手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

日本のマジシャンは駄目か 2

日本のマジシャンは駄目か 2

 

 昨日は、60歳を超えたマジシャンが電話で愚痴を言ってくる話をしました。その話を聞きながら、私は日本のマジシャンのことを考えました。同業者はなかなかマジシャンを誉めませんから、彼らからよくしてもらおうとしたり、引っ張り上げてもらおうとするのは難しいことです。それは日本の世界が狭いからではありません。世界中どこでも同業者は同業者に厳しいのです。

 それでも日本は、まだましだと思います。マジシャンが生きて行く活動の場が広いのです。私がこういうと、多くの人は意外に思うかもしれません。でも事実です。日本のマジシャンは、日本人、もしくは日本国内で活動することで生活をしています。日本ではこれを当たり前と考えますが、そうして生きていけること自体世界の国々からずると特殊なのです。

 日本のマジシャンが日本を離れることなく、国内だけでマジックの活動ができると言うのは、日本が極めて豊かで、仕事場がたくさんあることのあかしなのです。なかなか日本にいると日本人であることの恩恵に気付きません。

 

 日本人が外国を例に出すときに、多くはアメリカを語ってしまいますが、アメリカこそ特殊な国なのです。

 例えば少し考え方を変えて、自分がロシアに生まれていたらどうでしょう。あるいはスゥエーデンに生まれていたら、ベルギー、ヨルダン、韓国、台湾、チュニジア、国名を挙げればきりがありませんが、これらの国は、まず国内のマジックの仕事が極端に少ないと思います。

 先ず、一国の中に大きな都市と言うのが一つか二つしかありません。その地域で生涯マジックを仕事として活動して行くことは至難です。

 なおかつ、韓国や台湾には、対立している国があります。韓国なら北朝鮮。台湾なら中国です。近年、香港は中国に自治を奪われてしまいました。豊かで自由で高所得だった香港も、中国の圧力にはひとたまりもありません。日本もイギリスもアメリカも香港を助けたいとは思いますが、中国が牙をむいたときには手が付けられません。今、香港のマジシャンはどうやって生きているのでしょう。

 小国で暮らすマジシャンは当然外国に出て活動しなければなりません。然し、スゥエーデンにしろ、韓国にしろ、海外に出ては自国語が使えません。小国のマジシャンにとっては自国語でマジックをして暮らして行けることは憧れなのです。

 ベルギーなどは所得も高く豊かな国ですが、サイズは四国くらいしかありません。そのうちの北はオランダ語を話す人種が住み、南はフランス語を話し、東はドイツ語を話す人種がいます、そしてそれぞれが仲が悪いのです。四国くらいのサイズで、全く違う3か国の言葉を話す国民が暮らし、そこでマジックの活動が成り立つかと言うなら、とても難しいのです。そのことはスイスも同じです。山一つ隔てると言葉が違います。

 もし自分が長野県に生まれて、日本アルプスを越えたところにイタリア語を話す人が住んでいたら、軽井沢にはドイツ語を話す人たちが住んでいたら、マジックの活動はやりにくいでしょう。山の向こうが岐阜弁だなんて、こんな幸せなことはないのです。

 当然のごとくそうした小国の人々は、3か国4か国の言語を話します。然し、人間はその話し方の中から、訛りや癖を感じ取ります。イタリア系住民はドイツ語訛りのイタリア語を話すマジシャンを警戒します。少なくともその土地で異言語を話すマジシャンがスターになることは難しいのです。

 

 ヨーロッパのマジシャンと話をしていると、「新太郎、九州の人は何語を話しますか」。などと質問されることがあります。私は、「日本はすべての地域で日本語を話します」。と言うととても驚きます。そしてそのことをとてもうらやましがられます。

 日本人の中で日本は小さい国だと考えている人がたくさんいますが、今、お話ししたように、四国はベルギーくらい。九州はオランダくらい、北海道はスイスくらい、本州はイギリスくらいあります。ヨーロッパのどの地域でも三か国が同一言語を話す地域はありません。

 日本はかなり広い国土に高所得の国民が、しかも密集して生活していますので、こうした国は芸能人が生きるためには好都合です。関東地方には3500万人が暮らしています。関西地区には2500万人が暮らしています。これほど狭い地域にここまで多くの人が暮らしている国はほかにありません。しかも、その国民は高所得なのです。冷静に世界中を見渡して、日本以上に芸能人が暮らしやすい国はそうはないと思います。

 

