手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大谷選手、衆議院選挙、花咲か爺さん

大谷選手、衆議院選挙、花咲か爺さん

 

 大谷選手

 ついに大谷選手は、最優秀選手に選ばれました。プレイヤーオブザイヤーと言う、メジャーリーグの選手が選ぶ今年最高の選手として大谷選手が選ばれました。

 同時にアメリカンリーグ最優秀野手にも選ばれています。二刀流の成果が認められてタイトルを独占しています。

 今期はホームランが46本。100打点を挙げ、26盗塁を成功させ、ピッチャーとしては156もの三振を奪って、9勝を挙げています。何から何まで歴史的な記録です。

 このまま行くと、来月に発表されるMVPも取れる可能性が出て来ました。そうなるとベーブルース以来の歴史に残る選手になるわけです。

 但し、二刀流(ピッチャーとバッターを同時にする)と言うのは大リーグの歴史でもほとんどないことですし、野球界でも無謀とされる行為です。それを実践して生きて行くことは簡単ではありません。何しろピッチャーは一度マウンドに上がれば、一人で球を投げ続けなければいけません。一日の疲労は相当なもので、通常、ピッチャーは一日投げたなら翌日は体ががたがたです。そのため5日間くらい休むものですが、大谷選手は、ピッチャーでマウンドに立って、翌日にはもうバッターとして出場しています。連日休むまもなく出続けているのです。

 これは体に大変な負担を与えています。そこまで体を責めてマウンドに立ったなら、将来、必ず体力に変調をきたすはずです。こんなローテーションで活動することは大谷選手の選手生活にいいことはないはずです。

 然し、彼は自分のやりたいことを貫き通そうとしています。 彼は自分の人生を削って限界に挑戦しているのです。大丈夫でしょうか。そもそも、アメリカに来て、再々怪我をして、大きな手術をしています。彼の体は既に満身創痍なのです。それなのに無理をしてピッチャーに、バッターにと体を酷使しています。

 この先も二刀流を続けたなら、きっと選手活動は短命に終わってしまうと思います。数年のあいだ、世間を騒がせて、その先、あっという間にいなくなってしまうのではないかと危惧します。

 そんな人生を当人は望んでいるのでしょうか。大谷選手は、日本人でありながら、国籍を超えて、今や全米のアイドルです。彼の人柄はアメリカ人みんなに愛されています

 今年MVPを取ったなら、来年は、少し体を休めて、無理な登板をしないように配慮してください。怪我が再発して、ファンを悲しませないよう願います。

 

 衆議院選挙

 いよいよ明日衆議院選挙の投票日です。なんだか争点のはっきりしない選挙です。岸田さんでは影が薄く、枝野さんでは役不足に思えます。流れとしては自民党が、前回議席を取り過ぎましたので、今回は一割くらい議席数を減らし、過半数ぎりぎりになって踏みとどまるのではないかと思います。

 当然自民党が減らした議席分が野党に回ることになりますが、それでも与野党の逆転するなどと言うことはあり得ないでしょう。野党の中には、共産党まで一緒になって野党勢力を結集しようなどと言っている人がありますが、共産党が入って野党がまとまるわけがありません。

 核となる立憲民主がもっと力を付けて、多くの支持を集めない限り与野党逆転などはあり得ないでしょう。

 

 但し、私の住んでいる杉並区は、自民党石原伸晃さんが連立を組んだ野党の若手議員に押されて少々きわどい戦いになっているようです。25日のリサイタルの日に、演説会があるから参加してくれないかと伸晃さんの選挙事務所から電話がありましたが、自分のリサイタルを放っておいて演説を聞きに行くわけにはいきません。

 実際、相当に厳しい状況のようです。かつてはお父さんの石原慎太郎さんや、石原軍団の渡哲也さん、舘ひろしさんなどが次々に応援演説に来て賑やかな選挙を展開していましたが、石原軍団も今はなく、お父さんも政界を引退されていますので選挙戦はぐっと地味なものになっています。

