手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

独自の世界を作る 6

 高円寺の立ち飲み屋さん

  話は少し前になりますが、以前立ち食いそば屋さんだった店が大風で倒壊した話を書きました。その後どうなるのだろうと思ってみていると、新しい店が出来ました。立飲みの居酒屋です。何しろ奥行き1mしかない店ですから、できる商売にも限りがあります。立飲みならちょうどいいでしょう。

 実はこの情報は、お店の関係者だと思しき方から昨日、私のブログにお知らせいただきました。めでたいことです。実は私もたびたびお店の前を通っているので、店が立飲み屋さんになったことは知っていました。10日くらい前にオープンしたようです。ビールが500円、ハイボールが400円で、つまみがそれぞれ200円です。すなわち、つまみ一品、ハイボール二杯で1000円で気持ちよくなれるわけで、高円寺にふさわしい格安の店です。

 早速飲みに行きたいと思いますが、私は直腸の手術後ですので、2週間はアルコールが飲めません。今もじっと我慢しています。来月4日以降に解禁されますので、そうしたらお店に行ってみようと思います。陽気もよくなりましたので、半野外で飲む酒も結構楽しいと思います。今から楽しみです。

 

独自の世界を作る 6

 5、パーソナリティを備えている(後半)

 バブル以降のお客様の好みと言うのが少し変わってきた。ということは仕事の流れで実感していました。前にも書きましたが、平成になると、私に講演の依頼が頻繁に来るようになったのです。講演と言うのは、始めに、40分ほど手妻の歴史とか、水芸や蝶などの手妻の作品についてお話しします。時には、古い芸能をいかに残すか、とか、若い人にいかに手妻を継承して行くか、と言ったこれまで苦労してきた話を講演します。

 これは伝統産業を残そうとしている職業の方々には多少役に立つ話のようです。また後継者不足で悩んでいる産業をしている人にはヒントになるようです。いずれにしましても私がこれまでしてきたことを面白おかしく話をします。これは結構好評でした。そして後半は、30分ないし、40分手妻を演じる。と言うものです。

 およそ講演などと言うものは、役所や銀行が主宰して、経済学の先生が出てきて、経済の流れを語ったり、株式投資の話をしたり、財産の有効活用を話したり、そんな話が多いのですが、かなり難しい話が多く、参加者の中には退屈する人もかなりいらっしゃるようなのです。そこで毛色を変えて、芸能の話をする人たちを招きます。落語であったり、講釈であったり、永六輔さんのような文化人であったり、老舗旅館の女将さんであったり、多彩な講師陣が続々生まれてきました。手妻もその中に加わったわけです。聞いたこともない芸能がどのように活動し、後継者を作っているのか。興味でやってきて、そして蝶の飛ぶ姿を見て喜んで納得して帰ってくださいます。幸いに好評で次々に依頼が来るようになりました。

 銀行主催の株式投資や経済の動向を語る講演に来るような人たちは、相当生活水準の高い人たちで、こうした人たちは、単純に漫才、落語と言うような演芸番組にはなかなか来ないのです。当然手妻の公演も見に来ません。

 ところが、それがカルチュアーだとなると急に興味を示します。江戸の文化の中でマジックを語ると興味につながるのです。西洋のマジックと日本の手妻はどう違うのか、などを解説をすると、とても喜んで聞いてくれます。

 つまり彼らは、手妻ももちろんですが、その沿革にある江戸文化に興味があるのです。そこをきっちり語って聞かせたなら、十分仕事として成り立つわけです。昭和の時代なら、手妻は手妻だけを見せていればよかったのです。平成になると、文化を語りつつ手妻を演じなければならなくなったのです。

 こんな活動は、私の師匠連中、すなわち明治大正生まれの手妻師には絶対にできなかったでしょう。彼ら彼女らは、手妻がいつ生まれて、どう発展していったかなど全く知らなかったのです。ただ、師匠から習った芸をそのまま演じていただけだったのですから。講演はまったく新しい形の仕事場なのです。

 私はそうした仕事場を得るために古い文献を調べ始めました。調べて行くうちに、手妻がどういった発展をしてきたかを知ったのです。初めは単純に仕事に役立てようとして研究していたことですが、いつしかそれはライフワークになりました。幸い講演も新たな仕事場として順調に増えて行きました。

 収入としてはさほど大きなものではありませんでしたが、そこで知り合ったお客様から、その後、パーティーなどの仕事をいただくなどして、随分仕事の幅が広がりました。この活動から多くの人脈を得たのです。

 

 話を戻しましょう。昭和から平成に変わると、お客様はかなりシビアに芸能を選別してみるようになって行きました。何の理由もなくただマジックだからと言って演じていても、それは興味の対象にならなくなって行ったのです。

