手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

年の瀬にコロナ騒ぎ

NHKテレビ

 一昨日(15日)NHKゴールデンアワーで、マジック番組がありました。ある人から、ぜひ見てほしいと言われていたことを思い出してチャンネルを変えました。内容は、どうもあまり印象のいいものではありませんでした。

 マジシャンが一つ演技を終えて、その後マリックさんが演技に横やりを入れて、演技の矛盾を突き、やり直しをさせる。どうでしょう?。若いマジシャンは、NHKのせっかくいい時間帯に出してもらい、持ち時間もしっかり貰っていながら、内容が、狭い種の話にこだわっています。肝心のマジシャンの魅力が引き出されていません。ショウを楽しみたいと言うお客様に、ショウの内部事情を見せてしまっています。これが楽しいでしょうか。第一、マリックさんともあろうお方がどうしてこうした企画に出て来るのでしょうか。テレビ局にしっかり意見を言っては如何ですか。

 恐らく制作側としては、ただ普通にマジックを見せていただけでは視聴率が取れない。と考えているのでしょうが、そうであるなら攻めている個所が違うように思います。ここから優れたマジシャンが生まれるとは考えられません。これを見た少年少女がマジシャンになりたいと思うかどうか。「マジック界は一層混迷を深めているなぁ」、と思い、チャンネルを変えました。

 

GOTOキャンペーン中止

 GOTOキャンペーンは何とも煮え切らない結果に終わりました。中止をするなら一か月前に中止していれば、今頃は再度復活をして、年末年始の掻き入れ時に、飲食店や、ホテルは一息ついたはずです。ここへきてのGOTO中止は多くの飲食店やホテルが、年末の予約を取って、人の手配を済ませ、食料を発注した後の中止になりますから、どの企業も総崩れになります。農家や魚河岸に至るまで、経済的な打撃は大きいでしょう。これでは企業倒産を作るために中止していることと同じになります。

 

 菅首相が、「ガースーです」とあいさつをしたことからして世間の批判にさらされていますが、どうして、菅首相が自らを「ガースー」と言ってはいけないのでしょうか。所詮冗談なのですから、「ははは」と笑えばそれでおしまいの話です。「ふざけている」。と言うのは野暮です。菅首相はふざけて言っているのです。「こんな時になんだ」。と言うのは笑いを理解していません。こんな時に言うからおかしいのです。「こんな時、こそ「ガースー」の出番なのです。

 むしろ問題はGOTOキャンペーンを中止したことです。ガースーさんもここまで粘ったのなら、来年1月末まで粘るべきでした。菅首相が、経済とコロナの狭間に立って、経済を守ろうとしている姿勢は国民にもよく理解しているのですから、政治生命をかけてでもGOTOは守るべきだったと思います。

 そもそも旅行や外出が感染源だと言う根拠はないのです。乗り物が感染を大きくすると言うなら、日々の通勤はとんでもなく感染を広げているはずです。しかし実際は、2分に一度やってくる満員電車に乗っていても、東京の感染者は一日500人程度です。

 これを多いと言う人がいますが、微々たる数です。もし本当に感染力の強いウイルスならこの1000倍になるはずです。通勤電車ですら、こんなレベルであるのに、郊外に出かけて温泉や観光をすることにどれほど悪影響があるのでしょうか。

 医者は、通勤することと、温泉に出かけることのどちらが感染を増やすと考えているのか説明しなければいけません。最も根本的なことが医者の口から語られていません。そんな状況で、GOTOキャンペーンだけを目の敵にするのは不公平です。 

 

 GOTOキャンペーンの是非を語る以前に、日本の感染者はこのまま増え続けるのでしょうか。私はどうもそうではないように思います。今のところ微増してはいますが、アメリカや、フランスのように爆発的な増加は考えられないと思います。

 その理由は、アジアの各国がすでに感染が収まっているからです。アジアの中で日本だけ例外的に感染が増加するとは考えられませんし、増加するならとっくに増えていなければいけません。GOTOキャンペーンをを中止するしないに関わらず、近々にコロナの感染は収まるだろうと思います。

 元々、コロナウイルスはよほどの濃厚接触をしない限り感染することはないようですし、日本では、マスクや手洗いが徹底しています。日常の生活ではまず感染しません。また感染しても殆どは二週間で完治します。テレビでは感染者の数ばかりが語られますが、完治した人の数はその数と同じくらいいるのです。タレントでも感染して、完治して、テレビに復帰している人は大勢います。

 問題は重症患者を発見したら、早くに病院に入れることです。ここがしっかりされていれば、コロナウイルスは決して恐ろしい病気ではありません。マスコミが連日煽って、危険を訴えていますが、杞憂です。