 私は選挙のプロではありませんし、このところの政治には少々失望しています。何とかしなければいけませんが、与党も野党もどちらも頼りなく見えます。今優れた政策を出せば、小さな政党でも一気に飛躍するチャンスなのに、どの政党も民意を掴んでいるとは思えません。この先も混迷は続くでしょう。

 

 花咲か爺さん

 さすがにリサイタルの疲労が抜けなくて、3日間、毎日、少しかたずけをするぐらいで、何も仕事が手につきませんでした。

大谷選手ではないけれども、ピッチャーを一日務めた後は体が簡単には回復しないものです。良く大谷選手は休まずバッターが出来るものだと感心します。

 私の場合は4日も休みましたので、徐々に体力が回復してきました。そうなると、もう一度、花咲か爺さんを何とか形あるものにまでしておきたいと思うようになりました。

 この作品は道具立てが大きく、人手がかかり、そう簡単にあちこちで演じることはできません。それでもできるだけしっかりしたものに作っておきたいと思います。

 実際一度演じて見て、何が足らないか、どうしたらよくなるかは見えて来ましたので。11月になったら少し修正を加えて見ようと思います。

 昨日朝方、寝ていて、新しいハンドリングが思いつきました。うまく行くかどうか、朝食が済んだら、試してみようと思います。せっかく手掛けた作品ですから、何とか人の話題となるような作品にまで仕上げておきたいと思います。

 こうした大道具が、頻繁に仕事の依頼につながったらどれほど楽しいか、何とかそいう日が来るように、細かな部分を煮詰めて、これから手順の手直しをしてみようと思います。

続く

カードマニュピレーション

カードマニュピレーション

 

 カードとはトランプのこと。マニュピレーションとは、高度な技法のこと。マジックの世界でカードマニュピレーションと言えば、空中をつまむとカードが忽然と現れる、一連の技巧を駆使したマジックを言います。

 このブログにたびたび出て来るスライハンドと言う言葉と同義語で、スライハンドは正確には sleight of  hand =スレイトオブハンドと発音し、手練技と訳します。

 然し、日本語でも、手練技と言う言葉は使いません。私が子供のころ、親父が読んでいた時代小説の中で剣豪の技を手練技と言ったのを記憶しているのみです。随分古い言葉なのでしょう。

 同様に、スレイトオブハンドも、余り欧米の日常語では使わないようです。今ではマジックの専門用語の様になってしまいました。マニュピレージョンと言う言葉は、スライハンドと同じく、技巧を指す意味でかつてはよく使われたようです。

 何にしても半世紀前まではカードを出すマジックはマジックの中で花形の演技でした。10代だった私は、何とかマジック界で認めてもらいたいとカードと四つ玉とリングを毎日練習していました。

 18歳くらいからキャバレーに出演するようになると、リングもカードも仕事に欠かせないものとなり、実際、メイン手順として随分演じました。

 

 スライハンドの素材は、どれも小さなものばかりで、シンブル(指サック)、シガレット、四つ玉と言った素材は、どれもシンプルで、それ自体、あまり大きな効果は望めません。然し演技の中に少し取り入れると、演技に俄然旨味が生まれ、お客様も注目してくれます。

 マジックは、仕掛け物も、技物も、お客様にタネが分からなければどちらも同じ不思議だと思いがちですが、実際には素人のお客様が見ても、技物には何となく熟練の技術が感じられて、演技に厚みが生まれます。

 マジシャンにすれば、自分の技で不思議を作り出しているわけですから、純粋な魔法ではないものの、自分が自らの修練で不思議を生み出した、という自負が、より魔法使いに近づいたと認識します。そこがスライハンドマジシャンのよりどころで、お客様に技の冴えを感じ取ってもらえた時に、得も言われぬ満足感を手に入れるわけです。

 お客様としても、道具が自動的に作動して、不思議を作り出すのとは違う、何か特殊な技法を感じ取るらしく、それを面白いとみる人が数多くいます。

 

