福井の三日間 3
6月3日、昨晩(2日)は福井の駅前のホテルに泊まりました。いつものように早朝5時ころ目が覚めて、5時30分くらいからブログを書き始めました。ところが、6時30分になって、携帯電話がけたたましく鳴りました。地震情報です。
旅先で地震は面倒臭いことになります。もし新幹線が止まるようなことがあれば、数日福井に取り残される可能性もあります。これは拙いと思っていると、10秒後くらいに建物全体が横揺れしました。揺れはすぐに終わりました。テレビでは、能登半島が震源地だと報じていました。能登では正月以来、今も地震が続いているのです。その後福井では何の問題もなく安心しました。
この朝私は、昨日の三国の町並みについてのブログをまとめていました。すなわちこの原稿がそれです。今回の旅は三国にある龍翔博物館での手妻の公演がメインなのですが、私の気持ちは、三国の町並みそのものにありました。
江戸時代から北前船で栄えていた町が、明治時代になって、大型の汽船が出来たり、北陸本線などの発達につれて、それまで交通の要所だった町が取り残されてしまい。明治末年の往時のまま町ごとフリーズされてそっくり現代に残されています。
こうした町は日本中たくさんあります。今となっては何でもない古ぼけた小さな漁港が、実は、江戸から明治にかけては日本の流通の重要拠点だったのです。
そうした町を壊して新しい町に作り変えるのか、逆に伝統保存して古い町並みを生かすのか。恐らくどこの町でもこのことは喧々諤々の議論をされていて、なかなか考えがまとまらず、結果は、それぞれが思い思いの家を建て替えたり、ビルにしたり、町から人が出て行ってしまって、空き家のまま放置されたり、そうして今に至ったのではないかと思います。
今となっては多くの町では老人が住むばかりで、仕事もなく、刺激もなく、面白みのない、若者をひきつけられないつまらない町になってしまった、と町の皆さんは焦っているのでしょう。
但し、それが本当につまらない町なのかどうか。確かに、いま日本中にある古い町並みは、このまま放置しておくと必ず廃墟になって行きます。廃墟にまではならなくても、どこの町にもあるような、ビルと、少しばかり取り残された木造住宅が混在するような、面白みのない町並みになって行き、やがて商売が成り立たなくなるほどに人が減って何をやっても上手く行かない限界集落になって行きます。然し、今、何とか処置をすれば、町は甦ります。日本中の多くの町は岐路に立たされているのです。
基本的なことを申し上げるなら、日本の古い町並みの保存と欧州のそれは大きくは違いません。でも、欧州では、町を壊して作り変えようと言う発想はありません。一つは煉瓦や石造りで壊しにくいと言う理由もあるでしょう。でもそれよりも何よりも、そもそも町並みに対する愛着の度合いが違うのでしょう。
例えばヨーロッパの町並みがなぜ美しいかと言うなら、それは町ごと建物の高さが揃っていて、屋根の色、壁の色が統一されているからです。欧州の田舎へ行くと、町中オレンジ色の瓦屋根で統一されていたり、壁の色が白い石や、茶色い煉瓦で統一されていたりと、町全体のグランドデザインが出来上がっています。こうした町並みでは、一軒だけが近代的なビルに建て替えると言うのは難しい判断になると思います。
実は日本もかつてはそうだったのです。黒い瓦屋根、白い壁、板塀の上からは松の木が覗き、竹垣にはつつじが咲き、朝顔が咲き、紫陽花が咲くような統一感ある街並みだったのです。庇(ひさし)の高さはどの家も共通で、街道から家を眺めると、見事に統一感があったのです。こうした家並みを見る限り、昔の日本人は、文化的で、高度な生活をしていたと思います。住む人の美的センスが素晴らしかったのです。
自分の土地だから、自分の家だからと言って思い思いの家を建てると言うのは、欧州では許されません。壁の色から屋根の色、デザイン、高さ。窓のサイズ、窓の枠の色に至るまで細かく規制がされているのです。いま日本で、古い町並みを残したいとする有志の人たちは、ほとんど実際の権限がないまま伝統を残そうと言う、有志の思いだけで行動しているために、事は簡単に行かないのです。
町をどう残すかという問題は、そこに住む人たちの根本的な問題なのですから、国なり地方自治体なりが、明確に法律や規制を作らないと、実際には住人同士で何とかしようとしてもまとまる話ではないのです、国や地方自治体が統一された考えを持った上で町を残そうとしない限り上手くは行きません。
無論、斬新な個性的な家を建てたいと思う人がいてもいいのです。しかしそうした人は、伝統や歴史から離れた郊外に移り住めばよいのです。
さて、私がなぜ古い街並みや、古い家に興味を示すのかと言えば、それは、かつて、手妻(日本の伝統的な奇術)を復活させるときに、一度は消えかけた、日本の手妻と言う芸能を復活させるには、何を残し、何を変えなければいけないか、と言うことで随分悩み、苦しんだからです。
古いマジックを発掘して、それを演じて残して行きたい。そう思う気持ちは間違ってはいません。個性的な芸能ですから、巧く復活させれば珍しいものとして多くのお客様に興味を持たれるでしょう。
然し、よく考えなければいけないことは、それを演じることで、実際に手妻師が生活して行けるかどうか。私だけでなく、この後、弟子が増えて、20人30人もの手妻師が育った時に、芸能のいちジャンルとして活動が成り立つかどうか。
単に手妻の作品が面白い、オリジナリティーに溢れている。海外にはない考え方だ、としても、それで多くの人が生きて行けるめどが立たなくては、一時の機運で盛り上がっても、やがてまた衰退していくことになります。
伝統芸能、伝統工芸、古い町並み保存も同様です。街並みが奇麗だから残したい。それは素晴らしい考え方なのですが、その美観を維持するために家の保存を住人にばかり押しつけても、歳を取った住人は家を支えることは出来ません。国や地方自治体に補助金を求めても、永久に補助金を貰い続けることは出来ません。
町に住むことで、美観を維持しながら住人が利益を生んで、自活して行けるようでなければなりません。それには古い町並みが利益を生み出さなければ町の存続はあり得ないのです。
同様に手妻も、手妻で生活が出来て、国に税金を支払えるようでなければ一人前とは言えないのです。私が手妻をどうしたら残せるか、という点に悩んだのも、実は、「どう残すか」ではなく、「どう生かすか、どう稼ぐか」。と言うことを明確にしなければならないと言うことに気付いたからなのです。
結局、手妻は面白いと言うだけでは何の役にも立ちません。どうすれば私が生きて行けるか、から、どうすれば多くの弟子達が生きて行けるか、という大きな話に変わって行ったのです。明日は、その点についてお話しします。
続く