手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

たけしさん 2

たけしさん 2

 

 私は子供のころからマジシャンや、お笑い芸人とかかわりを持って生きて来ました。然し、芸人もマジシャンも、その人から才能を感じる人をなかなか見ることはありませんでした。

 そうした中で才能を感じたのはたけしさんが初めてだったのではないかと思います。

 ほとんどの芸人は、上手さとか、面白さを型とか、業界の法則を学んで行くうちに身につける場合が多いように思います。その道の常套手段を学んでいるうちに、面白くなったり、マジックで言うならプロ的な演技になって行く場合が多いのです。いきなり才能がはっきり見えると言う人は珍しいのです。

 ところが、たけしさんの舞台は始めから面白かったですし、会って話をすると、どうしてこんなことを考えつくのかと思うほど次から次に笑いが出て来て、私を笑わせまくりました。

 元々が頭のいい人なのです。松竹演芸場に出る前は、明治大学理工学部に行っていたそうです。そのうち演芸に嵌り、学校に行かなくなり、アルバイトでタクシーの運転手をしたり、その後、フランス座のコメディアン深見千三郎さんの弟子になって、フランス座のエレベーターボーイをしたりして修業。

 そして兼子二郎さんとコンビを組んで、たけし、きよしの名前でツービートと名乗り、漫才を組んで、松竹演芸場に出るようになったのです。

 演芸場に出るようになったのが27歳くらいでしょうか。随分遅咲きの芸人です。私の親父が、時々たけしさんを飲みに連れて行っていましたが、親父は「たけしは面白いんだが根暗でいけない」。と、よく言っていました。

 話をすると何でもよく知っていて、頭のいい人です。しかも笑いの才能は飛びぬけています。ところが実際、どう生きて行くかと言うことに関してはからっきし世渡りのへたな人でした。

 

 昨日も書きましたように、漫才のネタは独特で、鋭い感性を持っているのに、必ず、うんこおしっこの話が入りますし、ブス、ばばあのネタが入ります。それを女性の多い客層のところで平気でブス、ばばあを連発するのですから、お客様から嫌われます。

 当然いい仕事はかかって来ません。然し、たけしさんは自分の芸に絶対の自信を持っています。常に「なぜ俺が売れないんだ」。と不満を持っています。私が見たなら、売れない理由ははっきりしています。あれほど頭のいい人がなぜ自分のしていることに気が付かないのだろう、と思います。

 仕事が少ないことは当人にとっては切実な悩みだったらしく、親父のキャバレーのショウにくっついていって、キャバレーのお客さんの扱い方など親父から聞いていました。

 そして、そのうち自分でもキャバレーに出てみようと考えます。然し、酒を飲んでいるお客さんに漫才の喋りはほとんど通じません。キャバレーに出演する漫才さんはまともな筋ネタはやりません。替え歌を歌ったりして酔ったお客さんを楽しませています。ツービートのように純粋な喋り一本では無理なのです。

 そのことはたけしさんも承知です。そこで、たけしさんなりに考えて、マジックをしながら喋ったならお客さんとつながるのではないかと言う結論に至り、私にマジックの道具を揃えてくれないかと頼んできます。

 そこで私はメーカーに頼み、道具を5万円分仕入れて、たけしさんに渡しました。毎月一万円ずつメーカーに返済すると言う条件です。

 私は演芸場の楽屋でたけしさんと会い、道具を渡して、説明を始めましたが、たけしさんはほとんど興味を示しません。種の説明も真剣に聞かないのです。こんなことで舞台が務まるのだろうかと不安になります。

 そのうろ覚えのマジック道具を使ってツービートはキャバレーの仕事をするようになります。

 せっかく道具を渡したのに、その後、キャバレーで生かしているのかどうか、何の返事もありません。ある日、相棒のきよしさんに会った時に、「マジックは役に立っているの」。と聞くと、「えらい役に立っているよ」。と言ってとても感謝されました。

 

 ところが実際にはたけしさんのキャバレー出演は失敗続きでした。とにかくたけしさんは舞台の上で喋りたいのです。自分の考えたネタを披露したいのです。然し、キャバレーのお客さんは酒を飲んでいますから、まともに話を聞こうとしません。頓珍漢なヤジを飛ばします。時にはやめろ、引っ込め、と言われます。するとたけしさんは怒ってお客さんとけんかをしてしまうのです。

 芸の上でたけしさんは一本気なのです。舞台はta

ちまち険悪になります。するときよしさんは、「さぁ、皆さんマジックショウのお時間です」。と言ってマジックを始めます。

 きよしさんが主になってマジックをして、それをたけしさんが脇で突っ込むと言うパターンなのですが、たけしさんはふてくされてしまって、そばにいても全く会話に参加しないのです。マジックは手伝いもしません。