 スライハンドの素材はどれも小さなもので、各地のショウに出演するときに、トランクの片隅にカードや四つ玉を入れておくだけで5分でも6分でも演技が出来るため、世界各地を移動するマジシャンにとっては大変有難い小道具だったのです。

 実際、ショウビジネスが流行する、1800年代の末には、スライハンドマジックが爆発的に普及します。鉄道の発達とともに、スーツケースを持ったマジシャンが、欧米各地を移動するときに、カードや四つ玉は大いに役立つようになります。

 これが箱ネタや道具物となると、箱一つでトランク一つを占拠してしまい、移動の際に道具の多さが負担となります。

 私も、一人でキャバレーに出演をしていた時には、小さな道具で手順が組めるために、スライハンドは随分役に立ちました。

 話は長くなりましたが、スライハンドの素材は総体小さなものですが、その中で、実際のサイズより、取り出したときに大きく見せられる素材は、カードと鳩でした。カードを広げて出したときに、カードは握りこぶしよりも大きく広がり、見た目も派手で見栄えがします。そのため素材の価値としてカードはマジシャン必須のアイテムになったわけです。

 私も随分カードを演じました。但し、スライハンドのジャンルは上には上がいます。私自身は結構巧いつもりで演じていましたが、巧さと言うのはそんな生易しいものではなく、底知れぬ深さがあります。

 そのため、渚晴彦師のお宅に通って技法を習ったり、名古屋の松浦天海師を訪ねて、初代天海師の技を随分習いました。幸い私は、名古屋に頻繁に仕事で出かける機会があり、そのたびに松浦師にレッスン料を支払って、技法を学びました。

 それがその後私自身のテクニックに厚みを持たせる結果となったのです。

 然し、それも、イリュージョンチームを持つことによって、スライハンドを演じる機会もなくなりました。何かを手に入れると言うことは何かを失うことです。イリュージョンに活動の主流が移れば、スライハンドは使わなくなります。

 然し、それが全く無駄だったかと言うと、そうではなく、やがてバブルが弾けて、イリュージョンの仕事が激減したのち、手妻(てづま=日本奇術)に活動を移して行ったときに、手妻を手順にして改案しなければならない状況に至って、かつて覚えた技法などをアレンジして、少しずつ手妻に溶け込ませてゆきました。

 それにより、手妻が現代でも通用する芸能になり、多くの門下生に教えられる作品となって行ったのです。考えて見たなら、人生の中で不要なものなんて一つもありません。まるで推理小説に巧妙に仕込まれた伏線の如くに、かつてやった仕事が数十年経って突然役に立ってくることがたくさんあります。

 だから、目先に事で、これがいい、これは嫌いだなどと言わずにとにかく何でも覚えておくことは人生の行く末を幸福にします。

 

 先日自分のリサイタルで、子供のころに演じていたマジックと題して、何十年ぶりかでファンカードを演じました。わずか2分の演技で、単なるファンカードですので、インパクトも何もありません。

 然し、演じて見て、よかったなぁ、と自分自身で納得しました。これを真剣に練習した時代があったのです。それが数十年を経て演じると、まるで樽に入っていたウイスキーが熟成されて行くように、静かに味わいが増してきます。

 「あぁ、こんなにいい味わいになったのなら、もっともっと、あちこちで演じて見よう」。と、思いを新たにしました。

続く

ネットの異常

ネットの異常

 

 急激なネットの普及に法律が追いつきません。ネットの中での誹謗中傷は目に余るものがあります。初めの内はタレントのゴシップなどで大騒ぎし、タレントの方でも、「これは有名税」。と思ってあきらめていたものが、どんどんネットはエスカレートして行き、必要以上に責め立てて 、あることないこと捏造し、タレントを死に追いやるところまで行ってしまう。

 これは明らかに犯罪です。犯罪なら、はっきり法律を作って取り締まらなければいけません。

 