 このままでは病院が崩壊すると慌てている医者がいますが、そうなら感染しただけの患者を自宅に戻すことです。そんな人まで4人も5人も看護師をつけて面倒を見ているから看護士が足らなくなるのです。病院が引き受けるのは重症患者のみでいいのです。

 もともとコロナが流行る前は、医者が増え過ぎたと言っていたはずです。病院が患者が少なくて、経営難だと言っていたはずです。それが足らないとはおかしな話です。

 コロナが始まった時に国は10兆円の対策費を用意しています。それを使えば臨時の救護施設も作れるでしょうし、看護師を集めて対策も立てられたはずです。金は余ったまま使われず、病院が足らない、医療が崩壊するとはどんな理由なのでしょうか。

 怪しい話です。この先コロナ騒動が終息した後、またぞろ、医療点数を引き上げる。医大を増やす。などと言う話にならなければいいがと思います。日本はこの先、医療費と年金と介護で税金は使い尽くされてしまいます。

 年末の騒動を見るにつけ、この先日本がうまくやって行けるかどうかはこの数か月にかかっていると思います。ガースーさん、初心を貫徹してください。期待しています。

続く

マジシャンを育てるには 10

マジシャンを育てるには 10

 私にマジックを教えてくれた女性の師匠たちは、自分から進んでマジックの道を選んだ人は少なかったのです。なぜマジシャンになったのかなどと聞くのも野暮です。親の生活を助けたかったからです。大概女流奇術師の親は、お笑い芸人か役者でした。生活の苦しい親を助けるために、学校に行っている間に奇術師に弟子入りして、卒業すると舞台に立ったのです。

 マジックが好きで好きで仕方がない。とか、マジックに生きる道を天職と感じて、などと言う人は全くいなくて、マジックが好きなわけでも何でもなく、ただ、師匠から習った芸をそのままこなすことで、日々の生業(なりわい)としていたのです。それでも、愛嬌があって、腕が良ければ十分稼げたのです。稼ぎのないお笑い芸人に掴まらない限り、普通に結婚して、子供を作って、20年も舞台に立つうちには、アパートの一軒も持てたのです。私の知る限り、既に隠居をしていて、アパート持ちで暮らしている女流奇術師は何人もいました。

 そうした師匠たちが、「自分のマジックのコンセプトはこう言うものだ」とか、「なぜ自分がこう言うマジックをするか」。等と言う話をすることは100%ありませんでした。師匠たちはレパートリーも少なかったのですが、決して人の演技を盗み取ることもしませんでした。師匠の師匠から教えてもらったマジックだけで生きていたのです。

 師匠たちの演じる奇術は、ハンカチやロープのような基本的なものばかりで、10年一日、代わり映えのしないものでした。そうした師匠たちが常に心掛けていたことは、今接しているお客様を大切にすることでした。宴席や、お祭りに舞台に招いてくれた仕事先のお客様を決して逃がさないように、折々に手拭いを配ったり、仕事の度にささやかなお土産を持参したりして、人と人の付き合いを大切にしてきたのです。

 人と人が結びつくことで最も大切なことは、相手に、「藤山は自分にだけ、ここまでしてくれている」。と思ってもらうことです。手紙を送る、お土産を送る。楽屋で挨拶をする、ちょっと立ち話をする。何にしても、「自分だけがここまで相手をしてもらっている」。と思うとお客様は嬉しいのです。その親密さが、次の仕事につながります。

 今書いたことは仕事先のお客様との付き合い方です。しかし舞台上でも同じで、お客様を大多数の人として接してはいけません。あくまで話をする時には、個人と話をしなければいけません。その時に、気を付けなければいけないことは、お客様を、「皆さん」とか、「誰か」、「どなたか」、などと、三人称で呼ばないことです。

 「誰か舞台に上がってくれませんか」。と言われてて、その誰かが自分だと思うお客様はいません。誰かでいいなら自分は関係がないと思います。あくまで人を動かすには、「あなた」でなければならないのです。ついついマジシャンとして舞台に上がると、お客様をひと固まりと考えて、「皆さん」、「どなたか」を連発してしまいますが、人は個なのです。

 個人を尊重して、個々に物を頼むと、頼まれた人は親近感を覚えます。後々までもよいご贔屓様になってくれます。

 何気に話をする時でも、個人に話しかけるように心がけます。私は舞台で時々自分の子供の頃の話をする時がありますが、そんな時でも、全てのお客様を対象に話すのではなく、特定の誰かを想定して話をします。そうすると、聞いているお客様が自分に話しかけられているように感じ、話がお客様の心の中に入り込んで行きます。

 

