手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ワクチン接種始まる

ワクチン接種始まる

 

神田明神

 今日は、一昨日お話ししましたように、昼から二回、神田明神で曲芸、落語、手妻の伝統芸能の公演があります。そのためにこれから神田に出かけます。朝から夜8時くらいまでかかると思います。この先のインバウンドを予想して、一足早く戦略を立てようとしています。神田明神は観光地としては東京の中心地ですし、駅から近く、背後に秋葉原を控えていますので、中国やアジアの人たちには人気の場所です。

 ここで食事をしながら、芸能を見るという企画はきっとはまるだろうと予測を立てて、私の出番と言うわけです。この先にわかに忙しくなりそうです。

 手妻はそうそうたくさんの演者がいるわけではありませんので、今のうちに、しっかり演技のできる人を作っておかなければいけません。前田は既に2年修行していますので、いろいろできるようにはなりました。この先の大きな流れが当人にとってきっといい方向に向かうと思います。

 

生徒希望者がネットで申し込み

 この世の中の大きな流れを知ってか知らずか、手妻を教えてほしいという生徒さんから何件もネットで申し込みがあります。いいことだとは思いますが、ただし、これで生きてゆくとなると、数時間のレッスンをしただけで収入になると言うわけではありません。アマチュアとして覚えるなら面白く楽しく学べて充実した人生を送ることができます。でもプロになろうとするなら真剣に学ばなければ、将来一方(ひとかた)の手妻師にはなれません。単純にレッスンをするにしても、最低でも100レッスン(毎週一回の稽古で2年)稽古をしなければ物にはならないでしょう。

 何とかしっかり指導はしてゆきますが、本気にならなければ成功は無理です。

 何が難しいかというなら、マジックのスキルはもちろんですが、最も大切なことは雰囲気なのです。ただ立っているだけでもほかの人と違う存在感が必要です。舞踊や、芝居心が必要なことは勿論です。そうしたなものを自然に身に着けるには、ずいぶん古典芸能を見ておかなければなりません。それが他人事ではなく、自分の醸し出す世界観につながって行かなければいけません。そのためには、お客様としてみていてはだめなので、基礎的なところから学びなおさなければだめです。

 紙の蝶を飛ばすにしても、お客様がそれを見て、あたかも江戸時代の世界に入り込んでしまったかのような錯覚を覚えるような、古風な立ち居振る舞いをしなければ、人は寄っては来ません。芸能というのは、言ってみれば、ありもしない世界を目の前に作り上げて見せて、お客様を本気にさせることなのです。別に手妻をしなくても、落語でも、曲芸でも、芝居でも、能狂言でも、音楽でも、みんなありもしない世界を作り上げてお客様をとんでもない世界に引きずり込んでいるのです。

 その世界をどう作り上げるか、という点が当人の芸の根幹につながってゆくわけですから、いくつかのマジックの種を私から習えば、それだけで食べてゆけるというものではありません。ただし、なぞる世界があるということは救いです。

 まったく何もない世界を一人で開拓してゆきなさいというものではないのです。手妻を学んでゆくうちに、自分自身で世界観を作って行けばなんとかなります。これは一昨日お話しした、「色即是空」のお話そのものなのです。手妻という型は既にあるのですが、よく見てみると、そこの世界はまだ作られていないというわけです。手妻はある、でもまだ何もない。あるのかないのか、それはあなたが見えるか見えないかにかかっているわけです。

 

注射の風景

 ところで、コロナワクチンが日本に続々届くようになり、さっそく注射が始まりました。テレビニュースではどこも注射をしているシーンばかりが映し出されます。見ているとずいぶん深く針を刺します。筋肉注射だと言っています。みんな痛そうな顔をしていませんが、あれはきっと相当痛いに違いありません。誰か泣いて見せてくれたら面白いのですが、そうした人はいないようです。

 私なんぞは、肩こりや、指の関節に打つ注射ですら痛くて騒いでしまいます。どうも注射は苦手です。コロナワクチンは複数回刺すようですので、いっそピアスのように事前に穴をあけておいてはいかがでしょう。金や銀の蓋なんか作って、小さな鎖をつけて穴に蓋をしておけばおしゃれな注射穴になります。

 ワクチン接種は時間がかかりそうですが、それでもこれで一気に収束に向かうでしょう。それにしても、ワクチンを開発した人たちというのはすごい能力の持ち主だと思います。アメリカとイギリスが先行したということは、この二か国が薬品の先進国なのでしょうか。日本やドイツがそこにいないのは残念です。

