手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

独自の世界を作る 2

独自の世界を作る 2

 

 昨日、「独自の世界を作る」ための5つのことをお話ししました。

1、独創性を持つ

2、優れた技術を持っている

3、方向をしっかり見据えている

4、人が見えている

5、パーソナリティを備えている

 

 1、と2、は、この道で生きて行こうとする人なら、誰に言われなくても自分で工夫して作り上げるでしょう。いくつかのマジックをアレンジして、手順を作り、それを演じるために必要なスキルを学び、そしてプロ活動を開始します。ところがそれでうまく波に乗り、人が注目してくれるかというと、なかなかそうは行きません。

 自分としては相当に練った演技を作り上げたつもりでいても、実際社会でマジシャンとして活動してみると、人の興味の対象にはならず、仕事につながらない場合が多いのです。自分のしてきたことはマジックの世界の中で好きなマジックの工夫をしていただけのことなのです。

 自分の作ったマジックが世間の人の求めるものと合致するのか、そこを考えていない場合が多いのです。ここでマジシャンは、自分のしてきたことがいかに小さなことで、いかに自分のマジックが無力なものであるかに気付きます。

 問題の解決はマジシャンが3,4,5、を認識しているかどうかなのです。順にお話ししましょう。

 

3、方向性を見据えている 

 多くのマジシャンは、自身の活動がうまくゆかないと、解決をマジックに求めようとして、闇雲にいろいろなマジックに手を出すようになります。それはちょうど、はやらない定食屋さんのメニューがだんだん増えて行くようなものです。

 お客さんの来ない理由を、「お客さんのニーズにこたえていないのではないか」、と悩み、お客さんの求めるものを片っ端から形にして行こうとします。結果、メニューの数が増え、仕事は雑になり、しまいには冷凍ものを温めるだけの料理まで出すようになります。

 「お客さんのニーズに応えよう」、とする姿勢までは正解だったのです。しかしここでしなければいけないのとは、得意の作品を育て上げて、そこに特化してゆくことなのです。ところが、自分自身に自信が持てなくなると、周りをきょろきょろ眺めだして、目先の人のニーズに応えようとするあまり、どんどん不得意なメニューを増やして墓穴を掘って行きます。

 ここで大切なのは方向性をしっかり見据えることです。何がしたくてマジシャンになったのか。自分の得意とするものが何なのか。そこをもう一度考えることです。

 

 昭和57,8年ころのことです。私は、イリュージョンチームを作って、イリュージョンの活動を始めていました。日々、道具製作とアイデア作りに明け暮れていました。

 当時、私はマリックさんと会う機会があり、たびたび一緒に喫茶店で世間話をすることがありました。ある日、マリックさんはクロースアップをレストランでテーブルホップをして回る仕事を始めました。当時は、クロースアップが収入になるとは誰も考えてはいない時代でした。まったくアマチュアのお遊び道具だったのです。そのことはアメリカでも似たり寄ったりで、バーノンでも、スライディーニでも、収入は恵まれてはいませんでした。

 然し、毎週末マリックさんは大阪に出かけ、大阪のホテルの最上階のレストランでクロースアップを見せるようになります。

 マリックさんと言う人は、およそマジックと言うマジックは何でも好きで、スライハンドも、イリュージョンも、ものすごい熱意で取り組んで、ほかのマジシャンとは一味も二味も違う演技を見せ、若いアマチュアの間ではカリスマでした。鳩出し、ダンシングケーン、フラフープリング、何をやっても上手いのです。

 然し、それで恵まれたステージ活動をしているか、と言うとそのようにも見えません。当時マリックさんは、マジックショップをされて、若手に指導をして、コンベンションをして、と、アマチュアとのつながりを持ち、あまりプロ活動はしていないようでした。

 そして、この日、クロースアップを始めたと聞いたときに、私は、正直言って、「またまた定食屋のメニューを増やしたな」。と思いました。そして「結局この人は器用貧乏なのだなぁ」。と思いました。これだけ何でもできて、人を超えた才能を持っていながら、マリックさんと言う人は、狭い世界の中のカリスマで一生を終える人なのだと考えていました。

 さて、それから3年経ったころ。またまたマリックさんと喫茶店で話をしていると、「今している仕事がどうやら大きなチャンスにつながるかもしれない」。と言い出しました。以前言っていた大阪でのクロースアップが少し話題になりだしたようです。

 然し、私はこのことに少しも注目してはいませんでした。「クロースアップはどう演じてもクロースアップでしょう。数人を前にして見せるカードやコインでは、仕事とするには小さ収入にしかならない」。と考えていたからです。

 その時、私は、イリュージョンが軌道に乗って、相当に忙しくなっていました。道具もモノトーンで統一して、宇宙をイメージしたショウを作っていました。以前私が「宇宙服を着て鳩出しをしていたでしょう」。と言われたのはこの時代のことです。

 さらに、このころ、私は水芸を買い取ることにしました。私の持っていた手妻をもっともっと仕事につながるように改良しなければならなかったのです。そこで、手妻のメインとするために水芸の装置を買い取ったのですが、これが使い物になりません。

 装置は横から見たならタンクもホースも丸見えですし、床にはホースが走っていますし、セットアップにやたら時間がかかります。普通にホテルなどに呼ばれて行って、すぐに水を出せる状態のものではなかったのです。これを360度、どこから見ても種仕掛けの見えない装置に作り替えなければなりません。それから悪戦苦闘の日々が続きました。昼から夜にかけては、イリュージョンショウの仕事で走り回って、夜中には水芸の装置の改良をしていました。まったく昼も夜もなかったのです。

 そんなある日、仕事から帰って、テレビをつけると、マリックさんが出ていました。内容はクロースアップです。ところが、周囲のタレントが大声をあげて騒いでいます。100円玉にたばこを通しています。周囲の人はこれを超能力だと言いました。超能力とは何のこと。これがミスターマリックの超魔術の始まりでした。

続く