手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

王子様プロマジシャンになる

 私はよく、コンテストに出て入賞することだけが成功の道ではない。などと言いますが、それは決してコンテストを否定して言っているわけではありません。むしろ逆です。

 若いときにはむしろ積極的にコンテストに出るべきです。実際、私も二十代の頃はいくつかのコンテストに出ました。入賞もしましたし、落選もしました。

 自身の作ったマジックや手順をほかの人が見たならどんな風に見えるのか、客観的に自身を突っぱねて眺めてみることはとても大切です。実際にコンテストに出て見ると、審査員や先輩マジシャンは、全く自分の思いもよらないことを言ってくれます。「マジックと言うのはそんな風に考えるものなのか」。と、全く予想しなかった意見が聞けます。

 人前でやってみることは入賞するしないにかかわらず、いろいろ収穫があって結果としてはいい方向に向かいます。自分がどの程度の技量なのかを客観的に知るために、コンテストに出ることはとても有効です。

 むしろ、まったく第三者の評価を得ることなく、独りよがりに安易なマジックを演じて、そのままローカルなプロマジシャンになってしまうよりは、何度も自身のマジックを人前で見せて、世間の評価を得ながら手順をマイナーチェンジして行く方が、将来大きく伸びて行きます。

 

 ただし、ただしです。往々にしてコンテストに集まってくる人の中には、自己の優越を満たすためだけに入賞を狙う人を見かけます。この世界で名前を上げたい、実力を認めてもらいたい。と言う欲だけでコンテストに出て来ます。

 まぁ、大体アマチュアは自己満足でマジックをしている場合が多いので、そんな人がコンテストに出て来ても不思議ではありません。

 問題はその先なのです。彼らがアマチュアのまま今の演技を楽しんでいるなら何ら問題はないのです。コンベンションで入賞して、その勢いでプロになろうとすると、問題が生じるのです。

 プロとは、自薦ではなくて他薦なのです。お客様が見たいと言うマジックをする人でなければ生き残ることはできません。

 自己のプライドを満たすために作った手順でプロ活動しても、お客様の求めるマジックでなければ続かないのです。

 多くのコンテストの種目は偏(かたよ)った素材を使う場合が多いように思います。四つ玉、カード、シンブル、ゾンビボール、リング、ウォンド、どうもコンテスタントは広い視野で評価を求めようとはしていなくて、同じ素材で、特定の仲間の間のみで些末な技量を競っているように見えます。

 それがお客様の興味につながるならいいのですが、全くお客様の興味とは別のところで仲間同士が競い合っても、そこでいかに優れた手順ができたとしても、お客様の興味の対象にはなりにくいのです。

 カードばかり、四つ玉ばかりが8分も続く演技をしたり、シンブルやウォンドがただひたすら出て来る手順をしたり、シンブルも、ウォンドも一般のお客様には全く意味不明な素材です。

 シンブルは、接着剤のキャップを指にはめているとしか見えません。ウォンドも舞台で見たなら只の棒です、棒を出しては捨てを繰り返しても、お客様は喜びも、有難がりもしないのです。これらを見て喜ぶのは、その種やハンドリングを知っている仲間内なのです。

 だからと言ってシンブル、ウォンドがつまらないと言うのではありません。一般のお客様に興味を持ってもらうには説明不足なのです。どうしたら素材がお客様の興味の対象になるのか、と言う突込みが全くされていないのです。

 それはカードも四つ玉も同じです。上手い人が演じると、カードも四つ玉も手に取ってみて見たいほど高価な品物に見えます。然しただ手順をこなしているだけでは、仲間内の興味にしかなりません。

 マジックを知らない人が見て、価値ある素材に見えて、「あぁ、あれほしい」。と思うようなものが出て来るのでなければ、誰も興味を示さないのです。

 自分自身にとっては素晴らしい演技であっても、お客様が興味に感じてくれなければ、結局、仕事に結びつきません。プロになっても、開店休業状態になり、やがてプロを諦める以外なくなります。

 

 私はこれまで度々コンテストの審査員をしてきました。でも正直なところ審査員はやりたくないのです。例えば初めから審査基準があって、もし、コンテスタントが基準に達しないで、優勝者や、部門優勝者を選ばなくてもいい。二位、三位だけを決めてくれればいい。と言うコンテストなら、審査をしてもいいのです。

