手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

新しい活動は 色即是空 空即是色 2

新しい活動は 色即是空 空即是色 2

 

 実際に物があるかないかということとは関係なく、人は往々にして、探しもしないでないといい、ないからできないといいます。ないことを理由に結局何もしないのです。

 20代で道具を作り始めてから、私は浅草の松竹演芸場などに出演すると、一回目と二回目の出演の間によく合羽橋や蔵前を歩き回って、職人の仕事を見ていました。指物師、仏壇作り、金箔屋、飾り金具職人、ガラス玉の細工師、提灯屋、袋物屋、鼈甲細工師、象牙細工師、根付師、ありとあらゆる技術を持った人が裏通りには大勢暮らしていて、彼らの技術は表通りの仏壇屋さんや、装飾店などの注文に即座に応えていたのです。合羽橋や、稲荷町の裏通りなどは、昔から職人がたくさん住んでいて、玄関を開けっ放しにして、板の間で細工物の仕事をしている家がたくさんありました。

 

 私の心の中には早くから江戸時代末期の手妻師が使っていたような本物の道具を持ちたいという希望がありました。しかしそれはとても漠然とした思いで、細かなところは全く考えが及んでいません。それをどうしたらより具体的なものになるか、いつも職人の仕事を見てはいろいろ考えていました。

 20代の私は、マジックの仕事はほとんど洋服を着てスライハンドをするか、イリュージョンをしていましたので、道具の製作も当然、洋服の手順が主流でした。鉄工所や木工所に出かけて、自分がイメージしたマジックの図面を渡し、それを木工で製作し、木工が出来上がるとそれを鉄工所に持って行き、道具の周囲にモールを張ったり。台となる床部分に足やキャスターを溶接してもらったりしていたのです。

 私の演じるイリュージョンは、既成のマジックはほとんどありませんでした。どれも自分で図面を引いて、独自の工夫を加えたものを演じていました。これは言うは易きことですが、この活動を続けてゆくのはとても大変なことでした。

 完成したものを買って演じるのは手っ取り早く、製作に失敗がありません。しかしオリジナルを作ろうとするとまず考える時間が必要です。製作に膨大な費用がかかります。うまくゆかなければまた作り直しをします。時間と費用が掛かりすぎます。

 それでもいい作品が出来上がったなら100%自分の世界です。自分の舞台で、自分のオリジナルの作品が次から次に演じられてゆくと、そこは誰も見たことのない独自の世界が広がってゆきます。それをお客様は目を輝かせて見てくれます。この時、私は、「あぁ、鉄工所や、木工所を毎日移動して、道具を作っていった苦労が報われた」。と自己の世界の完成を確信するのです。

 

 そうしてイリュージョンで独自の世界を作り上げて、ようやく収入を得るようになると、今度はその収入を手妻の小道具に投資していました。当初は手妻の仕事は少なかったため、周囲の人には手妻の道具への投資はまったく私の趣味のように思われていました。女房などは、小さな箱に20万円も30万円もかけることは無駄以外の何物でもないと思っていたようです。

 しかし私は何を言われても考えは変えませんでした。今、目には見えなくとも、私には作り上げたい世界があったからです。幕末期の爛熟した絢爛豪華な手妻の世界を再現したかったのです。職人の工房を訪ね歩いては細かな道具の注文をするようになりました。始めは地味な活動の繰り返しでしたが、30代になって道具もいろいろ出来てくるようになると、テレビやマスコミが私の手妻を取り上げてくれるようになりました。するとアマチュアさんやプロ仲間が集まってきて、習いたいという人が増えてきます。

 習いに来る人も、はじめは、マジックショップの道具などを持ってきて、私から手妻を習うのですが、私の持っている道具を見ると、どうしてもクオリティの高い道具が欲しくなります。そこで私に道具を売ってくれという話になるのですが、実際に道具の値段を言うと飛び上がってしまいます。引き出し一つをとっても30万円以上します。

 そこでアマチュアさんは言います。「もっと安い道具はありませんか」。私は「作ることは可能です」。と答えます。「でもそうした仕事を私はしません。それは私が作り上げたかった世界ではないからです。引き出しのトリックは、バルサ板でも、アクリル板でもできます。でも、恐らくアクリルで出来た道具で私が手妻をしたら、あなたはそれを見て感動しなかったと思います。そしてあなたは恐らく私のところには習いに来なかったでしょう」。

 「私は、手妻の不思議を提供する以前に、日本の古典芸能の奥深さをお客様に提供したいのです。そしてその世界を見たときに、手妻は日本の文化に裏打ちされた世界であると気付いて、お客様は大きなショックと感動を受けるはずです。そのファーストインプレッションを植え付けるために職人に昔ながらの仕事を願いして、高価な道具を作ったのです。私の舞台を見たなら、何も語らずとも、道具を見ただけでお客様がその芸に納得してくれます。これは決して高い投資ではないと思うのです」。

 と、こう話します。話をしてなおかつアクリルの道具を欲しがるアマチュアさんがいるなら、その人は私のところで習う人ではないのです。そもそも手妻の小道具などというものはほとんどどこにもなかったのです。それを私があちこち職人を訪ね歩いて一つ一つ小道具を作って行ったのです。もし私がこの世にいなかったらどれも影も形もなかったものなのです。

 手妻、和妻は何百年もの歴史があるといいますが、その歴史をつい50年前までは誰も顧みなかったのです。私が一つ一つの作品を道具を掘り起こしをして復活させているときでも、人はまったく他人事で、何ら関心を持たなかったのです。ようやく道具もできて、その演技の仕方や口上まで仕上がって多くの皆さんに評価されて、手妻は今日の形になったのです。しかし出来上がった作品を見て、「これのもっと安いものが欲しい」。というのは、物が目の前にありながら物が見えていないのと同じことなのです。「バイオリンのストラビバリが欲しい」、と言う人が、「一億円だ」。と言われたら、「それは高い、20万くらいのものはないのか」。と問うのと同じです。はじめから物が見えていないのに、ないものねだりをしているだけなのです。それすなわち「色即是空」です。

続く