 一昨日(26日)の真子さまの結婚記者会見も、今でもネットを見ると誹謗中傷の嵐です。皇室と言うのは日本の表の顔です。日本人の一番いいところ、美しいところを凝縮したものが皇室なのです。決して汚(けが)してはいけないのです。

 それをあることないこと書き続け、破談に追いやろうとする連中は一体何を考えているのでしょうか。テレビも、ネットも、週刊誌も、みんなして日本人の尊厳を汚しています。

 まさかこんなやり方で皇室がいじめを受けるとは思いもよりませんでした。

 互いが好き合って一緒になるならそれでいいではありませんか。皇籍を離脱してまで結婚すると言うのですから、その気持ちは本物なのでしょう。そうならその先は当人同士の問題です。他人が何かを言うことではありません。

 せっかくの結婚に水を差し、何年も婚期が遅れ、ノイローゼにまでなった真子さまはまったくお気の毒です。

 

 パソコンの所有者には、番号と名前が明示されるようにして、意見を言うときには当人の名前が先に出るようにしたら良いのです。また、他人のパソコンを利用して他人の名前を騙(かた)って誹謗中傷したり、嫌がらせをする者には厳罰を与えるべきです。

 彼らのしていることは学校内や職場内でのいじめと同じです。いじめられた方が黙っているから、いつまでたっても陰湿ないじめが続くのです。はっきり犯罪と認定して、懲役刑まで決めたなら、陰湿ないじめは少なくなるでしょう。決して安易に放置してはいけません。

 

 私のブログにも時々悪意に満ちたメッセージが届きます。私は一切それを相手にしません。うっかり反論でもしたら、待ってましたとばかりに屁理屈をこねて来ます。またそれを見ていた周囲のネット民が同調して炎上します。

 そんな人たちを相手にしても百害あって一利ないのです。私はよく弟子に言います。「駄目はいくら繰り返しても駄目」。と。駄目の中で思い悩んだり、少しでも相手に理解してもらおうと努力することが無駄です。自分自身が一刻も早く、負のスポイラル(悪循環)から抜け出そうとしない限り成功もチャンスも来ないのです。

 駄目な人と関わっていると、知らず知らずのうちに、自分自身までが心が卑しくなり、卑屈になり、人間が小さくなって行きます。本来有能で、いろいろなことが出来る才能ある人が、周囲の劣悪な環境に馴染んで行くに従って、どんどん卑小な人間に劣化して行きます。

 

 私が20代の時には同年齢で才能のあるマジシャンがたくさんいました。私などはその頭数にも入っていませんでした。それが年を追うごとに、どんどん櫛の歯が抜け落ちるように仲間が去って行きます。「あんなに有能だった人がなぜマジシャンを辞めてしまうのか」。と残念に思いました。

 今になって思えば、それは出会いなのです。うまく自分を引き上げてくれる人と出会わない限り、人は今以上に伸びないのです。それゆえに、常に、自分が生きて行く上で、誰が有能な仲間で、誰が自分を引っ張ってくれるのかを常に見極めていなければいけません。

 私自身も経験がありますが、私の前では、「君の演技はいいよねぇ。若手じゃぁ一番うまいねぇ。今度テレビ局のプロデューサーに君のことを話しておくよ」。などと言って褒めてくれる先輩が何人かいました。

 然しながら、その先輩が、その後30年経っても40年経っても一本の仕事も紹介してくれることはありませんでした。上辺で良いことを言う人はたくさんいます。

 然し、実のある人と言うのは本当にわずかです。逆に言うなら、一本の仕事でも紹介してくれる人は有り難いのです。言葉よりも実践なのです。

 

 ショウに出してあげるよ。と言っても、ステージなら何でもいいと言うものではありません。センスのないショウ構成の舞台に出ても効果が上がりません。また、覇気のない連中と一緒に舞台に出ていても世間の人は誰も注目してくれません。

 ただやればいいと言うものではないのです。誰がどんな目的を持って、何をするかを考えている人たちと組んで行かなければ、いつまでたっても底辺から抜け出すことはできないのです。