 私は子供のころから師匠たちの舞台を見て来て、マジシャンがお客様にどう応対するか、仕事先のお客様とどう付き合って行くかを学びました。

 昔の師匠は、持ち時間20分などと言われて仕事場に行って、突然何かの理由で1時間も演じることなど頻繁にあったのです。そんな時でも嫌な顔一つしないで、初めから1時間のショウを引き受けていたかのように、普通に演じていました。主催者の注文には嫌がらずに、何でも聞く。そんな仕事の仕方が日常にされていました。

 私が、未だに頼まれればスーツケース一つで1時間でも演技ができるのは、そうした仕事を繰り返して来たためです。但し、20分の演技をするのと、1時間の演技をするのとでは、演技の仕方が根本から違います。

 スピードは少し緩めなければなりません。長く演じたなら必ず演技の半ばでダレ場が出て来ます。お客様がダレてきた状態で演技を続けるのは演じていて苦しいものです。然し、じっと我慢して演じなければなりません。時にダレ場はマジックをせずにただ話をすることもあります。そうなると、話術の上手さが求められます。マジックの後にじっくり聞かせられるような話が出来れば大した芸人です。そうして、お終いに、もう一度お客様の興味を呼び戻すと言うのは並大抵の芸の力では出来ないものです。

 そこには、演者のパーソナリティがしっかり備わっていないと無理です。1時間ならマジックのネタ数を増やせばいいと言うものではないのです。マジックばかり繰り返し見せられるとお客様は飽きてしまいます。不思議さに鈍感になってしまいます。

 マジック以外の芸能のいろいろなテクニックを披露しつつ、全体を通して、そのマジシャンと1時間でも遊んでいたいと思わせる芸の引き出しと、パーソナリティがなければ1時間のショウは無理なのです。

でもそんな1時間のショウを演じた後は、何とも言えない充実感があります。マジックを超えて人とつながった満足感を感じます。マジックはどうしても不思議を一方的に見せるだけになってしまいますので、人とつながると言うことが達成しにくい芸能です。一方的なマジシャンの優位で終わる舞台は、実は成功ではないのです。どこかお客様に不満が残ります。そこに気付いたときに、マジシャンの進むべき芸能の次のステップが見えてくるのです。

 マジックが好きで、自身の意思でマジシャンになった人は、自分の技術を世間に問うて、その技で生きて行きたいと望みます。然しそれは難しいことです。なぜならそこまでマジックの技に精通して見ている人はごく限られた人たちです。その人たちだけを相手にしていては生きては行けません。

 一般のお客様はマジシャンを善意で見てくれる人は少数ですし、マジシャンの成長を長く追い続けてくれる人もわずかです。多くのお客様にとってマジックはわずかな興味でしかないのです。向きになって演じているのはマジシャンであって、多くの人には娯楽の一つに過ぎないのですから。

続く

マジシャンを育てるには 9

慈恵医大病院

 昨日(14日)朝8時から慈恵医大病院に行って、内視鏡で、ポリープを取ってもらいに行ってきました。前日(13日)は指定のお粥を3食食べて、間食をせず、じっと空腹に耐えました。そして昨日は朝から何も食べずに慈恵医大病院に行きました。

 その日は内視鏡の患者さんだけでも30人以上がいました。如何に仕事とは言え、こうした患者さんを片端から肛門にカメラを入れて、ポリープを取ると言う仕事は簡単ではありません。私は、着くとすぐに下剤を約1リットル飲んで、下痢を促しました。結局9回水のような便を排出して、それを看護婦さんが目視して、OKが出ました。

 何度も便を看護婦さんに見せると言うのが嫌です。無論看護婦さんも嫌でしょう。世の中に面白い楽しいと言う仕事はそうはないのでしょう。私はかなり水便に不純物が多かったため、後回しになって、午後2時から内視鏡を入れることになりました。ここまでで6時間が経っています。

 内視鏡は二度目ですので、慣れて来ました。腕から麻酔薬を入れて、ほどなく意識が無くなりました。目が覚めるとすべて終わっていました。痛みも何もありません。目が覚めたのは4時でした。結局2時間、意識が無いまま寝台に寝ていたことになります。

 さて、その後で、ポリープの写真を見せられましたが、大小3つのポリープがあり、それを取りました。更に、まだ取り切れないポリープがあるので、来年1月にもう一度内視鏡を入れて取ると言うことになりました。その場合入院の可能性があると言われました。この話からすると、私は大腸癌なのでしょう。

 いづれにしても1月6日に再度病院に行って打ち合わせをします。なんと今年は病気の多い年だったことか、これまで怪我も入院もしたことがなかったのに、今度はいよいよ入院です。恐らく来年も舞台仕事は少ないと思いますので、この機会に、早くに処置をしたほうが良いと思います。親父の癌漫談のタイトルが、「なっちゃったものは仕方がない」。でしたが、全くその通りで、自分ではどうすることもできません。定めの通りに残された人生を生きるしかありません。