 どういうことかと言うなら、例えば、パーティーにマジシャンを頼んで、その人が燕尾服を着てカードや鳩を出したとします。昭和ならそれがマジックなのだと単純に了解して見ていたでしょう。然し、平成になると、「なぜマジックをするのに、燕尾服を着なければならないんだ」。と否定的な見方をするようになりました。存在そのものに疑問を持たれるようになったのです。

 それは燕尾服がいけない、カードがいけない、鳩がいけないと言っているのではないのです。例えばマジシャンが、「これは文化なのです。19世紀に発展したマジックは様式が美しく、洗練されています。私はそうした西洋文化の花咲いた時期を再現すべく演じています」。と言えば人は納得します。

 燕尾服を着て、文化を語れるなら、みんな納得なのです。それを理由もなく、マジックだからと言って燕尾服を着て、シルクハットを持って、ステッキを抱えて出てくるのが不自然と見られるのです。

 そのことはそっくり手妻も同じなのです。ただ着物を着て、おかしな見得を切って、闇雲に傘を出すマジックをされて、それが和妻だと言われても、アッパークラスの生活をしている人には、その演技のどこにも和の文化が感じられないことはバレています。「この人、何がしたくて、こんな格好でやってきたのだろう」。と怪訝な顔つきで眺められてしまうのです。

 残念なことですが、多くの芸能は、その内容のなさから芸能として認められなくなっているのです。これなら見てみたい、これならいい芸能だと認められている芸能は極めて狭く細い道をくぐって、選別された上でなければ生き残れなくなってきているのです。

 私は、マジシャンが、カードを出す、或いはカードを一枚引いてもらう。それをする以前に、自分がマジシャンとして世間から認知されているかどうかに早く気付くことが大切だと思います。今やっているマジックを本当にお客様が求めているのかどうか、出て来ただけで既にお客様に失望を与えているのではないか。

 よく自分をビデオで撮って眺めてみる必要があります。マジックをマジックの世界の中だけで見ずに、客観的に自身を眺めてみることが必要です。不自然を不自然なまま気付かずに、間違いを間違いとして気付かずに繰り返していて、本当に仕事が来るのかどうか。自身を見直す必要があります。

 

 昭和が終わり、平成になった途端、バブルが弾けて日本中が苦境に陥り、マジシャンも随分困窮しました。それが令和になるといきなりコロナで芸能を窮地に陥れています。過酷さと言う点では、平成のバブル崩壊以上の試練と言えます。令和を生き延びるにはこの苦境を解決しなければなりません。簡単ではありませんが、マジシャンの知恵でしのぐほかはありません。

独自の世界を作る 終わり

独自の世界を作る 5

独自の世界を作る 5

 

5、パーソナリティを備えている

 

 結局長く生き残って活動しているマジシャンは、そのパーソナリティ(人格)が認められて、お客様から愛されているから生き残っていると言えます。逆に言えば、マジシャン自身がどんなパーソナリティを備えているのかを把握していないままに、セリフを言ったり、マジックをしていると、お客様の求めているものと合致せず、間違った方向を語ってしまい、一向に、マジシャンのキャラクターが完成せず、仕事先を戸惑わせてしまったりします。

 「自分自身が、お客様からこう思われている。こんなキャラクターだ」。と理解したら、ショウの中でのセリフも、マジックのストーリーを作るときも、キャラクターに沿って作って行かないと、やっていることとキャラクターがバラバラになってしまいます。

 つまり、自分自身で、こういうキャラクター、こういうパーソナリティを表現したいと決まったら、そこから客観的に自分を見て、自分と少し違った人格が作られて、別人格が独り歩きして行きます。言ってみれば、自分が自分ではなく、別人格の役になり切ってショウをして行くわけです。

 

 俳優の渥美清さんは、長いこと「男はつらいよ」の映画の中で、車寅次郎を演じてきました。あまりに長く一役をやり続けると、お客様は、寅次郎イコール渥美清さんなんだと錯覚をしてしまいます。

 そこで、映画の中の寅さんが、誰にでも気さくに話しかける姿を想像して、普段、渥美清さんが歩いていると、見知らぬ人が気楽に声をかけて来たりします。然し、日常の渥美清さんは、そんなに気さくな人ではありませんし、むしろ地味な人なのです。

 渥美さんは人と接するときに常に別人格をかぶって、寅さんを演じ続けることになります。然し自分自身は、「渥美清は車寅次郎ではない」、と思いつつ、それが言えずに、非常にストレスをためることになります。結果、人前に出歩かなくなります。