 自身の成功は、自分よりも先を見ている人、マジック界の先を考えている人と組まなければだめです。そして、常に実践を繰り返して答えを出している人こそ大切にしなければいけません。努努(ゆめゆめ)駄目を繰り返さないようにご注意ください。

続く

 

 

マジシャン人生は楽

マジシャン人生は楽

 

 一昨日(25日)リサイタル公演の舞台で、弟子の前田に、

 藤山「世間の先輩は芸能の道は苦しく辛いものだなんていう人があるけどね、やってみるとそりゃぁ楽だよ」。

 前田「え、本当ですか、結構大変なんじゃないんですか」。

 藤「いや、楽。私がそう言うんだから間違いない。だって君、好きでやっているんだろ。そうなら苦しいもつらいもないじゃないか。苦しくてもつらくても、全部ひっくるめてそれは楽しいことじゃないか」。

 この言葉は、私のようなベテランがまじめ腐った顔で、しみじみ「芸の修業は楽だ」、と言えば、逆説的で面白いのではないかと思って言った言葉です。でも、私にとってこの言葉は本音です。

 自分が好きで入って来た道なら、苦しい辛いを言ってはいけないのです。どんな職業をしてもうまく行かないことはいくらでもありますし、殆どの場合、努力は簡単には報われないものなのです。

 報われない、金にならない、名前が出ない、苦しい、辛い、それをひっくるめて、「だからマジックは楽しい」。と言えるなら、その道で一段上に上がったことになります。

 

 よく、歌手で、引退したい、とか、辞めたい、と言うタレントさんがいますが、私にとっては謎の言葉です。好きで始めた道なのに、一体何を辞めるのでしょう。やめて何をするのでしょうか。

 私のように55年もマジシャンを続けて来た者にとって、辞めるなんて考えたこともありません。辞めたら自分が無くなってしまうじゃないですか。私が生きていると言うことと、私がマジシャンを続けていることは同義語です。マジシャンを辞めて他の道に行くことなどできないのです。

 私がほかの仕事をするなどと言うことは、カエルに向かって空を飛べと要求するようなもので、不可能なことです。出来ないからカエルのままでいるしかないのです。

 

 然し、だからと言って、カエルがカエルのままじっとしゃがんでいても生きては行けないのです。カエルはカエルとして生きるすべを探さないといけません。

 マジシャンも同様です。この道で生きる以上、生きていることの証を見せなければいけません。私が定期的にリサイタル公演をするのも生きていることの証なのです。

 リサイタル公演では必ず、旧作にアレンジを加えて、少しでも今までの作品を発展させるように工夫しています。また必ず一作、新作を考えて発表しています。

 アレンジも、新作も、狙った通りにうまく出来るときもあれば、うまく行かないこともあります。必ず新しいことにはリスクが伴います。でもリスクを恐れていては前に進みません。この道で生きると言うことは前に進むことです。それゆえに新しい作品を出すようにしています。それは簡単なことではありません。

 

 今回の新作は峰の桜でした。昭和9年に天勝師の演じた舞踊マジックをスライハンドに作り替えた作品ですが、ゼロから、種も演出も、振り付けも、衣装も、音楽も作って行くのは大変な労力を使います。しかも、今私は66歳です。12月には67歳になります。どなたか66歳の人で、スライハンドの新作を作って、演じている人はいますか。

 50代の頃は、60代なんて全く50代と同じような人生かと思っていましたが、自分が60代になってみると随分体の負担は大きくなり、思考も鈍って来たことが分かります。

 そうした中でマジックを考えて行くことは簡単ではありません。でも少しでも自分を前に進めたいのです。創作活動をずっと続けて行きたいのです。なぜか、それが好きだからです。マジックは追及すればするほど面白く、楽しい世界が広がって行くのです。

 