 きよしさんは、お客さんに突っ込まれ、相方に見捨てられ、四苦八苦の苦労をしますが、それでも何とか笑いを取ろうと必死になって舞台をします。それに対して、たけしさんはまったく冷淡です。嫌いなものは嫌いなのです。

 たけしさんはキャバレーの仕事がよほど嫌いなのか、一部と二部のショウ合間に酒を飲んで来ます。いやな仕事の気を紛らわすための酒ですから、悪酔いをして、二部のショウにふらふらで出て来て、話の相槌も打たずにただ突っ立っています。舞台は一層白けてしまいます。そんなコンビが評判になるわけはなく、結果は仕事が来なくなります。

 私は、この時期、きよしさんは良くたけしさんを見限らなかったと思います。きよしさんはたけしさんの才能を信じています。唯一たけしさんの味方なのです。キャバレーの仕事も、お祭りの仕事も、すべてきよしさんが探してきて、何とか食べて行けるように八方気を使って生きています。それをたけしさんは嫌なものは嫌だとわがままを通そうとします。最も信頼している相方にたけしさんは文句ばかり言ってせっかく決めた仕事を壊してしまいます。

 それでもきよしさんはたけしさんを否定しません。「あいつは天才だ」。と言います。たけしさんはきよしさんを「馬鹿だ」。とか「才能のかけらもない」。などと否定しますが、少なくとも20代のツービートはどれほどきよしさんに助けられたかわからないのです。たけしさんにとってはどん底の時代です。

続く

 

たけしさん  1

たけしさん 1

 

 北野武さんのことをときどき思い出します。私は数年前に「たけちゃん金返せ」、という本を出しました。私が20代で、浅草松竹演芸場に出演していた頃、コンビ組み立てのツービートがやってきて、その舞台を見て感動し、以来数年間、会うと一緒に酒を飲み、喫茶店に行き、いつも一緒に話をしていました。本はその頃の話をまとめたものです。

 たけしさんは大変人見知りをする人で、よほど仲のいい人でないと気軽に話をしません。まともに人の顔を見ない人で、いつもうつむき加減に、時々人の顔をちらっろ見ます。いつも猫背で歩いています。楽屋でも一人でいることが多かったように思います。仲間を集めて、車座になってワッと騒いで面白い話をする人ではないのです。

 然し、どうしたものか、私とは相性が良かったようです。あった日の最初から喫茶店に行き、長い時間くだらない話をしました。私は初めてツービートの漫才を見て、「こんな面白い人が東京にもいたんだ」。と感動しました。

 当時は、漫才と言えば関西の芸人の方が笑いも技量も上で、東京の漫才はあまり面白い人はいなかったのです。それがいきなりコンビ組み立てのツービートが一本目に出演して爆笑を取ったのです。それは驚きでした。

 その漫才は、型も何もありません。たけしさんが一人で喋って、一人で落とします。相方のきよしさんは時々合いの手を入れて、「やめなさい」、「いい加減にしなさい」、と言うだけです。まったく、会話によって話が膨むと言うものではありません。たけしさんの発想が全てです。

 その発想が飛んでいて、ばかばかしいのです。

 た「こいつの兄さんは偉いんですよ」、き「偉くないよ」。た「今は立派なやくざですから」。き「よしなさい、やくざなんて人に言うなよ」。た「幹部ですから、偉いです」、き「やめなさい」、た「でも真面目ですよ」。き「真面目じゃないよ」。た「いや真面目です、腕の付け根に、ま、じ、め、って彫ってありますから」。き「彫っどうするんだ」。た「こいつの姉さんなんて立派ですよ。中学卒業して、今は立派なストリッパーですから」、き「よしなさい、それは俺の女房だ」。

 ネタが細切れで、会話になっていません。ただ機関銃のようにたけしさんが喋るのをきよしさんが受け止めるだけです。漫才と言うよりは漫談です。然し面白い。私はたちまちツービートの数少ない理解者となって、たけしさんを熱烈に支援しました。

 演芸会のような番組を先輩たちが組んでいるときなど、「誰かいい若手いないかなぁ」。などと言っているときに、「ツービートがいいですよ。絶対に受けます」。と言って、勧めました。ところが、先輩芸人は、「あいつもいいけど、あいつの芸は汚いからなぁ」。と言って嫌がるのです。

 そうです、松竹演芸場ではお客さんをひっくり返すほど受けるのに、ツービートはちっとも売れないのです。なぜ売れないかと言うと、ネタが汚いのです。うんこ、おしっこ、ブス、ばばあ、やくざ、そんなネタばかりが出て来ます。品のいいパーティーに出せないのです。

 私が、「せっかく面白いんだから、うんこおしっこネタをやめたらいいのに」。と言うとたけしさんは黙ってしまいます。まるで子供と同じなのです。言っちゃいけないことを言うのが好きなのです。

 男女が公園のベンチに座っている設定で、た「きよ子さん寒くないですか、もっとこっちに寄りませんか」。き「えぇ、大丈夫です。たけしさんこそ寒くないですか」。「ええ、寒くないです。うんこ我慢してますから」。

