手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コメンテーター

コメンテーター

 

 テレビ番組で、お笑い芸人が、コメンテーターになったり、ニュース番組の司会者になったり、様々に活躍しています。お笑いの中には頭のいい人もいるでしょう。そうした人たちがコメントを述べることは悪いことではないでしょう。

 然し、彼らに専門知識があるのでしょうか。ちゃんとコメントをする資格を持って話をしているのでしょうか。何でも思ったことを言えばいいと言うものではありません。

 特にニュース番組の場合は、正確な情報を提供しなければいけませんし、公平な立場で語らなければいけません。自分の好みでものを言うことはできないはずです。先日の選挙速報を見ていて、爆笑問題の太田さんの発言は見ていて不快でした。

 

 断片的にしか見ていませんので、私がここで詳細に述べることはできませんが、お笑いタレントがお笑いの世界でものを言うなら多少のことは許されるでしょうが、ニュース番組で政治家に対して失礼な物言いをすることは許されません。

 選挙報道という政治家にとっても国民にとっても極めて重要な番組で、根拠を示さず政治家を侮辱する発言は許されません。

 このところのお笑いタレントや俳優は、自身の活動の枠を超えた発言が目立ちます。そもそも、なぜタレントを起用するのか、また、なぜタレントの責任のない発言をテレビ局が許すのか首をかしげてしまいます。

 ニュース番組は、茶化したり、皮肉を言う場ではないはずです。そもそもお笑いタレントが引き受ける仕事ではないはずです。よほど専門知識があって言うならともかく、ただ出て来て、しどころのないまま笑いにもつながらないことを言い続けることに何の意味があるのか、いぶかしく思います。

 人気があって、収入がある人たちですから、自分たちの発言が社会で通るように考えているのかも知れませんが、勘違いをしているとしか思えません。お笑いやアイドルがどんどんいろいろな番組に進出して来て、お笑いタレントの社会的地位が向上してきたように感じられ、めでたいことだ、と思っていたのですが、どうも底の浅さが目立ちます。そもそもコメンテーターなどと言うポジションは曖昧で、あまり人の役に立っているとも思えません。タレントがこんな仕事をしていると、案外、先行きはそう長くは続かないような気がします。

 

昼散歩

 昨日(3日)は、朝のうちは部屋のかたずけをして、昼からは高円寺の駅前に出て、買い物をし、どこかで食事をしようと外出しました。高円寺の商店街を見ていても5年10年と続いている飲食店は少なくて、店は頻繁に変わります。

 アーケードでカレー屋さんを見つけました。比較的新しい店だと思います。店の表にはインド人と思しき人がニコニコしてランチを売っています。店頭に並んでいるナンが大きくて旨そうでしたので、ナンとチキンカレーを食べて見ようと思い、店に入りました。

 まぁ、インド人が経営している店ですし、まずいカレーを売っていてはインド人としての存在価値はなくなってしまいます。ナンもチキンカレーも彼らは嫌と言うほど作って食べているはずですから、そうそうはずれはないだろうと信じていました。

 私が外でカレーを食べることはめったにありません。正直それほど好きな食べ物でもないのです。なんせ私は辛いものは一切駄目なのです。カレーを注文するときはいつも甘口を頼んでいます。甘口を頼んでも、辛いときがあります。この店は初めてです。辛いカレーが出てきたら困るなぁ、と思いながら料理を待ちました。

 

 結果を言うならはずれでした。ナンはただ小麦粉の味しかしませんでした。旨味を感じません。チキンカレーは量があまりに少なくて、大きなナンに対して、カレーが足らず、結局ナンを半分も余らせてしまいました。全部食べたいと思うほどのナンでもありませんでしたので、結局残しました。初めに出て来たキャベツのサラダも、申し訳程度のもので、あってもなくてもどうでもいいような付け合わせでした。

 結局旨いと思ったのはラッシー(羊のアイスミルク)だけで、それも歩いて駅まで来たため、のどが渇いていたから旨いと思ったのでしょう。

 ランチのカレーとラッシーを追加して、合計770円。値段的には普通でしょう。然し、少しもいいところがありませんでした。

 神田明神脇のネパール人が経営するカレー屋さんが絶品で、弟子の前田がその店の大ファンで、私も神田明神に出演するたびにそこで昼食をとっていて、カレーファンになっていたのですが、高円寺で裏切られてしまいました。

