手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

第9の季節

第9の季節

 

 毎年11月の末くらいから、日本の演奏会場では、ベートーヴェンの第9(第9交響曲合唱)が頻繁に演奏されます。ベートーヴェンの9つある交響曲の中で、第9番は傑作中の傑作であることは勿論なのですが、だからと言って、欧米で頻繁に演奏されているわけではありません。

 むしろ、余りに演奏時間がかかる事(4つの楽章で、合計120分かかります)や、交響楽団の他に、100人以上もの合唱団、歌手4人が必要なため、経費が掛かり過ぎて、本場のドイツでもめったに演奏される機会の少ない曲です。しかも欧州では、12月末に第9を演奏すると言う決まりがありません。この曲を年末に演奏するのは日本だけのようです。

 

 どうして、日本で年末に第9が定着したのかと言うと、太平洋戦争(1945年)以後、交響楽団は、運営に苦労していました。敗戦で国民の多くは飢えていて、高価な演奏会に行くようなゆとりがなかったうえ、そもそも日本ではまだ西洋音楽の理解者が少なかったのです。

 そのためどこの交響楽団でも運営は赤字続きだったのです。そこで、起死回生の一手として、年末にベートーヴェンの第9を演奏することを思い立ちます。

 なぜ第9が起死回生なのかと言うと、第9は合唱団を大学の合唱団に依頼することで、子供の晴れ姿を一目見たいと言う学生の家族や、親戚がたくさん切符を買ってくれます。お陰で客席は満席になります。

 日頃観客動員に苦労していた交響楽団が、年末の第9を演奏すると、思わぬ興行収益が手に入って、交響楽団は潤ったのです。これを当時は「餅代」と称して、楽団の生活の足しになりました。

 以来、第9は、日本のオーケストラの楽団員に幸せをもたらし、生活安定のために年末に第9を演奏するのが定着しました。めでたしめでたし。

 それにしても平成以降の、第9の演奏回数が余りに頻度が高いのが驚きです。まず日本中の市民会館、県民ホールが必ず年末は第9を演奏します。地元に交響楽団があればいいのですが、全国には交響楽団がない土地もあります。そうなると、東京には7つも8つも交響楽団があるために、彼らが、出かけて行って、年末は掛け持ちをして、地方で第9を演奏します。合唱団は地元の人がチームを作って参加し、年末のためにアマチュアの皆さんが練習をします。

 世界中でこれほど熱心に第9を演奏する国は日本くらいです。ドイツもアメリカも、演奏回数で言うならとても日本にはかないません。驚きの現象です。

 

 第9を一度でも生演奏で聞くと、この曲が如何に優れた音楽なのかが良くわかります。但し、第4楽章だけでも優に30分かかります。かつて、SPレコードだったころは、片面4分しか録音できませんでしたので、4分ごとにレコードをひっくり返して、実に第4楽章だけでも4枚。全曲で10枚のレコードが必要だったのです。当時のレコードはとても高価だったため、それだけでちょっとした財産でした。

 私の子供の頃でも、LPレコードの裏表1枚ではとても納まりきれずに、第9は二枚組で販売されていました。当然価格は二倍でした。普通レコード一枚が2000円から2500円しましたので、5000円もしたのです。学生のアルバイトが一日働いて1200円の頃です。それだけ高価な代物でしたから、手に入れたときには宝物でした。

 カラヤンワルターメンゲルベルク、いろいろ買いました。当時最高と言われていたフルトヴェングラーもラジオで聴きましたが、前半が余りに陰気臭くてどうも相性が合いません。お終いの気が狂ったような猛スピードの演奏は、感動しましたが、余りにスピードが早くて、オーケストラがついて来ていません。面白いことは面白いのですが、これが世界の最高とは思えませんでした。

 メンゲルベルクは文句なく面白かったのですが、録音が古くて、こうした壮大な曲を聴くには物足りません。むしろ、私の音楽仲間の石川弘明君が持ってきたカールベーム指揮のウィーンフィルの演奏は、録音も、指揮者も、オーケストラも文句なく素晴らしく、特に第二楽章のトロンボーンの音が特殊で、その響きに感動しました。

 

 第一楽章は、まるで雲のかかった上空から下界を眺めているかのような始まり方をします。1800年代の聴衆には、とてもアバンギャルドな始まり方だったでしょう。下界は悩みで満ち溢れていて、苦悩はやがて頂点に達し、嵐のように吹き荒れます。そして何も解決することなく曲を終えます。高校生だった私にとってはショックの連続で、飛んでもない大きく、深い世界を見せられた気持ちになりました。

 第2楽章はスケルツォですが、本来は陽気な踊りの曲であるはずなのですが、苦悩は続きます。途中派手な管楽器の凱旋曲が聞かれますが、一向に悩みは晴れません。心の中は戦い続けています。

 第3楽章は一転して、のどかな天国的な世界に浸ります。宗教的な安らぎにも感じられます。綺麗な世界です。ベートヴェンもしばし悩みを忘れて、この世界に耽溺して行こうとしますが、ベートヴェンの偉いところは、問題の解決を忘れていません。この安らぎは、かりそめであって、自身はいまだ真実を手に入れてはいないと気付き、ここから抜け出して行きます。

 と、ここまでで3つの楽章を合わせて50分以上かかります。どの楽章もぎっしり内容が詰め込まれていて、ベートヴェンと言う人が真摯で、ストイックな人であることが良くわかります。

 

 そして第4楽章。いきなり嵐が吹き荒れています。然し、やがて雲の間から、歓喜の歌が弱弱しく演奏されます。歌は繰り返されますが、突然音楽を遮るかのように、嵐が吹き荒れて、テノールのソロが歌い始めます。「おお友よ、こんな音楽ではない」。と今迄の音楽全てを否定します。さんざん悩んで苦しみ抜いてきたことを否定するのです。そしてみんなで手をつないで歓喜の歌を歌おうと呼びかけるのです。

 音楽は、オーケストラと合唱団の全合奏になり盛り上がります。音楽はどんどん上昇して行き天国にまで届くほどになり、頂上に届いた瞬間に世界中に歓喜をばらまいて終わります。

 大変に内容の濃い、厚みのある音楽です。ベートーヴェンの粘着質な性格にも感心しますが、彼の性格はそのままドイツ人の性格に見通じるのではないかと思います。

 世界中で一番頭のいい民族はドイツ人でしょう。ものの本質を見つけ出し、答えを探し続ける粘り強さはドイツ人ならではです。中学生のころからべートーヴェンを聞き、未だにこの作曲家の音楽に圧倒され続けています。

 どうぞ年末は良い機会ですから、是非第9を聞いて見て下さい。地元のオーケストラの演奏でも学生のオーケストラでも結構です。相当に下手な演奏でも、曲がしっかりしていますし、構成が見事な曲ですから、聴いてはずれがありません。ひと時、豊饒な文化の充実感に浸れます。

 続く