 まず我々は世界的に見ても相当に恵まれた国に暮らしていると認識すべきです。そうした中で、日本のマジシャンのレベルが高いのか低いのかと考えてみると、私は相当に高度で幅広い知識を持ったマジシャンが暮らしていると思います。

 と言うのも、日本には、120年以上前から、スライハンドが入ってきていますし、その歴史の中で石田天海師のような名人がいます。天海メモの中にはもうアメリカでもヨーロッパでもなくなってしまったようなハンドリングが残されています。これが日本にあることが貴重な財産です。

 戦後になって島田晴夫師が出て、傘と鳩のアクトで話題となりましたが、今となっては、カードや鳩をきっちり残しているマエストロと言うのは、ヨーロッパにもアメリカにも存在しなくなってしまいました。そうした中、数少ない名人が日本人であることは貴重です。その後にマーカテンドーさんのような、新しいタイプのマジシャンも出てきました。その時代その時代で世界に影響を与えるマジシャンが必ず存在したのです。

 日本のクロースアップの歴史は70年ほどでしょう。まだ歴史が浅い分、次の世代の人にはチャンスがあります。私は願わくば、クロースアップに関しては、ベーシックな何気ない演技をきっちり見せてくれるマジシャンが現れて欲しいと思います。まず基礎的なことがきれいにできて、その上で、パーソナリティが優れた人が現れたなら、その人こそ日本のクロースアップマジシャンの核となるのではないかと思います。

 こうしたタイプのマジシャンの生き方は決して難しいことではなく、むしろ日本人にとっては最も得意な生き方ではないかと思います。そうした人が出てきたときに、周囲がつぶすことのないように、温かく見守ってやらなければならないと思います。

続く

 

日本のマジシャンはだめか 1

日本のマジシャンはだめか 1

 

 コマーシャルパンフレット

 一昨日(4月3日)あきっとさんから、コマーシャルパンフレットが届きました。自分の演技を一冊の冊子にまとめて、オールカラーで紹介しています。手間と費用を考えるとなかなかの労作です。でも、自分の今までしてきたことを客観的に見て、それを多くのお客様に伝えることは大切なことです。

 コロナ禍にあって、何かをしなければいけないという気持ちがよく伝わってきます。こうした努力は、きっとこの先大きな成果を上げるでしょう。また彼と一緒に舞台をしたいと思いました。

 

 今の若いものは・・・

 私のところに一か月に一遍くらい電話をしてくるオールドマジシャンがいます。それも一人ではなく、複数でいます。もうマジックを30年も40年も続けてきたベテランの人たちです。そうした人が共通して語ることは、

 「テレビのマジック番組がつまらなくなった」。「今の日本のマジシャンは誰を見ても素人に見える」。「同じようなことばかり繰り返している」。

 と、こんな話を電話で延々話してきます。どんなマジシャンがいて、何を演じようと勝手ですし、それを見ているマジシャンがどう思って見るかもまた勝手です。ただ、それをなぜ私に電話をしてくるのかがわかりません。

 私はそうした電話に付き合うようにしています。昔から縁ある仲間ですし、私と話がしたいのでしょうから無碍(むげ)にもできません。彼らは30分でも40分でも話をします。彼らは私と話をしていることが快感なようです。話す相手がいないのでしょう。

 分かります。分かります。年を取ると話し相手が少なくなるのです。ましてや、「今の若いものは・・・」などという話は、若いものは絶対に聞きません。聞いてくれないから、私のような同年齢のものを探して話をするのでしょう。でも私に話をして何の意味があるのでしょうか。確実に言えることは、彼らは年を取ったということです。

 

 私が10代20代の頃も年を取ったマジシャンが、「今どきの若いマジシャンは・・・」と言いながらしきりに若手の駄目を話していました。いつの時代でも人は年を取ると、若いもののすることが何もかも駄目に見えるようです。そんな時私は、「あぁ、自分は年を取っても絶対、今の若いものは・・・と言うセリフを言わないようにしよう」。と心に誓いました。

 人の上に立って物を教えるような年齢に達した人が気を付けなければいけないことは、人を十把一絡げに見ないことです。つまり、今の若いものは、とか、日本のマジシャンは、などと大雑把な見方をしても何も解決しません。もし、人に何かを伝えたい。教えたいと考えるなら、個々にはっきりと伝えることです。とかくの話をしても何もなりません。

 

 私自身が、テレビを見たり、ひとの舞台を見たりして、マジックに接した時にも、決してすべてのマジシャンをいいとは思いません。むしろ良くないマジシャンのほうが多いと思います。