 この先、よほどのこともない限り、初めてのカレー屋さんには入らないようにしようと心に誓いました。インド人だからと言って信じてはいけません。

 

読書

 家に帰ってから、太平洋戦争の本を読みました。「決定版大東亜戦争新潮新書)」共著で、内容が濃いためなかなか読みこなせません。かれこれ2か月かかって読んでいます。

 面白いのは、中国側から見た太平洋戦争が書かれています。一方的に攻められていた日中戦争から、英米との戦いである、太平洋戦争に至ったときに、中国は、初めて泥沼の戦いから、抜け出せたと判断をしたようです。逆に言えば、日本が、中国との戦いを解決せずに太平洋戦争に突き進んだことが日本の敗北の原因となったわけです。明らかにまずい戦いをしたことになります。

 もう一冊は、昔買った、「クラシックのCD名盤」。宇野功芳先生の著作です。私はこの本のお陰でいい演奏家のCD と出会えたのです。今また読みなおしてみると、宇野先生の熱き文章がよみがえってきます。

 特に最近はネットで昔のレコードが聴けるようになり、同じ演奏家の同じ作曲家の曲でも、録音した年代が違うとかなり違った演奏の仕方をしていることが分かり、興味が倍増しました。やはり、指揮者も年齢とともに、演奏の解釈が深まっていくのです。

 しかし同時に若さが失われて行きます。若く溌剌とした演奏がいいのか、高齢化して巨匠となった演奏がいいのか、聞き比べると一概に老練な演奏がいいとは言い切れないところが芸術の面白さです。

 宇野先生は、その都度、年代とCDの違いを指摘して書かれていますが、買う立場とすれば、同じ演奏家で、同じ作曲家の演奏を、年代別に、そうそう何枚も買うことはできませんので、いくら勧められても、予算上、買うことを諦めていましたが、ようやく足らない分はYouTubeで聞くことが出来て、著者の意図するところが分かって幸せです。

 それでもブルックナーの8番のシンフォニーなどは一曲で一時間以上ありますので、何人もの指揮者の演奏を聞き比べるとなると、体力と精神力と悠久の時間が必要とされます。日にちを変えて聞く以外ありません。

 それでも連日、オイゲンヨッフムや、チリビダッケ、朝比奈隆さんなどの名指揮者を聞き比べるのは何とも贅沢です。まさに壮大な宇宙を旅している心持です。こうした時間を持てることが幸せです。

続く

 

 

ディアゴスティーニのザマジック

ディアゴスティーニのザマジック

 

 以前にメイガスさんから原稿の依頼を受けていて、資料を送ったままその後仕事に忙殺されていましたが、昨日(11月2日)ザマジック71号が届きました。私は、ディアゴスティーニのザマジックを手にするのは初めてです。

 イリュージョニストのメイガスさんが監修をして、全くの初心者にマジック指導をする、と言う企画をしていることは知っていました。実は、このザマジックを定期購読している人が、私のところにマジックを習いに来ています。

 その人は、ザマジックを購読することでマジックに興味を持ち、欠かさず購読しています。マジック熱が高じて、私のところにまで習いに来ていると言うわけです。毎回指導書と一緒に、指導教材が付いていて、その教材がなかなか優れ物であることは聞いていました。

 メイガスさんが厳密にセレクトして製作した作品が教材についています。先日も私のところで指導を受けている学生さんたちが、メイガスさんの作ったファンカードを持っていました。

 ファンカードをゼロから作ると言うのは簡単ではありません。よくそこまで執念を燃やして一回の作品の付録教材に出せるものだと思います。

 今回の号は、お化けハンカチが付いていて、写真による解説書が丁寧に書かれています。DVDもついていて、演技と種の解説が出ています。親切な解説ではありますが、これを毎回テキストとDVDに起こして指導書を作るのは相当に時間のかかる仕事だろうと思います。

 71号とありますので、この活動を71回繰り返してきたことになります。これは単なる仕事を通り越して、マジックに対する愛情が感じられます。日々の地道な活動に敬意を表します。

 

 指導書の巻末にマジシャン紹介のコーナーがあって、そこに今月号は、私の写真と記事が載っています。私を紹介してくださるのは有り難いのですが、私の経歴を見て、マジック好きの読者の皆さんが、夢と希望を膨らませてくれるのかどうか、そこまで私が世間のお役に立つのかどうか、はなはだ疑問です。