 帰りに喫茶店でチョコレートケーキとポテトのポタージュスープを呑んで、空腹が収まりました。大した贅沢ではありませんが、十分幸せになりました。

 

マジシャンを育てるには 9

 多くのマジシャンは、この世界で有名になるためには、独創的なマジックを考えて、その技を認められてトップに立とうと考えています。それは間違いではありません。

 その通りなのですが、実は、独創的なマジック、高い技術を持つことがマジシャンに一番求められていることではありません。世の中のトップマジシャンと言うのはどちらかと言うと不器用な人が多いのです。技法も、独創的なものを持っている人のほうが少なく、どちらかと言えば、その時代の普通の技術をそのまま普通に演じている人が多いのです。

 そうでありながらなぜトップマジシャンに立てたのかと考えると、それはその人の魅力が大きいのです。何もしなくても何となく人を集める。お客様が寄ってくる。自然に人に愛される。そんな人がたまたま人の興味を集めるようなマジックを演じた時に、トップに立ってゆくのです。

 

 昨日は楽屋マナーについて書きました、その前は基礎を学ぶことの大切さを書きました。これらはいずれも基本的な話に過ぎません。いずれもしっかり学んでおかなければならないことですが、それで売れるかと言うとそうはなりません。実践に入ったら、まず学ばなければいけないことは、人に愛されるにはどうするかと言うことです。

 人(お客様)はどんなことに興味を持っているのか、そのことを実戦で経験をして熟知していなければいけません。人はどうしても自分の興味を人に押し付けようとします。マジシャンの興味なら当然マジックです。マジシャンは人はみんなマジックに興味を持っていると信じています。

 然し、お客様は決してマジックが大好きなわけではないのです。全く嫌いなら近付きもしないでしょう。少しは好きなのです。でも少しです。ほんの少しの興味でマジックを見に来ているのです。この点に注意してください。お客様と言うのは、今、何らかの変化が起こったなら、たちまちマジックに興味を失う人たちなのです。このことを決して忘れないでください。

 

 何人かのクロースアップマジシャンを見ていると、うつむいて、カードをシャフルしたり、カウントを数えたりするばかりで、現象の説明以外は、言葉も少なく、少しもお客様を見ない人がいます。自身の脇にお客様を座らせていながら、そのお客様と全く話もしない人がいます。こんにちわもなければ、着てきた服装を褒めることもしません。名前すら聞かない人もいます。女性に興味がないのでしょうか。それなら女性を脇に座らせなければいいのにと思います。

 カードを引かせる時だけ説明をして、その後は自分の作業に没頭します。これでカードが当たったとしても、お客様は全く喜びを感じません。陰気臭い手内職を手伝わされただけだと思います。マジックを見たと言うよりも、理科の実験を手伝ったように思うかも知れません。少なくともショウとしての感動は起こり得ないでしょうし、もう一度初めから見てみたいなどとは決して思わないでしょう。

 アマチュアのマジックならそれでもいいでしょう。然し、それがプロの演技であるとなったら、それを見たお客様は、マジック界に失望をするでしょう。ショウとして成り立っていませんし、自身の魅力が語られていないのです。そこにあるのはカードマジックの現象のみです。それを即物的に延々数種類演じられたときのお客様の心の中を、演じているマジシャンは想像したことがあるのでしょうか。

 彼らはビデオの中、本の中でしかマジックを考えていないのでしょう。「いや、仲間と話をしてマジックを作っている」。と言うかも知れませんが、その仲間が、自分と同じように、お客様を見ずに自分の世界の中だけでマジックを考えている人たちならば、それは人に見せているのではなく、自分に見せているのと同じです。

 舞台に上がって自分の魅力を語ると言うことは簡単なことではありません。個々の魅力は個々に違いますし、時代とともに変わって行きます。今売れている人を真似たとしても、それは真似であって、トレンドにはなりません。自身の魅力は自身を知って作り上げなければなりません。マジシャンはマジックを作り上げて行くと同時に、自身の魅力を作り上げなければなりません。それが出来なければ仕事として成り立たないのです。そのために何をしなければならないか。そのことはまた明日お話ししましょう。

続く

マジシャンを育てるには 8

大腸癌のポリープ摘出

 今日(14日)は早朝から慈恵医大病院に行って、大腸癌のポリープを摘出します。手術ではなく、簡単に内視鏡で、ポリープが取れるそうです。私の親父がかつて大腸癌になっていますので、いずれ私にも来るかと思っていましたが、やはり来ました。

 昨日(13日)は、朝から3食お粥です。午後に学生さんの指導をしました。休憩時間に彼らにシュークリームなどを出したのですが、私は食べられません。彼らは実にうまそうに食べます。残念です。今朝は朝から何も食べていません。こんな日があってもいいのでしょう。これから慈恵医大に行ってきます。