 それはある意味当然なことなのです。私はプロマジシャンなのです。私自身がプロマジシャンとして存在していると言うことは、ほかのマジシャンに対して違う考えを持っているから私が存在しているのです。

 当然、誰を見ても納得できないのです。ついつい「あれは違う、このやり方は間違っている」そう思って見てしまいます。だからと言って、すべて自分以外のマジシャンは駄目なのかと言うとそうではありません。

 否定からものを見ていては何も前に進みません。マジシャンがどんな演技をしようとも、マジシャンがどういう経路でこうした演技に至ったかを考えて、見なければならないのです。それが大人の見方なのです。

 そしてうまい演技であっても、うまくなくても、軽率にそのマジシャンを語ってはいけないのです。へたにはへたな理由があるのです。何かを言ってすぐに直るものではないのです。

 無論意見を求められたなら、少し語るのはいいでしょうが、それでも細心の注意で語るべきです。ほとんどの場合相手は無理解です。たった一つのことでも頑迷にわかろうとはしない人たちです。なぜそれがわかるかと言うなら、私がそうだったからです。求められてもいないものを親切心で語ることは親切にはなりません。あなたが預言者で、将来の見える人で、若い人に、「これをすると必ず失敗する」。と教えても、若い人は頑なに今の間違った道を変えないでしょう。若い人と同じ土俵に立って何かを言うことは間違いです。

 

 若いマジシャンがテレビに出ていたとして、それを「面白くない」、とか「あいつは素人だ」、と言っても意味はないのです。彼らは始めから面白くないし、素人なのです。そのことをいくら言っても無意味です。

 然し、よく考えなければいけません。もしそのマジシャンが本当に面白くなく、素人だとして、そうならなぜテレビ局は彼らを使うのでしょうか。なぜ老齢で演技のこなれたオールドマジシャンを使わないのでしょうか。

 本当は、我々より、彼らのほうがうまいし、いいセンスをしているのではありませんか。我々がテレビに出演しても彼らほどには視聴率が取れないのではありませんか。そうなら、彼らを否定するのではなく、彼らのどこに人の気持ちを掴む要素があるのかを学ばせてもらったほうが、我々にとってはメリットになるのではありませんか。

 

 オールドマジシャンが長々電話をしてくるのは、若手の否定ではなく、本心は、「なんで世間は自分を使おうとしないのか」。を訴えているように聞こえます。「自分を使え」。と言う心が本心なら、彼らは決して若いマジシャンを認めることはあり得ないでしょう。認めたなら自分がなくなってしまうと思っているからです。

 でもそうでしょうか。人を認めて自分が損をすることなどありえないでしょう。我を張って、高所からものを言ったり、何かにつけて相手を否定するようなことを言う年寄りは一番嫌われます。

 オールドマジシャンはどう生きたらいいのでしょうか。その答えは、昨日まで私が語っていた、深井志道軒が答えを出しています。いくつになっても悟ることが出来ず。男根の形をした擂粉木(すりこぎ)を持って、女との四十八手を舞台の上で実演して見せるような、どうしようもない芸をする80過ぎの年寄りのほうが貴重なのです。何かを悟ることが偉いのではなく、悟れない自分のありのままを見せることの方が偉いのです。

ばかばかしく生きることは素晴らしいことです。

続く

 

 

 

 

 

深井志道軒 2

深井志道軒 2 

 

 志道軒と言う人は、40代の半ばで頼りにしていた隆光大僧正が没落し、しかも、自身が妻帯していたことがばれて、寺を追われ、更には、何ら不自由のなかった暮らしから女房に逃げられ、金を持ち逃げされ、乞食にまで身を落としました。

 ところが、そこから這い上がり、講釈師として名を挙げて、多くの支持者を得て、最晩年に至るまで講釈を語り、86歳、明和2(1765)年3月7日に亡くなるまで人々から愛され続けました。

 強運と言えば強運ですが、人生を眺めてみると、一貫していることはこの人は才能の塊のような人です。晩年に至って僧をしていた時の修業が生きて、漢文から、孔孟の教え、故事来歴、徒然草などの古書に通じ、そこから独特の読み解きをして人気を博して行きます。

 若いころは自らの才能を自分の出世のために使っていたのでしょうが、転落してからは、人生のすべてを諦めて、欲を捨てて、世の中を底辺から眺めて生きるようになります。志道軒の顔は本の挿絵などに載っていて、いくつも描かれていますが、共通していることは、