 次号の宣伝を見ると、次回は藤山大樹が出るそうです。そうなら藤山一門が立て続けに紹介されることになります。光栄ではありますが、メイガスさんのご指導している世界と我々とはあまりにかけ離れた世界ですので、これでいいのかなぁ。と心配になります。

 いずれにしましても、マジック普及のために広く読者を増やしているメイガスさんの活動は評価に値します。これからもお続けくださるよう、心より願っています。

 

大樹は元気でした

 昨日(11月2日)、昼に藤山大樹が来ました。道具のことで尋ねて来ましたが、久々に会ったので、事務所でお茶を飲みながらいろいろな話をしました。

 大樹は、海外の仕事の依頼が多かったのですが、このところのコロナ禍の影響で仕事の数を減らしています。仕事が少ないのは芸能人すべてに共通することではありますが、会って話をすると、思っていた以上に元気で、結構テレビの企画など、次の仕事の依頼があって、忙しく動いているようです。

 私自身他人ごとではなく、コロナ禍で仕事が減少し、被害を被っているのですが、私のことよりも、弟子が無事に活動していると聞くとホッとします。

 このところマジック界で、なかなか若いスターが出て来ません。積極的な活動をして、仲間を引っ張って行くような力のある若手が出て来ないのです。

 そうした中で、身びいきでなく大樹は確実にリーダーの一人となって活動しています。私のところに入って来たころは、気が弱く、人前で喋ることも満足にできないような、弱々しい子供でしたが、修行してゆくうちに、演技に自信がついて来て、性格もしっかりしてきました。

 特に昨年、文化庁の芸術祭賞を受賞したことは大きな成果でした。マジシャンの多くは、マジシャンの中で評価されることを喜びますが、実際、芸能活動をして行く上では、マジック界のコンテストの評価が仕事に生かされる機会はほとんどありません。国の評価を得ていることは活動の幅を広げます。30代でこれを手に入れたことは大きな成果です。当人も随分自信につながったことと思います。

 

 本当は大樹レベルの若手マジシャンが5人10人と育っていると、マジック界も活気づいて来るのですが、なかなか望むべくもありません。

 来年1月8日9日に座高円寺で開催される、ヤングマジシャンズセッションに藤山大樹に出演してもらおうと思います。ヤングマジシャンズセッションには何度か大樹は出演していますが、この二年間は出番がありませんでした。その間、大樹がどう進化して来たか、2年のブランクの成果がどんなものなのか、是非ご覧いただきたく思います。

 

コンテストをします

 来年のヤングマジシャンズセッションの二日目(1月9日)、の昼に、マジックコンテストを致します。参加は限定10組まで、制限時間10分以内、内容はステージマジック、ビデオ審査あり、12月15日までに東京イリュージョンまで、ビデオ送付してください。当日は9時から簡単なリハーサルをします。参加費1000円。コンテスト見学者1000円。優秀者は、次回ヤングマジシャンズセッションに出演、プラスギャラ。また、大阪マジックセッションにも出演できるように配慮します。(今のところ確約はできません。多分です)。一位から三位までは賞状を差し上げます。発表は当日のステージ上で行います。

 マジックコンテストは、来年、大阪セッションの二日目にも行います。大阪の優勝者は東京のヤングマジシャンズセッションに出演できます(交通費、宿泊費、わずかなギャラが出ます)。東京と、大阪の二つを拠点として、若手のマジシャンを育てて行きます。来年は少しマジシャンズセッションをバージョンアップして、停滞しているマジック界を活性化します。ご期待ください。

続く

 

おひつ御膳

おひつ御膳

 

おひつの飯に感動

 昨日(11月1日)は、月に一回の糖尿病の検査で三軒茶屋の病院に行きました。予想以上に早く済み、玉川通の旧道を歩いて、大通りの玉川通りに出る角で新しい店がオープンするのに出会いました。

 「おひつ御膳田んぼ」、と看板が出ています。表には歌舞伎の芝翫さんからの生花などが飾られていて華やかです。

 時間は朝10時、病院検査のため朝食を抜いていますので、少し早いですがブランチをしました。和風の造りでとてもきれいにできています。ランチ定食は、鮭か鯖味噌におひつ御膳です。鯖味噌を頼んでみました。

 飯はおひつに盛り替えて食べると水分が飛んでうまみが増します。旅館などではおひつのご飯は普通に出て来ますが、家庭では炊飯器のまま食べますので、おひつのうまみに出会うことはありません。

