手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

名人の話

 昨日(5日)、テレビ出演の仕事がきました。巧くまとまるといいと思います。仕事の少ない時に、依頼が来ると、希望が生まれます。仕事がない、収入がないといって、困った顔をしていても、いいことはありません。世の中はなるようにしかならないのです。自分の運命は天に任せて、自分はなすべきことをしていればいいのです。稽古をして、新作を練って、それで時間があったら遊んでいればいいのです。

 あまり悩み続けていてもいいことはありません。悩みと言うのは、結局、どうにも解決の付かないことを、繰り返し繰り返し、頭の中で巡っているだけで、同じ話が自分を攻め立てるだけです。そこからは何の解決策にも生まれません。そうならむしろ何も考えないほうが健康にいいはずです。

 同じ考えるなら、少しでも世の中がよくなることを考えるべきです。自分にとっても仲間にとっても、お客様にとってもいいことを考えるのです。ダメはいくら考えてもダメです。ダメから良くなることは何もないのです。

 

夢のお告げはどうなった

 先月の末に、私の親父が夢に現れた話をしました。私は死んだ人が夢に出ると、その一週間後から10日後の間に何か天変地異が起こると言いました。然し、今回も何も起こりません。「あれは親父ではなかったのか。親父でないなら、なぜ私は後ろを向いた人を見て親父と思ったのか」。よくわかりません。結局外れたことは事実です。お騒がせしてすみません。もう今後、夢の話は封印しようと思います。

 それでも、夢から強烈なインスピレーションを感じたなら、またお話しするかもしれません。今回、親父の画像はぼやけていました。鮮明な画像の夢を見た時に、もう一度お話しします。結局懲りていないのですね。

 

名人の話

 ここに上げる名人は、誰もが知っている人ではありません。私自身その人が誰だったのか、名前すらも思い出せないのです。まだ私が中学生の時でした。私はまだ子供でしたが、タキシードをこしらえて、マジックを演じて、小さなイベントに出演して、得意になっていました。でも技量も何もありません。ただ見てくれのいい子供でしたから、仕事がよく舞い込んできたのです。

 ある時、墨田区あたりの子供会に出演しました、子供ばかり50人程度の集まりです。小学校の教室でショウをしました。出演者は、私と、腹話術をする年を取った芸人さんでした。その時は相当歳の人かと思っていましたが、今になって思えば、今の私よりもよっぽど若い人だったかもしれません。

 私は楽屋であいさつをしましたが、その腹話術師は子供である私が見ても場末感のある芸人さんでした。痩せて無口な人でした。額には深いしわが幾つもありました。服装が、ガスの集金人のような、地味なオープンシャツに、これまた地味な上着を着ていました。こうしたなりを見ると、まだ私の親父はあか抜けていると思いました。学校の教室を楽屋にあてがわれ、広い部屋で、二人でセットをしましたが、この芸人さんは、部屋の隅に座って、人形を出して人形の汚れを拭いていました。もっと真ん中で作業をすればいいのに、特に私に話しかけることもなかったので、私も何も言いませんでした。

 ショウは隣の教室で始まりました。私が先に演じました。ショウが始まると、これが厄介な仕事でした、子供は仲間同士ですし、地元ですから我が物顔で、初めから大騒ぎです。主催者が制してもなかなかいうことを聞きません。勝手に歩き回ったり、私のテーブルの上の道具をいじったり、私の演じるマジックに野次を飛ばして、それをみんなで大笑いしたり、とにかく最悪の仕事場でした。

 それでも子供を上手くあしらう技術があれば、いい場を作れるのでしょうが、なんせ自分がまだ中学生ですから、そんな気の利いたことはできません。結局騒がれるだけ騒がれて、いじられるだけいじられて終わりました。

 そして次が、腹話術です。腹話術師は、上着だけ取り換えて、少し派手な衣装で出て来ました。椅子に座って、人形を膝に抱えゆっくり話を始めました。

 その間私は楽屋で道具をかたずけていました。心の中では不出来な舞台を悔やんでいます。子供にいじられて散々だったからです。こんな状況ではどんな人が出ても結局うまく行かないだろうと考えていました。然し、隣の部屋では子供がシーンとなって、腹話術の話を聞いています。そのうち、少しずつ笑い声が聞こえます。聞き耳を立てて聞いていると、そのネタは腹話術師がよく使うパターンのネタです。