 ロシアと中国も開発したようですが、日本では全く中国製を輸入しようという流れはないようです。なぜなのでしょうか。出来が悪いのでしょうか。そうだとするなら、マジックショップの中国製のグッズの評価と、ワクチンの技術は似たようなものなのかもしれません。

 中国や、インドのマジック道具は、どうも紙でできた花の開きが悪いとか、羽でできた毛花がしょぼいとか、空中に浮くテーブルの脚が折れやすいとか、リングのつなぎ目がバレバレとか、評判が芳しくありません。あれと同じなのでしょうか。

 中国製のコロナのワクチンを打ったら、コロナにはかかりにくくなったけども、性格が悪くなったとか、嘘を付くようになったとか、夜中に月を見て遠吠えするようになったとか、そんな症状が出たなら困りますが、たぶん、大きな問題はないと思います。ちょっと嘘をつくようになったくらいなら大目に見てもいいと思います。ぜひ、ワクチンが足らないのなら中国製でもいいと思いますがどうでしょう。

 いやいや、何よりも一刻も早く日本製ワクチンが出ることを期待しています。

続く

 

 

 

パソコン購入

パソコン購入

 

パソコン不調

 すみません。一昨日パソコンを新規購入しましたが、機械に不慣れで作動させることができませんでした。前田に手伝ってもらってようやくつながりました。

 今日(20日)は玉ひでの舞台でした。舞台を終えて、今、18:00帰ってきました。ブログを開けると、200人の読者が今か今かと待っていました。遅くなりました。これからブログを書きます。

 

中国の観光客を呼び込む

 今日の玉ひでは中国の旅行会社が企画をして、この夏以降、中国との交流が解禁されたら、中国人の観光客を日本橋に呼び込もうという企画を立てています。そのための映像を作ろうとして、今日、私のショウを収録しました。この先相当に大きな宣伝をかけるらしく、先方も気合が入っています。

 私とすれば、玉ひでで毎月10日間、あるいは15日間くらい、一日3回公演できれば、収入も潤いますし、若いマジシャンにもまともなギャラが渡せます。そしていい稽古になると思います。私とすれば連日3回公演は疲れますので、できれば少しずつ前田や大樹に出番を譲って持ち時間を減らして行こうかと考えています。

 

 多くの仲間は、私が玉ひでの座敷で公演を始めたときに、「わずか15人や20人のお客さんが見る場所で公演しても、大した収入にならないだろう」。と思っていたようですが、私の狙いは逆です。

 この夏から中国人が大挙して押しかけて来るようになると、一回40人くらいの観光客を相手に、一日三回公演すれば120人もの人が見ることになります。毎回120人が見ることはないとして、毎日100人が見たなら絶妙な人数なのです。あえて小さな座敷で公演して、噂が広がり、そこにお客様が押し掛けるようになると、見たいという人のほとんどが見られない状況になります。見られないとなれば何としても見たいと思うのは人の常です。そうなると先々まで予約が決まり、一層見たいというお客様の欲求は高まります。私が初めから狙っていたのはここなのです。これが私の言うスケールメリットなのです。

 スケールメリットというのは、「大きいことはいいことだ」。という考え方をするときに使われる言葉ですが、私のスケールメリットというのはその逆です。小さい場所で演じるからこそ話題になるのです。なぜか、

 いきなり広い会場で公演すれば、客席の空白ばかりが目立ちます。仮に、300人入る劇場で、100人しか入らなければガラガラに見えます。300人の劇場で常に100人のお客様では、人気のない公演に見えます。

 しかし、40人がマックスの座敷で三回公演して100人が来たとして。それがいつも満席で入れない公演なら、常に人の話題になり、なんとしてもチケットを手に入れたいと思うでしょう。

 でも、冷静に考えたなら、300人の劇場で100人も、40人の座敷で100人も、どちらも同じなのです。それが座敷で演じたなら、ものすごい人気で連日満杯に見えるのです。これが私の言うスケールメリットなのです。

 マジックを生業(なりわい)として生きて行こうとするなら、一回こっきりで大きな舞台公演をするよりも、1か月も2か月も先までお客様の予約が入っていたほうが安定して生活してゆけます。私はそういうやり方で、末永く手妻を見せてゆきたいのです。そして、若いマジシャンや、弟子に毎日出演の場を与えたいのです。

 