 

マジシャンを育てるには 8

 ここまで書いてくればお気付きと思いますが、マジックは種仕掛けを指導していればマジシャンが育つと言うものではありません。実践に出して、何度も演技を見て、当人にあった演技を作って行ってマジシャンの輪郭が出来て来ます。

 併せて、仕事関係者との付き合い方、楽屋のマナー、舞台脇のセットの仕方、道具の置き方、管理など、細かく教えて行きます。

 楽屋を自分の道具だけで占拠してしまったり、スーツケースを開けっぱなしにして舞台に出たり、タネ仕掛けを平気でテーブルに並べたままだったり、アマチュアの内は、やってはいけないことを繰り返します。

 それを私が一つづつ指摘します。うるさく言わず、さり気なく話して行きます。あまりにさりげないため、初めは気にもせずに、改めもしない人があります。また、直接マジックに関係のないことは頑なに聞こうとしない人もいます。

 楽屋の化粧前(鏡の前に備え付けてある棚のようなテーブル)に座ってしまう人もあります。椅子と思っているのです。「道具や、時に弁当を食べるところだから尻を乗せてはいけない」。と言っても「なんで」、と聞かれます。それに対して怒ってはいけません。何度も違うと言うことを伝えるのです。そうするうちに世の中でそれが通用しないことを知ります。要は改めることが自身の進歩とわかれば、人は自然に受け入れるようになります。

 楽屋マナーは、私の口から言うだけではなく、先輩マジシャンの口からも言われ、みんなに言われると、初めは反発していても、それでは生きて行けないと気付き、自然と改めるようになります。チームで活動をすると、自然と人の育て方が出来て来ます。

 和の舞台などは、舞台高が低いものですから、つい尻をつけて椅子のように腰かけてしまう人がいます。それもいけません。舞台上は正座でなければいけません。昔の人は、尻を直接舞台につけることを嫌がったのです。なぜかと問われても、答えはありません。マナーに理由などないのです。見た目に敬意があること、大切にしていることが見えることがマナーです。ここが崩れてしまったら、形がなくなってしまうのです。舞台に立ちたいなら、どこかでプロを知らなければならないのです。

 

 私は前にDVDを見てマジックを覚えただけでは人は育たないと書きました。DVDから習えるのは、タネ仕掛けの扱い方だけです。でも、それだけではマジシャンにはなれません。マジシャンは外部の人に認められてこそマジシャンだからです。マジックをする以前から、マジシャンは始まっています。楽屋に入って来る雰囲気から、楽屋の使い方、舞台での道具のセット、舞台上の道具の置き方、全てが洗練されていなければいいマジシャンではありません。それを誰が教えるかと言うと、指導家が教えなければいけません。種だけ教えてマジシャンが育つことはあり得ないのです。

 マジシャンとして、外部の人とどう接するか、同業の人とどう接するか。多くのマジシャンはこうした初歩的なことで、戸惑ってしまいます。彼らはマジックを習う以外、誰からもマジシャンとしての生き方を習ってこなかったのです。

 和に関して言うなら、和妻の仕事を引き受けていながら、帯が結べない。着物が畳めない。楽屋に着物を散乱させたまま、演技を終えた後は丸めてバッグに入れてしまう。そうした姿を外部の人が見たときに、伝統抜芸能を演じている人に見えるかどうか。マジックを演じる以前に学ばなければならないことがあるのです。

 マジシャンとしての生きることのルールやマナーがわかってくれば、生きて行く姿勢に自信が付いてきます。少しづつですがその社会の人になって来るのです。実はそこからマジシャンが出来上がってきます。ただ数多くのマジックを知っている、出来ると言うことだけでは自信にはなり得ないのです。

 

 話を千葉周作に戻しましょう。千葉周作は、幕末期の、剣術を習いたいと言う庶民の熱気に接して、今までの指導方法の間違いに気づいたのです。そして、怪我をせずに、剣術を学ぶ方法を編み出しました。と同時に、庶民ややくざ者が安易に剣を振り廻して喧嘩をする行為を苦々しく思っていたのでしょう。刀を持つ事の誇り、気高さも教えなければいけなかったはずです。剣術の普及で名を挙げながらも、剣術によって悪くなって行く風潮に随分悩んだと思います。

 千葉周作安政2(1856)年に亡くなります。ついに明治を見ることはなかったのです。然し、どこかで明治時代が来ることを予見していたように思います。つまり、「刀はいずれ役に立たなくなる」。と言うことを知っていたのでしょう。そのため、人を倒すための剣術ではなく、リーダーとしての生きる道、剣術ではなく「剣道」を模索していたのでしょう。彼が模索していたのは戦わない軒だったのでしょう。

 