「シンちゃん君は何歳なの」、「僕は6歳だよ」。「それじゃぁ小学校に行ってるの」、「うん勿論」。「勉強は面白いかい」、「面白いよ」。「なんの時間が楽しいの」、「給食の時間」。「おいおい、給食は勉強じゃないよ、他には」、「休み時間」、「休み時間も勉強じゃぁない、他は」「体育の時間」。「頭使わない時間ばかりだなぁ」。

 こんな調子のありきたりのネタでした。しかもゆっくりゆっくり噛んで含めるように話しています。こんなネタで今どきの子供が喜ぶのか、と思っていましたが、それが声を出して笑っています。この日は私と腹話術師で1時間のショウの予定だったのですが、私がうまく行かなかったために20分しか持ちませんでした。それを腹話術師は、40分演じ続けて、子供を飽きさせず。お終いには子供みんなが拍手をして終わりました。きっちり1時間のショウにまとめて終わりました。

 この時、私は生まれて初めて芸の力を目の当たりに実感しました。私が常々言う、「なんでもないことを何でもなく演じて、それでお客様が喜んでくれたらそれは名人だ」。と言うセリフはまさにこの年取った芸人さんに当てはまるものでした。

 この人が、演技を終えて戻ってきたときに、出る前より少し大きく感じられました。芸が人を大きくしたのです。然し、ほとんど無言で、上着を着替え、元のガスの集金人のような格好で、ちょっと私に挨拶をして去って行きました。実に謙虚な人で、地味で、か弱そうな人でした。「あんなに舞台で人を引き付ける力を持った芸人さんが、どうしてああまでつつましく生きているのだろう」。

 その時、14歳か、15歳だった私が見ても、「自分は決してああいうタイプの芸人にはならないだろう」。と思いました。「もっともっと自分を膨らませて、大きく派手に見せて生きて行ったらいいのに」。と思いました。舞台があまりに見事だっただけに、消えるようにして去って行った芸人の姿が哀愁を帯びていて、寂寥感すら感じました。今から50年前の話です。

 今こうして書いていても、芸って一体何だろうと思います。仮に人を超えた芸を身につけたのなら、もっと堂々と伸び伸び生きて行ったらいいのに、あの腹話術師の生き方はあまりに影が薄く、人に遠慮をして生きているかのように見えます。恐らく、芸の実力に比して手に入った果実はあまりに少なく、その生活は恵まれてはいないように思います。それでいいのだろうか。今考えても私には答えが出ません。私にはまだ腹話術師の境地に至っていないのでしょう。

続く

ZAZA公演と松茸狩り

 

 昨晩、遅くに岡山から帰りました。少し疲れました。それでも休むわけにはいきません。数日東京をあけると、することがたくさんあります。今日は朝から小道具を作っています。何とかアイディアを絞り出して、形にしなければなりません。幾つになっても新作はゼロからのスタートです。

 

ZAZA公演

 10月3日のZAZAの詳細をお伝えします。当日は100人のお客様でほぼ満員。開演前からお客様の熱気が伝わってきました。

 1本目は前田将太。和服で、真田紐、紐ぬけの手順。お終いは傘を出して、当人は気分よく終わりました。

 2本目は、シーナさん、彼女は大阪のプロ。豪華な振袖を拵えて、手妻の、連理の曲を演じました。これからどんどん和の手順を増やして、京都などのお座敷の仕事を取ろうと考えています。

 3本目は、嵯都志さんは京都のプロマジシャン。これまでクロースアップ専門だったものが、ステージを目指し、カード、シンブル、ウォンドの手順を、ウォンドを扇子に変えて、和のテイストを取り入れて手順をまとめました。もう少し細かな部分に自身のアイディアを加えると、かなりいい手順になるでしょう。