 丸顔で、坊主頭、顔は皴くちゃで、口は歯が抜けているせいか口元に皴が寄り、全体は梅干しのような顔。目立つのは目がたれ目で、少し上目使い、口は締まりがなくへらへらした感じ。なんとも助平ったらしい表情で、それでいて愛嬌があるために憎めない顔をしています。

 なるほどこの顔は得です。人に警戒心を持たれません。恐らく若いころはものすごい知恵者で、見るからに才気ある顔をしていたのでしょう。ところが、乞食生活以降は、すべての才能が隠れてしまい、人間と言うよりも、動物の本能だけが残ったような顔になっています。

 

 その芸とはどんなものかと見てみますと、無論、講釈師ですから、戦記物を読んで聞かせるのですが、始めに世相を語ります。これが坊主の矛盾、女の矛盾、金持ち、侍の矛盾を突いて笑い飛ばします。時に政治批判になり、将軍までも批判をします。

 今と違って政治批判は重い罪になりますが、こと志道軒に関しては誰も咎め立てをしなかったようです。役人でさえ、「あいつは気違いだからしようがない」。と言って言わせるままだったようです。

 

 人前に現れるときには右手に一尺ほどの擂粉木(すりこぎ)のような棒を持っていて、そこには男根が彫り込んであって、磨き込んであり、黒光りしていたそうです。それを釈台の上で、とんとんと叩きつつ調子を取りながら太平記物や難波戦記物などの戦(いくさ)の物語を語って行きます。

 時には徒然草を読み解いたりもしますが、そんなときでもとんでもない解釈をして、話がエロネタになります。興が乗ってくると体を使って男女の交わりをして見せて、男根を生かして女の勘所を如何に攻めるかを語り、様々な体位を解説します。

 60過ぎた年寄りが何の恥じらいもなくスケベを語って、その行為をして見せる姿に人は喝采します。

 然しその語りは格調高く、「およそ男女の交わりは、天地既に分かれ、天神七代の御神を、イザナギイザナミノミコトと申し奉る。この御神、おのころ島に天下りまして、交合したまいて、あぁうれしや、あぁこころよしやと訳もないことをのたまいしより、淡路島を生み始め給い、(略)、わが日ノ本はもとより、唐土(もろこし))の大聖人、孔子も、父母のより生じる。三世了達(さんぜりょうだつ=悟りを開いた)の釈尊(お釈迦様)も浄飯大王の御子にて、摩耶夫人の胎内より生じる。仏も元は凡夫なり。」

 と、古事記から話を引っ張り出し、孔子やお釈迦様も、みんな男女の交わりから生まれていると語ります。時には仏教の教えを説き始め、「山高きがゆえに貴からず。樹あるをもって貴きとなす。人肥えたるがゆえに貴からず。智あるをもって貴きとなす」。と言う教えをパロって、

 「それ大聖の釈尊曰く、頭禿げたるがゆえに貴しからず、髭あるをもって毛虫とす。娘肥えたるがゆえに美しからず。えくぼあるをもって取り得とす。

この心は、頭が禿げても、智恵のないものは役には立たず、また、髭が多いだけなら毛虫と同じと言う心でござる。さてまた、娘子は、少し超えたるはよけれども、横へ尻の出っ張ったのは格好の悪いものじゃによって、あまりに肥えた娘は、ちと労咳(肺結核)でも病ませて、やせるようにしたがよし」。

 こんな漫談を江戸時代にしていたなら、人気の出るのも納得がゆきます。始めはくだらない世間話が続きますが、太平記などを語るうちに、エロ話に発展し、しまいには、孔子の教え、お釈迦様の教えを説き、聞き込んでゆくうちにお客様は志道軒が大変な知識人であることに気付いて行きます。

 しかも、人の道を説くにも、坊さんのように高所からものを言うのでなく、始めから人生を諦めていて、世の中の底辺に立ち、まるで猫の視線のような低い位置から人間社会を観察する姿が、人の警戒感を解き、長く愛されるゆえんだったのでしょう。このため、庶民から知識人まで幅広く愛され、太田南畝や、平賀源内などが熱狂的なファンになりました。高貴も下品も、俗も非凡も一緒くたで、何でもありの芸が、そのまま志道軒の魅力だったのです。

 

 

 ところで、この本の著者は斎田作楽(さいたさくら)さんと言い、本来が漢詩の研究家だそうです。本の内容は、小説ではなく、江戸期から明治までに書かれた、志道軒の資料を基に、順に詳しく解説しているもので、著者は演芸や、講釈に取り立てて造詣が深いわけでもないようです。