 そのことと私が手妻にして来たことが似ていると言ったらおこがましいのですが、私が種不思議以外の、手妻から学んだ生き方を語る必要を感じたのは40代のことでした。そのためにこれまで講演活動などもしてきました。幸いに手妻をカルチャーと考えて下さる人が増えました。それまで私らの先輩の中で手妻をカルチャーとして語る人はいなかったのです。

 60代になった頃から、急激に手妻に興味を持って、和服を着てマジックをする若い人が出て来ました。あえて言うなら和風マジシャンとも呼ぶべき人たちで、彼らはひたすら傘を出す人たちです。

 そうした人たちが私の接近してきて、話を聞きたがります。求められれば、手妻がなんであるか、話をしてきました。相手がわかったかどうかは知りませんが、言わないよりはましかと思って話をしました。始めは諦めて話をしていましたが、このところ理解を深めて接して来る人が何人か出て来ました。「派手だから、珍しいから」と言う理由だけで手妻をするのでない人たちが出て来ました。いい傾向だと思います。手妻には背景があることに気付いたようです。

 但しそうなら、傘を出すだけでなく、蒸籠や、引き出し、と言った古典ものからしっかり演じてもらいたいと思います。

 

 何にしても、しっかりとした考えを持ったマジシャンが一人でも二人でも育ってもらいたいと思います。他のジャンルの人が見ても、マジシャンはいい世界だなぁ。と思うような世界を作りたいと思います。

続く

 

マジシャンを育てるには 7

マジック指導の日

 今日(12日)と明日(13日)は、若手の指導日です。受講者が10人になってしまいましたので、2日に分けることにしました。1年続いている受講者には、手順物や技物を教えています。しっかり覚えたなら一生そのマジックで生きて行けるような作品です。1年学べばそれだけの力が付くわけです。

 特に今年はコロナによって、人の生活が散々に破壊されました。こんな時に、嘆いているばかりでは前に進みません。人が注目する人と言うのは前に進んでいる人のみです。いじけていたり、諦めてしまったり、世間を恨んでばかりいては成功は来ないのです。こんな時こそ、次の時代のために仕込みをしなければいけません。

 

千葉周作

 日本の剣豪と言うと、宮本武蔵塚原卜伝伊藤一刀斎堀部安兵衛、荒木又右衛門、等々大衆小説にはたくさん出て来ます。知人の敵討ちの助っ人をして、相手を36人斬ったなど。様々な武勇伝が面白おかしく語られています。その中で、幕末期に出た千葉周作と言う人はおよそ派手な立ち回りで名を売った人ではなく、何がどう上手かったのか、今となってはよくわかりません。

 司馬遼太郎千葉周作のことを小説に書いていますが、それによると、この人は教えることの上手い人だったようです。幕末の剣術熱は、侍だけでなく、町人にまで及び、護身目的だけでなく、体を作るために学ぶ人も数多くいたのです。つまり当時、ヨーロッパで流行し始めていたスポーツと言う考え方が、日本でも既に生まれていたのです。

 然し、剣術をスポーツと考えるには、当時の指導の仕方はあまりに危険なものでした。竹刀も、防具も、未熟で、どこの道場でも怪我人が絶えず、強いものが弱いものをこっぴどく打ち負かすことで、剣術の厳しさを教えていたために、せっかく学びたいと思っている人たちが修行について行けず、脱落者が続出していたのです。

 千葉周作北辰一刀流を掲げて、東北からやってきました。そして江戸に出て来て、人々の剣術熱に驚きました。と同時に、素早く時代を感じ取りました。激しい稽古で怪我人が続出する旧来のやり方は間違っている。剣を通して体を鍛え、人格を作って行くことが大切だと考えたのです。当時は防具もなく、木刀で戦っていた流派もあったのですが、先ず、竹刀を工夫し、面も胴も、小手も改良して、当っても痛くないよう、怪我をしない防具を作ったのです。

 そして、誰にでも親切に剣術を教えました。少しうまくなると、その人を褒めて、技量を伸ばしてやりました。千葉周作のやり方は、人を倒す方法を教えていた当時からすると、まるで子供の遊びのような稽古でした。しかし結果として、これが剣術の人口を飛躍的に増やしたのです。今、日本の道場の多くが北辰一刀流であるのは、千葉周作発想の転換があったればこそでした。つまり剣術は、剣道となり、スポーツとなったことで生き残ったのです。

 何人人を斬ったかで、門弟の数が違った江戸時代にあって、人を切らずに数千人の門弟を集めた千葉周作の発想は、時代の転換を読むことの大切さを示しています。

 

マジックの普及

 千葉周作の話をしましたが、その話と真逆に、道を読み違えている話をしましょう。どうこの先マジックを教えて行くべきかを考えた時に、例えば、DVDの指導であるとか、ネットでの指導であるとか、これまで少数の人を教えていた指導の仕方に対して、もっとマスを相手にして、多くの人が簡単にマジックが覚えられるようにしたほうがいいのではないかと考える人があります。