 4本目は小網健義さん、京都大学4年生。前回に続いて、四つ玉、カードの手順、然し前回とは大きく変わって、テーブルを使わずに、携帯電話の手順をベースに、カード、四つ玉がうまく取り込まれていました。演技中に電話を充電するところが新しく、学生らしい面白い演技でした。

 5本目は小原優里さん、四国から、香川大学の4年生。セッションに毎回出演していますが、毎回リングアクトです。然し、随分演出を変えて来ました。工夫の跡が見えるところが観客の反応が良い理由でしょうか。

 6本目は薦田天斗(こもだたかと)さん。関西大学の学生さんです。CDのアクトをスピーディーに演じました。学生らしい勢いのある演技でした。

 7本目はまほうの愛華さん。カードや四つ玉、お終いはフィックルファイヤーとカードの連続出しで、サコーさんの指導もよろしく、よくまとまっていました。

 8本目は私の傘出し手順。傘のお終いに人力車に乗って引っ込むところが今回の趣向。お客様に喜んでいただきました。そのあとお椀と玉。じゃべりで演じました。

 ここで休憩を入れて後半。

 9本目は黒川智紀さん。以前見た時よりも小さなアイデアが加味されていて、見ごたえがありました。私個人はあまりアマチュアイズムを押し出した演技は好きになれないのですが、見ているうちに、これはこれでありかなと納得しました。それほど手順に愛情が感じられましたし、しかも演技の出来が良かったのです。

 10本目はキタノ大地さん。今回の公演をずっと司会をしてくださってご苦労様でした。この晩の演技は、小箱から何度もお札の出るマジックをストーリーを語りながら演じました。お喋りは達者ですので心配はいりませんが、よくまとまっていました。

 11本目は峯村健二さん。スケッチブックの手順です。学生向きの手順なのでしょうか。来ていたお客様の内でも学生さんに特に受けが良かったようです。細部に至るまで考え抜かれていて、小さくよくまとまった手順です。

 終わった後お客様は大満足。随分残られて、嬉しそうに出演者と話をしていました。あまり至近距離での接触はできませんが、みんな喜んで楽屋の前に集まりました。

 

 

松茸狩り。

 4日(日)の朝、岡山の社長、高上さんが持っている松茸山に行ってきました。ここは毎年今頃、松茸の取れるシーズンになるとお誘いがあります。新幹線で新大阪を9時に立ち、10時に岡山へ、そこから高上さんの車で岡山県の中央部、羅漢と言うところへ、そこから山に入り、中腹で車を降りて、靴を取り替え、安全服に着かえ、山に入りました。松茸を期待して、1時間半。傾斜のきつい山を這うように歩きましたが、今年はどうしたものか見つかりません。そもそも、10月4日ではまだ早いようです。松茸は20日ころでないと出ないそうです。

 それでも歩くうちに、あみ茸がたくさん生えていましたので松茸代わりに取りました。あみたけはマイタケのような柔らかなキノコで、味噌汁の実にしたり、バターで炒めて食べるとおいしいそうです。それを袋一杯取りました。午後2時に山の中で昼食。太巻き寿司でビールを頂きました。ピオーネのブドウもいただき、その甘さに驚きました。何にしてもビールがここちよく。飲んでいるうちに少し、昨日の疲れが出て来ました。

 更に帰り際に高上さんの知り合いの農家で、シャインマスカットを作っているお宅に行き、高上さんからマスカットを頂きました。今年はシャインマスカットが豊作だそうです。しかも、各企業などから大量の注文があったらしく、この日でほぼ完売したそうです。私はラッキーでした。

 帰りの途中、栗拾いをしたり、ミニトマトを頂いたり、随分お土産が増えて、両腕にぎっしり袋を抱え、岡山を後にしました。

 夜、7時30分の新幹線に乗って、東京は11時に着きました。自宅に戻ると11時40分でした。家族は寝ています。アルコールを飲みたいところですが、家では飲みません。しばらく起きて用事をして、1時過ぎに寝ました。

 今日(5日)の朝は。早速朝食に娘と女房がシャインマスカットを食べていました。頂いたシャインマスカットは特に高級品だそうで、甘みがものすごく強かったです。肝心のあみ茸には一瞥もくれず、マスカットばかりを喜んでいました。