 今、ステージマジシャンは、一回舞台に出演すると、次は3か月先、半年先といった状況なのです。これではうまくなれるわけがありません。フル回転で舞台に出ていなければプロのスキルは磨かれないのです。私は常にマジシャンが出演できる場所を作りたいのです。実は、玉ひでのほかにもいくつか舞台の依頼が来ていて、うまくゆけばこの先、ステージの回数は飛躍的に増える可能性があります。そうなると私の体がいくつあっても足らなくなるほど忙しくなるでしょう。

 そこで当然、弟子や、若いマジシャンに手伝ってもらわなければどうにもなりません。まぁ、私が元気に活動しているうちに、何とか多くのマジシャンが忙しくなるように、舞台を作って行こうと考えています。

 いずれにしましても今日もたくさんのお客様にお集まりいただきました。ありがたく感謝申し上げます。前田はいつもの通り気持ちよく自己陶酔していました。ザッキーさんもだんだん手馴れてきています。この人は場の作り方のうまい人です。人に愛される要素を持っています。これがもっと強い個性になったら案外おお売れに売れるタレントになるかもしれません。どうぞ皆様応援してください。

 

神田明神のインバウンドのための企画

 明後日(22日)は神田明神の地下にある江戸っ子スタジオで、今日の玉ひでと同じように、インバウンドを対象とした公演をいたします。画像を撮って、海外に発信するようです。結構忙しくなってきました。いい傾向です。

 神田明神は、玉ひでと違い、しっかりとした舞台ができています。照明音響もしっかりしています。洋装のマジックショウをしてもいい場所です。ここは私の出演のほかにも、マジックショウを企画したいと思います。そうなったらどうぞたくさんのマジシャンに出てもらいたいと考えています。早くそうなるように皆様も応援してください。

22日、観覧ご希望の方は、東京イリュージョンまで。

続く

新しい活動は 色即是空 空即是色 3

新しい活動は 色即是空 空即是色 3

 

 私が手妻の道具に高価な費用をかけるのは、手妻に基準を作りたかったからです。というのも、前にお話しした通り、30年ほど前まで、手妻の小道具にグレードの高いものがほとんど存在しなかったのです。道具は販売されていても、それはアマチュアさんがボランティアで演じて見せるレベルのものばかりで、ベニヤ板とか合板とか、アクリルでできたものばかりだったのです。

 ちゃんとした手妻の道具などというのはどこにもなかったのです。ちゃんとしたものとはどんなものを言うのか。そもそも私はそこから考えて製作して行かなければならなかったのです。

 つまり手妻の道具を考える以前に、道具とはどのように作られているのかを知らなければ過去の作品に遡(さかのぼ)ることはできません。そこで職人の仕事を見て回りました。蒸籠や引き出し一つ作るにも、先ず指物師(さしものし)に外観を作ってもらいます。その際、板と板を直角に合わせる場合、昔の工法では、接着剤で張り合わせたりするのではなく、見えないようなところで複雑に木を組み合わせて、直角部分に継ぎ合わせが出ないように、しかも釘やねじを使わずに壊れないように作ってあります。

 こうした作り方なら百年でも道具は使えますし、簡単には壊れません。指物師は、板から箱を作り上げ、それを下地師のところに持って行きます。下地師は、出来上がった箱に砥の粉を塗り、やすりなどで内外ともに磨き上げ、つるつるに仕上げます。

仕上がった箱は塗師(ぬし)と呼ばれる、漆塗りの職人のところに行き、生漆や、黒漆で塗り重ねられます。漆は、乾きの遅い塗料ですので、一度に厚く塗ることはできません。薄く塗っては何日か乾かし、また塗るという作業を何度も繰り返します。

 漆が塗り上がると今度は、蒔絵師のところに持って行き、花柄や毬を金蒔絵で描いてもらいます。蒔絵は何色も塗りますので、一色一色塗りあがっては乾かします。そうして出来上がったものを再度指物師が受け取って、全体を組み上げます。

こうして一作の小道具ができ上がります。工程ごとに職人が変わるのです。単純に言って、一作仕上げるのに3か月はかかります。先に、小箱一つの代価が30万円と言いましたが、各職人が数日かけて道具を仕上げますので、当然手間と日数がかかります。それでいて彼らが手に入れる収入は手間賃だけなのです。日当分の費用を何人もの職人が分け合っているわけで決して高額な代価を求めているわけではないのです。

