生きていたっていなくたってどうでもいい生き物なんだもの。どうして猫に何て生まれて来たんだろう。悲しいよ」。

 

 外は黄昏て、あたりも暗くなってきました。ミケは珍しく弱気になっています。

 「明日、もう一度飼い主さんのところに行ってごらん。家に入れてくれるかもしれないよ。オクゲだってきっとミケがいなくなって、このまま会えないかと思うと悲しいはずだよ。飼い主さんも、オクゲの寂しそうな姿を見たなら、考えを変えるかも知れないからね」。 

 ミケは明らかに迷っていました。私はここでミケに少し厳しい話をしました。

 「ミケよ、もし明日、飼い主さんが家に入れてくれたとして、その先お前はどうするんだ。洋子さんの家に入ったなら、オクゲと毎日暮らせて、食事の心配はいらない、飼い主さんもよく面倒を見てくれる。いい話だ。でも、この先は外出は出来ないだろう。それでいいのかい?」。

 ミケは黙っています。「逆に、お前が猫同士会の役員になって、猫助けをしながら、生きたいように生きると言うなら、飼い主さんと別れて、再び野良として生きなければならない。でも、そうなったらお前は誰を頼って生きるんだ。私の家は、お前もオヤミケもたびたびやって来て、二階の玄関先でおしっこをするから、女房は猫を天敵だと思っている。私がこうして猫と話をしていると、女房はミケにエサでもやりはしないかと気が気じゃないよ。私はお前を助けることは出来ないよ。もう、裏の学生さんを頼ることも無理だろ。それは分かっているの?」。ミケはじっと考えています。

 「ここはお前にとって正念場だよ。道は二つだ、どっちかを選ばなければならない。さぁ、どうする?」。ミケはずっと考え込んでいて、やがて、

 「今晩よく考えます。明日朝また来ます」。と言って去って行きました。

 

 翌日、ミケが来るのかと思って、私はアトリエで書き物をしていましたが、その日はついぞミケは顔を出しませんでした。来ないと言うことは、飼い主に詫びて、家に入れてもらえたのかも知れません。一旦家に入ったなら、もう二度と外出はさせてもらえないでしょう。そうであるなら、この先ミケを見ることはないと思います。

 最近、野良猫の生活環境が厳しくなっていることを思うと、ここは飼い主に養ってもらう道を選ぶことが一番いいのでしょう。私は自分なりに、ミケの選択を正解と捉えて、納得していました。

 ところが、三日ほどしてまた朝にミケがやって来たのです。「先生いるの」。「あれ、ミケ、どうしたの?」。「どうしたのって、元の野良に戻ったのよ」。「なんで戻るんだ、飼い主のところにはいかなかったのかい」。「行くわけないでしょう。やっぱりね、あたしは自分の好きなように生きるのが性に合っているの」。

 「でも、この先どうやって生きて行くんだ」。「そんなのわからないよ。何とかなるわよきっと」。「お前、芸人だなぁ。後先のことも考えずに、何とかなるで生きて行くのか」。「そう、今までも何とかなったもん。だからこの先も何とかなるわよ」。「お前は強いね。私の家に来る、マジシャンになりたがっている若い奴に聞かせてやりたいね。一度講義をしてくれないか。『人生何とかなる』って言うタイトルで、話してやってくれよ」。「やめてよ。そんな、人に自慢できる生き方じゃないんだから。でもこうして生きるのが一番よ。あたしはほかに生きようがないんだもん」。

 外に座っているミケはいつになく神々しく見えました。

初音ミケ 完

 

 

 

初音ミケ 13

初音ミケ 13

 