 これはキャラクターが完成した俳優の不幸です。然し、同じような話は枚挙に暇がありません。私が子供のころに活躍した、柳家金語楼さんしかり、植木等さんしかりで、強烈な個性で売ると、生涯、人はその個性で俳優を見て、日常でもキャラクターを強要します。

 柳家金語楼さんは、あの独特の笑顔から、行く先々で常にギャグを強要されました。然し、金語楼さんは普段決して笑顔は見せませんでした、普段はとても怖い顔をしたおじいさんだったのです。無論、ギャグも言わなかったのです。当然、面白い人だと思っていたお客様は面食らってしまいますが、ご当人は決して笑顔は見せませんでした。そうでもしなければ、常にピエロを演じ続けなければならず、周囲のお客様の欲求がエスカレートするばかりで、当人にとってはとてもつらい日々だったのでしょう。

 植木等さんも、「日本一の無責任男」などと言うタイトルで売れたために、日常から無責任さや、ばかばかしさを求められ。その役を演じ切るのに疲れ果てたと言います。

 

 キャラクターの負の面は一度脇に置いておくとして、お客様にしっかりとパーソナリティが認識されれば、自分の表現したい世界がよく伝わり、活動してゆくにも有利だと言えます。

 とかくマジシャンの喋りは、現象の説明が多いのですが、むしろ現象説明はショウにとってはマイナスです。マジックに説明は不要なのです。マジシャンのセリフはそんなことに使うものではないのです。自身のキャラクターを語るため、こういう(キャラクターの)人はどんな話の展開をするのか。と言う、お客様の興味を満たすのが目的で、個性的な話の展開を進めるためにセリフがあるのです。

 一度お客様にパーソナリティが認められれば、お客様は独自の世界にはまり込み、マジシャンから離れられなくなります。

 芸能と言うものは、ありもしない世界を大真面目に作り上げて見せることです。何もないところにたちまち堅固な楼閣を作り上げて、人を圧倒させるのが芸能です。然し、実際には嘘八百、何もないわけですから、語り終えたなら難攻不落の城郭は跡かたもなく消え去ってしまいます。

 まったく無くなったかと言えば全くではありません。お客様の記憶の中に残ります。記憶は時とともに薄れて行きます。薄れて行く記憶から初めの感動を呼び戻すために、お客様は繰り返し繰り返しマジシャンのショウを見に来ます。こうして、お客様とマジシャンの熱い関係が生まれるわけです。

 

 マジシャンは、どうしても、一作一作のイフェクトにこだわってマジックを考えようとしますが、肝心のお客様はそれほどマジックにこだわって見てはいません。むしろ、演者のパーソナリティにひかれて見に来ています。不思議よりもその不思議を表現する、沿革の世界のひかれてみている場合が殆どなのです。

 なぜなら、マジシャンが作り出す幻想の世界は、それが虚構であることをお客様は知っているのです。カードを一枚お客様に引いてもらえば、そのカードが必ず当たることはお客様は承知なのです。空中をつまめばそこからシルクが出ることも、シルクの中から鳩が出ることも、何度も見ていて知っているのです。初めに体験した不可思議な世界は、何度も見ているうちに極く当たり前なものに見えてきます。不思議は不思議ではなくなっているのです。

 マジシャンが新しい作品だ、と言うものも、かつて見た作品のバリエーションであることを知っています。そうなら特段の不思議でもないのです。

 そうでありながら、お客様が再々マジックショウを見に来るのはなぜか、それは、マジシャンでしか表現しえない独自の世界に触れたいからです。そのショウショウに嵌(はま)ったからです。そして、その世界に存在するマジシャンのパーソナリティにひかれ、マジシャンの語りが心地よくなってしまったから見に来るのです。決して一つや二つの不思議が解明できないから見に来るのではありません。

 

 然し、かつてなら、パーソナリティが、面白いとか、人柄がいいとかそんなことで十分人を集めることができたのですが、平成以降はお客様の求めるものがかなりハードルが高くなり、求める基準が複雑になってきています。お客様がかなり芸能を細かく選別してみるようになったのです。えらい時代になったものだと思います。その辺のことはまた明日お話ししましょう。

続く

 

 

独自の世界を作る 4

独自の世界を作る 4

 

 3、方向性を見据えている(一昨日からの続き)

 自身が何をしたいのかを早くに狙いを定めて、一点を集中して攻めて行くことは自分の世界を作り上げる上で、成功の近道になります。あれもできるこれもできると、ネタ数ばかり増やしてゆくと、外から見たなら一体どんなマジシャンなのか焦点がぼけてしまいます。「このマジシャンはこんなマジックをする人なのか」。と、先ずお客様に認識してもらうことはプロとして生きて行く上でとても大切なことなのです。