 まったくこの人はどういう発想をしているのか見当が付きません。みんなに面白いと言われながらも仕事がなくて、毎日暇を持て余しています。そんなたけしさんを誘って、よく飲みに行きました。

 

 この人の本当の面白さは、二人っきりで酒を飲みながら、ひそひそ会話をするときです。それはちょうど学校の授業中、声を出してはいけないときに、隣の友達にくだらない話をするいたずらっ子のようで。笑っちゃいけないと我慢をしながら、聞くとびっきりくだらない話。あの密室の極限のくだらない状況が作り出されたときに、たけしさんは最高に面白いのです。

 また、たけしさん自身も、自分が喋った笑いを自分で笑っています。笑いマニアなのです。たけしさんが大声で笑うことはありません、どこか空気の抜けたような、ヒャッヒャッと言った笑い方をします。たけしさんにすれば、私は、製作中の笑いを試す実験台なのです。私が大笑いしたネタはその後舞台にかけるのです。

 たけしさんは飲んで喋っている時は止まりません。世の中にこんな面白い人があるかと思うほど面白いのです。ところが、そこに知らない人が入るともう駄目です。ツービートの漫才ファンだと言う社長と飲みに行くと、まるで借りてきた猫のように小さく縮こまって、全く話をしません。初対面の人は苦手なのです。

 そもそもお客さんの座持ちのできない人ですから、誘ってくれるお客さんなどほとんどいません。そんなたけしさんが、私とくだらない話をしていると、フッ、と無音になる時があります。

 その時のたけしさんの顔がとても寂しいのです。虚無的と言うか、空虚なのです。長い沈黙があって、ぽつりと、「俺はこうして、誰にも知られることもなく、浅草の芸人で一生終わってしまうのかなぁ」。などと言いだします。その前に話していたばかばかしい話とは真逆のことを突然言い出すのです。こんな時のたけしさんは危ないのです。

 こういう時には当人が自信が付くように持ち上げてやらなければいけません。「そんなことはないよ、きっと売れるよ、今日だって演芸場で一番受けていたじゃないか。大丈夫だよみんなあなたの才能は理解しているよ」。

 そんな風に言うと、たけしさんは少しずつ元気になって来て、またばかばかしい話を始めます。たけしさんは世の中が虚構の世界であることを知っています。まるで芝居の描き割りのように、板一枚後ろはまったく何もないことを知っています。

 そんな世界で、金がない、人気が出ない、と嘆いている自分が馬鹿に見えるのです。つまり突然、自分自身を俯瞰で眺めるのです。そんな世界をつまらない、と思いつつ、そこから逃れることが出来ない自分が情けないのです。

 恐らく一人でいるときはいつもそんなことを考えているのでしょう。この人は時計の振り子のように、心が大きく右に左に動くのです。いったん動き出すと際限なく闇の世界に入って行きます。私にはそう言うたけしさんにとても共鳴していたのです。

続く

 

秋深まり衆議院選挙

秋深まり衆議院選挙

 

 昨日(19日)はずっと一階のアトリエで練習ばかりしていて全く外に出ることはありませんでした。私が手妻に没頭しているさ中、表は急激に寒くなり、もう晩秋の風情です。

 そんな時にどうしたものか、北朝鮮がミサイルを打ち込んで来ました。あの国は何がしたいのか見当が付きません。かつては東北地方の上空をミサイルが超えて行きました。明らかに領海侵犯行為です。日本政府は遺憾を言うのみで何もしません。

 日本の金持ちの中で誰か、ゴルゴ13に依頼して、金正日を狙撃してくれませんか。日本海にたびたびミサイルを撃ち込む隣国の将軍様などと言うものは百害あって一利なしです。

 国内では、衆議院選挙の真っただ中です。今回の衆議院選挙は、自民党一強の中の選挙で、あまり変わり映えもなさそうですが、それでも全く無関心でもいられません。出かけて行って、誰かに投票しようと思います。

 それにしても野党の存在感はどんどん薄くなってきています。決して自民党の政策が上手く行っているようには思えないのですが、だからと言って野党に任せられる状況ではありません。野党よりもまだましだから自民党を選ぶと言うのではどうにも情けない状況です。

 私らも含めて、多くの国民はコロナで疲弊しきっています。こんな状況で、どうしたら二年前の生活が戻って来るのでしょうか。

 私は、8月頃、「10月になったらコロナの感染者が大きく減って行く」、と言いました。これは私が思い付きで言ったことではなくて、私の知人の数人の医者が教えてくれたことです。

 無論、8月の時点ではコロナはピークにあり、誰も感染者が激減するとは思わなかったようです。然し、今までの感染状況から考えて、日本のコロナ感染は、ヨーロッパやアメリカから比べるとずっと規模の小さなもので、一日3万人5万人などと言う感染者にはなり得ないものです。