 出てきた膳は、一見普通の定食のよう。鯖味噌は、汁を吸った鯖が皿に乗っていて、さらに鯖の上に味噌だれがオムライスのケチャップの様にかかっていました。

 飯を茶碗に盛って、一口食べて見ます。店の名前の通り、おひつからとった飯は甘く、粒が立ち、味わい深く上出来です。飯を食べてしみじみ旨いと思ったことはそうそうはありませんが、この日は飯だけで満足しました。

 鯖もしっかり脂が乗っていて、文句はありません。付け合わせの玉子焼や、漬物もいい味です。味噌汁はなめこで、出汁もしっかり出ています。

 傍から見たなら単なる鯖味噌定食を食べているだけなのですが、どれもが良く出来ていて満足出来ました。こうした普通のものを食べさせてお客様を旨いと言わせたなら大したものです。

 仕上げに出汁が急須に入っていて、残った飯にかけて漬物と海苔を乗せて、茶漬けにします。日頃、飯を二膳食べてはいけない身としては、このお茶漬けは悪魔のささやきです。

 値段は1100円。定食としては高めの値段ですが、味の良さで文句はありません。次回糖尿病の検査の帰りには鮭定食を食べて見ようと思います。と、こんな風に食べ物のことばかり考えているのですから、血糖値はなかなか下がりません。

 

衆議院選挙。日本が動き始めている

 一昨日は衆議員選挙で、テレビは夜8時からどこも選挙速報になりました。自民党が票を減らすことは当初からわかっていたことでした。コロナで飲食店などに制限を加えましたので、その不満が溜まっているとみられていたのです。むしろ、自民党の票が減ってどこに行くのかが興味でした。

 ところが意外にも、自民党の票は15減にとどまりました。案外国民はコロナ禍を冷静に見ていたようです。岸田さんとしても一安心でしょう。問題は立憲民主党です。

 本来は自民党の票をそっくり立憲民主党がもらって、大飛躍するプランを描いていたはずですが、意外や意外、立憲民主党は国民の支持を得られず議席数が100を切ってしまいました。これは自民党以上の痛手です。

 当初のプランでは、小選挙区制の中で、全ての党が候補者を出していたなら、野党同士が食い合いをして、決して自民党には勝てません。そこで、連合を組んで、統一候補を出そうと言うことになりました。この作戦はまっとうです。実際杉並区などは、石原伸晃さんがこの作戦に嵌って落選しています。甘利さんも落選です。狙いは大当たりだったはずです。

 然し、全体を見ると、自民党の傷は浅く、立憲民主党の傷は自民党以上に深かったのです。なぜか、答えは明白です。国民は社会主義の野党に飽きているのです。社会主義共産主義も、今の日本人の多くは望んでいないのです。

 ほとんどの人は中国や、ロシアや北朝鮮に憧れを抱いてはいません。二つの選択肢があったとして、自由主義がいいか共産主義がいいかと言う選択肢などないのです。

 今の日本人が求めているのは、保守か新保守なのです。両方とも保守であって、その差異はわずかでいいのです。国民がそう思っているなら、自民党と、立憲民主党からかすめ取った票が維新の会になだれ込むのは当然の成り行きです。

 維新の会と自民党との差はほとんどありません。維新の会は改憲にも賛成なのです。今回の選挙は大きく日本の進路を変えることになりそうです。改憲論争は一気に進むでしょう。

 日本はイギリスや、フランスなどの先進国と歩調を揃え、早く普通の国に成長すべきです。日本がやらなければならないことは山ほどあります。しかしここから先は国の運営にリスクが伴います。言葉だけで安全だの平和だのと言っていていても何も前に進まないのです。

 現実に、中国が台湾を攻め込んだなら、日本はただ見ているのですか。彼らを見殺しにできますか。然し、今の法律では何も手出しできないのです。台湾が攻め込まれるとなれば、アメリカもオーストラリアもインドも、イギリスも支援の艦隊を出すでしょう。そんな中で日本はただ見ているのですか。

 仮に、日本が台湾を見捨てたとして、中国が次に、「尖閣諸島は中国のものだ」。「沖縄も、元はと言えば中国だ」。と主張するでしょう。中国が攻めて来た時に、沖縄を見殺しにできますか。