 そのことがわかると昔ながらの製法でできた小道具は決して高価なものではないとわかります。確かにアクリルや合板を張り合わせて作れば、製作日数はわずかで、安価にできますが、そうしたものは長くはもたないのです。また使ってゆくうちに独特の風合いなども生まれては来ないのです。

 私はいいものを作って、私が80代まで使い、その先は弟子に譲りたいと考えています。こうして作品が受け継がれて行くうちに、昭和に作られた道具が百年二百年と伝えられてゆくわけです。これが日本の奇術界の財産になり、新たな伝統になって行くと思うのです。さて、マジックをなさる人で、自分の道具が百年残るような道具をお持ちでしょうか。もし自分が亡くなってしまったら、全部ごみとして家族に捨てられてしまいませんか。それを寂しいこととお考えになりませんか。

 

 舞台前に楽屋の化粧前(けしょうまえ=楽屋の壁に貼ってある鏡の下にカウンターのように作り付けてある横長のテーブル)に小道具を並べて、それを一度客観的に眺めてみてください。それが美しく、しかも外部の人が見てもいい道具に見えますか。残念ながらマジシャンの道具は粗末なものが目立ちます。アマチュアならどんな安価な小道具でもいいのです。しかしプロなら、持っている道具は歴然とアマチュアとは違うものを持たなければいけません。

 それは例えば音楽の世界を考えてみてください。一流というミュージシャンは間違いなく高価な楽器を持っています。ギターでも、フルートでも、バイオリンでも、三味線でも、時に数千万円から、億の金額の楽器まで所有しています。彼らはそれがどれほどいい音を出す楽器であるかを知っているのです。それがわかるからプロミュージシャンなのです。

 マジシャンも本来その点は同じはずですが、どうも道具に関する限りマジシャンの持ち物はお粗末です。どう見てもプロの道具とは思えない小道具やテーブルを楽屋に持ち込んでいる人がいます。プロとしてこれでいいのでしょうか。

 特に最近、和妻。手妻を演じる人で、その宣伝用のプロフィールの中に、400年の歴史を持つ和妻とか、伝統芸の継承者とか、古典芸能の保持者、などと和妻を自慢して誇大に書く人があります。私は、最近になって和妻をする人が増えたことはいいことだと思っています。20年前までは誰も和妻に興味を示していなかったのですから、理解者が増えたことは喜ばしいことです。

 しかし注意しなければいけません。伝統芸の保持者なら、その芸は誰から習ったのか、はっきり系譜がわからなければ継承者にはなれません。ビデオや、道具についている解説書を見て覚えたというのでは継承者ではありません。誰から、何を、いつ学んだか、が大切で、それがはっきりしていない演技者は継承者とは呼ばれません。

 その習得も、手妻の種仕掛けだけでなく、着物の着方、たたみ方、立ち居、挨拶、所作、日本文化がしっかり守られていなければ古典とは言えないのです。自分で見様見真似で覚えたというのは古典芸ではないのです。

 例えば島田晴夫師の傘の演技には全く手妻は入っていません。まったく師のオリジナル演技なのです。それゆえ、師は自分では手妻とも和妻とも言っていません。師の演技は日本風マジック、あるいはジャパニーズスタイルマジックと称しているのです。私はそれで十分だと思います。

 あえて伝統を持ち出す理由はないのです。和妻を自分で好きになさっているなら、伝統や継承の言葉を使ってはいけません。そんなものに頼らずにもっと自分を信じて強く生きてください。

 

 私は新しく工夫を加えた作品ができると、アトリエに毛氈を敷き、テーブルを置き、小道具を乗せ、舞台衣装を着て、全体の写真を撮ります。その上で、客観的に写真を眺めてみて、どこを見ても飛び出して見えるところがなく、全体がうまく収まっていて、あたかも百五十年も前からあったかのように見るなら、その作品はいい手妻だと思って満足します。私が目指しているのはその世界です。すなわち何もなかったところから百五十年も前の作品が忽然と生まれること。それすなわち「空即是色」なのです。

新しい活動は 色即是空 空即是色 終わり

新しい活動は 色即是空 空即是色 2

新しい活動は 色即是空 空即是色 2

 

