手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

パラリンピック開会式

パラリンピック開会式

 

 私の人生でこれほどオリンピックやパラリンピックを熱心に見たことはなかったと思います。それもこれもコロナ禍で夜の公演の場がなく、常に家にいるためではありますが、

 でもちゃんと隅々まで見てみると、オリンピックは素晴らしい祭典だと思います。いろいろ今回の東京オリンピックを悪く言う人がありますが、どこがいけないのかわかりません。

 選手を迎えるボランティアから、アクトをするパフォーマーも、みんなはつらつとして気迫があり、満面の笑顔で選手を迎えています。

 マジックの大会でも、海外では30分、1時間催しが遅れることはざらなのに、日本での催しは、すべてが時間通り規則正しく行われていて、さすが日本人でなければできない大会だと感心しました。

 開会式に先立って、日本の国旗を掲揚するために、日の丸を持って厳かに出てきた数名のアスリートの中には、車椅子の選手もいました。彼らがここまで来るにはどれほど苦しい人生を送ってきたことか、また同時に、苦しいトレーニングを乗り越えて、ようやくあの日の丸の一端を握って行進する立場に至ったのでしょう。

 「ここに出て来るために、随分人に言えない苦労したんだろうなぁ」。と、私もだんだんそんな風に人を慮(おもんばか)るようになりました。自然に涙が出てきます。

 日の丸入場の曲は、辻井伸行さんが作曲したそうです。全盲のピアニスト、辻井さんは、数年前、日越(日本とベトナムのこと)国交40周年の記念イベントで、一緒の舞台を踏みました。

 辻井さんは朝ホテルで食事をしているときでも、エアーでピアノを弾いていました。恐らく一日のほとんどの時間、ピアノのことしか考えていないのでしょう。

 その辻井さんがパラリンピックの音楽を作曲したと言うのは適任です。それにしても辻井さんの音楽はどれも明るく透明です。暗い影など微塵もありません。国旗を持って入場する選手たちも、辻井さんの音楽も、ハンデを乗り越えて誇らしげに毅然としています。

 このことは同時に選手入場にも感じました。オリンピックとは違い、パラリンピックでは、どの国も選手の数がずっと少なくなります。国によっては選手一人と言う国もあります。国名は聞き覚えがなく、国旗もどこの国の国旗かわからない国旗がほとんどでした。かろうじて聞いたことのある国名でも、それがどの地域にある国なのかが分かりません。

 たった数人が参加する国でも、選手は胸を張って、高らかに国旗を揚げて行進しています。手足が不自由で歩き方がぎこちない人もいます。でも、実に堂々としています。いいですねぇ。とても格好いいと思います。

 彼らにとって、あの瞬間が人生で最も充実した瞬間なのでしょう。よくぞ日本に来てくれました。そう思うと無性に応援したくなります。

 

 このあいだのオリンピックでは、レスリングでフィリピンの選手が、初めて金メダルを取ったと聞きました。フィリピンは半世紀オリンピックに参加し続けていて、初めての金メダルだそうです。さぞや国内は大騒ぎでしょう。

 世界中には、何十年もオリンピックに参加しても、全くメダルのとれない国がたくさんあります。方やアメリカや中国、日本、ロシアは毎回何十個ものメダルを取りますが、国によっては全くメダルに縁のない国もたくさんあります。

 そうした国の選手は、決してアメリカや日本に劣っているわけではないのでしょう。彼らの国の環境がスポーツをするには難しいのです。多くは、スポーツをしたくても、生活のために働かなくてはなりませんし、スポーツをする施設が整っていない国がたくさんあります。アフガニスタンのように戦争の最中の国もあります。せっかく素質のある選手がいても、様々な理由で自由に才能が伸ばせないのです。

 彼らだって、アメリカや日本に生まれ育ったなら、メダルのとれる選手になれたかも知れません。彼らは多くのハンデに耐えながらスポーツを続けているのです。それがパラリンピックならなおさらのことでしょう。

 彼らが強国に混ざって競技に参加すること自体、決して平等な状態で競技をしているわけではありません。然し、彼らはそんなことにめげずに競技をしています。世界大会に出ることによって手に入る、メダル以上の喜びがあるのでしょう。私は明日からの競技で、縁の薄い国々の選手を無性に応援したくなりました。

 

 ところで、辻井伸行さんは、ベトナムでピアノの演奏会をした時に、ベトナムではクラシック音楽の理解者が少ないらしく、客席を走り回る子供がいたり、演奏中に携帯の着メロが鳴ったり、大人でも演奏中に立って外に出たりと、決していい状態で演奏が出来なかったのです。

 普通、世界的に有名なアーティストなら、余りに客席が騒々しいときは、途中で演奏を中断して、主催者に注意を促すように申し出たりするはずなのですが、辻井さんはまったく客席のことなどお構いなしに、ひたすら自分の世界に没頭して、音楽を演奏し続けました。

 恐らく彼は、ピアノを弾き始めたら全く自分の世界に入り込んでしまって、客席の音など気にならなくなるのでしょう。彼はきっと、音楽を通して、作曲家と向かい合い、対話をしているのかも知れません。

 彼は全盲ですから、どんな長大な曲でも暗譜で演奏します。そもそもが、どんな音楽でも耳で聴きとって細かな音符まで頭に入れるのです。人並み以上に優れた聴覚を持って、ひたすら練習を続けて達成した成果なのです。

 しかもクラシック音楽は、音階がしばしば飛び離れています。両手を持ち上げて、次の瞬間に飛び離れたキーに、確実にすべての指が下りると言うのは至難の業です。(私にはそう見えますが、音楽家なら何でもないことなのかもしれません)。

 然し、見ていると難なくこなして行きます。まったくすごい技です。

 ああした人と同じ空間に数日間でも一緒にいられたことが、私にとってはとても幸せなことです。障害を持っていながらも、常人を超えて芸術を表現できる人は偉大です。

続く