 したがって、文章はところどころ難解で、およそギャグもなく、大学教授の研究発表のような内容です。これが面白い楽しいと思う人はよほどに古文漢文に精通した人か、物好きな人ではないかと思います。

 然し、私にとっては貴重な資料で、ところどころ文章をお読みになればお分かりと思いますが、七五調の調子のよい語り口で、男根をトントンと叩きながら語ってゆく姿が目に浮かぶようで、江戸の芸能を知る得難い資料です。

 江戸名物となって、連日人が押し掛け、粗末な小屋で朝から夕方まで語り続けていた志道軒の姿が3Dのごとく浮かび上がってきます。

 今、令和に生きる芸能人が、出演場所が限られて、生活もままならない中、いかにして生きなければならないかは、江戸の志道軒を見たなら、答えが見出せるのではないかと思います。すべての欲を捨てて、自分の持っている才能をフル回転させて、真っ向からお客様にぶつかって行けば、どこで演じようとも、お客様に来て下さいと言わなくても勝手に詰め掛けて、押すな押すなの盛況になるのではないかと思います。

 頭白くなった手妻師が貴きとは言えず。芸があるをもって貴しとなす。

志道軒終わり。

深井志道軒 1

深井志道軒 1

 

 昨日は、コロナ禍の中で出演場所がないと嘆いていないで、出る場所がなくても何とか出られるところを探して、生きて行ったらいい。と言う話をしました。然し、冷静に眺めてみて、コロナがある、ないに関係なく、大きな流れでいうなら、この半世紀だけを見ても実演の芸能は、どんどん仕事場が減っているのが実情です。

 私の20代までは、浅草に国際劇場がありました。そこは3500人も入る大きな劇場で、そこではレビューや、歌謡ショウが開催されていました。私が中学生のころ、初代引田天功さんがここでリサイタルをして、水槽脱出をしたのを見ています。

 有楽町の駅前には日劇と言う円形の大きな劇場があり、そこでも日劇ダンシングチームがレビューを演じていました。私が18歳のころ、レビューの間のアクトでアメリカ帰りの島田晴夫師が傘手順を演じて、あまりの面白さに何回も見に行った記憶があります。

 この時のメインショウは、金井克子さんで、島田さん見たさに金井さんの歌も何度も聞き、しまいにはそらで歌えるほどになりました。先年大阪のパーティーで、金井さんと同席したので日劇で何度も拝見したと言う話をするととても喜んでくださいました。無論、島田さん見たさに行ったとは言えません。

 赤坂にはコルドンブルーと言うシアターレストランがあり、小さいけれど高級な店で、レビューとショウが毎晩行われていました。

 その他、寄席や演芸場、東京宝塚の5階には東宝名人会と言う演芸場があり、演芸場なのに赤いじゅうたんがロビーに敷かれていて高級感がありました。そこは落語や漫才、奇術が演じられていました。

 新宿にはコマ劇場があり、ここは歌手の芝居が毎月催されていました。3000人も入る大劇場なのですが、有名な歌手になるとここを昼夜二回、一か月間。自分の看板でお客様を集めたのです。つまり月に15万人以上の観客を動員して見せたわけです。

 この劇場を美空ひばりさんは毎年、3か月も公演していました。一体どれほどお客様を持っていたのか見当もつきません。そのころ歌舞伎町のメインストリートを歩いていると、毎日何台もの観光バスが連なって入ってきて、噴水の広場でお客様を降ろしています。バスの入り口を見ると、群馬県だの茨城県だのと書かれていて、バスから大勢のお客様が楽しそうに出てきてはコマ劇場に入って行きます。それが連日続きます。私のような大して歌謡曲に興味のない若者でも、この光景を見ると、いかに美空ひばりさんの人気がすごいかを思い知らされます。「あぁ、今の自分ではたった一日ですらにコマ劇場満杯にすることも出来ないなぁ」。とため息が出ました。

 それでもいつかここをいっぱいにして見せようと思うことは大切です。目標があれば努力もします。然し今は、そうした劇場はありません。武道館や、埼玉アリーナはありますが、かつての劇場のわくわくするような構えや雰囲気がありません。

 生の芸能を見る楽しさを何とか残したい。発展させて多くのお客様を集めたい。そう思っているさ中のコロナウイルスですから、全くダブルパンチです。でもどんな形であれ実演の灯を消さないようにして行かなければいけません。

 