 実際に物があるかないかということとは関係なく、人は往々にして、探しもしないでないといい、ないからできないといいます。ないことを理由に結局何もしないのです。

 20代で道具を作り始めてから、私は浅草の松竹演芸場などに出演すると、一回目と二回目の出演の間によく合羽橋や蔵前を歩き回って、職人の仕事を見ていました。指物師、仏壇作り、金箔屋、飾り金具職人、ガラス玉の細工師、提灯屋、袋物屋、鼈甲細工師、象牙細工師、根付師、ありとあらゆる技術を持った人が裏通りには大勢暮らしていて、彼らの技術は表通りの仏壇屋さんや、装飾店などの注文に即座に応えていたのです。合羽橋や、稲荷町の裏通りなどは、昔から職人がたくさん住んでいて、玄関を開けっ放しにして、板の間で細工物の仕事をしている家がたくさんありました。

 

 私の心の中には早くから江戸時代末期の手妻師が使っていたような本物の道具を持ちたいという希望がありました。しかしそれはとても漠然とした思いで、細かなところは全く考えが及んでいません。それをどうしたらより具体的なものになるか、いつも職人の仕事を見てはいろいろ考えていました。

 20代の私は、マジックの仕事はほとんど洋服を着てスライハンドをするか、イリュージョンをしていましたので、道具の製作も当然、洋服の手順が主流でした。鉄工所や木工所に出かけて、自分がイメージしたマジックの図面を渡し、それを木工で製作し、木工が出来上がるとそれを鉄工所に持って行き、道具の周囲にモールを張ったり。台となる床部分に足やキャスターを溶接してもらったりしていたのです。

 私の演じるイリュージョンは、既成のマジックはほとんどありませんでした。どれも自分で図面を引いて、独自の工夫を加えたものを演じていました。これは言うは易きことですが、この活動を続けてゆくのはとても大変なことでした。

 完成したものを買って演じるのは手っ取り早く、製作に失敗がありません。しかしオリジナルを作ろうとするとまず考える時間が必要です。製作に膨大な費用がかかります。うまくゆかなければまた作り直しをします。時間と費用が掛かりすぎます。

 それでもいい作品が出来上がったなら100%自分の世界です。自分の舞台で、自分のオリジナルの作品が次から次に演じられてゆくと、そこは誰も見たことのない独自の世界が広がってゆきます。それをお客様は目を輝かせて見てくれます。この時、私は、「あぁ、鉄工所や、木工所を毎日移動して、道具を作っていった苦労が報われた」。と自己の世界の完成を確信するのです。

 

 そうしてイリュージョンで独自の世界を作り上げて、ようやく収入を得るようになると、今度はその収入を手妻の小道具に投資していました。当初は手妻の仕事は少なかったため、周囲の人には手妻の道具への投資はまったく私の趣味のように思われていました。女房などは、小さな箱に20万円も30万円もかけることは無駄以外の何物でもないと思っていたようです。

 しかし私は何を言われても考えは変えませんでした。今、目には見えなくとも、私には作り上げたい世界があったからです。幕末期の爛熟した絢爛豪華な手妻の世界を再現したかったのです。職人の工房を訪ね歩いては細かな道具の注文をするようになりました。始めは地味な活動の繰り返しでしたが、30代になって道具もいろいろ出来てくるようになると、テレビやマスコミが私の手妻を取り上げてくれるようになりました。するとアマチュアさんやプロ仲間が集まってきて、習いたいという人が増えてきます。

 習いに来る人も、はじめは、マジックショップの道具などを持ってきて、私から手妻を習うのですが、私の持っている道具を見ると、どうしてもクオリティの高い道具が欲しくなります。そこで私に道具を売ってくれという話になるのですが、実際に道具の値段を言うと飛び上がってしまいます。引き出し一つをとっても30万円以上します。

 そこでアマチュアさんは言います。「もっと安い道具はありませんか」。私は「作ることは可能です」。と答えます。「でもそうした仕事を私はしません。それは私が作り上げたかった世界ではないからです。引き出しのトリックは、バルサ板でも、アクリル板でもできます。でも、恐らくアクリルで出来た道具で私が手妻をしたら、あなたはそれを見て感動しなかったと思います。そしてあなたは恐らく私のところには習いに来なかったでしょう」。

 「私は、手妻の不思議を提供する以前に、日本の古典芸能の奥深さをお客様に提供したいのです。そしてその世界を見たときに、手妻は日本の文化に裏打ちされた世界であると気付いて、お客様は大きなショックと感動を受けるはずです。そのファーストインプレッションを植え付けるために職人に昔ながらの仕事を願いして、高価な道具を作ったのです。私の舞台を見たなら、何も語らずとも、道具を見ただけでお客様がその芸に納得してくれます。これは決して高い投資ではないと思うのです」。