 ところが、集まったコンテスタントの中から必ず優勝、部門優勝を出さなければいけないと言うのは正直苦痛です。

 本来実力のない人が10人集まって来て、その中からましな人を上位から入賞させなければならないと言うようなコンテストは実際無価値なのです。そうして選ばれたチャンピオンが、何か勘違いをしてプロにでもなったなら、きっと後々、受賞者にも、その家族にも、お客様にも不幸な結果になると思います。

 そうした人にトロフィーを渡せば、「あぁ、この人は今以上に勘違いをするだろうなぁ」とか、「きっとこの入賞が、プロになる許可状だと思い込むだろうなぁ」。と先々を心配してしまうことがあります。

 コンテストは良かれと思ってしていることですが、才能のない人にプライドを与え、成功の見込みのない人をプロにして、それでいいわけはありません。ゆえに無責任に審査をするのは嫌いなのです。

 

 そもそも、私は、今のコンテストから、プロマジシャンは育ちにくいと思っています。演じる内容があまりに内々の世界に偏っています。

 入賞したら、さっさと考えを切り替えて、お客様に喜んでもらうようなマジックを作り直すならいいのですが、なまじ入賞すると、かたくなに手順を変えない人がいます。結局、コンテストは自分の欲を満たす行為にしかならず、人の役に立っていないのではないかと思います。

 どうも日本人の多くはみんな王子様になってしまったのではないかと思います。王子様が自分の道楽でマジックをしているようにしか見えません。そこにお客様のことなんか考えもしないのです。勿論道楽でしているならそれでもいいのです。

 でもそうなら間違ってもプロになろうとしないことです。ちゃんとお客様の気持ちを汲み取ってマジックのできるような人を育てて輩出して行かない限り、マジックは芸能として三流と見られてしまいます。

 大会の主催者はどんなマジシャンを育てたいのかをはっきりさせて、それに沿ったコンテストをしなければいけません。よく分からないまま、居合わせた人にトロフィーを渡すようなことを繰り返していては、マジック界が堕落するばかりです。

続く

すごいぞ!山田美幸さん

すごいぞ!山田美幸さん

 

 昨晩は水泳を見ました。14歳の山田美幸さんが100mの背泳ぎで銀メダルを獲得しました。これが今回、パラリンピックでの日本のメダル受賞第一号だそうです。その後に、男子平泳ぎで鈴木孝幸さんが銅メダルを獲得しました。

 美幸さんが出場したのは、身体障害S2と言う部門で、これは身体障害の重度による区分けだそうです。その詳細は分かりませんが、手のない人、足のない人が一緒になって競技します。中には足が不自由で飛び込み台に立てない人がいます。

 そうした人は始めから水の中に入ってスタートを待ちます。美幸さんも水に入ってからにスタートでした。どんな障害の人でも極力平等に競技が出来るように配慮されているのでしょう。

 それにしても水泳と言う競技は身体障碍者にとっては過酷です。障害部分をすべてさらけ出して競技をするのです。美幸さんは14歳、思春期の女性には少なからず抵抗があるのではないかと思っていましたが。あとでインタビューを聞くとまったく屈託がありません。

 美幸さんは生まれつき両腕がありません。足にも少し障害があるそうです。そのため日常は車椅子で生活しているそうです。美幸さんの生い立ちを聞くと、たくさんの不幸を背負って生きてきています。

 幼いころに喘息(ぜんそく)を患ったそうです。喘息を克服して体力をつけるために水泳を始めたそうです。その水泳を始めて感じたことは、水中の方が体を動かすことが楽だと知ったそうです。そして健常者と同じように泳げることで自信が付いたそうです。

 更に、5年前のリオデジャネイロパラリンピックをテレビで見て、水泳選手がものすごい迫力で泳ぐ姿に熱狂して、「東京大会に出たい」。と言ったそうです。このとき9歳です。

 両親は、「それは無理だ。レベルが違い過ぎる」。と言ったそうです。然し、美幸さんはまったくあきらめようとはせず、必死に水泳の練習をしたそうです。どうもこの辺りから美幸さんは、幸運を引き寄せる魔法を身につけ始めたのかも知れません。

 

 私は前のオリンピックを見ていても思いましたが、もしオリンピックが2020年に通常通り開催されていたら、山田美幸さんは競技場にいただろうか。つまり、美幸さんが13才だったら、日本代表に選ばれていただろうかと。

 恐らく影も形もなかったでしょう。コロナは世界中で様々な不幸を作り出していますが、少なくとも美幸さんにとっては、オリンピックの開催が一年遅れたことは、幸運をもたらしたのだと思います。