 あれから三週間、ミケが訪ねて来ることはありませんでした。たぶん、若ミケの就職先を探して忙しいんだろうと思っていました。すると今朝、尋ねて来ました。

 「先生、いるの」。「あぁ、ミケか、どうしたの久しぶりだねぇ」。「それがねぇ、あれから大変だったの。結局、若ミケの引き取り先が見つからなくて、仕方ないから、若ミケを猫同士会の集会所に預けて、あたしはひとまず高円寺北の洋子おばさんの家に帰ったの。そうしたら、洋子おばさんは私の体が汚れていることを怒って、すぐにシャワーをしてくれたのよ。

 まぁ、シャワーは外出した後は毎回のことなんだけど、でもこの時は、蚤がたくさんついていたらしくて、蚤を取るのに1時間もかかってさぁ、多分若ミケにたくさん蚤がたかっていたんでしょう。それから、週に一回の外泊がだめだと言うことになってしまって、今日まで外出させてくれなかったのよ。そんなの困るわよねぇ。

 猫同士会の集会所には、食べ物もないまま、若ミケを置き去りにしてきたし、本当なら翌日にでも、家を抜け出して、若ミケに何か食べさせてやらなけりゃいけないじゃないの。でも厳重警戒で出してもらえなかったのよ」。「それはお前が、あちこち飛び回って、いろいろな野良と付き合っているうちに、蚤をもらい過ぎたんだなぁ」。「そう、でも、蚤くらいなんてことないじゃない」。「いや、ある、高円寺北のお宅は、お前から聞いた話では相当綺麗好きだから、お前が蚤を連れて来るのは嫌なんだろう。それで、今日は三週間ぶりに外出が許されたのか」。

 ミケは丁寧に身づくろいをしながら、「えぇ、外出が許されたんじゃなくて、洋子さんが外に出ようとしたのをすり抜けて出て来ちゃったの」。「大丈夫か?。そんなことしたら、きっと飼い主は機嫌が悪いぞ」。「多分ね。でもすり抜けてきたのが昨日の話。それからすぐに猫同士会の集会所まで行ったの。そしたら、若ミケがいたの。若ミケは私に置いて行かれて、三週間もほったらかしにされたんで、寂しかったらしいわ。なんせ横山さんの納屋は人気(ひとけ)が無いから、夜は真っ暗よ。食べ物もなく真っ暗な中にいたら誰でも寂しいわ。幸いなことに、仲間が通りの小料理屋から残飯を貰って来て、餌を持ち寄ってくれたお陰で、無事に生きていたのよ」。

 「それは良かったなぁ」。「でも、どうも、若ミケは元気がないの、病気みたいよ。野良が長かったから、餌も食べたり食べられなかったりで、すっかり体を悪くしているわ。一緒に歩いていてもフラフラしているもの」。「そうだねぇ、私が見ていても元気なさそうだったものなぁ。それで、この先どうするんだ」。

 「あんだけ汚れてしまうと、飼ってくれる人もなかなか出てこないと思うから、しばらく野良をするしかないと思うんだけど、今いる集会所も、余り連日猫が出入りして騒々しいと、横山さんのお爺さんが、納屋を閉めてしまうかもしれないから、早々に出て行かなければいけないし。どうしていいか困っているの」。

 仲間の猫のために苦労するミケを見て、私は、死んだ親ミケを思い出しました。親ミケも、仲間の喧嘩の仲裁をしたり、子猫を加えて、あちこちの家にもらってくれるよう頼んだり、随分苦労をしていました。結局、ミケは親と同じような生き方をしています。

 然し、心なしか、親ミケはそれなりに野良の生き方を全うできたのに、ミケはそれが出来なくなってきているように見えます。わずか数年の年月の差が少しずつ、野良の生活を難しくしています。昨日も、ミケは飼い主のすきを見て逃げ出して来たと言うけども、そんなことをして、今度はそのままうまく帰れるものかどうか。傍で見ていても心配になります。

 