 深井志道軒

 入院中に少しお話ししましたが、江戸時代中期に活躍した講釈師、深井志道軒の本が数年前に出ていて、それを病院で読みました。志道軒は、生涯浅草の三社様の近辺で、葦簀(よしず)の小屋を張り、道行く人に20文の銭をもらって講釈を聞かせていたのです。

 言ってみれば大道芸人です。しかも人気が出てきたのは50歳を過ぎてからのことです。江戸時代の50歳は、今の80歳に匹敵するでしょう。もういつ寿命を終えてもおかしくない年齢です。それが80過ぎまで講釈を語り続けて、講釈場を連日満杯にし、江戸の名物と呼ばれ、江戸見物に来るお客様が必ず見に来る場所となったのです。わずか20文(今日の金額で500円)ではありますが、100人詰めれば5万円、3回演じたなら15万円です。葦簀とは言っても屋根はあって、天気に関係なく語ることができたようです。しかも、夜には大名屋敷や、金持ちの座敷に呼ばれプライベートに講釈を聞かせていたのですから。語りの芸人としては江戸一番の稼ぎを上げていたでしょう。

 

 志道軒は江戸の有名人でしたから、いろいろな人が書物にして書き残しています。志道軒は延享8(1680)年京都郊外の貧農の家に生まれ、12歳で寺に入り、栄山という名前をもらいます。頭が良く、仕事もできたらしく、のちの大僧正隆光に可愛がられ、江戸に出て隆光の寺である護持院で、納所(なっしょ=会計)職を務めました。僧として順調な出世をしていたのです。

 大僧正の隆光は、5代将軍に引き立てられて、飛ぶ鳥落とす勢いだったそうで、神田橋外にあった護持院には方々の大名から付け届けが山のように来て、とても裕福な寺だったそうです。そこの会計担当ですから、役得も多く、この時期に秘かに財産をため込んだようです。ところが享保2(1717)年に護持院が火災でそっくり焼けてしまい、それから大僧正の運が下って行きます。

 そのころ栄山(志道軒)は実入りが多いことを幸いと、堺町の芸者を受け出して秘かに所帯を持ちます。無論、僧が所帯を持つことは違法です。いろいろあって結局ばれて寺を追い出されます。ところが志道軒は少しも困りません。長年ため込んだ財産があるため、余生は何もせずに暮らして行けると踏んでいたそうです。

 ところが、使用人と芸者の女房がその金を盗んで駆け落ちしたことで、転落の人生が始まります。

 普通の人なら人生を終えてしまう40代の末に、寺を追われ、財産を失い、果ては願人坊主(がんにんぼうず=強請たかりで生きている偽坊主)にまで落ちて、乞食にまでなってしまいます。この時、たまたま浅草の講釈場で霊全と言う講釈師に出会い、霊全から講釈を習うことになります。

 元々志道軒は学問のある男ですから、弁が立ち、知識もあり、その上、色事でしくじったくらいですから洒脱なところがあって、志道軒の語る講釈は無茶苦茶で面白く、たちまち人気が出てきます。その無茶苦茶な講釈がどんなものだったかは明日詳しくお話ししましょう。

続く

 

コロナと共にどう生きる 2

コロナと共にどう生きる 2

 

 具体的に、コロナ禍の中でマジシャンはどう生きていったらいいのか。と尋ねられたら、答えは一つなのです。人前に出てマジックを見せることです。出演できる場所があればラッキーですし、場所がなければ作る努力をすべきです。どんな場所でも構いませんから、情報を流して、マジックを見せていることを宣伝すべきです。

 youtubeなどで、映像を流したり、マジック指導をすることも結構ですが、演技を見せることで収入を得る立場としては、意味なく映像を流してしまうことは効果としてはマイナスです。映像は、生の芸能を見た時の喜びからすると、70%くらいの効果が下がります。マジックは実際目の前で行うから効果があるのであって。映像で見たならすべては他人事です。

 自分の演技をダイジェスト版にして、少しずつ映像にして見せるならいいのですが、すべてを出してしまうのは決して良い結果にはなりません。無断でコピーして演技を真似る人が出てきますし、道具を映像から寸法を割り出して、作ってしまう人が出ます。

 プロ(自称プロ)や、アマチュアさんの中で、平然と小道具や、手順を模倣して、平然と同じ演技をする人がたくさんいます。私の指導ビデオから、音楽だけをダビングして、私の手順を真似て、私の考えた小道具をコピーして演じるアマチュアさんがいます。

(なぜ私のビデオから音楽をダビングしたとわかったかと言うなら、私の演技にはところどころお客様からの拍手が入っているのです。その拍手の音が、アマチュアさんの演技と拍手のタイミングがずれるのです)。