 なんにしても、松茸狩りは不作でした。まぁ、こんな時もあります。また来年行こうと思います。何より、日頃歩かないので、足が弱っています。山歩きは健康にいいですし、山の空気を吸うのはとても爽快です。もっともっと日ごろから体にいいことをしなければいけません。つくづく私は不健康な生活をしていると思います。と言うわけで、関西の旅の3日間は日々充実して誠に幸せでした。

続く、

 

 

ZAZA大盛況

 昨日(3日)は大阪道頓堀ZAZAでの大阪マジシャンズセッションの公演でした。会場は100人の席(本当は150席なのですが、コロナの影響を考えて、席にゆとりを持たせました)が満席でした。お客様は早くから行列を作って待っていてくださいました。

 文化庁の芸術振興基金からもお2人見えました。千房さんの会長さんもお見えです。

 詳細はまた明日書きますが、私は一部のトリを取りました。二部は、頭に黒川智紀さん、そのあとキタノ大地さん、トリは峯村健二さん。黒川さんはいつものダイスの手順でしたが、細部まで考えがいきわたっていて、実に見ごたえのある手順でした。

 大学を卒業して、プロ活動を始めて、この時期はいろいろ大変だろうと思いますが、学生時代よりもいっそう内容が深まっていて、いい演技でした。北野さんは、司会をしていただきましたが、峯村さんの前にトークマジックをいたしました、キタノさんの手慣れた演技とサービス精神でこれもいい演技になりました。

 何よりも峯村さんは一番の喝采を得ました。今回はスケッチブックの手順です。この手順は頻繁に学生に真似されて、今や原形もとどめないまま、ぐちゃぐちゃになってしまっていますが、やはり本家本元は素晴らしいものです。

 音楽のカウントと、振りと演技が計算されていて、細かな部分までしっかり作り込まれています。スケッチブックにかかれたサングラスや、花が実物になったり、元の画用紙に戻ったりする単純な現象なのですが、実際彼のタイミングでこなすとなるとかなり高度な演技が必要です。

 それを峯村さんはノーミスでこなしてゆきます。大阪の観客はそれを細かく拾い上げ、細部の仕上がりに感心してため息を漏らしています。私はこの演技を横で見ていて、「あぁ、大阪でこの公演をしてよかったな」。と思いました。観客はマジックを求めていたのです。優れたマジックならみんな見たいのです。

 トリの演技が終わった後はものすごい拍手でした。コロナの影響で、終演後の見送りは一切ありませんでした。でもお客様は満足してくださいました。また来年も公演したいと思います。私はこれから岡山に行き、松茸を取りに行ってきます。もう出発の時間です。また明日ブログを書きます。

続く

 

大阪指導。大阪公演

 昨日は大阪の指導でした。大阪は若手プロマジシャンが7人加入しています。他にアマチュアさんが3人いますが、今は、コロナでどなたも参加していません。その7人のうち昨日は4人参加しました。今日出演する人が2人いますので、その人の演技を何度も見て、少し直しました。まずまずいい仕上がりです。

 大阪では基礎指導と手妻の二本立てで指導をしています。朝10時に来れば、午前中は基礎指導。午後から手妻です。半日いれば両方習うことが出来ます。大阪では徒弟制度が崩れてしまっていますし、指導をするプロもあまりいないようです。

 そのため、多くのプロマジシャンは、プロから習う場所がないままネットで道具を買い、DVDでマジックを覚えているのが現状です。然し、それではアマチュアと同じ条件です。いつまでたってもプロとアマチュアとの差ができません。プロはアマチュアを超えて、はっきりとした技量の差があってこそ収入になるのです。

 逆に言えば、どこでプロとして差別化をするのか、そこが出来てマジシャンの技量の差が決まってしまいます。全く稽古も、基本も学ばず、新しいことも考えず、アレンジも、演出も学ばないで、どうにかなろうとしてもどうにもならないのです。ある時期、人から学ばなければ、人より先に行くことはできません。

 自身の不足に気づいたら、躊躇していてはいけません。前に向かって行動しない限り、誰も引き上げてはくれないのです。

 