 台湾の問題は、必ず尖閣、沖縄の問題につながるのです。その時にいまの憲法を隠れ蓑にして、平和と安全をお題目の如く唱え続けていることに何の意味がありますか。ようやく国民は気付いてきているのです。これから先は日本は大きく変わって行くでしょう。

続く

 

 11月20日(土)、玉ひで公演。若手出演者、戸崎拓也さん、ザッキーさん、前田将太。12時から、お席あります。詳細は東京イリュージョンまで。

 

 

 

パルト小石さん逝く

パルト小石さん逝く

 

 パルト小石さんが亡くなりました。先週、25日は私のリサイタルでした。そこにボナ植木さんが出演していました。ボナさんはこの数年ずっと一人でマジックを演じていました。

 長らく小石さんが入退院を繰り返していことはボナさんから聞いていました。私が、「小石さんの病気はどうなの、また一緒にできるの」。と聞くと、ボナさんは、「うーん、難しいかも知れないなぁ」。と言いました。「何とか、良くなったらまた一緒にできるといいねぇ」。と言うと、「うん、そうだなぁ」。と、気のない返事が返って来ました。

 その翌日、26日に小石さんは亡くなったそうです。

 

 亡くなったそうと言うのは、人から聞いたのではなく、亡くなった報せをネットで30日に知りました。31日には新聞や、テレビなどで死亡が報じられていたようです。

 私の記憶ではパルト小石さんは、本名小石至誠。昭和27年生まれ、岐阜県出身、専修大学卒、専修大学マジッククラブでボナ植木さんと知り合い、コンビを組み、依頼マジックナポレオンズと言うコンビでマスコミで活躍。

 私とは、45年にわたる仲間でした。一緒に勉強会をして、新宿のアシベ会館で定期的に公演をしたり、イベントでも随分一緒に仕事をしましたし、私の主催したSAMの組織にも加入してくれて、世界大会にも出演してくれました。海外のコンベンションにも一緒に出かけました。

 会えばお茶を飲んだり食事をしたり、いろいろな話をしましたが、ボナさんと言い、小石さんと言い、会って話をする内容はいつもマジック以外の話で、ばかばかしい話ばかりしていました。ここに、マギー司郎さんが加わると、ばかばかしい話は一層加速します。もう昔からの仲間同士ですので、どうしようもない失敗話などが飛び交い、腹を抱えて笑いました。

 

 舞台の上では、小石さんは喋りの進行役をしていて、快活に話をしています。会うと同じようにいろいろな面白い話をします。陽気な面白い人に見えます。見えると言うのは意味深な言葉です。私は子供のころからお笑い芸人をたくさん見ているので、笑いの好きな人が、どこか暗い影があるのを知っています。

 面白いばかばかしい話を延々仲間に話している人の多くが、背中に常に寂寥感が漂うのです。心のうちにある悲しみを打ち消すかのように、表は明るく振舞おうとします。北野たけしさんしかり、私の親父しかり、マギー司郎さんしかりです。多くのお笑いに携わる人は皆そうでした。

 笑いは、心の奥底に深い闇を抱えていないと、本当の可笑しみは生まれないのかも知れません。小石さんの場合は、普段会うとばかばかしい話ばかりしていましたが、時折言葉の中に被虐的な、自分を卑下したものの言いようが出て来たり、逆に相手を軽蔑するような言葉が出るときがありました。

 「この人はなんでこんなことを言うのだろう」。と不思議に思うことがしばしばありました。すなわち彼の心の奥にある闇からのメッセージが時々出てくる人なのです。それを毒と言えばその通りです。ちらりちらりと周囲に毒を振りかけてくる人でした。

 但しこれは、悪い性格ではありません。特に芸能の世界では、こうしたマイナス要素こそ人の魅力なのです。心の奥に闇があり、ひだがあるからこそ人は魅力があり、面白いのです。明るく陽気で人が好いと言うキャラクターでは、実はすぐ飽きられてしまうのです。なぜならそれは嘘だからです。

 お笑いの世界では、相手に罵倒されるようなことを言われても、おいそれとは怒ったりしません。互いが心のひだを理解しているからです。それが笑いにつながるなら許されます。

 私は内心、小石さんのようなタイプの人は、60代くらいになってから、もっともっと話術が磨かれた先に、心の中を吐露して、闇からとび切りくだらない笑いを作ってくれるような話術を見せてくれるのではないかと期待をしていました。