 翌日、またミケがやって来ました。いつもの元気な「ニャー」の声がありません。「どうしたミケ、元気がないなぁ」。「若ミケが死んじゃったの」。「え、どうして」、「車にはねられて」。「何だ、跳ねられたのか。若ミケも薄幸な一生だったなぁ」。「昨日ここへ来た後、残飯を探して、魚の骨でも持って行ってやろうと、通りの小料理屋に寄ったのよ。そしてうまい具合に骨を見つけたんで、持って行こうとしたら、向こう側の道から若ミケが出て来たの。若ミケはあたしに気付いて走って来ようとしたの。でも、足がフラついているから上手く走れなくて、大通りをよたよたして出て来た途端、乗用車に跳ねられたの」。「そりゃ大変だ」。

 「即死よ。体はぺったんこだったわ。寄って行ったら、もう息もしていなかったわ、あたしは悲しくて、若ミケの頭を舐めてやったの。体は汚れ放題で、蚤がたかっていたけども、せめて死んだ時くらいは奇麗にしてやろうと思って、顔を舐めてやったのよ。そうしたら、小料理屋さんの親父さんが塵取りと箒を持ってきて、若ミケを道路から剥がしてくれて、あたしに、『もう、お前の子供は帰らないんだよ』。と教えてくれたの。

 親父さんは若ミケをあたしの子供だと思ったみたい。この時あたしは涙が止まらなくなったわ。親父さんは、若ミケを紙袋に入れてくれて、袋の口をガムテープで止めてくれて、ごみの収集場所に持って行ったわ。あたしは、ゴミ捨て場にずっと座って、涙を流していたわ。親父さんはあたしを見て、『可哀そうになぁ』、と言って、あたしの頭や背中を撫でてくれたわ。そのうちごみの車がほかのごみと一緒に、若ミケを集めて車は走って行ったの、あたしは悲しくて、ごみの車を追いかけたわ。ごみの車が環七通りを曲がって行ったときに、他の車が多すぎて追い掛けるのを諦めたけど。その後も、環七通りの角に立ってずっと泣いていたわ」。

 「そんなことがあったんだ、昨日はさんざんだったね」。「仕方ないわ、野良猫の命何て粗末なものよ。今日餌にありつけたって、明日はどうなるかわからないもの」。

 だいぶミケは落ち込んでいた。ところがその後、夜になってミケはまたやって来たのです。

続く

満員御礼アゴラカフェ

満員御礼アゴラカフェ

 

 昨日(3日)は昼からアゴラカフェで手妻とマジックショウ。この日は50名の団体を引き受けたため、既に満席。有難いです。いつもいつも会を主宰するたびに、お客様は何人来てくれるだろうか、と、心配する日々でしたが、まったく客席を心配しないでステージが出来るなんて何て幸せなことか。

 朝9時に事務所を立って、10時10分前に日本橋着。そのままアゴラカフェ入り。高齢者のお客様のため、入場にも食事にも時間がかかるため、通常12時30分の公演が、12時45分スタート。

 一本目は小林拓馬。何度か舞台に出ているうちに、だんだん場慣れがしてきて、場所に溶け込んできたように思えます。

 手に持った白いシルクがカードに変化、そこからファンカード。次に赤いシルクから、またカード出現、片手に一枚出しが、カラフルなカードに変化したところが今回の工夫でしょうか。お終いは連続ファン出し。依然と、カードばかりの手順。ここから徐々にいろいろな素材を足して、演技にボリュームを持たせたいところ。

 

 二本目は堀内大助。喋りで始まり、5本ロープ。今このマジックをする人は彼を置いて他に見たことがありません。でも、掴みの芸としてうまくまとまっています。そのあと7本リング。7本と言うリングの扱いは珍しく、トリプル、ダブル、キー、シングルと言う編成。バーノンの手順のようでもあり、9本リングの影響もある。不思議な手順。

 私は、本数の多いリングは好きなので、この手順は面白いと思います。トリプルとキーの扱いを主体とした手順、同時に観客への改めもしっかりしています。もう少し手馴れて来たなら独自の手順になって行くでしょう。

 