トランプさんの感染

 これはちょっと危険な兆候です。仮にトランプさんが悪化して、亡くなるようなことになると、アメリカは一層コロナに厳しい対策を取るでしょう。そうなると、イギリス、フランスが追従し、ロックダウンを再開する可能性もあります。それにつれて、日本が対策を強化することになるでしょう。

 然し、そうなると、世界全体が同時不況になり、今の不況が一層大きな不況になります。かつて第二次世界大戦のおり、アメリカは不況によって、日本人や中国人の排斥運動が起きて、アジアの労働者を排除しました。ヨーロッパは、自国の所有する植民地を囲い込み、植民地内で他国の作った工業製品を排除しました。

 そうした状況の中で、植民地をほとんど持たない日本や、ドイツ、イタリアなどの後発工業国は閉塞感の打開から、近隣の地域の支配拡大を画策し、それが第二次世界大戦の引き金になって行きます。

 もうこの先、世界大戦は起きないだろうと思うのは間違いです。世界中で生活が苦しくなれば、人は必ず自国の苦境を、近隣の弱小国に責任をかぶせようとします。ほんの小さなきっかけで、近隣国との戦いが起きて、それがたちまち世界大戦に発展します。

 案外50年後に今の時代を眺めた時に、トランプさんのコロナ感染が、第三次世界大戦の引き金になったんだ。と言う話にならないとも限りません。安易に極端な話に乗らないことです。極端な思想を持った人は怪しがってみる必要があります。

 

ZAZA公演

 今日はこれから、道頓堀に行きます。大阪マジックセッションです。幸いチケットもまずまずの売れ行きで、開催は問題なくできそうです。この催しをどう大きく、面白くできるかがこの先の発展につながって行きます。

 大阪の若手のプロマジシャンと、学生のアマチュアマジシャンによるコラボショウです。ここから新しいマジシャンが出て来ることを期待しています。もう少し大阪で多くのお客様が集まるようなら、東京のアマチュアや、プロマジシャンを何人か大阪公演に出演してもらいたいと思います。同時に、大阪のアマチュアや若手プロを東京公演に出演させたいと考えています。

 そして、数年のうちに、マジックコンテストを開催したいと思います。コンテストに出て。入賞した人は、東京と大阪の公演に、交通費、ギャラ、宿泊費を貰ったうえで出演ができるようにします。今、若手のマジシャンにとって必要なのは、賞状でもなければ、トロフィーでもありません。本当に必要なものは、一階でも多くの舞台の出演チャンスであり、良き観客なのです。

 よき舞台、良き環境を作り上げた上で、コンテストを開催すれば、そこに多くの人材が集まるでしょう。ここから優れたマジシャンが育ってゆけば、全国の市民会館に、マジックショウを売り込むこともできます。日本に千以上ある市民会館が、殆どマジックショウを主催し公演しないのはなぜか。それは多くのマジシャンが人を集める力を持っていないからなのです。

 お客様を集め、マジックの公演を打つ。ここからマジックの発展は始まるのです。そのはじめの一歩が京の公演です。しっかり目標を持って活動して行けば必ず思いは達成できます。そのための苦労ならば苦労ではありません。なんとしても続けて行きます。

続く

ZAZA大阪マジックセッション

 明日は、大阪マジックセッションです。これから大阪に行き、指導をします。書きたいことはいろいろありますが、時間がありません。すみません。

 GOTOキャンペーンのお陰で、交通費や、宿泊費が割安になりました。あちこち活動する者にとっては有り難いことです。然し、本気で政府がやらなければならないことは、コロナの風評被害を止めることです。コロナは決して危険なものではありません。普通に生活する分には罹りません。罹っても寝ていれば治ります。それを、外出するなと煽ることが、どれほど経済に悪影響を与えていることか。ここの元を断ち切らないことには、経済の復活はあり得ません。

 先ずは都知事や府知事の感染者報告は慎ませるべきです。テレビの感染者の発表もやめるべきです。発表しても何の意味もないことです。それよりもコロナ被害の倒産件数を毎日発表するべきです。コロナによる自殺者の発表を毎日すべきです。早くここを対処しないと、国が機能しなくなります。本当に怖いのは大恐慌です。