 しかし、私は全く逆だと思います。安易に、簡単にマジックが学べることが本当にマジックの発展につながるでしょうか。マジックの世界はあまり簡単にマジックを金に換えてしまったように思います。マジックの小道具がビニール袋に入って、500円、1000円で吊るされて売られている姿を見るにつけ、「あぁ、私が子供の頃に憧れていたマジックこういうものではなかった」。と思います。結局マジックの普及と言いながら、それは種の普及であり、50年かけて、マジック関係者がしてきたことは、タネをタダ同然で販売したり、たいして習いたくもない人たちに無料で教えることだったように思います。つまり芸術芸能としてのマジックが消えてしまったのです。

 

パケットトリック

 私がアメリカでレクチュアーをして回っていた話を以前書きました。このころ、アメリカのクロースアップマジシャンとコンベンションなどでよく一緒になりました。当時彼らはショウとしてはあまり評価されておらず、ショウとレクチュアーをすることで人を集めていました。

 技術的には素晴らしい人がたくさんいて、私も授業料を支払って、クロースアップを習いました。なかなか習得できない難しい技がたくさんありました。私などは、アメリカに行ってクロースアップを見たり習ったりするのは楽しみだったのです。

 然し、ある時期から彼らはパケットマジックを売りだしました。価格も5ドル7ドルと子供でも買える値段です。カードは4枚5枚のトリックカードがビニール袋に入っています。中のカードは両面が表のカードであったり、両面が裏カードであったり、おかしな破片がセロテープで張り付けてあったり、大した道具ではありません。

 技法は、エルムズレイカウントや、ハーマンカウント、グライド、などと言う基本動作でどれもできます。そんなお手軽さがパケットを爆発的に普及させて、やがてアマチュアの持っていたアタッシュケースにはパケット物がびっしり並ぶようになりました。それはかつて昭和の子供が、めんこを紙箱一杯集めていたのと同じでした。

 お陰でクロースアップマジシャンの中には、いい稼ぎをする人が出て来ました。然し、然しです。パケットマジックの普及がクロースアップマジックの地位を引揚げたでしょうか。レトルト食品のごとく、簡単便利にマジックができるようにはなりましたが、それがクロースアップをよくしたでしょうか。私がアメリカのマジシャンを尊敬していたのは、多くの時間をかけて作り上げた精緻な演技だったのです。それがパケットで解決できるなら、あえて見るべきマジックではないのです。

 私は、「あぁ、こんなことをしていたら、クロースアップマジシャンは、もっと、もっと生活が苦しくなるだろうなぁ」。と思いました。確かに、パケットマジックの普及はクロースアップの普及に役立ったと思います。が、同時にアマチュア化に一層拍車をかけたと考えています。それを普及と言うなら普及です。然しその普及は安易さに裏打ちされています。本来のクロースアップとはかけ離れたものです。

 そんなことを思いつつ、今のネットの種明かしマジックを見るにつけ、「マジックはどんどん安易に、価値を下げて行くのだなぁ」。と思いました。それは種の普及であって、マジックの価値を引き上げることにはなっていません。

 私が目指しているのはそこではありません。では何を目指しているのか、その話はまた来週いたします。明日はブログをお休みします。

続く

マジシャンを育てるには 6

指導と言うものは

 さて、私のビデオ指導は30代で終了しました。それ以降も、ビデオは作りましたが、ショップなどには出さずに、私の所へ習いに来た人にだけ、直接ビデオをお分けするようにしています。あくまでも直接指導に重点を置いています。それは今も同じです。

 

 私の指導は、初めに作品の沿革を話します。私が誰から習ったか、その時代はいつか、原案の作者は誰か、いつ頃の物か、その辺を詳しく話します。そして模範演技をします。この時の私の演技が、生徒にとっては作品に遭遇する初体験になりますので、とても大事な瞬間になります。

 そのため、なるべく衣装もきっちり着た上で演じます。和の手順は和服を着て、洋の手順はタキシードなどを着て演じています。一人一人の生徒に誠実に、演技を見せ、舞台と同じように演じることがマジックを正しく伝える上でとても大切なことです。

 一通り演じてから種仕掛けを解説し、生徒に演技を教えつつ、実際やってもらいます。生徒は、たった今、演技を見ただけですので、記憶も不確かで、ところどころ間違った演技をします。私はそれをあまり細かく指摘しません。大切なことは初めに全体の流れをつかむことで、全体がわかってから、何度も稽古をして行く中でおかしなところを直して行きます。