 そのうえで狙いを定めたジャンルで一番にならなくてはいけません。これは、マジックの技術がほかのマジシャンよりも高いかどうかと言う話ではありません。

 私は鳩出しとカードの名人と言われているチャニングポロックのいろいろな映像を何度も見て気付いたのですが、ポロックさんはカードの技法は決してうまい人ではありません。どちらかと言えば不器用な部類の人です。「ヨーロッパの夜(映画のタイトル、この映画の中でポロックの鳩出しが披露され世界的にセンセーショナルになりました)」が、あまりに鮮やかにカメラに収まっているために名人かと思われますが、ノーマルなポロックさんの映像を見ると、決して器用こなしているわけではないのです。

 ではポロックさんは名人ではないかと言うとやはり名人なのです。ポロックさんの作り上げた独自の世界こそがお客様の求めていた世界だったのですから、その独自の世界を作り上げたことで人は熱狂したのです。

 自身のマジックの方向性を見据えたなら、そこから独自の世界が生まれるまで、細部に至るまで自身の考えを行き渡らせなければなりません。これが出来るようでなかなか出来ないのです。出来ないがゆえに多くのマジシャンの演技は演じたそばから消えて行き、お客様の心の中に残らないのです。

 

 4、人が見えている

 プロ活動をするときに、目の前にいる人が見えているかいないかは、きわめて重要なことです。これがプロ活動の成否を決定します。往々にして、アマチュアからプロ活動始めようとする人は。自分のしたいことをして、それで生きて行きたいと思います。

 然し、これはほとんどの場合成功しません。仮にFISMなどで入賞したとしても、その演技で生きて行けるかどうかは疑問です。ランスバートンは鳩を出す演技でFISMでチャンピオンになりました。彼の演じる鳩出しやカードの演技の評価はマジック関係者の間では激賞されました。

 然し、それほど優れた鳩のアクトでも、実際ラスベガスに出演したときに彼に与えられた立場は、レビューの幕間に演じるショートアクトでした。ある意味それは当然なことで、7分か、8分の鳩を出すアクトではフルショウ(60分)のメインショウを求められることはありません。

 現実に自分の置かれた立場を見て、ランスバートンは自分がどんなプロマジシャンになりたいのか、再度心の中で悩んだと思います。鳩のアクトでなぜFISMのチャンピオンになれたのかと言えば、そうしたマジックが好きな人たちの間で評価されたからです。それが世間一般の評価でないことは明らかなのです。

 そうなら現実の世界でどう生きていったらいいのか、今の立場に甘んじて、自分のしたいことを生涯続けて行くか。お客様の求める世界を模索して、もっと大きなマジックショウを作って行くか。人生の岐路に立たされたのです。

 結果ランスさんは、イリュージョンやトークマジックを加えて大きなショウを作ったのです。幸いこれが当たって、彼は長くラスベガスで活躍することになります。

 プロの活動と言うのは、自分がどうしたいかと言う根幹となる考え方を持つことが大切ですが、同時に、それを支持するお客様がいるかどうかと言う、お客様の心を常にリサーチしているアンテナを持っているかどうかが重要なのです。いつの場合でも、ショウを買ってくれるのはお客様なのです。それは、音楽でも演劇でも映画でも同じです。

 映画関係者に言わせると「あんないい映画はない」。と絶賛されるような映画が、実際上映されると客席が閑古鳥で、大コケにコケる場合が結構あるのです。映画などは大きな資金を集めて製作しますので、当たらないと監督は大借金を背負う結果になります。マジックなら、多少の不出来はあっても、演じながらマイナーチェンジを繰り返すうちに、いい演技になって行く場合がありますが、映画は出来てしまえば修正は効きません。一発勝負になります。

 学校の音楽教室に貼ってあるベートーベンの肖像画を見ると、偏屈そうで、決して自分の意思を曲げず、人の言うことを聞かない人のように思いますが、話は逆で、ベートーベンはとても人の評判を気にする人だったのです。彼は、依頼者が曲を気に入らないと言えば何度でも書き直しましたし、「この曲はちょっと重たい」。などと言われれば、当初の作品とは真逆の軽快な曲を作ったりしています。ある意味これは当然なことで、相手が気に入らなければ、作った作品は生かされないのです。

 だからと言って、人にこびた活動をしていては自分がなくなってしまいます。初めに自身が何がしたいのか、自身が方向を持ってマジック活動をすることは大切です。と同時にお客様が何を望んでいるのか、を常にアンテナを張って見ていないと大きな時流に乗ることはできないのです。