 と、こう話します。話をしてなおかつアクリルの道具を欲しがるアマチュアさんがいるなら、その人は私のところで習う人ではないのです。そもそも手妻の小道具などというものはほとんどどこにもなかったのです。それを私があちこち職人を訪ね歩いて一つ一つ小道具を作って行ったのです。もし私がこの世にいなかったらどれも影も形もなかったものなのです。

 手妻、和妻は何百年もの歴史があるといいますが、その歴史をつい50年前までは誰も顧みなかったのです。私が一つ一つの作品を道具を掘り起こしをして復活させているときでも、人はまったく他人事で、何ら関心を持たなかったのです。ようやく道具もできて、その演技の仕方や口上まで仕上がって多くの皆さんに評価されて、手妻は今日の形になったのです。しかし出来上がった作品を見て、「これのもっと安いものが欲しい」。というのは、物が目の前にありながら物が見えていないのと同じことなのです。「バイオリンのストラビバリが欲しい」、と言う人が、「一億円だ」。と言われたら、「それは高い、20万くらいのものはないのか」。と問うのと同じです。はじめから物が見えていないのに、ないものねだりをしているだけなのです。それすなわち「色即是空」です。

続く

 

 

新しい活動は 色即是空 空即是色 1

新しい活動は 色即是空 空即是色 1

 

 いきなり般若心経のお経の文句で始まりましたが、仏教の哲学にはこうした反対のものを並べて、それが同じものであると説くことが多々あります。「色=しき」とは、色彩ではありません。いろいろなもののことを指します。単純に、物と考えてもいいでしょう。「空=くう」とはそらではなく、何もないことを指します。「空手」の空は、何も持たないことを意味しています。

 そこで「色即是空」とは物がたくさんあることはすなわち何もないこと。「空即是色」は、何もないということは実はものがたくさんあること。という意味になります。反対の意味のものを並べてどちらも同じことと説いています。よくわからない話です。

 

 何か人のやらない新しいことを始めた経験のある人ならお分かりと思いますが、一つの仕事を手掛けようとすると、世の中には何一つ使えそうなもの、役に立ちそうなものなどありません。自分自身が起こした活動に役立つものなどこの世の中には何もないのです。つまり世の中は自分にとって都合よくはできていないということです。逆に言えば、何かをするということは何から何まで、隅から隅まで一から起こさなければならず、目の前のたった一つのことですら、自分で作り上げなければならず、それを実現させるためには大きな困難を伴うことなのです。

 

 私が20代で、手妻を手順にして、現代(昭和50年代)の人に再現して見せたい。と考えたときに、実際始めてみると何一つ頼りになるものがなかったのです。ないというのは、伝承されている口伝、型、手妻の道具はもちろん、小間物も、テーブルも、衣装も、仕事先も、お客様も、何一つありませんでした。つまり、一見何でもある世の中に暮らしていながらも、いざ新しいことを手掛けるとなると、何から何まで何もないという問題に直面します。これがすなわち「色即是空」で、いろいろなものがあると思っていると、実は何もない。という状況です。

 むろん、蝶や、蒸籠(せいろう)といった古典の作品はありました。他にも調べてゆくとわずかですが、ほかの作品も、口伝も、演じる型もわずかには残されていました。しかし、それらを大きくまとめて、30分40分と演じてゆくには、それだけではとても数が足らないのです。

 しかも残されていた道具はまったくお粗末なものでした。蒸籠は、マジックショップでベニヤ板で作ったアイロンの外箱のような箱を売っていました。それはどう見ても手妻の箱には見えません。和を知らない人が見様見真似で作ったものなのです。

 できることなら、きっちり木目のある無垢の平板でこしらえて、生漆(きうるし=透明な飴色の漆)の塗ってあるような、本来の手妻の箱が欲しいと探しましたが、そんなものはマジックの世界には一つとしてなかったのです。

 

 それは二つ引き出し(夫婦引き出し)も同じでした。満足な道具などありませんでした。そこで当時マジックショップに道具を卸していた道具製作者と仲良くなり、製作をお願いしました。この人は人が良くて、手先が器用な人で、有り合わせのもので何でもこしらえてくれる人でした。仕事が早くて、「こんなもの」と図面を書いて渡すと、一週間くらいで品物にしてくれました。出来上がった引き出しは、桐材で角々を接着剤で止めてありました。