 こんな幸運はそうそうはありません。そのことはスケボーの西矢椛さんも同様です。オリンピックが去年開催されていたなら、13歳の金メダリストは存在しなかったはずです。逆に言えば中学生の一年間はまったくとてつもない可能性を秘めていると言うことです。

 同じことが昨日のパラリンピックでも起こったのです。素晴らしいではありませんか、努力をした人には、天が幸運を引き寄せてくれたのです。

 こうしたことを思うにつけ、オリンピックの開催に反対した人たちは業(ごう)が深いと思います。日本(東京)が立候補して、やると決めたオリンピックを、コロナだから、予算が膨大だからとマイナス要因ばかり並べ立てて、連日、テレビで批判していた人たちは、彼女たちの努力をどう説明しますか。

 オリンピックはアスリートの努力を認め、讃える場ではないのですか。その前提があって、いろいろ語るべきものを、オリンピックをあからさまに悪しざまにいって、金の話ばかりしてやめろやめろは恥ずかしくないのですか。

 私は、幾多の批判に耐えて、オリンピック、パラリンピックを運営したスタッフは立派だと思います。また、オリンピックに関する限りは、菅首相も、始めからぶれることなく一貫していたことは立派だと思います。

 

 話を戻しましょう。山田美幸さんの生い立ちを聞くと、わずか14年の人生で幾多の困難に直面しています。その最たるものは、最大の支援者だったお父さんを二年前に癌で亡くしたことでしょう。もしこの大会を、お父さんに見せられたならどれほど親孝行になったか知れません。然し、それはかなわなかったのです。彼女の心の中では悲しみでいっぱいだったでしょう。でも、彼女は前向きです。

 インタビューで、「この銀メダルは亡くなった父に捧げます」。と言っていました。お父さんが生涯かけた成果は美幸さんを育てたことでしょう。

 親に向かって、「生んでくれと言った覚えはない」。などと毒づく子供がいる中で、障害者に生まれながら、両親を愛し、亡くなった父親に銀メダルを捧げようと言う子供が育ったことは、お父さんにとっては素晴らしい宝物を世の中に遺したことになったと思います。

 山田美幸さんは、インタビューで、「これまで育ててもらった両親や、助けてくれた方々に感謝しています」。と言っていました。周囲の温かい支援があってのメダルであることを彼女は身にしみてわかっているのです。

 しかも彼女は競技を終えて去るときに必ずプールに向かって礼をするそうです。それは、「自分を泳がせてもらったプールに対する感謝」だそうです。聞いていると涙が出ます。世の中に対して拗ねることなく感謝をする中学生がいるのです。 口を開けば世の中の不満ばかり言う人が多い中で、こんな前向きで、苦労を苦労と思わずに、人に感謝する人がいることはまさに日本の誇りです。

 私は、わずか数時間、背泳ぎをテレビで見ただけです。しかしそこから、今まで全く知らなかった人々の人生がほの見えて来ました。これほど深い人生を見せてもらったことに感謝します。いい話を聞かせてもらいました。

続く

 

パラリンピック開会式

パラリンピック開会式

 

 私の人生でこれほどオリンピックやパラリンピックを熱心に見たことはなかったと思います。それもこれもコロナ禍で夜の公演の場がなく、常に家にいるためではありますが、

 でもちゃんと隅々まで見てみると、オリンピックは素晴らしい祭典だと思います。いろいろ今回の東京オリンピックを悪く言う人がありますが、どこがいけないのかわかりません。

 選手を迎えるボランティアから、アクトをするパフォーマーも、みんなはつらつとして気迫があり、満面の笑顔で選手を迎えています。

 マジックの大会でも、海外では30分、1時間催しが遅れることはざらなのに、日本での催しは、すべてが時間通り規則正しく行われていて、さすが日本人でなければできない大会だと感心しました。

 開会式に先立って、日本の国旗を掲揚するために、日の丸を持って厳かに出てきた数名のアスリートの中には、車椅子の選手もいました。彼らがここまで来るにはどれほど苦しい人生を送ってきたことか、また同時に、苦しいトレーニングを乗り越えて、ようやくあの日の丸の一端を握って行進する立場に至ったのでしょう。

 「ここに出て来るために、随分人に言えない苦労したんだろうなぁ」。と、私もだんだんそんな風に人を慮(おもんばか)るようになりました。自然に涙が出てきます。

 日の丸入場の曲は、辻井伸行さんが作曲したそうです。全盲のピアニスト、辻井さんは、数年前、日越(日本とベトナムのこと)国交40周年の記念イベントで、一緒の舞台を踏みました。

