手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

トランプさん 大谷選手 2

トランプさん 大谷選手 2

 

 その大谷選手ですが、このところ、大谷選手をアメリカのマスコミや、雑誌が特集するときに、ただ単に優秀な選手、稼ぐ選手、と言うだけの見方をしなくなっていると聞きます。そんな浅薄な見方ではなく、彼自身の生き方、あるいはその背景に強く感じる日本人の生き方が語られるようになっているようです。

 多くのアメリカ人は、初めの内は、大谷選手を見て、才能のある選手がアメリカにやって来て、荒稼ぎをして、アメリカンドリームを達成して。ゴージャスな生活をする人なのだろうと見ていたのです。無論、多くのアメリカ人はそうして生きて行くことに何ら不自然さを感じてはいませんし、自分に才能があるならそうした贅沢な生き方をしてみたいと思うものです。

 ところが大谷選手の生活は、大方のアメリカ人の予想に反してストイックです。更に、彼の才能は、次々に人の成し得ないような成績を残し、当然のように、そこに多くのタイトルを獲得しています。多くの受賞は当人にとっても幸せなことなのでしょうが、大谷選手はさほどに大喜びをしたり、嬉し涙にくれると言うようなことがありません。嬉しいのは嬉しいのでしょうが、それは自身が活動して行くうちの道中の一里塚のようなもので、目標ではないようです。

 彼の目標は飽くまで自分の野球がしたい。それだけのようです。この辺りの考え方が余りにシンプルなためにアメリカ人にとっては新鮮に感じるようです。

 大谷選手は小さな車に乗って、球場と自宅を往復する毎日です。自宅は普通のアパートです。着ている服も高価なものはありません。別荘も持たず、派手な遊びもしません。

 言ってみれば、学生時代とほとんど変わらない毎日を繰り返しているのです。然し、彼は学生ではなく、数十億円も稼ぐスーパースター選手なのです。彼は野球で稼いで何かがしたいと言うことはないようです。ただ野球がしたいのです。アメリカに行ったのも、ただレベルの高い選手と一緒に自身を試したいからアメリカで活動しているのです。つまり彼は子供のころの夢をそのまま持ち続け、そのまま実践しているだけなのです。

 

 自分のしたいこと以外には無欲。と言うのは典型的な日本人の考え方です。海外から日本にやってくる観光客が日本で見るものは、清潔である。治安がいい。人が親切。と言ったことで、他には、食事がうまい。古い文化と新しい文化が融合している。などと言ったことでしょう。

 然しそれ以上に外国人が見たときに感じる日本のイメージは、欲が薄く、多くを望まない。贅沢をせず、日常が慎ましい。人に気遣い、情が深い。

 外国人がよく日本に旅行をして感じるエピソードは、忘れ物をしてもほとんどの場合警察に届くこと。あるいは、忘れ物をしたところにずっと忘れ物が置いてあって誰も触ろうとしないこと。レストランなどで忘れ物をすると店員が追いかけて来て持ってきてくれること。

 道を尋ねると、その場所まで付いて来てくれること。なぜそこまで見ず知らずの人に親切にするのかと訝しく思うほど日本人は親切だ。と言う声を良くネットなどに書き込まれています。実際、外国人でなくても、日本人でも同じ経験をしたことはあるはずです。

 日本は決して貧国ではなく、むしろ世界でも有数な豊かな国です。にもかかわらず実際の日本人は慎ましやかに生きています。こうした日本人の姿を見ていると、外国人には理想の国に見えます。そうした教育をして、日本人のような人を育てたいと誰もが思うのですが、実際にはそのようにはならないのです。

 話を始めに戻して、アメリカでは、いつまで経っても黒人に対する誤射や、誤認逮捕がやみません。黒人と見ると警察は銃を抜いて構えます。人種差別は表立ってはしませんが、地下深く進攻して少しも改まりません。なぜですか、と問われてもアメリカ人は何も言えません。

 何の理由もなく小学校に行って、銃を乱射して子供を殺害する犯罪者が絶えません。銃の規制は出来ないのか、と、問われても、アメリカ人は何も言えないのです。

 中南米からやってくる移民にメキシコ国境に大きな壁を作って入国を拒否しようとします。そもそもアメリカ人自体みんな移民だったのではないですか。どうして移民を拒否できるのか、と問われても誰も何も言えないのです。

 そうしたことにまともに向き合って答えを出さずに、共和党がいいの、民主党がいいのと、その手法を変えることで何とか済まそうとしています。

 手法が間違っているのではなく、自分自身のの思考そのものが間違っているとはなかなか思えないのでしょう。

 

 でも、大谷選手を見ていてアメリカ人は少しずつ気持ちが変わりつつあるようです。白系で、キリスト教を信じている先進国の国民こそが世界で最も優れた人種だと信じて疑わない白人が、白人でもなく、キリスト教徒でもなく、知的な職業とも言えない(白系の人はスポーツ選手をそう見ています)、野球選手で、しかも日本人の大谷選手を見て、よくよく考えたら、自分達よりよほどに誠実で、知性的で、純粋に生きている。と気付いて来たのです。

 少し我欲を押さえ、人を尊重し、人の気持ちを考えて生活すれば、多くのアメリカの問題は解決するはずです。問題の多くは他人に責任があるのではなく、自分にあるのではないでしょうか。

 大谷選手は政治も哲学も人生も語りませんが、ただ野球がうまいだけではなく、全てを超えて存在しているように見えてきたようです。民主党共和党の争いのくだらなさを見るにつけ、大谷選手に学ぶことが多いと感じているようです。

 

 先週の日曜日にNHKで大谷選手の特集がありましたが、私が思っていた通り、大谷選手は満身創痍で、痛みを隠してマウンドに立っています。傷、怪我、病気がそこかしこです。このままでは廃人になってしまうかもしれません。実際、日々の彼のプレーには無理があります。でも彼は続けるのです。当人はそれがしたいから続けるのでしょう。

 でも危険です。このまま行ったら、あっという間に選手生命を失って終うかも知れません。そんな気持ちで大谷選手を見ていると、どうも、彼の年を取った姿が想像できません。ある日、ポッと我々の前から消えてしまうのかも知れません。それでも恐らく彼は満足なのでしょう。なぜなら自分のやりたい野球が出来たから。でもやりたいことをやり続けると言うことは、苦しくつらいことです。それをにこにこ笑って続けている大谷選手はやはり超越した人なのでしょう。

続く