 続く

tokyoillusion.hatenablog.com

 

マジックの世界の中の価値観は、実際のプロ活動ではほとんど行かされることがありません。

 プロの活動と言うのは、お客様が漠然と思い描いている世界を具現させることなのです。お客様はまったくの素人ですから、夢があるとしても漠然としたものしかありません。

 

ジャパンカップ2021

ジャパンカップ2021

 

 「独自の世界を作る」は、話半分ですが、今日だけジャパンカップについてお話しします。

 3日前の3月23日、夜6時30分から、帝国ホテルの牡丹の間にて第20回、ジャパンカップが開催されました。まず、20回開催されたことが素晴らしいことと思います。マジックの世界で。なかなか20年一つことが続くのは珍しいことです。途中主催組織がJCMAからNMF(日本マジックファンデーション)に変わったとはいえ、責任者の田代茂氏はずっと変わらずにこの催しを続けています。先ず、このことを讃えなければいけません。

 その晩の参加者は40名くらいでしょうか。コロナ禍と言うこともあり、盛大な催しはできないものの、マジックショウ、表彰、ディナー、の形式はしっかり守られました。

 

 ショウは、1本目がPiaceさん。イリュージョンです。ヒンズーバスケットと、ジグザグボックスを演じました。アシスタントは田中千尋さん。

 2本目はバーディーさん。私らの年代でバーディーさんと言えば、バーディー小山さんのことになりますが、時代は変わったようです。神戸でマジックバーをなさっていて、超能力のような演技をされます。この晩は、はじめに、数字のあて物、そしてスプーン曲げをされました。

 不思議なのは、座っているお客様に画用紙を渡し、そこに二桁の数字を書いてくれと言います。書いている間バーディーさんはずっと後ろを向いたままです。画用紙は伏せられ、それをバーディーさんは、お客様の表情などから想像して数字を当てます。

 この数字当ても、そのあとのスプーン曲げも、お店で随分やりこなしているらしく、喋りも達者ですし、第一見ていて見飽きがしません。話には独特のリズム感があってエンターティナーとして仕上がっています。この晩、バーディーさんがを見られたことは収穫でした。

 

 表彰は、ルーキーオブザイヤーにPiaceさん。プレゼンターは、k-sukeさんでした。

 NMFフェローシップ賞は、赤星賢志さん。プレゼンターは倉持健一さん。

 著述放送文化賞には、大阪奇術愛好会が選ばれました。長年、The Svenngali と言う冊子を出してきたことへの評価だそうです。

 功労賞にはケン正木さん。プレゼンターはなぞがけのねづっちさん。

 思えばケンさんは随分昔からマジック界で活躍していましたが、あまり表立って賞をもらう機会は少なかったように思います。今は日本奇術協会の会長です。功労賞は当然の受賞でしょう。この晩ケンさんはとても嬉しそうでした。

いいことです。ねづっちさんも、そのあとアルコールをしこたま飲んでいました。

「こんなことで、帝国ホテルの飯が食えて、酒が飲めるなら毎年呼んでください」。と、スケジュールに来年の予約を入れていました。

 ベストクロースアップマジシャンは、 ヤマギシルイ(山岸塁)さん。長く金沢でマジックバーをされていて、昨年独立して、自分の店を持った途端のコロナ騒動です。経営も難しいと思いますが、よくジャパンカップはこうした地方のマジシャンにまで目を向けて、賞を出したと思います。これでヤマギシさんは随分励みになったことと思います。価値ある受賞でした。

 マジシャンオブザイヤー賞はメイガスさん。プレゼンターは私。

 初めに、私はコロナ禍のマジシャンの話を語ることに時間を割き過ぎて、恥ずかしながら、メイガスさんのことを語る時間がわずかでした。申し訳なく思っています。然し、メイガスさんはこの数年、紅白歌合戦に出たり、デアゴスティーニからマジックの指導グッズを出すなど、輝かしい活動をしています。

 特に、イリュージョンと言うジャンルは、この数年、きわめて活動が難しくなってきています。そうした中、孤軍奮闘している姿は立派ですし、また、メイガスさんはこの数年とてもいい顔になってきています。

 どうしたものかマジック界はインチキ臭い顔をしたマジシャンが多い中、メイガスさんは、人の頭(かしら)となって活動してゆけるような安定した顔をしています。普通の社会ならば、そうした顔をした人がトップになって活躍してゆくはずなのです。歌手でも、俳優でも、お笑いタレントでも、相撲取りでも、野球選手でも、トップはみんな安定したいい顔をしています。

