手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

天性の物

天性の物

 

 子犬や子猫は自らが人に愛されたいと思って行動しているわけではありません。子犬は子犬のまま普通に生きているだけなのに、仕草が可愛いとか、人間の子供のようで天真爛漫だとか、天性の可愛さが人を引き付けて、人は子犬を飼いたいと思うのでしょう。

 これは全く芸能の世界にも当てはまります。芸能の世界で成功して行く人はそもそもそこにいるだけで、周囲に人が集まり自然に人気が出るような人です。いくらやっても目が出ない人、売れない人などいろいろある中で、なぜこの人は人気があるのか、いろいろ考えてみても、人を引き付ける人に理屈などありません。

 巧いも拙いも、いいも悪いも超越して、そもそも子犬のように天性の魅力があって、それが演技でしているわけでもなく、心のままに生きて、愛されるのです。

 アイドルや俳優の世界にはこうした人がたくさんいます。マジックではここまで天性の人気者と言うのはなかなか出て来ないようです。でもこの先出ないとは言えません。マジックの世界では、天性に恵まれた人はごく少数で、多分に後天的な要素で売れて行く人が多く、マジックが好きで、ひたすらマジックのスキルを学ぶことで力を付けてマジシャンとして成功して行く人が殆どではないかと思います。

 誰からも愛されて、陽気で快活な人がマジシャンになれば、多くの人が集まって来て、人気があってうまく行くだろうと思います。私は10代から舞台に出ていまして、12~3のころから、タキシードを着て、ハンカチやら、ロープやらのマジックをして、一端に大人と一緒になって舞台に出ていました。当時子供のタレントは珍しかったので、随分とあちこちから仕事を貰いました。

   芸能事務所によっては、毎月のように仕事を依頼してくれるところもありました。その事務所の多くは、社長の奥さんがマネージメントをしていたりして、私はどうやらその奥さんに認められていたようです。そんな事務所が数か所あったおかげで、子供のころはとても忙しく舞台をしていました。

 とこう書くと、まるでアイドルのような仕事をしていたかのように思われるかもしれませんが、その舞台の実態は、演芸会であったり、寄席であったり、座敷であったり、お祭りの舞台であったりと、当時のマジックの芸能のレベルはとても低いもので、大した仕事ではありませんでした。そうした中でも、そこそこ贔屓にしてくれた仕事場がたくさんあったのです。

 然し、何の実力もなく、ただ若いからとか、見た目が少しいいからなどと言う理由で仕事が多いと言うのは、これほど危うい生き方もありません。当時は親に養われているから生きては行けましたが、せいぜいが小遣い稼ぎでした。しかも、17歳くらいになると急に仕事が来なくなりました。

 だんだん背が高くなって大人と変わらなくなってしまい、顔つきも、もう子供らしさも可愛げも無くなって行ったのです。逆に、大人として見ると、技の稚劣さが目立ち。何とも不器用な男に見えたのだろうと思います。子供が自然に備わっていた魅力と言うものがどんどん薄れて行って、舞台の依頼が無くなって行ったのです。子役が売れなくなって行く道とまったく同じです。

 

 生まれながらに備わった素質だけで生きて行こうとするのには、芸能はこれほど危険な道はありません。子犬がいつか成犬になるように、子供の愛嬌はいつか分別臭い大人の表情に変わって行きます。素材だけで一生生きて行くことなど不可能なのです。長くこの道で生きるにはやはり芸能を身に着けなければならないと知るのです。

 

 私は良く弟子を取る際に、ひと受けのする、見かけの良い人ならまず初手はうまくいく。と判断します。そのため、見た目のいい人は優先して取ります。その方が明らかに女性ファンがつくからです。芸能は多分にセクシーな要素が必要なのです。

 ビギナーのころはマジックが巧いと言うよりも、見た目がいいと言うのは大きな要素です。然し、そうだからと言って長い目で見て、その人が見た目で大きな成功を掴むかと言うと、必ずしもそうはなりません。ビギナーのころ、人に認めてもらう際には、見た目によいマジシャンは仕事を早く掴みます。

 但し、長く芸能を続けて行くには、見た目だけではどうにもなりません。大きな成功を掴むには飛んで見せなければなりません。普通にマジックをしていては駄目なのです。人と違った道を探し当てなければなりません。

 人の気付かないことに気付いて、人の見えないものが見える目が必要なのです。普通にマジックをして、人とのつながりだけで、上手く生きて行こうとしても、それで手に入る仕事は安価な仕事ばかりです。余りに安い仕事ばかりをしていると、顔つきまで貧相になって来て、愛嬌や、芸の艶が消えてしまいます。どこかで魅力ある舞台を作り上げなければ、夢ある芸能は生まれて来ないのです。

 そこでテクニックを駆使して、独自のマジックを工夫しようと試みるのです。そこから独自の芸の完成にはずいぶん時間がかかります。そしてようやくこの道で一角のマジシャンになったころ、ふと原点に立ち返って、人はなぜ子犬を可愛いと思いうのか、縁もゆかりもない子犬をなぜ飼おうと思うのか、と考えたときに、子犬の生き方こそが、芸能の在り方なのではないか。多くの人の求めるものはそこにあるのではないかと思い当たります。案外そこに立ち返って、原点のままに子犬がじゃれ合って生きる姿こそが、芸能の到達点なのかも知れません。

 技に腐心し、独自の世界を作ろうと努力をし続けて、ようやくどうにかなったかと思う矢先に、子犬の生き方にこそ芸能の目的があると気付いたときに、芸能の業の深さと空恐ろしさを知るのです。

続く