 そんな道具でも、よそにはないものですから出来た時はうれしくて、何度もその道具で稽古をしました。ところが一週間もしないうちに、肝心の仕掛けの部分が簡単に壊れてしまって作動しなくなりました。しかも、演技の途中で引き出しに水を入れる段があるのですが、箱はボンドでくっついているため、何度も水を入れると水漏れし、やがて箱はバラバラになってしまいました。

 昭和52,3年。箱代は3万円か4万円したと思います。4万円のお金を作るためには、キャバレーに最低3日は出なければなりません。一か月に12,3本のキャバレーの仕事で生活していたマジシャンにとっては、そこから3日間の収入を割くことはつらいものです。それが一週間使って壊れてしまうのは何とも情けない話です。

 もちろん製作者に電話して直してもらいましたが、出来上がったものを作り直すというのは手間がかかる上に、仕上がりは汚くなります。直ってきたものは、夢に描いていたものとは大違いで、なんとも不格好で、しかも演技しにくい粗悪なものでした。

 

 私の手妻の再現は、江戸末期や、明治初年の、芝居小屋を自分の看板で開けて、多くの観客を集めていた時代の手妻師です。その後に寄席の中に入って、噺家の色物として活動してゆくような手妻師ではなく。大看板を張って生きていた手妻師になりたかったのです。彼らの舞台姿は浮世絵や、伝授本の挿絵にも描かれています。

 衣装は、二枚三枚を重ね着していて、袖先には「吹き」という、中の着物が少しはみ出ていて、その袖はわずかに綿が入っていて分厚くなっています。着物は、金糸や金箔で縫い取りがしてあって、大きな蝶や、雲の柄が金銀で描かれています。

 こんな着物があったらどんなにいいだろう。と思って探しましたが、どこにも売ってはいません。浅草には吊るしで、金銀の着物が売られていましたが、どうも違います。私の求めているものはもっと、もっと贅沢な衣装なのです。

 やがて、人のつてで、歌舞伎座の衣装屋さんを世話をしてもらいました。そこには私の欲しいものが山ほどありました。そこで裃と着物を注文しましたが、なんとその衣装の見積りは55万円もしました。1本1万2千円のギャラしか取っていないマジシャンにとってはまったく別世界の金額でした。

 しかし、自分の夢を実現させるにはこれを買うしかありません。私は貯金のすべてをはたいて歌舞伎の衣装を作りました。

 出費は大きなものでしたが、少なくとも、衣装に関しては歌舞伎の関係者と付き合いを持てたお陰で、自分の夢は達成できました。つまり、物は何もないのではなく、自分が何もないと思い込んでいたのであって、よくよく探して歩けば狙い通りのものがあるのだと気付きました。それが、「空即是色」です。

 どうやら仏教の教えは、物の見方を教えているようです。つまり、あるということもないということも、どちらも現実を見ておらず、自分の見方一つなのだと語っているようです。面白い考えです。そのことはまた明日お話ししましょう。

続く

高円寺の立ち食い蕎麦

高円寺の立ち食い蕎麦

 

 高円寺の駅前に立ち食い蕎麦屋さんがあったのですが、1年前の大雨の時に、強風で建物が倒れてしまいました。倒れた姿を見てびっくりだったのですが、間口は5間(9m)くらいあって、なかなか大きくて目立った店だったのですが、奥行きが1mしかなかったのです。後ろにあるビルが大家さんのものだと思うのですが、その大家さんのビルと同じ色に塗ってあって、つなぎ目を看板などでカモフラージュしてあったため、ビルと一体の作りに見せていたのです。

 恐らく立ち食い蕎麦屋さんはネジか何かで後ろのビルとくっついていたのでしょう。

それが強風で建物がゆすぶられ、薄っぺらな建物がそっくり歩道に倒れたのです。朝になって通勤客が見て唖然としました。建物と言うよりも、大きな本が本棚から倒れて来たようです。間口のある建物ですから、歩道をそっくり埋め尽くしています。

 然し、この残骸を見て、誰も家が倒れたとは思えません。ドラマのセットの家か、日光江戸村の建物が壊れたように見えます。しかも、よくこれで商売ができたものだとみんな感心しました。長いカウンターがあって、お客様が座る椅子があって、なお且つ、厨房があって、蕎麦の丼などを収納する棚がなければいけません。トイレも必要でしょう。それらの一切が収まるのは奥行き1mの家では絶対に不可能です。それを可能にさせていたのですから、これはマジックです。