 もし日本国内でコロナの感染が大爆発すると言うなら、日本は、中国に一番近い位置にある国ですし、当時ものすごい数の中国人が日本に観光に来ていたわけですから、世界中で一番早くに感染者が大爆発していたはずです。然し、実際には大爆発はしなかったのです。

 そこへ持ってきて、今年からワクチンの普及がありますから、10月以降は大きく感染者を減らすだろう。と言う予測が立っていたのです。実際その通りになったわけです。

 さてそれはめでたいことですが、長らくマスコミがコロナの危険を連日煽ったことで、どうにも、人が出不精になってしまいました。特に、音楽フェスティバルなどで、感染者が出たことで、マスコミが大騒ぎをして、多くのイベントを中止に追いやったため、あらゆるイベントが今も休止したままです。

 イベントで人がたくさん集まれば、多少の感染者が出るのは当然のことなのですが、それを過大評価しすぎています。普通に生活していても感染者が出るのですから、数万人集まるイベントで5人10人感染したからと言って大騒ぎするのはむしろ異常です。それはまったく平常の範疇です。

 「そんなことを言うのは無責任だ」。と言う人もあるでしょうが、どんな活動にもリスクが伴うのは当然なのです。爆発的な大感染が来ないと言うことが分かれば、通常の生活をしてもいいのです。何度も言いますが、物を過大に考えすぎています。

 それでも徐々に生活は元に戻りつつあります。いいことです。そこで今度の衆議院議員選挙は、何とかコロナで疲弊した国民を元気にする政策を出してください。このままでは日本全体が矮小化してしまいます。日本は本来もっと豊かで恵まれた国のはずです。高望みはしません。二年前の生活に戻してください。

 

 ご報告が遅れましたが、15日に、女房と娘とで高円寺の洋食店DAIGOに行き、名物のエビフライを食べて来ました。実はDAGOは19日で閉店することになってしまったのです。閉店の理由は恐らくコロナの影響でしょう。

 DAIGOの親父さんは、帝国ホテルで修行をし、当時の料理長村上信夫さんの元で勉強しました。親父さんの揚げるフライは絶品で、エビフライは皿からはみ出るほどの大きなエビなのですが、何匹食べても少しも脂にもたれることがありません。

 外側の衣はサクッとしていますが脂を感じません。中のエビは大きくて、プリッとしていて噛むと弾力があります。これをタルタルソースと一緒にほおばると、さっぱりとしたエビと濃厚なソース、それに軽やかな衣の歯ごたえが合わさって絶妙の味です。

 とんかつも同様で、全くさっくりさっくりとしていて後味がいいのです。私自身は油で揚げたものはたくさん食べてはいけないのですが、ここへ来ると止まりません。

 その晩はこれで食べ収めかと思い、3人でエビフライを6本。ヒレカツ、オムライス、ロールキャベツを頼んで、分け合いました。どれも申し分のない味です。特に、エビフライとヒレカツは絶品でした。

 かつて、韓国のマジシャン、CYが来た時に、彼がとんかつが食べたいと言うので、DAIGOに連れて行き、とんかつとエビフライをご馳走しました。彼は、「今まで食べたとんかつの中で一番うまかった」。と言いました。

 同じく一昨年、ジョナサンニールが来日した時も、夫婦をDAIGOに誘い、エビフライをご馳走しました。夫婦ともにエビフライを絶賛してくれました。

 15日の晩は幸せな気分で帰りました。でも、「ああ、これで高円寺で自慢のできるレストランが一軒減るのか」。と、思うと、返す返すも残念でした。コロナを恨みます。

続く

道具の製作

道具の製作

 

 昨日(18日)は、一階のアトリエに籠って、朝から道具の修理や、製作をしました。久々根を詰めてマジックの製作のみの一日を過ごしました。

 これも、猿ヶ京での練習で問題の個所が山積した結果です。直す場所は分かっていますので、あとは、私の工夫と、それにかかる手間を惜しまずしっかり丁寧な仕事をすればうまく行くでしょう。リサイタルをするときと言うのはいつもこんな具合です。

 新しいことをするときは、いつも自分を基本に立たせられます。この道何十年経験したとしても初心者です。何回も、何回も、当たり前のことを基本に戻ってやり直しをさせられます。

 何百何千とマジックの道具を持っていても、次にやろうとするマジックに既成の作品などありません。すべて自分の頭の中で構想を考えて、不思議な世界を具体化すべく手段を立て、実現できるように自分のこれまでの知識と閃(ひらめ)きを生かして作って行きます。

 その都度、真鍮棒をはんだ付けしたりして、へんてこな金属の道具を作ったり、針と糸で生地を縫ってタネを作ったり、ホルダーを作ったり、自分にできる限りのありとあらゆる作業をしなければなりません。