 生徒の演技はかなり個々に癖があります。下を向いて観客を見ないで演技する人。観客への角度の配慮が出来ない人。パーム、パスが見える人。幾つかの問題が残ります。それをその場で幾つも指摘すると、生徒の頭の中がパニックになります。毎回一つか二つ指摘するようにします。一つが直るまでは次を教えないことが親切です。

 間違いなくできるようになってから、演技の強弱を教えます。部分部分で演技のスピードは変わります。そこがわからないと演技は単調なものになります。マジックの演技のどこが面白いのか、演技を見せながらその旨味を語って行きます。これもあまり口では説明しません。生徒のセンスを育てる意味で、生徒自身に気付かせるのです。教えることではなく、自然に気付くことが大切です。こうして、一つのマジックは一人の生徒に伝わって行くのです。

 

指導家の資質

 指導すると言うことは、指導者にパーソナリティが備わっていなければいけません。それなりに社会的にポジションの高い人が指導すると、自然に人が集まってきます。マジシャンであるならば、見せている演技がすべてです。演技が良ければ仕事が来ますし、収入にもなります。

 然し、指導家はそうではありません。人として一流だと感じさせる人が、マジックを指導すると、生徒は自然と寄ってきます。話し方も、安っぽい話し方をせずに、一言一言しっかり重みを持って話をすると、人は良く話を聞くようになります。大切なことは教える人の人格であり、姿勢です。構えがしっかりしていれば、生徒は自然自然に内容を理解して行きます。

 安易な指導は、安易なマジシャンを生みます。お手軽な指導は、生徒がマジックをお手軽に考えます。作品よりも、マジシャンがマジックをどうとらえているのか、と言うことを生徒は敏感に察知します。ちゃんと演じる、きっちり演じる。そこを心掛けなければ指導になりません。

 

実践編

 さて、いくつかの手順指導を済ませた後、今度は個人個人の演技作りに協力しなければなりません。生徒一人一人にあった手順を考えなければいけません。これがとても時間がかかります。指導家によほど引出しがないとできない仕事です。

 ですが、あまり過剰に演技に口出ししないことです。大切なことは教えるのではなく、演者の心の奥にある思いを引き出してやることなのです。これをしなさいと強制するのではなくて、演者が本来やりたかったことを引き出して、支援することなのです。

 多くの指導家が、熱心に指導しても、必ずしも尊敬されないのは、自分の意見を押し付けるからです。親切が結果として、生徒にストレスを植え付けているのです。先ず生徒がしたいことを見つけてやらなければいけません。

 生徒には初めから、答えがあるのです。然し、マジックの知識が足らないために、自分が何をしてよいのかがわからないのです。指導家がいくつか教える内に、必ず生徒は、「そのマジックは興味がない」。とか「もっと技のあるマジックをしたい」。等と希望を言い出します。つまり、生徒は初めから答えを持っているのです。それが具体的な形になっていないだけなのです。それを探し当ててやるのが指導です。

 時として、生徒が全く自身の技量を飛び越えたものを覚えたがる時もあります。それが明らかに間違った考えであっても、とにかく一度させてみることです。やって見て間違いを知った時に良きアドバイスをすれば受講者は理解します。それまで成長を待つことです。一度にうまく育つことなど有り得ないのです。

 手順が出来て来て、人に見せる段になると、見せる場が必要になります。然し、いきなりギャラを頂いて、一般の仕事場には出せません。医学の新薬と同じで、出来た薬をいきなり人に投与してショック死したりしては危険です。マジックも下手な芸はお客様をショック死させる可能性があります。そこで、私は、手始めに私から習っている生徒さんの発表会に出演させます。

 来年の2月27日(土)に開催される。マジックマイスターがそれで、そこで生徒さんの発表をします。ここは試演会の場です。私の弟子なども毎年出しています。

 そこで内容が良いようなら、毎月開催している、玉ひでの舞台に出します。或いは、福井の天一祭のゲストに加えます。更に東京と大阪で開催しているヤングマジシャンズセッションのゲストに出します。

 こうして、10回程度の舞台に出演させているうちに、少しずつ演技の手直しをして行きます。始めは何を指摘されても頑なに自分の演技を変えない人もいます。しかし毎回お客様に受けなくて、逆に一緒に出演している人が受けている姿を見ると、自身のまずさに気付きます。そこで、自分の考えが正解でないことを知り、徐々に修正を加えなければならないことがわかってきます。

 今の時代、マジシャン数組が一緒になって舞台をするのは珍しいのですが、とても貴重な体験です。仲間と交わる内に自分が何をしなければならないかが分かって来るのです。そんな場を作り上げることがいいマジシャンを育てて行くことにつながります。

 但し、こうした活動を繰り返していれば、自然にいいマジシャンが育つと言うものではありません。人はそう簡単には育ちません。世間はもっと厳しいのです。そこの話はまた明日お話ししましょう。

続く