 辻井さんは朝ホテルで食事をしているときでも、エアーでピアノを弾いていました。恐らく一日のほとんどの時間、ピアノのことしか考えていないのでしょう。

 その辻井さんがパラリンピックの音楽を作曲したと言うのは適任です。それにしても辻井さんの音楽はどれも明るく透明です。暗い影など微塵もありません。国旗を持って入場する選手たちも、辻井さんの音楽も、ハンデを乗り越えて誇らしげに毅然としています。

 このことは同時に選手入場にも感じました。オリンピックとは違い、パラリンピックでは、どの国も選手の数がずっと少なくなります。国によっては選手一人と言う国もあります。国名は聞き覚えがなく、国旗もどこの国の国旗かわからない国旗がほとんどでした。かろうじて聞いたことのある国名でも、それがどの地域にある国なのかが分かりません。

 たった数人が参加する国でも、選手は胸を張って、高らかに国旗を揚げて行進しています。手足が不自由で歩き方がぎこちない人もいます。でも、実に堂々としています。いいですねぇ。とても格好いいと思います。

 彼らにとって、あの瞬間が人生で最も充実した瞬間なのでしょう。よくぞ日本に来てくれました。そう思うと無性に応援したくなります。

 

 このあいだのオリンピックでは、レスリングでフィリピンの選手が、初めて金メダルを取ったと聞きました。フィリピンは半世紀オリンピックに参加し続けていて、初めての金メダルだそうです。さぞや国内は大騒ぎでしょう。

 世界中には、何十年もオリンピックに参加しても、全くメダルのとれない国がたくさんあります。方やアメリカや中国、日本、ロシアは毎回何十個ものメダルを取りますが、国によっては全くメダルに縁のない国もたくさんあります。

 そうした国の選手は、決してアメリカや日本に劣っているわけではないのでしょう。彼らの国の環境がスポーツをするには難しいのです。多くは、スポーツをしたくても、生活のために働かなくてはなりませんし、スポーツをする施設が整っていない国がたくさんあります。アフガニスタンのように戦争の最中の国もあります。せっかく素質のある選手がいても、様々な理由で自由に才能が伸ばせないのです。

 彼らだって、アメリカや日本に生まれ育ったなら、メダルのとれる選手になれたかも知れません。彼らは多くのハンデに耐えながらスポーツを続けているのです。それがパラリンピックならなおさらのことでしょう。

 彼らが強国に混ざって競技に参加すること自体、決して平等な状態で競技をしているわけではありません。然し、彼らはそんなことにめげずに競技をしています。世界大会に出ることによって手に入る、メダル以上の喜びがあるのでしょう。私は明日からの競技で、縁の薄い国々の選手を無性に応援したくなりました。

 

 ところで、辻井伸行さんは、ベトナムでピアノの演奏会をした時に、ベトナムではクラシック音楽の理解者が少ないらしく、客席を走り回る子供がいたり、演奏中に携帯の着メロが鳴ったり、大人でも演奏中に立って外に出たりと、決していい状態で演奏が出来なかったのです。

 普通、世界的に有名なアーティストなら、余りに客席が騒々しいときは、途中で演奏を中断して、主催者に注意を促すように申し出たりするはずなのですが、辻井さんはまったく客席のことなどお構いなしに、ひたすら自分の世界に没頭して、音楽を演奏し続けました。

 恐らく彼は、ピアノを弾き始めたら全く自分の世界に入り込んでしまって、客席の音など気にならなくなるのでしょう。彼はきっと、音楽を通して、作曲家と向かい合い、対話をしているのかも知れません。

 彼は全盲ですから、どんな長大な曲でも暗譜で演奏します。そもそもが、どんな音楽でも耳で聴きとって細かな音符まで頭に入れるのです。人並み以上に優れた聴覚を持って、ひたすら練習を続けて達成した成果なのです。

 しかもクラシック音楽は、音階がしばしば飛び離れています。両手を持ち上げて、次の瞬間に飛び離れたキーに、確実にすべての指が下りると言うのは至難の業です。(私にはそう見えますが、音楽家なら何でもないことなのかもしれません)。

 然し、見ていると難なくこなして行きます。まったくすごい技です。

 ああした人と同じ空間に数日間でも一緒にいられたことが、私にとってはとても幸せなことです。障害を持っていながらも、常人を超えて芸術を表現できる人は偉大です。

続く

 

マジックマイスターなど

マジックマイスターなど

 