 それに比べて、どうもマジシャンの多くは不安定な顔をした人が多いように思います。それがようやく安定した顔のマジシャンが現れたことは素晴らしいと思います。メイガスさんの頭が白髪になって、初代のハリーブラックストーンのような顔になって、人体浮揚などをしたら素晴らしいと思います。この受賞は当然の帰結だと思います。

 

 それから、仲間と雑談をして、9時にパーティーはお開き。参加者には、NHKのアナウンサーの古谷敏郎さんや、同じくNHKのプロデューサーの城光一さんなどが見えていて、とてもアカデミックな雰囲気が作られていました。こんな場所にほんの数時間でも浸っていられると、心が洗われる思いがします。

 私などは、前々日まで慈恵医大に入院していたわけですから。用事もなく、三食お粥を食べていた身としては、この晴れがましい場所に出られただけでも嬉しくて仕方ありません。

 田代さんは私が、退院明けで食事もできないのではないかと心配されて、一里飴を記念品に入れてくれました。お気遣いはうれしく感じましたが、食事はできます。但し辛いものとアルコールが食べられません。帝国ホテルの名物、麻婆豆腐はやはり辛みが強く食べられませんでした。

 帰りはねづっちを私の車に乗せて一緒に帰りました。(ともに高円寺に住んでいますから)。帰り道、一杯呑みたいところですが、それもできません。何のこともなく世間話をしただけですが、それが幸せなひと時でした。

ジャパンカップ2021終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

独自の世界を作る 3

独自の世界を作る 3

 

3、方向性を見据えている(昨日の続き)

 私は20代のころ、マリックさんと接していて、およそ芸能で名前が出ることのない人なのだろう。と思っていたのですが、あれよあれよと言う間に、どんどん世間の話題を集めて知名度を得て。やがていくつも特別番組を手掛けるようになりました。それが平成になってすぐのころです。平成はまったく新しいタイプのマジシャンが登場するようになりました。

 今、マリックさんの功績を考えたなら、超魔術を広めた人と言うのももちろんですが、マジック的に見たならクロースアップマジックを社会に認知させたと言うことでしょう。それまでほとんどの人はクロースアップマジックに理解がなかったのです。

 当然、クロースアップで生活できる人は少なく、わずかに、バーマジシャンと言う人たちが、アルコールを楽しむお客様を相手にカードマジックなどを見せていたのです。然しこれはお店のサービスであって、マジックで収入を得ていたわけではありません。

 

 私は昭和61年に、知人の水商売をしているオーナーに頼まれて、渋谷の東急本店の目の前にマジックキャッスルというバーを作り、その店のシステムからレイアウト、それにショウを入れる仕事を引き受けることになりました。

 ステージマジシャンを二名。クロースアップマジシャンを二名。毎日入れて、ステージショウと、クロースアップマジックが毎晩見られる場所を作ったのです。ステージマジシャンはたくさんいたのですが、クロースアップマジシャンを誰にしようか考えた末に、ヒロサカイさんと前田知洋さんを入れました。二人はまだ学生でした。プロになろうと考えていましたが、どうすればプロになれるのか、暗中模索でした。

 そんな時にマリックさんが出て来たのです。これまでもいろいろなクロースアップマジシャンが出てきて、テレビでも演じられていたのですが、一般の人にはなかなかクロースアップの見方がわからなかったのでしょう。

 それまでの一般が認識していたクロースアップには、クロースアップの負の要素ばかりがイメージされていたように思います。つまり、派手さに欠ける。現象が小さい。結論が出るまで持って回って長い。など、

 先ず、マリックさんは、それを、クロースアップと言わずに、超魔術と言ったのです。奇妙なネーミングです。超能力とマジックの合体でしょうか。それが超能力であるなら、マジックと合体する必要はないはずですし、マジックなら超能力であるはずはないのです。どうも嘘臭い存在です。

 然し、多くの視聴者は超魔術の曖昧さを素直に受け入れたのです。結果、超魔術のネーミングは当たったのです。視聴者は、超魔術をまるで超能力と捉えて話題にしたのです。同じ時代に、「ファジー(曖昧)」と言う言葉がはやりましたが、超魔術はまさにファジーそのものでした。

 マリックさんは、多くの人が見慣れていないクロースアップマジックの中から、カードのような、見るからにクロースアップ然としたものを除き、100円玉にたばこを通すであるとか、預言であるとか、瞬間移動であるとか、超能力のような演出でテレビで見せて行きました。視聴者はこれらを超能力と信じて、大騒ぎをしたのです。当のマリックさんは超魔術と言いつつ、大真面目に売り物のマジックを演じているのです。その姿を見てマジック関係者は唖然とするばかりでした。