 然し、60代以降、小石さんは少しずつ舞台に対する興味が離れて行ったように見えました。ナポレオンズのコンビからも離れて行き、マジックからも離れ、仲間からも離れて行ったように見えました。

 自ら飲食店をするようになり、そこにはマジック関係者などは集まらずに、全く別の世界に暮らすようになって行きます。ボナさんとも疎遠になり、私が時々電話をしても、そっけない話し方になって行きました。

 マギー司郎さんとボナさんと私が定期的に会って酒を飲むようなときにも、小石さんは参加しませんでした。元々酒をさほどに飲まない人でしたから、付き合いで会って、話をするのも億劫だったのかも知れません。そうした付き合いもしなくなって行ったのです。それは個人の考え方ですから、どう生きようと自由なのですが、昔を知るものとしては少々寂しく思います。

 2年前に、ビッグセッションと言うタイトルで、ナポレオンズマギー司郎、私の3人で座高円寺でショウをしました。

 ところが、その少し前に小石さんは入院をしました。楽屋でボナさんから白血病だと知らされました。小石さんは痩せてはいましたが、普段は健康そうで、病気とは無縁の人だと思っていたので驚きました。とにかく、ビッグセッションには出演できません。ナポレオンズの出演が、ボナ植木の独り舞台になってしまいました。

 それから2年たった一週間前、同じ高円寺の舞台での私の公演の翌日。小石さんは亡くなりました。一人仲間が去りました。去ってしまうと、いつも会って何気なく話をしていたことが懐かしく思います。

「あぁ、あの時間こそ貴重な時間だったのだなぁ」。としみじみ思います。日頃の舞台では、頭をぐるぐる回したり、腕立て伏せで浮揚をしたり、ばかばかしい芸を繰り返していましたが、それだからこそ思い出すと妙に悲しく感じます。

 心よりご冥福を祈ります。合掌。

 

 

大谷選手、衆議院選挙、花咲か爺さん

大谷選手、衆議院選挙、花咲か爺さん

 

 大谷選手

 ついに大谷選手は、最優秀選手に選ばれました。プレイヤーオブザイヤーと言う、メジャーリーグの選手が選ぶ今年最高の選手として大谷選手が選ばれました。

 同時にアメリカンリーグ最優秀野手にも選ばれています。二刀流の成果が認められてタイトルを独占しています。

 今期はホームランが46本。100打点を挙げ、26盗塁を成功させ、ピッチャーとしては156もの三振を奪って、9勝を挙げています。何から何まで歴史的な記録です。

 このまま行くと、来月に発表されるMVPも取れる可能性が出て来ました。そうなるとベーブルース以来の歴史に残る選手になるわけです。

 但し、二刀流(ピッチャーとバッターを同時にする)と言うのは大リーグの歴史でもほとんどないことですし、野球界でも無謀とされる行為です。それを実践して生きて行くことは簡単ではありません。何しろピッチャーは一度マウンドに上がれば、一人で球を投げ続けなければいけません。一日の疲労は相当なもので、通常、ピッチャーは一日投げたなら翌日は体ががたがたです。そのため5日間くらい休むものですが、大谷選手は、ピッチャーでマウンドに立って、翌日にはもうバッターとして出場しています。連日休むまもなく出続けているのです。

 これは体に大変な負担を与えています。そこまで体を責めてマウンドに立ったなら、将来、必ず体力に変調をきたすはずです。こんなローテーションで活動することは大谷選手の選手生活にいいことはないはずです。

 然し、彼は自分のやりたいことを貫き通そうとしています。 彼は自分の人生を削って限界に挑戦しているのです。大丈夫でしょうか。そもそも、アメリカに来て、再々怪我をして、大きな手術をしています。彼の体は既に満身創痍なのです。それなのに無理をしてピッチャーに、バッターにと体を酷使しています。

 この先も二刀流を続けたなら、きっと選手活動は短命に終わってしまうと思います。数年のあいだ、世間を騒がせて、その先、あっという間にいなくなってしまうのではないかと危惧します。

 そんな人生を当人は望んでいるのでしょうか。大谷選手は、日本人でありながら、国籍を超えて、今や全米のアイドルです。彼の人柄はアメリカ人みんなに愛されています

 今年MVPを取ったなら、来年は、少し体を休めて、無理な登板をしないように配慮してください。怪我が再発して、ファンを悲しませないよう願います。

 