 9月4日(土)16時30分から、座・高円寺でマジックマイスターの公演を致します。第18回目の開催です。このところ大きな催しはずっとザ・高円寺で開催しています。

 実は、コロナの影響で、借り手が少し減ったらしく、申し込めばかなりの確率で借りられるので、私にとっては好都合です。しかも、私の家から歩いて3分ですので、これ以上便利な劇場はありません。

 ゲストはカズカタヤマさん。いつものマニュピレーションとは違ったものを演じるそうです。田代茂さん。バーノンの5本リングを大きなリングで演じます。それにお椀と玉。これは私が舞台で演じているものをそのままお稽古しました。祐介君がお手伝いします。

 いつも玉ひでで出演している、戸崎拓也さん、ザッキーさん、早稲田康平さん、せとなさん、全員が出演します。もう一年以上玉ひでに出演しているため、みんな結構舞台慣れして来て、上手くなってきました。座敷ではなくちゃんとした舞台で見ると、どんな風に見えるか。楽しみです。

 総勢18組の出演で、賑やかな舞台になると思います。お申し込みは120名で締め切りますので、お早めにお申し込みください。詳細は東京イリュージョンまで。

 

 10月2日(土)田源さんのイベント。日本橋にある呉服卸の会社、田源さんの本社でのイベントです。二階に広い座敷がありまして、そこに舞台を作って、お客様を集めて公演します。

 呉服の展示会がメインですので、入場は無料です。私と前田将太。早稲田康平さん、せとなさんが出演します。11時と2時の二回公演をいたします。好評なようなら、来年には、若手だけでもできるような企画を組みたいと思います。

 

 10月3日(日)。マジッククローバス発表会。芝川公民館。佐野玉枝さんが主宰する4つのマジッククラブの合同発表会。

 芝川は富士宮市にあって、富士市からは少し山奥になります。車で行くと、民家が少なく、運転していて不安になる道ですが、芝川駅のすぐ近くにある公民館。今年はここで致します。公民館はとてもきれいな劇場です。

 ゲストは前田将太とザッキーさん。私は出演しません。私から離れて、二人がメインゲストです。のびのびやってもらいたいと思います。ご近所で公演をご覧になりたい方はマジッククローバスで検索してお越しになって下さい。入場無料。

 

 10月25日(月)18時30分から、座・高円寺

 藤山新太郎リサイタル公演「摩訶不思議」。

 前売り4000円、学生3500円、当日4500円。

 久々に文化庁芸術祭参加公演です。今回は日頃出さない作品をいろいろ出してみます。

 一里四方取寄術(いちりしほうとりよせのじつ)。これは明治15年亜細亜萬次(あじあまんじ)さんが発表してセンセーショナルになった作品です。萬次さんはこの一作でその後20年日本中を回って当たり続けます。

 内容は、お客様に何でも出してもらいたい品物を紙に書いてもらい。それを順に読み上げて出して行くと言うもの。実際に明治時代は、一つ出すたびに客席がどよめき、騒然となったそうです。明治の新作手妻で、まったく当時の人から見たなら超能力だったわけです。

 私は40年近く前にこの装置をお持ちの山本慶一さんを訪ね。岡山の下津井まで行き、道具を見せていただきました。それは三代目帰天斎正一師が使用していた道具で、かなり古い装置でした。

 そのとき、山本先生から、「藤山さん良かったらあなたに差し上げましょうか」。と言われたのですが、箱を持ちあげたら、とても担げる重さではなく、その場で辞退しました。

 今考えると何が何でももらっておくべきだったと思います。とにかく、東京に戻って、装置を復活させました。その後、時々自身の公演で演じています。

 実際に演じるとなると、生演奏であるとか、手伝いなど、人手がかかるためめったに演じることが出来ません。それでも5年に一度くらい演じています。珍しい作品ですので、ご興味ございましたら、是非ご覧ください。

 

 峰の桜。昭和10年の松旭斎天勝引退公演で発表されたもの。考案者は石田天海、天海師のミリオンウォッチを改案して桜の花びらにして、舞台一面に飾ると言う作品です。

 天勝師は踊りの名人で、弟子と一緒に吉原雀の振りで踊りながら桜を出しました。私はそこまでの舞踊はできませんが、今回、吉原雀を取り入れようかと思います。但し役は花咲か爺さんのストーリーで、犬と一緒に踊りながら花を咲かせて行こうと考えています。

 お爺さんの衣装や、犬の衣装も新規に拵えています。好評ならあちこちで演じます。乞うご期待。

 