 「なんで、あのタネが話題になるの。あれでよかったの」。

 そうと分かれば、同じようなマジックを買い集めて、サングラスをかけて、腕まくりをした俄超魔術師があちこちに生まれました。そして、たちまち超魔術の番組がたくさんできました。

 それまでクロースアップを演じていて、なかなか目の出なかったマジシャンが、いきなりいいギャラで既製品のクロースアップマジックを大真面目に真剣に演じるようになりました。この状況を、嘆かわしいなどと言ってはいけないのです。ここに売れるための鍵が隠されています。

 これまでマジシャンが、軽いジョークなどを言いながら、半ば照れたように既成の作品や、既製品のマジックをさらりと演じて見せていたことが間違いだったのです。どんなマジックでも真剣になって、「来てます。来てます」。などと言って大真面目に演じて見せる姿勢が大切だったのです。超魔術はマジックだというよりも何よりも、マジックは本来超能力だったはずです。それがエンターティナーの世界でこなれて行くうちに、緊張感なく流して見せる癖を覚えてしまっていたのです。

 マリックさんはマジックをどう見せるかと言うことの原点を示したのです。これは自身がクロースアップを仕事とするうちに、どうしたらこの小さな素材をより効果的にインパクトをもって伝えられるか、悩んだ末の結論だったのでしょう。

 すなわち、クロースアップをプロとして演じる見せ方、或いはテレビの中で効果を訴える方法を形作ったのはマリックさんなのです。つまりこれが「方向性を作り上げる」ことなのです。ただ闇雲に見せるのでなく、一作一作を重くしっかり見せることの大切さを実践して見せたのです。

 多くの視聴者は、こうした番組を数々見ているうちに、やがて、超魔術が、マジックだということに気付いて行きました。つまり、超能力ではないと認識するようになったのです。然し、だからと言って、超魔術に失望して行ったわけではありません。クロースアップマジックの面白さがわかってきたのです。

 そうなると、むしろ、サングラスや腕まくりをしないで、普通にすっきりと演じるクロースアップマジックを見たいという欲求が湧いてきます。

 こうして徐々にクロースアップの番組が生まれる土壌が出来て行きました、そこへ現れたのが前田知洋さんでした。前田さんは学生の時に渋谷のマジックキャッスルで手伝っていた時から既に10数年が経っていました。世間は彼を若手と言いましたが、下積は長かったのです。

 

 話があちこちにそれました。ここで言いたいことは、マリックさんはクロースアップの見せ方を作り上げたということです。超魔術と言うネーミングは、クロースアップをどう見せるかと言うことのマリック流の答えなのです。マリックさんがクロースアップの不思議をテレビで訴えた効果は大きかったと思います。

 私は、マジシャンがする、魔法の粉をかけるジェスチュアーをマリックさんほど真剣に演じた人を見たことがありません。恐らくマリックさんは生きるがために真剣にやらざるを得なかったのでしょう。「来てます。来てます」は真剣そのものだったのです。

 もし自分が本当の魔法使いで、種仕掛けを使わずに魔法をするとしたなら、魔法の動作は笑いながらはやりません。全精神を集中してやって見せるでしょう。そんな基本的なことすらマジシャンはおろそかにしていたのです。それは自らが演じているマジックが嘘であることを知っているからです。本気がなかったのです。

続く

独自の世界を作る 2

独自の世界を作る 2

 

 昨日、「独自の世界を作る」ための5つのことをお話ししました。

1、独創性を持つ

2、優れた技術を持っている

3、方向をしっかり見据えている

4、人が見えている

5、パーソナリティを備えている

 

 1、と2、は、この道で生きて行こうとする人なら、誰に言われなくても自分で工夫して作り上げるでしょう。いくつかのマジックをアレンジして、手順を作り、それを演じるために必要なスキルを学び、そしてプロ活動を開始します。ところがそれでうまく波に乗り、人が注目してくれるかというと、なかなかそうは行きません。

 自分としては相当に練った演技を作り上げたつもりでいても、実際社会でマジシャンとして活動してみると、人の興味の対象にはならず、仕事につながらない場合が多いのです。自分のしてきたことはマジックの世界の中で好きなマジックの工夫をしていただけのことなのです。

 自分の作ったマジックが世間の人の求めるものと合致するのか、そこを考えていない場合が多いのです。ここでマジシャンは、自分のしてきたことがいかに小さなことで、いかに自分のマジックが無力なものであるかに気付きます。

 問題の解決はマジシャンが3,4,5、を認識しているかどうかなのです。順にお話ししましょう。

 