 彼らは私の目の前で模倣を演じても、恥じることがありません。了解のないままコピーし、平然として使っています。

 つまり、映像を流しっぱなしにすれば、人は当然のようにコピーをします。物を盗む人に感謝の気持ちはありません。映像を無料で流すことは、盗人を育てることに他ならないのです。

 

 私も30年くらい前に演じたマジックをyoutubeに出されています。それはテレビに出演した際のものであるとか、レクチュアービデオで演じた時のものを抜き出して画像が流れています。それらはまったく無断、無許可で流されているのです。そうして流された映像が、例えば、私がこの先出演する仕事に結び付くかと言えば全く結びつきません。およそメリットなどないのです。

 今、仕事がないからと言って、自分の演技を録画して流したとして、そこから仕事が発生するかと言えば全くと言っていいほど発生しないでしょう。

 舞台の仕事が発生するのは、今演じた演技に感動したお客様が口コミで噂をして、次のショウに仲間を連れてきてくれたり、別のパーティーを紹介してくれた時に新たな仕事が発生するのです。大切なことは生の演技を見せることなので、そのインパクトが大きければ大きいほど、ショーケース(宣伝)につながり、次の仕事のチャンスになるのです。

 私は弟子などによく言うのですが、舞台に立った後、「いやぁ、今日はお客様が喜んでくださって、ものすごく受けた」。などと言って満足しているのは素人なのです。よく受けたかどうかは、自己評価にすぎません。マジシャンが、「みんなが喜んでくれた」。と思っていても、本当に喜んだのは客席の三分の一くらいの人たちで。残りの人たちはただ付き合って見ていただけかもしれないのです。

 本当に受けると言うのは、演技が終わったあとに、お客様が楽屋に寄ってきて、「来月の○○日は開いていますか。その日に私の会社のパーティーがあるんですが、そこに出演してくれますか」。といきなり仕事の話になるはずです。そんなお客様が一回のショウで二人も三人も集まってきて、それで初めてショウが受けたと言えるのです。それがプロの仕事なのです。

 お愛想程度に面白かったなどと誉め言葉を言ってくれたお客様がいたからと言って、そんなものでこの先マジシャンとして生きて行けるものではないのです。一本の仕事で次の仕事がつかめるから、プロは生きて行けるのです。

 

 話を戻して、どんな時でも舞台に立たなければいけません。舞台に立てないからと言ってほかのことをしていては、それは自分に嘘をついていることと同じなのです。私のように、子供のころから50年以上舞台に立ってきたものにとっては、舞台は人生そのものです。ここで舞台に立つことを諦めたなら、それは人生が終わったことになります。

 例え5人でも10人でも、そこにお客様がいるのなら、舞台に立ち続けなければなりません。昨晩、歌舞伎を見て来た人の話を聞いていたら、2000人以上入る歌舞伎座でお客様が50人とか、百人しかいなかったと言っていました。50人百人では松竹もさぞや苦しい経営をしていることでしょう。

 然し、それでもお客様が来てくれるなら感謝です。先週、ねづっちと話をしているときも、浅草東洋館のお客様の数を聞くと毎日20人30人だそうです。これで20本30本の漫才が出ていたなら、彼らはまったく収入にならならないでしょう。然し、それでも彼らは休まず興行を続けています。

 私も月に一回人形町玉ひでで公演をしています。昨年6月から始めて、間もなく一年になります。今ではさほどの宣伝をしなくても、毎月毎月お客様が来てくれるようになりました。有難いことと思っています。

 来月からは大樹が同じように月に一回玉ひでで公演をするそうです。いい話です。玉ひでで10人のマジシャンが日替わりで自主公演をすれば、月のうち10日は都内でマジックショウが見られることになります。

 何も玉ひでのこだわる必要はありません。それぞれ縁のある場所で公演を続ければ、あちこちでマジックショウが開催されます。見せる場所がない、お客様がいないと泣いてばかりいないで、先ず自らが舞台に立つ姿勢を見せなければ誰も助けてはくれないのです。

 一か所が成功したら、もう一か所、もう一か所と開催場所を増やしてゆくうちに、いつかマジシャンは、舞台に立つことで安泰に生きて行けるのです。それがプロの仕事なのです。

 泣いてばかりいないで、自分を理解してくれる人を一人でも探すことです。苦しいことはすべての人が苦しいのです。でもそこから抜け出せる人は、自分を信じて活動を続けている人だけです。

