手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

横向きのこけし

横向きのこけし

 

 わたしの親父は芸人でした。晩年は漫談をしていました。喋りは快活で江戸っ子口調で歯切れがよく、抜群に面白い人でした。お笑い芸人は普段は根暗な人が多いようですが、親父は例外で、楽屋でも、家庭でも、いつも面白いことを言っては家族や仲間を笑わせていました。

 そんな親父ではありますが、不思議な癖があって、家の飾り棚に並んでいる、こけしや人形の顔を家族が知らないうちに、すべて横向きにしてしまうのです。

 私も子供のころ、ガラスケースに並んでいたこけしがどれも横を向いているのを見て、直した記憶があります。ところが、数日もするとみんなまた横を向いているのです。

 そもことを母親に話すと、母親は、「それはパパがそうしているのよ。パパはねぇ、こけしが正面を向いているのを見るのが嫌なのよ。昔、パパが若いころ、芸人を始めたころにね、家族も兄妹も、近所の人たちもみんなパパを冷たい目で見ていたらしいのよ。散々みんなに悪く言われた時のことを思い出して、こけしが並んでいるのを見ると、みんなに後ろ指をさされているようで嫌だって言うのよ」。

 私はその時高校生でした。陽気で、屈託のない親父が、心の中で芸人として差別をされていた頃のことを今も覚えていて、しかも並んでいるこけしが、近所の人や親せきに見えて、後ろ指をさされているようで、嫌だと言う思いを持ち続けていたことが何とも意外でした。

 

 親父は私が高円寺に引っ越して、今の家に暮らすようになると頻繁に遊びに来ました。来ると必ず寿司屋に寄って一杯飲みます。そしてそこに私を呼んで昔話をしました。その時に、戦争中に農村や軍隊の慰問をして、若者で一座をこしらえて、芝居や歌謡ショウ、漫談などをして回っていた頃の話を良くしました。

 農村を回ると戦争中食糧が不足している時期に、米や小豆、酒や卵など、もう東京で見ることのないようなご馳走を山ほどもらって帰ることになります。もらったもの一部を会社の同僚や、上役に届けると、みんなに頭を深々と下げられて感謝されたそうです。

 「来週末も休みたいんですけど」。と上役に言うと、「あぁ、すべて俺がうまくやっておくよ」。と言ってタイムカードを上役が押しておいてくれて、出勤扱いになっていたそうです。

 会社では感謝されたのですが、仕事の際に家から出て行く時が大変でした。当時は憲兵という秘密警察のような人たちがいて、左翼思想の持ち主や、軍人批判をする人たちを取り締まって、街中をうろうろしていました。

 別段親父は政治のことも、軍部のことも何ら批判がましいことは言わなかったのですが、ギターを持って、朝早くに家を出たり、晩に遅く帰ってきたりすると、憲兵が待ち構えていてつかまって言いがかりをつけて来るんだそうです。

 「この非常事態にお前は何をしているのか」。「いえ、私は慰問をして農村の人たちを楽しませているんです」。「どんなことをしているんだ」。「面白い話をしたり、替え歌を唄ったり、滑稽な芝居をしたりして笑わせるんですよ」。「我が国が米国と戦っていて、戦地では耐乏生活をしつつ米兵からの攻撃に晒されている兵隊がいると言うのに、へらへら笑っているとは何事か」。「いや、へらへら笑うって、それが仕事ですから」。「馬鹿なことをするな。もっと国のことを考えてまっとうに生きたらどうだ」。幾ら話をしても通じません。

 そうしたことがしょっちゅうあって、憲兵には常に目を付けられていたそうです。また国防婦人会と言う、町内のおばさん連中で組織した団体が、町内を見回って、不真面目な生活をしている人を捕まえてはつるし上げていたのです。親父は格好の標的でした。

 そうした連中に見つかると一時間でも二時間でもみんなで批判されて足止めを食らいます。彼女らは何を言っても理解しようとはしません。唄を唄うこともお笑いをすることも不謹慎だと罵倒されます。みんなして寄ってたかって責め立てるので、いつも逃げていたのです。

 親父は良く酒を飲みながら、「この戦時にお笑いをするなんてとんでもない、って言うんだけども、俺ほかに何もできねえしな。どうしてお笑いしちゃぁいけないのかねぇ。婦人会の連中は、俺が逃げると、家にまで来て母親に、どんな教育をしているんだなんて言って、母親をつるし上げたりしてなぁ。関係ねぇよ。どんな教育も何もねえよ。おれはただ、人の笑う顔が見たいだけなんだ。それがどうしていけないんだよ。俺は日本がアメリカに負けたほうがいいなんて一度だって思ったことはないよ、でも、それと俺がお笑いすることとは何にも関係ないだろう」。

 戦後40年経ってからでも親父は戦時中のことをぼやいていました。相当悔しかったのでしょう。随分みんなに悪く言われたのです。そのことが忘れられず、こけしが並んでいる姿を見ると、自分のしていることを悪く言われやしないかと、こけしの顔を横に向けてしまうのでした。

 

 最近、私は、マスクを付けずに電車に乗ることがあります。ついつい忘れてしまうのです。と言うよりも、去年末にはコロナは収束を見ているので、もういいじゃないかと思い、マスクを付けずにいたのです。そんな時に、突然大声で怒鳴りだす人がいます。「コロナが感染したらどうするんだ。マスクを付けろ」。と言われます。

 マスクは付けたほうがいいのでしょう。然し、人に命令することでしょうか。マスクをつける付けないは最終的には個人の判断でしょう。付けない人がいたって、自分が付けていればコロナは防げます。むきになる話ではないはずです。

 ところが、今の時代はマスクをすることが正義です。その正義を自分がつかんだ時に、急にマスクをしていない人に対して居丈高にものを言う人が現れます。背後に正義を持っているから彼は強いのです。

 私は「あぁ、ここにも憲兵はいるんだなぁ。日米が戦った時には、こんな人がいっぱいいたんだろうなぁ。確かに親父が晩年までぼやいていた理由もわかるなぁ」。

 人は、普段は普通に暮らしていても、一朝、何かあると突然人格が変わる人がいます。コロナでそうした人の本性が浮き彫りになります。コロナの禍いは細菌が作り出しているのではありません。人が作り出しているのです。人が周囲の人を悪人に仕立て上げ、時に人生を楽しんでいる人たちを裏に回って悪口を言い、責め立て、役所や国にもっと厳しく取り締まれと苦情を言い、今以上に暮らしにくくしているのです。

 こんな日々が続くと私も家のこけしを横向きにしたくなります。

続く