 また久々に洋風マジックも演じて見ます。実際人生の半分までは洋風マジックを演じていたのですが、このところ全くタキシードや燕尾服を着ることがなくなりました。別に嫌いなわけではありません。こんな機会ですから、依然やっていたものをいくつかお見せしようと思います。

 

 ゲストは漫才のナイツさん。よく仕事で一緒になります。それから、私とは40数年来の仲間、ボナ植木さん。私の公演にはたびたび出演していただいている峯村健二さん。峯村健二さんは、毎月一回峯ゼミを開催して、若手に基礎から高等なマジックまで指導しています。今回は峯村さんのメイン手順、ボトルとスプーンを演じてもらいます。

 と言うわけで、ゲストも豪華版です。充分ショウの面白さをご堪能いただけると思います。

 座・高円寺はコロナの影響で、座席数を減らして、120席しかありません。既に申し込みは始まっていますので、ご興味ございましたらお早めにお申し込みください。

続く

 

 

玉ひで雑感

玉ひで雑感

 

 21日(土)、月に一度の玉ひで公演を致しました。このところ、玉ひでの二日後の月曜日には必ず、演技の感想を書いています。

 もし、コロナの問題がなければ、もっともっとたくさんのショウの依頼があって、日本中の公演場所のレポートが書けるはずなのですが、現状は玉ひでにばかり偏っています。その玉ひで自体も、心なしかお店に元気がありません。

 連日お客様が大行列をしている玉ひでですら、夜の宴会がないとか、アルコールが出せないなどと言うハンデを背負って営業していては赤字もかさんで来ているのでしょう。

 私自身は今の形態をずっと続けて行きたいと考えてはいますが、飲食店を目の敵にして、2年も3年も営業自粛を求める今の政府の政策ではどんな飲食店でも倒産してしまいます。

 この先どうなるか、と考えると、飲食店も、マジックも将来が不安です。

 

 そんな中でも毎月ショウが出来ることは喜びです。一昨日も公演し、たくさんのお客様にお越し頂きました。出演者は前田将太、戸崎拓也さん、ザッキーーさん、それに私の手妻です。

 

 前田は二つ引き出し(夫婦引き出し)、手妻の定番の作品です。それを煙管(きせる)を使って演技を組み立てました。煙管を咥えると煙が出るように工夫がされています。

 せっかく煙管から煙が出るようになったのなら、煙を使って、玉が出たり消えたり、いろいろ工夫して見たらよいと思います。手順も構成も、もう少し工夫が必要です。

 

 戸崎拓也さんはコーンとボールとメキシカンロープ。コーンとボールは前回以上に手順が簡略化されて、自然に仕上がっています。伏線に使っているウイスキーとショットグラスがこなれてきています。

 液体の入ったグラスの消失も前回よりもスムーズに仕上がっています。ウイスキーを入れる缶の水筒は今は懐かしいものですが、あれをもっと小道具に生かしたならいい手順に発展する可能性を感じます。メキシカンロープの途中に再度、ウイスキーの入ったグラスが出て来るところなど、手順が大きくまとまっていて気が利いています。

 但し、あまりにすっきりしすぎて全体がお客さんの印象に残りません。もっと演技にこだわって、自分の個性を足して行かないと、何もしなかったように見えてしまいます。

 戸崎さんは、子供のころからからアマチュアマジシャンの優等生でしたが、この先、アマチュアであっても、セミプロ、プロに移行するのでも、もっと貪欲な手順つくりをしないと自身の演技をこの世界に残して行くことはできません。

 

 ザッキーさん。このところ舞台感を掴み始めています。先ず出て来て大声であいさつをするところからすでに観客を掴んでいます。表情もプロ感が出て来ました。いい顔になって来ています。初めはフレッドカプスの3枚コインのハンカチへの飛行。

 地味な始まりですが、これはこれでOK、ダウンズパームからのコインの出現、飛行も巧く行っています。コインがシルクに落ちて行く動作もよくわかります。めでたしと思わせてシルクの中からボトルの出現。お約束の手順ですが、掴みはしっかり取れています。

 このあと12本リング。私の手順です。演技は急に派手になり、後半は音楽を使ってテンポアップされます。ザッキーさんの演技を通して、客観的に私が演じて来た演技を観客として見ていると、自分自身がなぜ若いころ舞台本数が多くて、忙しかったのかよくわかります。この手順があるのとないのとでは大違いです。

 私は20歳の時に、この手順を作りました。今は、和ばかり演じていて、12本は演じる機会がありません。いいマジックですので、私は、弟子だけでなく習いに来る人に指導をしています。弟子からすれば、誰にでも教えてしまうのは、あまり面白くは感じないでしょう。