 

 駅前とは言っても、横断歩道を渡った向かい側にありましたので、商売としては難しい土地です。ちょっと蕎麦でも食べようと言うにはわざわざ歩道を渡って向こう側に行くのはおっくうです。駅前にはほかにも立ち食い蕎麦屋さんが何件もあります。どうしてもこの店でなければならないと言うほどの店でもないようです。

 うまい店ならお客様も呼べたでしょうが、味の評判は聞いたことがありません。いつもはあまりお客様が入っていないようでした。私が高円寺に引っ越して32年経ちますが、ずっと店はありました。全くお客様がいなければ32年間生きて行くことは難しいはずです。そうした意味からいうと、手堅い顧客がいたのかもしれません。

 少なくとも私は一度もこの蕎麦屋さんに入ることはありませんでした。流行らない店には何か人が入りにくい雰囲気が漂っています。特に飲食店はそうした雰囲気があったら最悪です。

 よく、「この店は見た目は汚いけどね、味は絶品だよ」。と言って、訳知りの仲間に奨められる店があります。入って食べてみると大概は「まぁまぁ」の味で、「一度食べればもういいや」。と言う店が殆どです。

 確かに我々は店に行って、料理を食べるのであって、店を食べるわけではありません。店が古かろうが、厨房が油にまみれていようが、古い週刊誌が散らばっていようが、店の中を子供が三輪車に乗って遊んでいようが、どうでもいいと言えばどうでもいいのです。然し、本当にどうでもいいでしょうか。

 マジシャンにも言えることですが、人前に出るタレントなら、少しは衣装にも小道具にも費用をかけて、いい趣味のものを持つべきでしょう。そうすることでお客様に好印象を与えるのが芸能に生きる者のすべきことと思いますが、その発想は通俗な芸人の発想なのかもしれません。

 もしそんなことに全く構わずに、汚いなりで、汚い小道具で、ものすごいマジックをいきなり見せてくれるマジシャンが現れたなら、確かにそれは衝撃です。自分自身が常識にとらわれて、どうでもいいことにこだわってきた日々を恥じる結果になります。そんな人が出てきたなら、むしろ尊敬に値するでしょう。

 然し出て来ません。そうしたマジシャンは出てこないのです。汚い芸人は結局出て来る前に弾かれてしまいます。巧かろうが、すごかろうが、決していいパーティー、いい店に招かれてマジックをすることはないのです。いい仕事に呼ばれなければ食べては行けないのです。人は外見で判断してはいけないとはよく言われますが、人は外見で判断します。それゆえに芸人は外見にこだわるのです。

 

 その後、いつの間にか店は解体され、綺麗に整地されました。後ろのビルの壁は破損したまま建っています。その跡地を連日見ながら駅に行くのですが、常識で考えたなら、この土地は使い物にはならないと思うでしょう。せいぜいツツジや、アジサイの植え込みでもして、通行人を楽しませるのが精いっぱいと言う土地です。

 ところが、この半年前から、建築が始まり、今また店舗が作られているのです。なんの店になるのかはわかりません。いずれにしても奥行き1mです。やはり立ち食い蕎麦屋さんでしょうか。仮に店ができるとしても、今のコロナウイルス騒動のさ中では最悪のスタートです。どんどん他の店は廃業しています。この状況下で今から新しい飲食店をしようとする人がいるとしたらよほどの発想を備えた人ではないかと思います。

 もし店が出来たら私は真っ先に覗きに行きたいと思っています。どんな人がこの店に夢と希望を感じて商売を始めるのか、それを一目見たいと思います。そして、その店主の想像力を讃えたいと思います。

 私なら絶対に店を開こうとは考えもしない、狭小な場所で、コロナをものともせずに商売をしようとするその発想が尋常ではありません。確かに、駅前で、しかも間口が5間もあればいい場所ではあります。家賃も安いのでしょう。メリットは十分にあります。でもデメリットもたくさんあります。

 こうした店舗を借りる人はきっと何か人に見えないものが見えている人なのでしょう。汚いなりですごいマジックをする超人と同等の発想を備えているのかもしれません。そんな人なら私は尊敬します。願わくば、再度店が倒れないことを祈ります。うっかり倒れて、立ち食い蕎麦屋さんの下敷きになって亡くなる人がいたなら気の毒です。同じ死ぬのでも、立ち食い蕎麦屋の下敷きは情けないです。

続く