ヒュウガ&ザッキー

 今日(10月1日)は、月に一回の糖尿病の検査日です。午前中はほぼ検査で終わり、午後に日本舞踊の稽古に行きます。糖尿病はこのところ数値も安定していますので、大きな心配はありません。

 かつては毎晩、酒を飲んでいたのですが、今は家で酒は飲まず、たまに外に出た時にハイボール3杯ほど飲んで止めます。実におとなしい酒です。50歳で糖尿病と分かった時に、このままでは命が危ないと言われました。

 その時、私は今の家のローンがあと15年分残っていました。ローンを娘や女房に背負わせてはいけないと思い、その時から酒をやめました。やめたと言っても家で飲まないと言うことで、週に一回くらいは外で飲みます。それを15年間続けました。そして去年30年のローンを払い終えました。これで一安心です。

 さて、これで心置きなく酒が飲めると思いましたが、もう家での飲酒はやめました。時々飲みに行く程度で満足できるようになったのです。随分欲のない人間になったものだと思います。でもまぁ、これでちょうどいいのでしょう。明日は大阪に行きます。明後日はZAZAでの公演です。終演後久しぶりにみんなで飲めます。楽しみです。

 

ヒュウガ&ザッキー

 この一年半、急激にヒュウガさんとザッキーさんとの付き合いが始まり、毎月会っています。日向さんと言うのは東大マジック研究会にいて、卒業後、プロマジシャンになりました。以前から何度か接触があって、日向さんがSAMのマジックコンテストに出た時に、私が審査員をしたりする関係でした。

 彼が大学を卒業した後、しばらく縁がなかったのですが、ある時、彼が自主公演をしているのを知り、それを見に行きました。100人入るかどうかと言う小さな会場でしたが、満席でした。観客席にマリックさんが来ていました。芝居仕立てのマジックショウでした。しっかり観客の心をつかもうと努力をしています。これだけのショウを構成し、自ら出演する才能には感心しました。

 

 私は、前々から、私の知る東京大学のマジシャンは、芸能人に向いていないのではないかと思っていました。人を型に押し付けてみるのはいいことではありませんが、どうも私の知る東大生は、人や社会となかなかかみ合っていない人が多いように見受けられました。自己主張は強くても、相手がどう考えているかを理解していない人が多いように思います。こうあるべきだと主張しても、そうならないときはどうするのか、そこを修正する柔軟さに欠けた人が多いのではないかと思っていたのです。

 そんな人がプロになって、舞台に上がって、自己主張ばかりして、全くお客様が見えないような状況では、プロとしては生きては行けません。芸能とは、ぐちゃぐちゃした矛盾した世界ですから、万事理屈の通りには進みません。ましてやお客様の機嫌を取って、相手を喜ばせて生活してゆくなんていう生き方が、そもそも彼らにできるだろうかと思っていたのです。

 そんな東大生のマジック愛好家の中では唯一、菰原裕(こもはらゆう)さんは、愛想のいい、人の気持ちのわかる珍しい東大生だと思いました。彼には何度か舞台を依頼しました。そしてもう一人が、日向大祐(ひゅうがだいすけ)さんです。

 そもそもは、日向さんが昨年春に私の所に訪ねて来て、「自主公演を10年続けて、それなりの成果を見たのですが、この先どうしたらいいのか」。と相談を受けました。私は、日向さんが、自主公演を10年間続けてきたことに先ず注目しました。こういう東大生と言うのはいません。東大どころか観客から作って行くと言う発想を持ったマジシャンが日本にいないのです。

 彼の活動は、私が23歳の時から今まで60公演以上リサイタルをしてきたことと相通じるところがあります。私は、彼に興味を持ちました。そこで「文化庁の芸術祭に参加して見てはどうか」。と話し、芸術祭の資料や申し込み方法を伝えました。当人は芸術祭参加に意欲を燃やしていましたが、結局、参加には至りませんでした。

 その後、何度か会ううちにザッキー(神崎=こうざき)さんを連れて来ました。ザッキーさんも10年前から知っています。JCMAのコンテストで、ザッキーさんがコンビで出ていました。私はそれを審査したのですが、私はかなり高得点を入れました。