 ただ、弟子に対しては少なくとも、外部の人の二倍くらいの回数で指導をしていますし、注意点も数多く教えています。最終的な手順の仕上がりは随分違うものになっているはずです。

 弟子は十分弟子としての特権を享受しているはずです。そんなことよりも、意欲ある人には指導をしなければいけません。秘密にばかりしていては芸が絶えてしまうのです。

 ザッキーさんの演技はまだ細かい部分が粗削りです。然し、この芸は受けます。これから何度も舞台にかけて作り上げて行くといいでしょう。

 休憩後、私の手妻、袋卵から紙テープつなぎ、紙卵、一連の紙片の曲を演じたのち、五色の砂。これが大きなミスが出ました。初めに、ガラス鉢の水をかき回して黒くするところで水が黒くなりません。

 仕掛けミスです。仕方なくガラス鉢を前田に渡して、「楽屋に行って、水を黒くしてくるように」言いました。変な演技です。

 その間きっと時間がかかるだろうと予測をして、五色の砂は中断して、柱抜き(サムタイ)を演じました。演技の中ほどで前田が黒い水を持って戻ってきましたので、「ああこれで大丈夫」と思って、サムタイ一通りを終え、再度五色の演技に戻りました。

 砂を入れて、水から乾いた状態で出すのは問題なく出来ましたが、途中で演技が中断してしまったため、お客様の乗りが悪くなりました。当然です。それでも、黒い水が元の透明に戻ればマジックとしては成り立ちますので、再度かき回しますと、多少色が薄くはなりましたが、透明になりません。明らかにセットミスです。やむなく鉢を持って客席を回り、お客様に鉢の上から覗いてもらって異常のないことを確かめて終わりましたが、すっきりしない演技です。

 そのあと、札焼きを演じ、蝶を演じてめでたく終わりました。ショウがうまく行かないときに、何とか最悪の状態にしないように、いろいろ工夫をしますが、工夫しきれないミスもあります。そんな演技を見せた後は心苦しいものです。決して同じ間違いをしないよう、帰宅後、原因を調べ問題をチェックしました。

 絶対失敗することのない五色の砂でまさかのミスでした。この日の出来は50点取れたでしょうか。いくつになっても勉強させられます。

続く

 

 

 

今日は玉ひでの公演

今日は玉ひでの公演

 

 今日は玉ひでの公演です。毎月一回、人形町玉ひでの座敷で公演をして、今回で14回目です。今回は早々に満員だったのですが、コロナによってキャンセルが発生しました。残念。

 と、思っていると、「まだ空いていますか」と、間際の予約が入りました。人間万事塞翁が馬で、一喜一憂してもなるようにしかなりません。いいことも悪いこともあって人生です。

 私にとって玉ひで公演はライフワークです。この先10年経って過去を眺めたなら、「始めたころはコロナでお客様が入らずに苦労したなぁ」。などと懐かしんでいるでしょう。私を待ってくれているお客様がある限り、私は公演を続けます。

 私自身コロナのワクチン接種を済ませていますので、私から感染することはありません。安心してご覧いただけます。

 と、言うわけで、来月、再来月も半分ほど予約が入っていますが、まだ空いておりますので、ご興味ございましたら、東京イリュージョンまでお申し込みください。

 

カズカタヤマさん退院

 

 18日。予想以上早くにカタヤマさんが退院しました。後遺症もさほどのこともなく帰ってきたことを電話で教えてもらいました。良かったです。

 然し、復帰したなら仕事を再開しなければいけません。相変わらず舞台のチャンスはわずかです。いや、これはカタヤマさんに限ったことではなく、マジシャン、芸能人すべてが苦労しています。カタヤマさんも何とか前向きに生きて行ってください。

 

パラリンピック

 来週からパラリンピックが始まります。日頃見ることのない競技をまた二週間見ることになります。この日のために努力をしてきた障害を持つ選手に精一杯拍手を送りたいと思います。

 たまたまこの一週間は、差別やいじめについて書いてきました。いわれなき差別を受けながらも、ひたすら前向きに生きて来た人たちの努力を見せてもらうことは、我々にも学ぶことはたくさんあると思います。またパラリンピックを見て、いろいろ考えたことを来週お話しします。

 

 大谷翔平選手は偉大です

 度々大谷翔平さんのことを書いていますが、3日前には40号のホームランを放ってアメリカの記録を塗り替えています。今アメリカでは、野球に全く興味のない人でも、大谷選手の活躍をネットやテレビで必ずチェックしているそうです。

