手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

カードマニュピレーション

カードマニュピレーション

 

 カードとはトランプのこと。マニュピレーションとは、高度な技法のこと。マジックの世界でカードマニュピレーションと言えば、空中をつまむとカードが忽然と現れる、一連の技巧を駆使したマジックを言います。

 このブログにたびたび出て来るスライハンドと言う言葉と同義語で、スライハンドは正確には sleight of  hand =スレイトオブハンドと発音し、手練技と訳します。

 然し、日本語でも、手練技と言う言葉は使いません。私が子供のころ、親父が読んでいた時代小説の中で剣豪の技を手練技と言ったのを記憶しているのみです。随分古い言葉なのでしょう。

 同様に、スレイトオブハンドも、余り欧米の日常語では使わないようです。今ではマジックの専門用語の様になってしまいました。マニュピレージョンと言う言葉は、スライハンドと同じく、技巧を指す意味でかつてはよく使われたようです。

 何にしても半世紀前まではカードを出すマジックはマジックの中で花形の演技でした。10代だった私は、何とかマジック界で認めてもらいたいとカードと四つ玉とリングを毎日練習していました。

 18歳くらいからキャバレーに出演するようになると、リングもカードも仕事に欠かせないものとなり、実際、メイン手順として随分演じました。

 

 スライハンドの素材は、どれも小さなものばかりで、シンブル(指サック)、シガレット、四つ玉と言った素材は、どれもシンプルで、それ自体、あまり大きな効果は望めません。然し演技の中に少し取り入れると、演技に俄然旨味が生まれ、お客様も注目してくれます。

 マジックは、仕掛け物も、技物も、お客様にタネが分からなければどちらも同じ不思議だと思いがちですが、実際には素人のお客様が見ても、技物には何となく熟練の技術が感じられて、演技に厚みが生まれます。

 マジシャンにすれば、自分の技で不思議を作り出しているわけですから、純粋な魔法ではないものの、自分が自らの修練で不思議を生み出した、という自負が、より魔法使いに近づいたと認識します。そこがスライハンドマジシャンのよりどころで、お客様に技の冴えを感じ取ってもらえた時に、得も言われぬ満足感を手に入れるわけです。

 お客様としても、道具が自動的に作動して、不思議を作り出すのとは違う、何か特殊な技法を感じ取るらしく、それを面白いとみる人が数多くいます。

 

 スライハンドの素材はどれも小さなもので、各地のショウに出演するときに、トランクの片隅にカードや四つ玉を入れておくだけで5分でも6分でも演技が出来るため、世界各地を移動するマジシャンにとっては大変有難い小道具だったのです。

 実際、ショウビジネスが流行する、1800年代の末には、スライハンドマジックが爆発的に普及します。鉄道の発達とともに、スーツケースを持ったマジシャンが、欧米各地を移動するときに、カードや四つ玉は大いに役立つようになります。

 これが箱ネタや道具物となると、箱一つでトランク一つを占拠してしまい、移動の際に道具の多さが負担となります。

 私も、一人でキャバレーに出演をしていた時には、小さな道具で手順が組めるために、スライハンドは随分役に立ちました。

 話は長くなりましたが、スライハンドの素材は総体小さなものですが、その中で、実際のサイズより、取り出したときに大きく見せられる素材は、カードと鳩でした。カードを広げて出したときに、カードは握りこぶしよりも大きく広がり、見た目も派手で見栄えがします。そのため素材の価値としてカードはマジシャン必須のアイテムになったわけです。

 私も随分カードを演じました。但し、スライハンドのジャンルは上には上がいます。私自身は結構巧いつもりで演じていましたが、巧さと言うのはそんな生易しいものではなく、底知れぬ深さがあります。

 そのため、渚晴彦師のお宅に通って技法を習ったり、名古屋の松浦天海師を訪ねて、初代天海師の技を随分習いました。幸い私は、名古屋に頻繁に仕事で出かける機会があり、そのたびに松浦師にレッスン料を支払って、技法を学びました。

 それがその後私自身のテクニックに厚みを持たせる結果となったのです。

 然し、それも、イリュージョンチームを持つことによって、スライハンドを演じる機会もなくなりました。何かを手に入れると言うことは何かを失うことです。イリュージョンに活動の主流が移れば、スライハンドは使わなくなります。

 然し、それが全く無駄だったかと言うと、そうではなく、やがてバブルが弾けて、イリュージョンの仕事が激減したのち、手妻(てづま=日本奇術)に活動を移して行ったときに、手妻を手順にして改案しなければならない状況に至って、かつて覚えた技法などをアレンジして、少しずつ手妻に溶け込ませてゆきました。

 それにより、手妻が現代でも通用する芸能になり、多くの門下生に教えられる作品となって行ったのです。考えて見たなら、人生の中で不要なものなんて一つもありません。まるで推理小説に巧妙に仕込まれた伏線の如くに、かつてやった仕事が数十年経って突然役に立ってくることがたくさんあります。

 だから、目先に事で、これがいい、これは嫌いだなどと言わずにとにかく何でも覚えておくことは人生の行く末を幸福にします。

 

 先日自分のリサイタルで、子供のころに演じていたマジックと題して、何十年ぶりかでファンカードを演じました。わずか2分の演技で、単なるファンカードですので、インパクトも何もありません。

 然し、演じて見て、よかったなぁ、と自分自身で納得しました。これを真剣に練習した時代があったのです。それが数十年を経て演じると、まるで樽に入っていたウイスキーが熟成されて行くように、静かに味わいが増してきます。

 「あぁ、こんなにいい味わいになったのなら、もっともっと、あちこちで演じて見よう」。と、思いを新たにしました。

続く