 この時、彼のキャラクターに興味を持ちました。その後ザッキーさんとは何度か会い、私の横浜にぎわい座での公演でステージハンドを手伝ってもらいました。それ以降、彼が就職したため、縁は途絶えました。久しぶりの再会です。

 いろいろ話すうちに、彼はプロになりたいと言います。すぐにも会社を辞めてプロになると言うのです。私は、仲間の岐阜の辻井さんから、彼の評判を聞いています。峯村さんからも聞いています。評判は上々です。そうなら、プロになることを進めるべきかもしれません。然し、彼の話を聞いているうちに少し不安を感じました。

 彼がどこを仕事場にして生きて行こうとしているのかが曖昧だったのです。そこで、「会社を辞める前に、まず半年後位に自主公演をしてみてはどうか」。と話しました。30人程度でも人を集めて、クロースアップから、サロンから、とにかく1時間のショウを演じてみて、そこでアンケートを取って、お客様がどんな反応をしたかを確かめてそれからプロの道を考えてはどうかと言いました。

 すると彼は前向きに公演を考えるようになりました。プランを考えるうちに、ザッキーさんは、自分の持ちネタが少ないことに気付きます。1時間お客様が納得する内容で演技をまとめることが難しいと、気が付いたのです。

 そこで、私は支援する意味で、「1年間基礎指導をするから毎月習いに来なさい」。と言いました。そこに、日向さん、古林一誠さん、などが集まり、毎月一度基礎指導が始まりました。私が弟子に対して行う。ロープや、シルクの指導です。

 こうした稽古はプロ活動をしている人はついつい舐めてかかるのですが、実はとても大切なものなのです。基本がわからないから、応用が思いつかないのです。白い紙をテーブルに置いて、何か新しいアイディアはないかと1年悩んでいても、紙は白紙のままです。オリジナルはほぼ不可能なのです。アレンジこそ自分の手順を生かせるのです。そのためには基礎を積まなければ何も生まれないのです。

 こうして、今日、指導をして、1年が経ちました。実は、2回コロナで休んだ月がありましたから、その分追加して年内いっぱい指導します。途中、私が自主公演している玉ひでの舞台に毎月出てもらっています。多少なりとも観客の反応が理解できて勉強になっていると思います。

 この、基礎指導はだんだん人が増えて、今は8人の集まりになっています。8人が講習後、ディスカッションしながらマジックを考える集会は、実にアカデミックで面白いものです。一人でどうしようか悩んでいも、答えは出ません。人と交わりつつマジックを考えたほうがはるかに有効です。さて、ザッキーさんは自主公演ができるでしょうか。日向さんはこの先自身のなすべき道が見つかるでしょうか。道は遠いとは思いますが、長い目で見て期待しています。

ヒュウガ&ザッキー終わり

衆寡敵に勝つ 2

 今日(30日)は朝から鼓の稽古。その後に前田の稽古を見ます。今日は銀行さんが来たり、大阪のチケットの依頼を受けたり、色々と忙しい一日になるでしょう。

 4日の岡山行きは更に一泊して、5日の帰りになりそうです。久しぶりの岡山ですので、知人の市長さんや、企業の社長さんに合って昼、夜、食事をしたりすると、どうも一泊余計に泊まらなければならなくなりました。私を迎え入れてくれる方々がたくさんいることは幸いです。

 

又も悪法がはびこる 

 東京都が、夜遊びをして感染した人や、クラスターを出したレストランや、劇場に罰則を設けようと言う法案を検討しているそうです。馬鹿な人たちです。せっかく景気が回復しつつある中に、またも水を差して、失業者を出そうとしています。

 何がしたいのですか。感染者もクラスターもみな被害者ではないですか。なぜ被害者を悪人に仕立てて、そこから罰金を取ろうとするのですか。それこそ差別であり、悪法ではありませんか。罰金でコロナを守って、本当に効果がありますか。仮に感染者が減少しても、それによって景気が停滞して、失業者を出して、自殺者が増えたなら、国や、地方自治体は国民の生活を守っていることになるのでしょうか。