 友達と野原で遊んでいて、いつしか友達ともはぐれ、一人林の中をさまよっていると、突然、先の方に花畑が広がっているのが見えます。すごい世界を見つけました。

 蝶も、トンボもたくさん飛んでいます。花畑にいるのは私一人、昆虫は取り放題です。このまま進んで行って昆虫を取ろうと思うのですが、日が暮れて来ました。家に引き返したほうが無難でしょう。でも引き返せますか。それとも花畑を進みますか。

 私なら進みます。真っ暗になって、花畑で野宿をしたとしても、翌朝には花畑の隅々まで散策して、珍しい昆虫を取ります。せっかく見つけた夢の世界です。ここで引き返すのは無意味です。この世界を謳歌しないで自分が生きている価値なんてないのです。

 

 そんなことを考えて、ずっとマジックを続けて来たのです。誰に頼まれたわけでもありません。お金があって、才能があってしてきたことでもありません。ただ好きでしてきたことです。そして好きだからこそとことん追求したいのです。

 そして、こうして今日までアルバイトもせず、会社勤めもせずにマジシャンとして生きて来れたことは幸せなことだと考えています。だからあえて申し上げます。マジシャン人生は楽です。それを弟子の前田に話したのです。

続く

 

 大阪マジックセッション

11月25日(金) 大阪道頓堀、ZAZAにて。18時30分スタート。出演。伝々、藤山新太郎、バーディー、黒川智紀、Hannna、鈴木駿、Jun Maki、前田将太、ザッキー、カイ、他、大阪若手メンバー、

 前売り3500円、当日4000円 申し込み東京イリュージョン

 

 第8回天一

 福井市フェニックスプラザ

13時からディーラーブースオープン。クロースアップショウ。16時からメインショウ。

 出演。峯村健二、藤山新太郎、Masayo、Hanna、岡田透、サイキックK、前田将太、ザッキー、サク、

 全イベント通し券   前売り5000円、当日6000円

 ステージショウのみ  前売り4000円、当日4500円

お申し込み東京イリュージョンまで

リサイタル公演終了

リサイタル公演終了

 

 昨晩(25日)は座高円寺で「摩訶不思議」の公演がありました。朝7時から荷物を運び出し、組み立て、音楽家と音合わせ、稽古と休む間もなくそして本番。それからかたずけ。すべてを終えて家に帰ったのが11時でした。

 自主公演はいつもこんな具合です。幸いお客様の集まりもよく、座席数の半分までしかチケット販売が出来ない状況でありながら、ほぼ満席でした。

 

 オープニングは、前田の羽根のプロダクション。約3分の演技があって、私が出て来てからみます。テーブルクロス引き。前田は始め「テーブルクロス引きを稽古してみよう」、と言っても何の興味も示しませんでしたが、実際、出来るようになって、舞台にかけてみると効果の大きいことが分かり、しかも会話を交える芸に大きな興味を持つようになりました。いいことです。

 以来、前田は何度も舞台でクロス引きを演じています。芸能の不思議なところは、自分の成功が決して自分の望むところにないことです。「あんなものつまんない」。と思っているところに案外成功があります。

 今回も掴みは上々でした。

 

 そのまま私が舞台に残ってファンカードと12本リングを演じました。子供のころにどんなマジックをしていたのか、と言うことでカード、リングを演じたのですが、舞台でカードを演じるのは、10年以上ありませんでした。

 やってみると、これはこれで面白いと思いました。この先時々演じて見ようと思います。

 そして12本リング。これは時々演じています。と言っても年に一度くらいでしょうか。今となってはまったく気負いもなく演じられますので、案外、今の演技の方が、若いころの様に向きになって演じていない分、安定して見ていられるかもしれません。

 と言うわけで、かつてのスライハンド(技巧のマジック)を再発見したような次第です。この先はもう少しこの路線を伸ばしてみようと思います。

 この後はゲストが二本続きます。初めがボナ植木さん。トークマジック。花の先に蝶を付けて、蝶のたはむれと言って出て来ました。初めは静かに見ていたお客様でしたが、ボナさんのあたりからリラックスを始めて、いい具合に和やかになりました。ボナさんとは45年来の仲間です。この先こうした仲間はできません。大切にしたいと思います。