 今や大谷選手は国民的な大スターだそうです。そもそもアメリカではこの10年、野球が不人気になってきて、観客動員を減らし続けていたのですが、ここへ来て、大谷選手がらみの野球中継はそれだけで大人気で、球場の熱気も復活しました。

 何しろ大谷選手は、たった一人で、エンジェルスの観客動員を引き上げ、同時に野球界の人気を引き上げています。まさに球界の神様です。

 エンジェルスの野球中継には必ず、全体画像とともに、大谷選手専用の小さな画面がついていて、他の選手がプレイしているときでも、小さな画面は、ベンチに座って試合を眺めているだけの大谷選手をひたすら映し出したり、バッティングの練習をしている大谷選手を映しているそうです。

 つまりファンは野球がどうなろうとも、大谷選手が見たいのです。こんなことはいまだかつてアメリカのスポーツ界にはなかったことです。

 依然として根強い人種差別があるアメリカで、東洋人の選手をここまで注目して、アメリカ全体が大騒ぎをしたことなど一度もなかったのです。大谷選手の活動が、人種差別の撤廃に大きく寄与しています。すごいですね。

 明るくのびのびプレイをする大谷選手は、アメリカ人の憧れなのです。日本でも、毎朝、エンジェルスの試合が気になって、必ず野球をチェックする人が増えています。すごいことです。世界中がコロナ禍で憂鬱な気持ちになっているのに、大谷選手がたった一人で希望を与えてくれます。つくづくすごい人だと思います。

 

 文化庁ヒアリング

 昨日20日、毎年この時期、補助金を頂いて公演した私の舞台の感想を、意見を伺うヒアリングの場が設けられ昨日、国立劇場に伺いました。今回はかなり細かにショウの内容の感想が伝えられました。総体好意的に見ていただき、中には、「こういうふうにマジックを見るのか」。と、いまさらながら芸能としてみたマジックの感想が面白く伝わってきます。

 幸い私は毎年支援を頂いていますが、安定したレベルを維持していないと、すぐにチェックが入ります。私だけでなく、一緒に出演している若手のマジシャンに対しても容赦のない批評が出ます。幸い今年も支援がいただけました。何にしても国が評価してくださることは有り難いことだと思います。

 ヒアリングが国立劇場の会議室であったため、車で神田に出て、砂場の蕎麦屋に入りました。ここは浅草の並木の藪。神田の松屋同様に私の好きな店で、並木ほど辛めの汁ではないもの、しっかりと出汁の味の出た、まさに神田を代表する蕎麦屋です。

 このところ出汁の味が分かってきた前田を連れて、卵焼きと天ざるを頼みました。卵焼きは、胡麻油で、しっかり焼き上げた江戸前の味です。魚の出汁が効いていて、総体味が濃く、甘く、京都の塩味の卵焼きとは対極に味です。然し、私はこれが大好きです。これと冷酒があれば30分は楽しめます。

 然し、昨日は、コロナのため酒が出ませんでした。「あぁ、コロナは私の貴重な楽しみを奪った」。悲しいです。

 天ざるは、小海老のかき揚げが平たい小皿に、熱い汁と一緒に入っています。そばは細めですがしっかりとしています。これを三筋ほど汁につけてすすると、ふわっと胡麻の香りとともに辛めの汁が香ってきます。幸せです。時折かき揚げを崩して、小海老と共にすする蕎麦の味は至福です。あぁ、この汁を肴に、酒が飲みたい。早くコロナが退散することを願っています。

 そのあとマジックランドに行き、色変わりのナイフはないかと聞くと、残念ながらありませんでした。このところ私は妙に色変わりナイフがしたいのです。

 そして、3時に歌舞伎の衣装屋さんに行き、爺さんの衣装と、犬の衣装を頼みました。いよいよ峰の桜も形になりつつあります。

 

 5時、一度車で自宅に帰って、6時には電車で田代さん個人指導のために埼玉に行きます。一日中忙しいことは忙しいのですが、砂場で憩えたことが幸せです。

 

マジックマイスター

 9月4日はマジックマイスターを開催いたします。もう18年続いたマジックショウです。場所は座高円寺、16時30分からスタートします。今回はいつもの生徒さんと、若手のマジシャンが10本出演します。全体で18本ものショウになります。相当熱が入っています。熱演をぜひ生の舞台でご覧ください。半日マジックに浸かったら夢心地、楽しいですよ。

 

明日はブログを休みます