 結局、私がやらなければ誰もなしえない世界を作るのですから、お手本もなく、頼るべき人もいません。孤独と言えば孤独な作業です。でも、それは私に取って嫌いな仕事ではありません。特別なことでもありません。華やかな舞台の影には孤独はつきものなのです。子供のころから繰り返してきたことです。

 

 私がマジックの作業にかかわっている間、昨日は、パソコンの具合が悪く、全く触れることはありませんでした。昨日はブログは休みの日でしたので、幸いではありました。

 でも、さっきブログを見たら、私が何か書いたのではないかと期待をして見に来て下さった方々が300人近くいらっしゃいました。何も書かず済みません。そうした人を思うと、少しでも書かなければいけないなと思います。

 

 然し、昨日は、やることが多すぎました。一里四方取り寄せの樽や手桶を洗って拭いたり、シルクの仕掛けを作り直したり、一昨日、猿ヶ京から持って帰ってきた峰の桜の大道具を組み立てたり、これがなかなか大きくて、一人で組み立てるのは大変です。でも誰もいませんから、何とか一人で作りました。

 大幕を出す仕掛けも作り直しをしました。爺さんの頭巾も直し、衣装も直しました、袴も仕掛けを作り直しました。数えて見たら、20項目の修理や改良を加えました。朝8時にアトリエに入って、夜7時半まで、一人で作業を続けました。

 縫物や、はんだ付けの作業が長く続いたため、終わったときには、すぐには立てませんでした。背中が伸びないのです。すっかり爺さんになってしまったようです。花咲か爺さんなら華やかですが、たんなり爺さんです。しばらく体を揉みながら、ゆっくり背筋を伸ばして、立ち上がり、全身運動をすると、腰の痛みが薄れて来ました。と同時に、少し疲れが出て来ました。仕事は終わりです。

 結局、三階の居間に食事に上がる以外は、全く外に出ることはありませんでした。

 それほど働いたなら、随分仕事がはかどったように思えますが、やった仕事を見ると、ささやかなものです。一体一日かけて何をしていたかと思うほどで、シルクや、衣装の細かな部分が直されただけで、大した成果も出来ていません。

 今日も残りの道具の作り直しをして、そのあと前田と稽古をしようと思います。

 

 私はまだやりたい手妻が幾つかあります。一つは、かつて実演した「呑馬術(どんばじゅつ)」。あれをもう少し完全な形にして再現したいと思います。何しろ生きた馬を借りて来て、舞台の上で呑んで行く芸ですので、簡単にはできません。然し、面白いことは無類に面白く、話題としては充分人をひきつけます。私が手掛けた芸ですので、何とかもう一度再現したいと思います。

 それから、「水渡りと水槽での衣装替わり」。舞台と客席の間に大きな水槽を作り、水槽に一杯に張った水の上を演者は歩いて行きます。

やがて中央に来ると、演者は静かに沈んで行きます。水槽の淵から噴水が上がります。そして噴水の中央から。裃姿に着かえた演者が濡れずにせり上がってきます。

 これは実際に江戸時代に行っていたイリュージョンで、これを江戸時代の観客が見たなら飛び上がって驚いたでしょう。水槽の仕掛けからして大道具ですし、簡単にどこでも演じられると言うものではありません。固定して、3か月とか半年とか公演しなければできない企画です。然し、今、再現をしたらきっと拍手喝采で大きな話題になるでしょう。

 こうした大掛かりな手妻を今のうちに演じておきたいと思います。私がやらなければ永久に復活の可能性はなくなるでしょう。過去の優れた日本人の発明が絶えてしまうのは勿体ない話です。来年、再来年のうちに、何とかできるようにしたいと、と思っています。

 と、余り先々の構想ばかり考えていてもいけません。とにかく来週の「摩訶不思議」が成功するように、今日もせっせと小道具を作り直し、練習をします。

続く

猿ヶ京練習

猿ヶ京練習

 

 昨日(20日)は早朝から車で群馬の猿ヶ京に向かいました。前田と穂積美幸、私の3人です。あとで新幹線で、振り付けの藤間章吾先生が来てくださいます。章吾先生は、初め群馬まで教えに行くことに躊躇していたようですが、「稽古のあとで温泉が付きますから」、と言うと、面白がって了解してくださいました。

 峰の桜の装置が大きくて、私の家のアトリエでは十分な練習ができません。そのため、装置一式を持って猿ヶ京へ。

 勿論、都内の練習場を借りて練習したほうが効率はいいのですが、練習とは別に、猿ヶ京にある大道具や、一里取り寄せに使う小道具がまだ向うにあるため、それも取りに行かなければなりません。それがもう一つの目的です。いずれにしても、昨日猿ヶ京に行ったのは、リサイタルをする上でどうしても必要な条件だったのです。