3、方向性を見据えている 

 多くのマジシャンは、自身の活動がうまくゆかないと、解決をマジックに求めようとして、闇雲にいろいろなマジックに手を出すようになります。それはちょうど、はやらない定食屋さんのメニューがだんだん増えて行くようなものです。

 お客さんの来ない理由を、「お客さんのニーズにこたえていないのではないか」、と悩み、お客さんの求めるものを片っ端から形にして行こうとします。結果、メニューの数が増え、仕事は雑になり、しまいには冷凍ものを温めるだけの料理まで出すようになります。

 「お客さんのニーズに応えよう」、とする姿勢までは正解だったのです。しかしここでしなければいけないのとは、得意の作品を育て上げて、そこに特化してゆくことなのです。ところが、自分自身に自信が持てなくなると、周りをきょろきょろ眺めだして、目先の人のニーズに応えようとするあまり、どんどん不得意なメニューを増やして墓穴を掘って行きます。

 ここで大切なのは方向性をしっかり見据えることです。何がしたくてマジシャンになったのか。自分の得意とするものが何なのか。そこをもう一度考えることです。

 

 昭和57,8年ころのことです。私は、イリュージョンチームを作って、イリュージョンの活動を始めていました。日々、道具製作とアイデア作りに明け暮れていました。

 当時、私はマリックさんと会う機会があり、たびたび一緒に喫茶店で世間話をすることがありました。ある日、マリックさんはクロースアップをレストランでテーブルホップをして回る仕事を始めました。当時は、クロースアップが収入になるとは誰も考えてはいない時代でした。まったくアマチュアのお遊び道具だったのです。そのことはアメリカでも似たり寄ったりで、バーノンでも、スライディーニでも、収入は恵まれてはいませんでした。

 然し、毎週末マリックさんは大阪に出かけ、大阪のホテルの最上階のレストランでクロースアップを見せるようになります。

 マリックさんと言う人は、およそマジックと言うマジックは何でも好きで、スライハンドも、イリュージョンも、ものすごい熱意で取り組んで、ほかのマジシャンとは一味も二味も違う演技を見せ、若いアマチュアの間ではカリスマでした。鳩出し、ダンシングケーン、フラフープリング、何をやっても上手いのです。

 然し、それで恵まれたステージ活動をしているか、と言うとそのようにも見えません。当時マリックさんは、マジックショップをされて、若手に指導をして、コンベンションをして、と、アマチュアとのつながりを持ち、あまりプロ活動はしていないようでした。

 そして、この日、クロースアップを始めたと聞いたときに、私は、正直言って、「またまた定食屋のメニューを増やしたな」。と思いました。そして「結局この人は器用貧乏なのだなぁ」。と思いました。これだけ何でもできて、人を超えた才能を持っていながら、マリックさんと言う人は、狭い世界の中のカリスマで一生を終える人なのだと考えていました。

 さて、それから3年経ったころ。またまたマリックさんと喫茶店で話をしていると、「今している仕事がどうやら大きなチャンスにつながるかもしれない」。と言い出しました。以前言っていた大阪でのクロースアップが少し話題になりだしたようです。

 然し、私はこのことに少しも注目してはいませんでした。「クロースアップはどう演じてもクロースアップでしょう。数人を前にして見せるカードやコインでは、仕事とするには小さ収入にしかならない」。と考えていたからです。

 その時、私は、イリュージョンが軌道に乗って、相当に忙しくなっていました。道具もモノトーンで統一して、宇宙をイメージしたショウを作っていました。以前私が「宇宙服を着て鳩出しをしていたでしょう」。と言われたのはこの時代のことです。

 さらに、このころ、私は水芸を買い取ることにしました。私の持っていた手妻をもっともっと仕事につながるように改良しなければならなかったのです。そこで、手妻のメインとするために水芸の装置を買い取ったのですが、これが使い物になりません。

 装置は横から見たならタンクもホースも丸見えですし、床にはホースが走っていますし、セットアップにやたら時間がかかります。普通にホテルなどに呼ばれて行って、すぐに水を出せる状態のものではなかったのです。これを360度、どこから見ても種仕掛けの見えない装置に作り替えなければなりません。それから悪戦苦闘の日々が続きました。昼から夜にかけては、イリュージョンショウの仕事で走り回って、夜中には水芸の装置の改良をしていました。まったく昼も夜もなかったのです。

 そんなある日、仕事から帰って、テレビをつけると、マリックさんが出ていました。内容はクロースアップです。ところが、周囲のタレントが大声をあげて騒いでいます。100円玉にたばこを通しています。周囲の人はこれを超能力だと言いました。超能力とは何のこと。これがミスターマリックの超魔術の始まりでした。

続く