 三人目は穂積みゆき。袖卵。もうすっかりこの手順は自分のものになっています。前回は急ぎ過ぎた感がありましたが、今回は落ち着いて見ることが出来ました。慌てなければうまい演技です。

 

 四人目は前田将太。陰陽水火の術。直火が使えないため、蝋燭を使った焼き継ぎが出来ず、鋏で紐を切ります。蝋燭の炎からシルクが三枚出現するところは、グラスに水を入れて、指ではじくと水滴がシルクになる演出に替えています。いずれも私の流派の演出ではありますが、ここは前田がかなり手慣れていて、本当にグラスに水をはじくことでシルクが生まれたように見えます。前田の工夫が生きています。

 その後の真田紐の焼き継ぎも、焼かずに鋏で切るのですが、違和感はありません。紐がつながって、それにシルクを結び付けて、紐抜け。そしてシルクから帯出し、更には一本傘でおしまい。前田はようやく和の世界を掴んだように思います。

 

 15分休憩の後、私の演技、楽屋が舞台と離れていて、客席奥にあるため、そこから出て来るのがとても出にくく、それならいっそ、雰囲気を出して客席を花道に見立てて、「中の舞(ちゅうのまい)」の囃子に乗せて登場して見ました。舞台に現れてから「双つ引き出し(ふたつひきだし)」。その後、「柱抜き(サムタイ)」、そして「お椀と玉」、高齢者が多いので、お椀と玉のような小さな手妻は集中できないかと思いましたが、喜んで見てくれました。

 その後、「五色の砂」を演じました。これは純粋な古典の手妻です。但し、同作品は中国にも、欧米にもあります。昔の口上を交え、これを演じると、お客様は喜んで見てくれます。これこそ語りを生かした芸です。なかなかこれを巧い喋りで演じ切る人を見ません。タネが単純だからと、作品として軽く扱われているのが残念です。先週、前田に稽古をつけて、この口上を教えました。きっちり口上を語るととても面白い芸になります。マジックはすべてそうですが、演者の気持ち一つで面白くもつまらなくもなります。簡単と思える作品ほど気持ちを入れて演じなければなりません。

 そのあと「蝶のたはむれ」。毎度毎度の演技です。ここまで演じて90分のショウです。終演後お客様と記念写真を撮ったりして終わりました。

 

 老人会の団体のため、70代80代が多く、中には96歳と言う人もいらっしゃいました。マジックの反応はどうかと思いましたが、みなさん結構楽しんでみていらしゃいました。こうした企画を喜んでくださるなら、もっともっと各方面にお声がけをして、客層を広げて行きたいと思います。

 

 さて公演を終えて、かたずけて、事務所に戻ったのが5時でした。

 一昨日からAUの携帯電話の調子が悪く、通話が出来ません。初めは私の機会の不都合かと思いましたが、日本中同様な被害だと気付きました。「さてはロシアの陰謀か」。と、勘繰りましたが、そうではないようです。何が理由かはわかりませんが、この先こうしたことは頻繁に起こりそうです。文明が発展すると逆に不便が発生します。何とか一刻も早い復旧を期待します。それにしても形態が使えないことがこれほど不便であるとは、携帯が、生活の中のかなりのウエートを占めていることに初めて気づきました。

 この先を考えると、きっと、キャッシュカードや電子マネーなどがトラブルを起こすこともあると思います。買い物に現金などいらない。なんて思っていると、とんでもないことが起こる可能性があります。現代では、中国でも、韓国でも、現金を使わずに買い物をすることが普通になっていますが、やはりどんな時でも現金は必要です。パラスチック性のカードに頼り切ることが結果として無一文になる可能性があります。いつでも一定のお金は持っていたほうがいいでしょう。

 同様にパソコンです。パソコンが世界中で全く使えなくなる日が来る可能性があります。そうなったときには大パニックになるでしょう。パソコン、携帯、キャッシュカード、案外現代社会はもろいものだと知りました。

続く