 渋滞は心配したほどではなく、途中休憩しても、二時間40分で現地に到着しました。170㎞の距離を思えば、殆どスムーズに走れたことになります。

 到着後、すぐに部屋の掃除。峰の桜を二階まで上げて、そして組み立て、小道具の仕込みなどをするうちに前田は新幹線駅まで車で章吾先生を迎えに出ました。

 その間私は、小道具の不備の点検です。昨晩遅くまで小道具の直しをしましたので、ほぼ問題はなくなりました。爺さんの髭なども何とかそれらしく出来上がりました。

 但し、衣装の方がいろいろやりにくい点に気付き、穂積さんにお針をお願いしました。また、大幕を引っ張る装置の設置も作っておかなければなりません。

 いろいろやっているうちに章吾先生が見えました。猿ヶ京の稽古場は不便なところにありますが、何しろ舞台が大きく、床が足袋で動くには好都合のピカピカの舞台ですので、章吾先生は満足したようです。

 さてそれから、踊りの振り付け部分の稽古です。全体は8分の手順です。振り付けはなんとか頭に入りましたが、その振りが私はいい加減なところがあり、細かく直されます。

 実は振りを演じつつマジックとしての仕込みをしなければならないため、なかなか指示通りに振りが出来ません。そのタイミングの見計らいが難しいのです。そこで、正吾先生に振りを少し直してもらいました。

 結果として、群馬までご足労願ったことは良かったと思います。3時間近く稽古をして、先生をひとまず町営温泉に招待し、その間私らは道具のかたずけ。4時前に先生を新幹線駅まで送りました。前田はかたずけがありますから、私が車で送りました。本当なら、近所の利根川の源流など、お連れすればきっと喜んでいただけたと思いますが、とにかく時間がありません。観光はまた次回です。

 それにしても、猿ヶ京は、この日は日本中かなり人が出ているにもかかわらず、町にまったく人出がありません。「この日でこんな状況では、町は完全に忘れ去られているなぁ」。と思いました。

 そもそも私がこの町で古民家を借りようとした理由は、そこで人を集めて蝋燭灯り(ろうそくあかり)で手妻を見せようと言う企画を考えたためです。

 当時私のマネージャーをしていた宮澤伊勢男さんと企画を立てて、近隣のホテルの宿泊者から希望者を集めて、古民家に集まってもらい、江戸時代の雰囲気をそっくり再現して手妻を演じたなら、他では見られない面白い企画になるだろうと考えたのです。

 日本中の温泉ホテルは、温泉に入って、食事をして、さてそのあと何をしようと考えたときに、多くの温泉ホテルは何も企画がないのです。

 宴会中に町の郷土芸能を見せる。いいと思います。でも日本中のホテルで演じられている郷土芸能や太鼓のショウで、もう一度あのホテルに行って、あの芸能を見たいと思うショウがどれだけありますか。

 酒を飲んでカラオケを歌う、それでは東京にいるのも同じです。テレビを見る。これも日常と同じ。

 その温泉場でなければ楽しめない企画は何かと問われても、何もないのが現状なのです。そこで私の出番です。江戸時代の古民家へお客様を案内して、そこで蝋燭灯りで江戸時代のマジックをお見せする。

 これならひなびた温泉場に持ってこいの企画ではないかと考え、早速、周囲のホテル経営者さんに集まってもらい、古民家で私の演技をご覧いただきました。

 然し、全く無反応なのです。彼らは黙って私の演技を見て、黙って帰って行きました。「これを一人幾らで見せるのか」。とか、「一か月依頼したらいくらかかるのか」、などと言った具体的な話は一切ありません。私にはどこか既にホテル経営を諦めているかのように見えました。それが10年前のことです。

 あれからこの町はどうなったのか。私の見たところ、今いるお客様を増やすと言う次元は去りました。前よりも寂れて、今では人も寄らなくなってしまいました。10年前ならまだ何とかなったのに、

 

 車で戻ると、大道具小道具は既にまとめられ、外に出ています。荷物を車に積み込んで、4時50分。さて、「ひとまずみんなで風呂に行こうか」。と考えましたが、帰りの渋滞が心配です。帰宅が深夜になっては翌日にひびきます。私の判断で、ここは帰ることにしました。まったく猿ヶ京へ来たのに観光も温泉もありません。練習するのみで一路東京へ、

 それでも帰りに少しいい食事をしました。二人の顔色が和んでいるのが分かります。いろいろあって、東京に着いたのが8時でした。それから道具の整理をし、結局一日を終えたのは深夜でした。

 さて、実りの多い猿ヶ京でしたが、その分宿題がたくさん出ました。そのため今日は一日衣装と小道具の直し、そして手順の練習をします。前田は昨日の仕事がハードなため今日は休みです。穂積美幸さんには犬の衣装の直しを頼みました。

 リサイタルまであと一週間です。毎日忙しくなります。

続く

 

 10月25日、「摩訶不思議」座高円寺、18時30分スタート。前売り4000円。出演、ボナ植木、ナイツ、峯村健二。お申し込みは東京イリュージョンへ。03-5378-2882