 

 次が峯村健二さん。この晩はメインのFISMアクト、やはり何度見ても安定したいい演技です。2000年にリスボンで開催された世界大会の時の一位の演技でした。あの時のコンテストは私も生で見ています。あれから20年経ったのですね。

 峯村さんは素直な性格で、今回のショウに招かれたことをとても喜んでいました。楽屋でナイツと記念写真を撮ったりして、ミーハーな人だと言うこともわかりました。

 

 再度私が出て来てロープ切り、そして脱出。このロープ切りの手順も私の人生で何千回演じたか知れません。久々演じて見ると懐かしいのです。

 そして脱出。これは30代末に考えたものです。ギロチンを先に見せると、お客様は怖がって舞台に上がって来ません。どうしたら、知らず知らずのうちにギロチンにお客様が入ってしまうか。これがテーマです。

 両腕、首を拘束された状態で脱出すると言う装置とギロチンを組み合わせたものです。二つの作品は相反する機構ですので、本来組み合わせは不可能なのですが、どうしたらそれが可能になるか、随分悩んで作りました。

 始めに私が脱出して見せて、これが出来たら賞金3万円と言って、お客様に声をかけます。誰かが上がって来て(この晩はアシスタントの柳澤錦さんが出てくれました)。

 手、首をがっつりした装置に拘束しますが、抜け出せません。そこで、「それじゃぁ簡単に抜け出せるオプションを付けましょう」。と言って装置の上にギロチンの上部を取り付けます。そのあとはおなじみの手順ですが、話が進行するにしたがって、奇抜な展開をするため、お客さんは興味でついてきます。

 これもバブルの時期は良く演じました。自慢の作品です。

ここで10分間の休憩。

 後半は邦楽演奏を入れて、和の世界です。

 初めに傘出し手順、そして蝶のたはむれ、毎度おなじみの手順ですが、傘の終わりに人力車に乗って引っ込む演技を加えました。4本出した傘が、何のために出したのかと言えば、人力車になって引っ込むためと言う意味付けを考えたものです。傘手順も、蝶も小さな演技ですので、真ん中に人力車が入ると演技全体が大きくなり、出した傘もかたずけてしまえますので一挙両得です。

 

 この後ナイツさんを呼び込み少しトークをしました。お二人は二部の休憩前に楽屋に入り、終わるとすぐに帰って行きました。いやはや大した人気です。気が付けば20年前にコンビ組み立てのころから見ています。こんなに有名になるとは思いませんでした。

 

 この間私は、峰の桜の着替えをしています。みっちり10分以上かかります。そして爺さんになって舞台登場。やがて犬登場。そして桜の花びら出し。ここが問題でした。

 いくつかミスが出てしまいました。そして大幕を出して、その陰で衣装替え、これも脚立から落ちてしまいうまく行きません。それでも衣装替りとなって何とか終わり。やはり初回はいろいろ問題アリです。

 でもこの手順はこの先煮詰めて行こうと考えています。スライハンドが全く先行きの見えない状況にあって、スライハンドの将来のあり方の突破口になるのではないかと考えています。

 

 次が一里取り寄せ、お客様になんでも品物を取り出すので、紙に書いてくださいと事前に紙とペンを渡しました。取り寄せ開始前に和田奈月さんと穂積みゆきさんが紙を回収してゆき、舞台で読み上げてもらいました。途中から犬の衣装から才蔵役に着かえた前田が出て来て、一緒に進行をします。

 その頃には裃姿に着かえ、私が出て来て、お客様の注文に応えて品物を出すと言う奇術。お終いは、水を桶に30杯出しました。大量の水を出す意外性が、この装置の目玉で全てをひっくり返します。面白い作品です。然し、人手がかかりますので滅多にできません。

 無事に水出しを終えて、終演。丸一日とてもくたびれました。スタッフの献身的な働きに感謝です。

続く