続く

 

 4月の玉ひでは17日です。ご興味ありましたら、東京イリュージョンまで。若手の新人も出演します。

コロナと共にどう生きる

コロナと共にどう生きる

 

 結局一年間、コロナに大騒ぎをして、大した解決も見ないまま、振り出しに戻った形になっています。コロナは依然として居座っています。唯一進展したことは、ワクチンが出来たこと。ワクチンのお陰で、みんなの顔つきは多少和らいできたように思います。

 そのワクチンも、接種に時間がかかり、私らのところに回ってくるには、あと半年、一年先になるでしょう。それでは年内のコロナの解決は望めません。但し、一年の内には、日本製のワクチンもできるかもしれません。無論日本製は有り難いことです。遠からず光は見えています。

 

 オリンピックはどうなるのでしょう。今のところ海外観光客を認めず、国内の観客だけで開催する方向のようです。聖火リレーも始まったようですから開催はするのでしょう。

 よかったと思います。特にアスリートにとっては、これで東京大会が開催中止になっては、8年間のブランクが開いてしまいます。8年と言う月日は、アスリートにとっては死活問題です、せっかく東京大会にために調整した自身のピークの時代が過ぎてしまいます。次回の参加は不可能になるかもしれません。何がなんでも東京大会が開催されることでみんなほっとしているでしょう。

 然し、観光客を当て込んだ、ホテル、観光業、飲食店などは海外からの観光客が望めなくて大打撃です。オリンピックを待たずして、倒産する企業が続出する可能性も多々あります。

 ホテルや観光業だけではありません。私が毎月乗っている新幹線なども、乗るたび一車両に座っている乗客が5人7人です。こんなことで新幹線が維持できるはずはありません。10分に一回新幹線が走っていながら、一車両5人、7人では、JRの経営も危険な状態ではないかと思います。それは、日本航空全日空も同じでしょう。大きな企業なら大丈夫と思うのは間違いです。大きな企業ほど経費が余計に掛かります。マジックのチームなら、経費をかけずにじっと動かなければしばらくはしのげますが、大企業は何もしなくても莫大な人件費が出てゆきますから、事態は深刻です。私が大企業を心配してどうなるものではありませんが、うまく生き残って行けるように祈っています。

 

 この先またぞろ自粛の話になりそうですが、感染者が何人になったら自粛を呼びかけるのか、その数が曖昧です。感染者が増えると、病床数が足らなくなって危険だから、感染者を制御する意味で自粛をするというのですが、1年以上経っても病床数が増えないのはなぜですか。

 多くのお医者さんは、コロナは風邪だと思っているからではありませんか。私の友人の医者もコロナは風邪だと言う人が何人もいます。一年前までは、コロナに感染しても「寝ていれば直る」。と言われて入院もさせてもらえなかったのです。実際、感染しただけならほとんどの場合風邪薬を飲んで寝ていれば直ったのです。今でもそれでよいはずです。重症患者のみ専門病院に入院すればよいのです。全員入院させるなどと決めたことが間違いでしょう。そうであるなら病床数を心配することがそもそも間違いではありませんか。

 ウイルスは危険ではあっても、その危険は、インフルエンザの時と同じ危険ではないのですか。コロナが蔓延したことで、日本の人口が目に見えて減ったわけではありません。むしろ、手洗いうがいが徹底されて、この一年の日本人の平均寿命は延びています。コロナは日本の人口を左右するようなウイルスではないのです。

 そうであるなら自粛要請を繰り返すことは意味がないと思います。このままでは日本全体が大不況に陥ってしまいます。感染者が5000人くらいになるまでは自粛はしなくても良いのではないですか。

 かつてインフルエンザが毎日5000人以上感染していた時でさえ、みんなパーティーをして、遅くまで飲食をしていたのですから、コロナも、インフルエンザの時と同様に自粛要請ではなく、ウイルスと共存して生きる道に切り替えてはどうでしょう。どこまで行ってもウイルスを消し去ることはできないのですから。

 そうなら人に抑圧された生活を強要していないで、どこかに喜びを見出せるようにして行かなければ、みんなの日々の生活が不幸になります。今は桜の真っ盛りで、人は出歩きたくてうずうずしています。そうならみんなで外に出て、気分転換に花見をしたら良いのです。外に出ることがそうそう感染者を増やすわけではありません。飲食店も、実際の感染者はわずかです。一日5000人の感染者が出たなら自粛をするとしても、しばし自粛を緩めてよいのではないかと思います。

続く