 

 

玉ひでから戻る

玉ひでから戻る

 

 私のブログを楽しみにして下さっている皆様には申し訳ありません。パソコンの具合が悪くて、昨日(15日)に書いたブログが発信されないまま、どこかに消えてしまいました。

 早朝(16日)にいろいろ操作をしてみたのですが、私の原稿は出て来ません。今日は玉ひでの公演です。朝が忙しい中、そのまま玉ひでに出かけなければならず、やむなくパソコンを放置して出かけました。今帰って来て、ブログを書き直そうと思います。

 

 今日の公演は、幸いに雨もやみ、快適な陽気になりました。

今日の出演は、初めが前田将太。卵の袋から紙卵まで、5分の演技です。このところ卵の手順も随分演じて来ましたので、大分手慣れたせいか安心して見ていられます。舞踊の形も身についてきました。これを演じている限り余り何かを言うことはありません。お客様にもよく受けていました。

 二人目は、早稲田康平さん。いつも通りの掴みのカードマニュピレーションからスタート。この掴みの演技は実際に受けもよく、半年前から考えると相当うまくなりました。ただカードをこれだけで終えてしまうのは勿体ないと思います。もう少し自分をアピールする何か素材を加味したほうが良いと思います。

 そのあとロープ切りから三本ロープ。これも無理なく手順が出来ていて安心して見ていられます。お客様の反応も良かったと思います。そしてカード当て、カードを適当に6つの山に分け、そこから適当に六人のお客様にカードを選んでもらうのですが、どうしたものか当たりません。カードが当たらないのは困ります。やむなく手順を変えて、選んだカードが、口の中から畳まって出て来るマジックを見せて終わり。6枚のカードが何をしたかったのかが分からず、少々未消化な終わり方。

 次は戸崎拓也さん。シルクのカラーチェンジから、結ばったシルクがほどけるマジック、そして20世紀シルク、いろいろあってお終いはファンテンシルク。シンプルなマジックばかりをつなげていますが、基本がしっかりしているため、とても面白く見ることが出来ました。

 こうした素朴な演技をすると戸崎さんはうまいですね。但し、このままでは印象が薄いままですので、どこかに個性をはっきり打ち出さなければならないでしょう。もっともっと遠慮をしないで、強く自分を押し出したらよいと思います。

 

 休憩後は私の手妻。今回は傘出しの手順から、双つ引き出し、そこから人力車に引っ込みまで。サムタイ、若狭通いの水。前田の金輪の曲、そして蝶のたはむれ。終演。

 言ってみれば私の仕事のメイン手順です。傘出しから人力車は、25日のリサイタルで披露するため、慣らしに演じて見ました。お客様の反応がいいため、気持ちよく出来ました。

 サムタイは毎度のお喋りですが、とても真剣に見られてしまい、と中、シーンと静かになってしまいました。

 若狭通いの水は、時々演じています。下手のテーブルにあるガラスの徳利に入ったオレンジジュースが下手の徳利に移ります。原案は江戸時代の作品で、徳利に入れた水が移動する手妻ですが、私がガラスの徳利でクリアに演じられるように大きく改案しました。

 そのあと前田の金輪の曲。これも玉ひでではたびたび演じています。大分手慣れて来ました。

 そして蝶。いつもの通りです。今日は安定した演技でした。

 

 さて、急ぎ自宅に戻って、道具をかたずけ、そして明朝の猿ヶ京の荷物をまとめなければいけません。明日は、猿ヶ京の稽古場に藤間章吾先生を招いて、実際に道具を使って演技をして、それに振り付けをしてもらいます。まだまだ道具の不備もありますので、今晩は徹夜で修理をしなければならないかもしれません。こんな日があってもいいのです。やるべきことがたくさんあるのは、私の取っては幸せなことです。

 

明日はブログを休みます。

 

 10月25日。藤山新太郎リサイタル公演。「摩訶不思議」。座高円寺、18時30分スタート。入場料前売り4000円。詳細は東京イリュージョンまで。

リサイタルの練習 2

リサイタルの練習 2

 

 昨晩(14日)は、笹塚にある音楽集団のアトリエに伺い、邦楽のメンバーと、リサイタル当日の曲目を打ち合わせいたしました。リーダーの杵家七三(きねいえなみ)さんとは20年来のお付き合いで、文化庁の学校公演の際には毎年お付き合いいただいて、演奏をお願いしました。特に、学校公演のさ中に、大樹が、弟子修行をしていて、仮面の手妻を制作中だったのですが、その曲は七三さんが作曲してくださいました。大樹は、連日、生の小学生を相手に、生演奏で、曲を微調整して行き、結局、学校公演をしている間に、手順と、音楽を完成させたのです。大樹にとってはラッキーでした。

 大樹は私の元を卒業すると同時に、自作の仮面の手順と、折時寝る曲と、オリジナルを演奏したテープを持っていたのです。そんな弟子はほかにはいません。恵まれたスタートを切ったことになります。