 衆議院選挙

 いよいよ明日衆議院選挙の投票日です。なんだか争点のはっきりしない選挙です。岸田さんでは影が薄く、枝野さんでは役不足に思えます。流れとしては自民党が、前回議席を取り過ぎましたので、今回は一割くらい議席数を減らし、過半数ぎりぎりになって踏みとどまるのではないかと思います。

 当然自民党が減らした議席分が野党に回ることになりますが、それでも与野党の逆転するなどと言うことはあり得ないでしょう。野党の中には、共産党まで一緒になって野党勢力を結集しようなどと言っている人がありますが、共産党が入って野党がまとまるわけがありません。

 核となる立憲民主がもっと力を付けて、多くの支持を集めない限り与野党逆転などはあり得ないでしょう。

 

 但し、私の住んでいる杉並区は、自民党石原伸晃さんが連立を組んだ野党の若手議員に押されて少々きわどい戦いになっているようです。25日のリサイタルの日に、演説会があるから参加してくれないかと伸晃さんの選挙事務所から電話がありましたが、自分のリサイタルを放っておいて演説を聞きに行くわけにはいきません。

 実際、相当に厳しい状況のようです。かつてはお父さんの石原慎太郎さんや、石原軍団の渡哲也さん、舘ひろしさんなどが次々に応援演説に来て賑やかな選挙を展開していましたが、石原軍団も今はなく、お父さんも政界を引退されていますので選挙戦はぐっと地味なものになっています。

 私は選挙のプロではありませんし、このところの政治には少々失望しています。何とかしなければいけませんが、与党も野党もどちらも頼りなく見えます。今優れた政策を出せば、小さな政党でも一気に飛躍するチャンスなのに、どの政党も民意を掴んでいるとは思えません。この先も混迷は続くでしょう。

 

 花咲か爺さん

 さすがにリサイタルの疲労が抜けなくて、3日間、毎日、少しかたずけをするぐらいで、何も仕事が手につきませんでした。

大谷選手ではないけれども、ピッチャーを一日務めた後は体が簡単には回復しないものです。良く大谷選手は休まずバッターが出来るものだと感心します。

 私の場合は4日も休みましたので、徐々に体力が回復してきました。そうなると、もう一度、花咲か爺さんを何とか形あるものにまでしておきたいと思うようになりました。

 この作品は道具立てが大きく、人手がかかり、そう簡単にあちこちで演じることはできません。それでもできるだけしっかりしたものに作っておきたいと思います。

 実際一度演じて見て、何が足らないか、どうしたらよくなるかは見えて来ましたので。11月になったら少し修正を加えて見ようと思います。

 昨日朝方、寝ていて、新しいハンドリングが思いつきました。うまく行くかどうか、朝食が済んだら、試してみようと思います。せっかく手掛けた作品ですから、何とか人の話題となるような作品にまで仕上げておきたいと思います。

 こうした大道具が、頻繁に仕事の依頼につながったらどれほど楽しいか、何とかそいう日が来るように、細かな部分を煮詰めて、これから手順の手直しをしてみようと思います。

続く

カードマニュピレーション

カードマニュピレーション

 

 カードとはトランプのこと。マニュピレーションとは、高度な技法のこと。マジックの世界でカードマニュピレーションと言えば、空中をつまむとカードが忽然と現れる、一連の技巧を駆使したマジックを言います。

 このブログにたびたび出て来るスライハンドと言う言葉と同義語で、スライハンドは正確には sleight of  hand =スレイトオブハンドと発音し、手練技と訳します。

 然し、日本語でも、手練技と言う言葉は使いません。私が子供のころ、親父が読んでいた時代小説の中で剣豪の技を手練技と言ったのを記憶しているのみです。随分古い言葉なのでしょう。

 同様に、スレイトオブハンドも、余り欧米の日常語では使わないようです。今ではマジックの専門用語の様になってしまいました。マニュピレージョンと言う言葉は、スライハンドと同じく、技巧を指す意味でかつてはよく使われたようです。

 何にしても半世紀前まではカードを出すマジックはマジックの中で花形の演技でした。10代だった私は、何とかマジック界で認めてもらいたいとカードと四つ玉とリングを毎日練習していました。

 18歳くらいからキャバレーに出演するようになると、リングもカードも仕事に欠かせないものとなり、実際、メイン手順として随分演じました。

 