 どこの企業も銀行から多大な借金をして、すでにいっぱいいっぱいの状態です。こんな時にまたぞろ、外出禁止令を出して、何か効果が出ますか。これでますます人が出歩かなくなるでしょう。

 

 何度も申し上げますが、毎日何百人感染者が出ようとも、殆どの人は治っているのです。それも大した治療薬もないままみんな風邪薬を飲んで、治っているのです。日本の死者はこれまでで1600人です。肺炎や、インフルエンザで亡くなる人よりもはるかに少ない数です。日本で一年間に餅でのどをつまらせて亡くなった人は1500人。それとほぼ同じです。何を恐れるのですか。

 コロナの危険度は、初めは疫病のランクの第2段階、すなわちエボラ出血熱と同等だったものが、今は5段階、普通の風邪に落ちています。それなら普通の風邪です。

 アメリカやイギリスの死者が多いのは、欧米人はそもそも、中国のウイルスに免疫ができていないからです。逆にアジア人は免疫がありますから死者はどこもわずかです。更にアメリカは人種差別によって、賃金の格差がひどく、病院にも行けない人が多数です。入院できても、保険に加入していない人がまた多数です。保険は民間の企業が行っていて、とても高額です。低所得者には加入できません。保険無しで二週間入院した人に3000万円の治療費請求が来たと言います。3000万円では日本人でも払えません。

 白系のアメリカ人と黒人とを比べると、コロナで亡くなった黒人の数は白系の二倍です。結局人種差別がウイルスを増やしているのです。イギリスも、フランスも似たようなものです。日本のようにすべての人を平等に保険に入れてはいないのです。そんな国と日本は比べられません。

 ただ。日本で問題なのは、風評被害です。テレビ局が煽りすぎたせいで、人は出歩かなくなりました。単なる風邪であるにもかかわらず、人は何事も過大に反応します。

 それが無意味であることこを、政府や地方自治体が真剣に訴えて、「煽り」を規制すべきです。そうしないと人は殻に閉じこもって動こうとしません。このままでは経済は死滅してしまいます。だめになってから騒いでも遅いのです。今は経済活動を守りつつ、コロナに立ち向かう時です。

 

衆寡敵に勝つ 2

 これだけクロースアップが世間に認知されたのなら、そこから優れたプロが出て来てもよさそうです。確かに、前田知洋さんや、藤井あきらさんは世間に認知されました。更に一層、世間の芸能人と肩を並べられるようなプロのクロースアップマジシャンが欲しい所です。

 それには、人として魅力のあるプレイヤーの出現が望まれます。マジックをしなくても、一緒にいて楽しい人、その人のそばにいるだけで何か温かいオーラに包まれるような人、そんな人がクロースアップマジックを演じて欲しいのです。

 テレビに出演する時でも、常にマジックを見せることで出演するのではなく、コメントを求められるために出演したり、他の文化を語るときに解説役で出演するような人が出て欲しいのです。私が求める、クロースアップマジシャンと言うのはそんな人です。

 それには、まず、今やっているマジックを芸能として確立させなけらばなりません。不思議さや、現象だけでお客様を引っ張っていては、常にテレビの中では色物なのです。そこから少し客観的に自分を眺めて、芸能として面白く作られているマジックをしなければなりません。

 「カードを引いてください」。「シャッフルしてください」。と言う段取の喋りばかりではなく、ちゃんとした会話が聞きたいのです。その会話が魅力ある物であってほしいのです。それにはまずマジシャン自身がマジックから離れて、自身の魅力で人を引き付けるようでなければいけません。すなわち芸能人でなければいけません。ミュージシャンも、演劇の俳優も、古典芸能の演技者も、そうした人たちが何に苦しみ、そこから何をつかんで来たのかを知らなければいけません。

 いつまでも、マジックの世界の中だけで認められることに満足せずに、コンテストや、アマチュアの評価ばかり気にせずに、本当の芸能人を目指すべきでしょう。そうなって初めて「衆」の中から飛び出て、「寡」の立場を手に入れ、周囲のマジシャンを超えて見せることになるのではないかと思います。

衆寡敵に勝つ終わり