 

 さて、私が七三さんと今も、お付き合いしているのは、学校公演を始めとして、私のリサイタル公演にはほぼ毎回生演奏でご出演願っているためです。当時の学校公演は、とても大規模なもので、演奏家だけでも八名いました。三味線二名、琴二名、四拍子四名(笛、太鼓、小鼓、大鼓)歌舞伎音楽に、琴が加わったとても大きな編成でした。このメンバーで、蝶や、水芸を演奏したのですから、子供たちは大喜びです。本来なら、純邦楽の世界から演奏家をお願いすればよさそうなものですが、実は、演奏している曲の多くが創作曲のため、五線譜が読めなければ演奏できません。演奏家の多くは、芸大出身の演奏家で、邦楽家でも現代邦楽を目指している方々でした。

 

  その七三さん率いる現代邦楽の集団と言うのは、芸大出身者がほとんどで、元々は、家のご両親が邦楽をしていて、琴やら三味線を教えていた家が多く。芸大を卒業すると多くは、家を継いで、邦楽のお師匠さんになります。

 然し、ご存じのように、今、稽古事はあまり流行っていません。かつてのように看板さえ出せばたくさん生徒が集まると言う状況ではなくなっています。

 特に邦楽は厳しい現状です。邦楽に限らず、日本文化は呉服でも、履物でも、和傘職人でも、指物師でも、お座敷も芸者さんも、日本舞踊も、あらゆる伝統文化、伝統産業が危機に陥っています。

 かくいう私も、人ごとのようには言っていられません。手妻は私の子供のころには間違いなく絶滅するであろう世界だったのです。幸い、今は私の弟子だけでも30人以上います。そのうちのほとんどが実際に活動をしていて、手妻はうまいこと残っています。

 邦楽も、ただ昔の曲をそのまま演奏しているだけでは将来がじり貧になると考え、現代邦楽を模索する人が出て来ます。

 私は、学校公演の演奏を、七三さん率いる現代邦楽の皆さんにお願いしていました。無論、古典の演奏家でもよかったのですが、しかし、私の手妻の作品はほとんどが創作曲で、その曲は、五線譜によって書かれています。

 五線譜とは、西洋の譜面です。ドレミファソラシド、というあの音階です。ところが、あの音階を琴や三味線で弾くとなると極めて困難なのです。邦楽の音階とはかなり位置が違います。常日頃三味線で演奏している勘所とは違う場所を抑えなければなりません。これが難しいのです。

 例えていうなら、フランス語をイタリア語に置き換えて瞬時に翻訳して行くようなもので、似ていても相当に違います。これは邦楽を演奏すると言うこととはまた違った技術を要するのです。

 ところが、邦楽家が、お稽古の師匠の立場から離れて、邦楽の演奏を生かすとなると、求められるのは五線譜の音楽です。

テレビ局は、例えば大河ドラマのテーマ曲を作るときには、五線譜での作曲を求められます。そうでないと、合奏の中にバイオリンや、ギターなどが入ったときに、邦楽の楽器だけ音痴に聞こえてしまうのです。メロディーは。邦楽のように聞こえても、実際には邦楽が西洋音楽に寄り添って演奏していることになります。

 現代邦楽で生きると言うことは、いろいろな点で妥協を求められます。私の手妻の音楽は、そうした人たちに作曲を依頼したものですから、私の曲はすべて五線譜で書かれています。

 例えば私の曲を寄席のお囃子さんに譜面を渡して、演奏してくださいと頼んでも、演奏はできません。まったく従来の邦楽の考え方では演奏できない曲なのです。

 この辺はお話しするととても複雑な話になりますので、ここまでにしておきます。

 少なくとも、私が手妻をどうにかしなければいけないと言う思いと、現代邦楽を追求する皆さんとは思いが一致したわけです。そこからさまざまな作品が生まれて行きました。

 何にしても、自宅で理解者を集めてお稽古をしていただけでは聴く観客は増えません。外に出て、全く邦楽を知らない人に音を聞かせて、ファンを作る以外ないのです。

 それは手妻も同じです。古い文献を調べるだけではいつまでたっても理解者は増えません。見せて面白いと思っていただかなければ、手妻は残らないのです。私の仕事はそこにあるわけです。

 と言うわけで、前説が長くなりましたが、25日当日に演奏していただく皆さんと昨晩、演技を合わせて来ました。ここまでで紙面がいっぱいです。詳細はまた明日お話しします。

続く

 

 25日(月)18時30分スタート。座高円寺、「摩訶不思議」前売り4000円。お席はだいぶ少なくなりました。観覧ご希望の方はお早めにお申し込みください。

 

 17日(土)12時30分から、玉ひででの公演。若手出演者は、戸崎拓也さん、早稲田康平さん。前田将太。お席まだあります。