 スライハンドの素材は、どれも小さなものばかりで、シンブル(指サック)、シガレット、四つ玉と言った素材は、どれもシンプルで、それ自体、あまり大きな効果は望めません。然し演技の中に少し取り入れると、演技に俄然旨味が生まれ、お客様も注目してくれます。

 マジックは、仕掛け物も、技物も、お客様にタネが分からなければどちらも同じ不思議だと思いがちですが、実際には素人のお客様が見ても、技物には何となく熟練の技術が感じられて、演技に厚みが生まれます。

 マジシャンにすれば、自分の技で不思議を作り出しているわけですから、純粋な魔法ではないものの、自分が自らの修練で不思議を生み出した、という自負が、より魔法使いに近づいたと認識します。そこがスライハンドマジシャンのよりどころで、お客様に技の冴えを感じ取ってもらえた時に、得も言われぬ満足感を手に入れるわけです。

 お客様としても、道具が自動的に作動して、不思議を作り出すのとは違う、何か特殊な技法を感じ取るらしく、それを面白いとみる人が数多くいます。

 

 スライハンドの素材はどれも小さなもので、各地のショウに出演するときに、トランクの片隅にカードや四つ玉を入れておくだけで5分でも6分でも演技が出来るため、世界各地を移動するマジシャンにとっては大変有難い小道具だったのです。

 実際、ショウビジネスが流行する、1800年代の末には、スライハンドマジックが爆発的に普及します。鉄道の発達とともに、スーツケースを持ったマジシャンが、欧米各地を移動するときに、カードや四つ玉は大いに役立つようになります。

 これが箱ネタや道具物となると、箱一つでトランク一つを占拠してしまい、移動の際に道具の多さが負担となります。

 私も、一人でキャバレーに出演をしていた時には、小さな道具で手順が組めるために、スライハンドは随分役に立ちました。

 話は長くなりましたが、スライハンドの素材は総体小さなものですが、その中で、実際のサイズより、取り出したときに大きく見せられる素材は、カードと鳩でした。カードを広げて出したときに、カードは握りこぶしよりも大きく広がり、見た目も派手で見栄えがします。そのため素材の価値としてカードはマジシャン必須のアイテムになったわけです。

 私も随分カードを演じました。但し、スライハンドのジャンルは上には上がいます。私自身は結構巧いつもりで演じていましたが、巧さと言うのはそんな生易しいものではなく、底知れぬ深さがあります。

 そのため、渚晴彦師のお宅に通って技法を習ったり、名古屋の松浦天海師を訪ねて、初代天海師の技を随分習いました。幸い私は、名古屋に頻繁に仕事で出かける機会があり、そのたびに松浦師にレッスン料を支払って、技法を学びました。

 それがその後私自身のテクニックに厚みを持たせる結果となったのです。

 然し、それも、イリュージョンチームを持つことによって、スライハンドを演じる機会もなくなりました。何かを手に入れると言うことは何かを失うことです。イリュージョンに活動の主流が移れば、スライハンドは使わなくなります。

 然し、それが全く無駄だったかと言うと、そうではなく、やがてバブルが弾けて、イリュージョンの仕事が激減したのち、手妻(てづま=日本奇術)に活動を移して行ったときに、手妻を手順にして改案しなければならない状況に至って、かつて覚えた技法などをアレンジして、少しずつ手妻に溶け込ませてゆきました。

 それにより、手妻が現代でも通用する芸能になり、多くの門下生に教えられる作品となって行ったのです。考えて見たなら、人生の中で不要なものなんて一つもありません。まるで推理小説に巧妙に仕込まれた伏線の如くに、かつてやった仕事が数十年経って突然役に立ってくることがたくさんあります。

 だから、目先に事で、これがいい、これは嫌いだなどと言わずにとにかく何でも覚えておくことは人生の行く末を幸福にします。

 

 先日自分のリサイタルで、子供のころに演じていたマジックと題して、何十年ぶりかでファンカードを演じました。わずか2分の演技で、単なるファンカードですので、インパクトも何もありません。

 然し、演じて見て、よかったなぁ、と自分自身で納得しました。これを真剣に練習した時代があったのです。それが数十年を経て演じると、まるで樽に入っていたウイスキーが熟成されて行くように、静かに味わいが増してきます。

 「あぁ、こんなにいい味わいになったのなら、もっともっと、あちこちで演じて見よう」。と、思いを新たにしました。

続く