シベリアの寒気
このところ朝晩が随分と冷え込んで来ました。私はいつも明け方に起きて、ブログを書いています。早く書き上げると、再度少し寝ます。時間がかかる時は、そのまま朝食を取ります。朝一番にものを書くと言うのは、頭が冴えて、爽快な気分になります。
それでも昨晩のように、急に気温が下がると、早朝に起きるのをためらいます。「もう少し寝ていようかな」。としばらく床の中で考えます。そのうち、気持ちを改めて、起き出して、一階のアトリエに向かいます。一階はほとんど日が射さないため、部屋に入ると別世界の寒さです。でも、これが物を考えるのには最適です。
私が子供の頃は、東京はもっと寒かったように思います。朝学校に行く時には水たまりが凍っていましたし、庭の植え込みなどは霜が張って土が盛り上がっていました。わざとその盛り上がったところを踏んで、シャリシャリさせて歩くのが楽しみでした。
風は激しく吹いていて、電線がビュンビュンうねりを上げていました。親から、「上州のからっ風が関東平野を吹き荒れるんだ」と教わりました。上州とは群馬県だ聞きました。聴いても子供にはどこだかわかりません。晴れた日に北を眺めれば、榛名山や、赤城山が見えます。つまり関東平野の行き止まりです。
目には見えていても、上州と聞くと随分遠い土地だと思いました。実際、昭和30年代は、新幹線も、高速道路もなかったわけですから、遥かに遠い土地だったのです。江戸時代からの伝統で、東京の建築仕事は、多くは冬場に行いました、これは冬場になると、新潟や、東北の人たちが、農閑期になるために、江戸に出て来て、土木建築を手伝っていたためです。
私の祖父は、ブリキ屋をしていました。その昔は、屋根や看板や、雨樋など、大概のものをブリキ屋が手作りで作ったのです。お寺の銅板屋根の張替えなど、大きな仕事はためておいて、冬場になると東北からやってきた人たちを雇って作業をしていました。
空っ風の吹くなか冬場の作業は辛いだろうと思いますが、東北の人たちは、「東京は暖かい」。と言いました。毎年3人も4人もやって来て、その都度、部屋を用意して日当を渡していました。どの人もほっぺたが真っ赤でした。子供だった私は、東北の人と言うのは頬が赤いものなんだと思っていました。
冬場の日本海側の土地は、シベリアから吹いてくる風で日本海が荒れます。江戸時代は、北前船と呼ばれた千石船が、北海道から関西まで頻繁に往復していましたが、行き来が出来なくなり、日本海側の港は船の移動が止まります。船が来ることで潤っていた港が、ひっそりと静まり返り、春を待ち焦がれます。
正月に宝船に七福神が乗っている絵を飾ることがありますが、あれはまさに日本海側の港に住む人たちの春を待つ願望の表れなのです。千石船がやって来ることを心待ちにしているのです。船には、米俵、衣類の反物、サンゴの細工物。小判、それに七人の神様、あらゆるものが乗っています。正に千石船は宝の船なのです。
シベリアの寒気は、海を荒らし、船を止めます。日本の国土は、ちょうどシベリアの風を受け止めるように湾曲しています。日本列島の背骨の山脈にシベリアの寒気がぶち当たり、庄内平野や越後平野、能登半島などに大量の雪を降らせます。
冬のシベリアはマイナス40度にもなります。その風が朝鮮半島や、中国の北京あたりまでやって来ますが、温度はマイナス20度くらいまで収まります。日本ではそこまで寒くはなりません。むしろ雪の災害の方が重大です。
シベリアの寒気は、越後平野で散々雪を降らせて、水分が抜けて、乾燥したため軽くなり、山を越え、群馬県に到着します。山を越えると雪はほとんど降らずに、風が吹き抜けます。これが上州の空っ風です。乾燥した風は、スキーのゲレンデを滑り降りるようにして、東京にまで向かいます。関東は土地が暖かいため、風も温度が上がり、さほどに寒くはなりません。このため、関東の冬場はほとんど雨も雪も降らず、晴天が続きます。
欧州の人たちは、冬の東京の晴天続きの気候をとても驚きます。冬の欧州は、重く、低く雲が垂れこめて、暗い空なのです。それと比べたなら、まるで天国だと言います。確かに冬に観光するなら太平洋側の日本は最高にいい土地です。
江戸時代から、冬の関東は、雨も降らずに暖かなため、土木作業にはうってつけでした。しかも、東北や、新潟の人たちが大勢働きにやってくるために、人手が豊富で、大きな土木作業は冬場に行うのが江戸時代以来の通例だったのです。
但し、風が強くて、乾燥している冬場は、放下が頻発しました。江戸の町は三日に一度火事があったと言います。多くは放火でした。町が一町も焼ければ、大工や左官や、畳屋、家具職人などがその日のうちに仕事にありつけるために、年末で支払いに困った庶民が、ついつい放火をしたのです。
「火事と喧嘩は江戸の華」。と言いますが、実際、火事を見ると、「これで仕事にありつける」。と喜ぶ人が大勢いたと言います。江戸の闇が見えます。大金持ちも、火事にあえば一夜にして長屋暮らしになります。
乞食の親子が、火事で焼け出されて泣いている金持ちを見て、「ご覧、息子よ、なまじ金があるからああして涙を流さなけりゃぁならないんだ、それを思えば我々は幸せ者だ」。と諭したと言います。初めから何もない人は強いです。
少し寒くても天気の良い、関東に暮らしていることは幸いです。寒いの、風が強いのと文句を言ってはいけません。金がなくても、銀行に借金があっても、有り難いと言って、お日様に感謝をして暮らすべきなのです。
続く