謎知り染めて それからが 3
私の行っていた大学の商品学の先生、中野先生と仰いました。その先生が教えて下さった言葉で、「昨是 今不是(さくぜ こんふぜ)」、という言葉があります。
聞いたときには何のことかもわからず、何とも感じませんでしたが、その後忘れることが出来ず、今では頼まれると色紙にまで書いています。
それは、「昨日までならそれでもいい、然し、今日からはそれではいけない」、と言うものです。このことは、今日のブログのタイトル、「謎知り染めて それからが」と同じことを言っています。
物が見えていないときに、見えないなりに必死になって何かをやって行くことは悪いことではないのです。然し、物が見えるようになったなら今までのやり方、今までの考え方では通用しないと言うことです。
物が見えたということは、次のステップに進むための切符を手に入れたことと同じです。マジシャンで言うなら、何とか自分自身で基礎的なマジックを積み重ねて、多少アレンジを加え、自分なりのマジックを作り上げて、コンテストで入賞した。先ず第一ステップは成功したわけです。
入賞したことで、せっかく人の経験したことのない、次の世界の乗り継ぎ切符をもらい、新たな扉が開けます。
そうなら早く次の列車に乗り換えなければいけないのに、ずっとホームに座り込んで動こうとしない人がいます。
中には、今来た線路を逆戻りして、見慣れた風景を楽しんで帰って行く人がいます。
はたまた、全く見当違いな列車に乗って、どこかに行ってしまう人もいます。アマチュアならどんな生き方もいいのですが、これからプロとして生きて行こうとする人が、それで生きて行けるわけがありません。
若いうちにカードや四つ玉や、シンブル、ゾンビボールなどをすることはとても価値があります。それらは基礎のマジックですから、それを学んだか、学ばなかったか、はその後のマジシャンの技量に大きく影響をします。
私の一門も、みんな手妻を習いたくてやって来ますが、入門早々はカードや四つ玉の手順を学びます。それらを学ぶことはマジックがどんな考えで出来ているのかが良くわかるため、その後の活動にとても役立ちます。
実際、私もスライハンドを舞台にかけていた時期がありました。私だけでなく、ナポレオンズさんもカードやゾンビボールをしていましたし、マギー司郎さんも四つ玉を舞台で演じていました。今では考えられないことです。
但し、私も含め、三組は決して上手い部類のマジシャンではありませんでした。彼らがその後、そこにこだわって生きていたなら、彼らの成功はなかったでしょう。どこかで次のステップに進まなければならなかったのです。
ノームニールセンさんは、軍隊に行き、朝鮮戦争で戦いました。昭和27年ころの話です。アメリカ政府は、兵士として戦い、仕事のスキルを学べなかった若者のために、退役後に、職業訓練所の授業料、習得期間の生活費までを全額支給してくれました。
その職業リストの中に、何とマジックの指導所がありました。子供のころからマジックが好きだったニールセンさんは、チャベツスクールに入門し、無料で、給料付きでマジックを学べたのです。
彼はそこで数年、みっちりマジックを学び、意気揚々と故郷に帰って、シカゴの大きな芸能事務所に行って、自分の習って来た演技を披露しました。
そこで、審査員の言ったことは衝撃でした。
「君がこの先、マジックで生きて行きたいなら、マジック学校で習ったことをすべて捨てなさい。アメリカではそんなに大勢、ボールやカードを扱うマジシャンは必要ない。
私は、毎日数多くのマジシャン志望の演技を見ているが、みんな判で押したように、手を裏と表を見せながら、カードを出す。マジックってそれしかないのか。
みんなが見たいマジックは人のやらないマジックです。人のやらないマジックを考えたなら、また来なさい」。
ニールセンさんの落ち込んだ姿は想像に難くありません。いきなり奈落の底に落とされます。絶対にこれで生きて行けると思っていたテクニックは実は無価値だったのです。
然し、ここに大きな成功の秘訣が隠されています。実際その後のニールセンさんのマジックは、スライハンドを捨ててはいません。ゾンビボールの代わりにバイオリンが浮揚するマジックに作り替えています。
然し、バイオリンの手順が完成したことで、ゾンビボールがきわめて目新しいマジックに映ったのです。しかも、全体を、音楽をテーマにした演出を考えつきました。
コインを出すたびにビブラフォンのような鉄琴を取り付けた落としの装置にコインを落とすと、チリチリチンときれいな音がします。これとバイオリンの演技を合わせて、手順全体が音楽関連の演技にしたのです。
つまり、審査員の言っていたことはすべてを捨て去って、全く違ったことをしろと言うのではなく、基礎を生かして、見た目に人のやらないことを工夫しろと言っていたのです。
結果を知れば審査員は大層な要求をしたわけではないのですが、カードやゾンビを金科玉条の如くに崇めて、こだわっていたときには、審査員の言葉は鬼か悪魔の言葉にしか聞こえなかったでしょう。
話を戻しましょう。三回にわたって私は今のコンベンションの姿勢は間違っていると書きました。彼ら主催者は、基礎を学んだ若者に、それを一般客が求める形に作り替えることを教えようとしません。
チャンピオンになった当人も、これで世界一になれたと思い込み、まるで免罪符を手に入れたが如く、自分の手順を改めようとはしません。結果、一般社会に通用しないマジシャンがどんどん作られて行きます。コンベンション主催者は、コンテスタントにプライドは提供しますが、仕事は与えません。
このままではプロマジシャンも、コンベンションも、ディーラーショップも、社会人のマジッククラブも、どんどん縮小してみすぼらしいものになって行きます。今のマジック界は20世紀の徒花(あだばな)だったのでしょうか。
明日は今のマジック界が何をしなければいけないのか、詳しくお話ししましょう。
続く