手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

高円寺の立ち食い蕎麦

高円寺の立ち食い蕎麦

 

 高円寺の駅前に立ち食い蕎麦屋さんがあったのですが、1年前の大雨の時に、強風で建物が倒れてしまいました。倒れた姿を見てびっくりだったのですが、間口は5間(9m)くらいあって、なかなか大きくて目立った店だったのですが、奥行きが1mしかなかったのです。後ろにあるビルが大家さんのものだと思うのですが、その大家さんのビルと同じ色に塗ってあって、つなぎ目を看板などでカモフラージュしてあったため、ビルと一体の作りに見せていたのです。

 恐らく立ち食い蕎麦屋さんはネジか何かで後ろのビルとくっついていたのでしょう。

それが強風で建物がゆすぶられ、薄っぺらな建物がそっくり歩道に倒れたのです。朝になって通勤客が見て唖然としました。建物と言うよりも、大きな本が本棚から倒れて来たようです。間口のある建物ですから、歩道をそっくり埋め尽くしています。

 然し、この残骸を見て、誰も家が倒れたとは思えません。ドラマのセットの家か、日光江戸村の建物が壊れたように見えます。しかも、よくこれで商売ができたものだとみんな感心しました。長いカウンターがあって、お客様が座る椅子があって、なお且つ、厨房があって、蕎麦の丼などを収納する棚がなければいけません。トイレも必要でしょう。それらの一切が収まるのは奥行き1mの家では絶対に不可能です。それを可能にさせていたのですから、これはマジックです。

 

 駅前とは言っても、横断歩道を渡った向かい側にありましたので、商売としては難しい土地です。ちょっと蕎麦でも食べようと言うにはわざわざ歩道を渡って向こう側に行くのはおっくうです。駅前にはほかにも立ち食い蕎麦屋さんが何件もあります。どうしてもこの店でなければならないと言うほどの店でもないようです。

 うまい店ならお客様も呼べたでしょうが、味の評判は聞いたことがありません。いつもはあまりお客様が入っていないようでした。私が高円寺に引っ越して32年経ちますが、ずっと店はありました。全くお客様がいなければ32年間生きて行くことは難しいはずです。そうした意味からいうと、手堅い顧客がいたのかもしれません。

 少なくとも私は一度もこの蕎麦屋さんに入ることはありませんでした。流行らない店には何か人が入りにくい雰囲気が漂っています。特に飲食店はそうした雰囲気があったら最悪です。

 よく、「この店は見た目は汚いけどね、味は絶品だよ」。と言って、訳知りの仲間に奨められる店があります。入って食べてみると大概は「まぁまぁ」の味で、「一度食べればもういいや」。と言う店が殆どです。

 確かに我々は店に行って、料理を食べるのであって、店を食べるわけではありません。店が古かろうが、厨房が油にまみれていようが、古い週刊誌が散らばっていようが、店の中を子供が三輪車に乗って遊んでいようが、どうでもいいと言えばどうでもいいのです。然し、本当にどうでもいいでしょうか。

 マジシャンにも言えることですが、人前に出るタレントなら、少しは衣装にも小道具にも費用をかけて、いい趣味のものを持つべきでしょう。そうすることでお客様に好印象を与えるのが芸能に生きる者のすべきことと思いますが、その発想は通俗な芸人の発想なのかもしれません。

 もしそんなことに全く構わずに、汚いなりで、汚い小道具で、ものすごいマジックをいきなり見せてくれるマジシャンが現れたなら、確かにそれは衝撃です。自分自身が常識にとらわれて、どうでもいいことにこだわってきた日々を恥じる結果になります。そんな人が出てきたなら、むしろ尊敬に値するでしょう。

 然し出て来ません。そうしたマジシャンは出てこないのです。汚い芸人は結局出て来る前に弾かれてしまいます。巧かろうが、すごかろうが、決していいパーティー、いい店に招かれてマジックをすることはないのです。いい仕事に呼ばれなければ食べては行けないのです。人は外見で判断してはいけないとはよく言われますが、人は外見で判断します。それゆえに芸人は外見にこだわるのです。

 

 その後、いつの間にか店は解体され、綺麗に整地されました。後ろのビルの壁は破損したまま建っています。その跡地を連日見ながら駅に行くのですが、常識で考えたなら、この土地は使い物にはならないと思うでしょう。せいぜいツツジや、アジサイの植え込みでもして、通行人を楽しませるのが精いっぱいと言う土地です。

 ところが、この半年前から、建築が始まり、今また店舗が作られているのです。なんの店になるのかはわかりません。いずれにしても奥行き1mです。やはり立ち食い蕎麦屋さんでしょうか。仮に店ができるとしても、今のコロナウイルス騒動のさ中では最悪のスタートです。どんどん他の店は廃業しています。この状況下で今から新しい飲食店をしようとする人がいるとしたらよほどの発想を備えた人ではないかと思います。

 もし店が出来たら私は真っ先に覗きに行きたいと思っています。どんな人がこの店に夢と希望を感じて商売を始めるのか、それを一目見たいと思います。そして、その店主の想像力を讃えたいと思います。

 私なら絶対に店を開こうとは考えもしない、狭小な場所で、コロナをものともせずに商売をしようとするその発想が尋常ではありません。確かに、駅前で、しかも間口が5間もあればいい場所ではあります。家賃も安いのでしょう。メリットは十分にあります。でもデメリットもたくさんあります。

 こうした店舗を借りる人はきっと何か人に見えないものが見えている人なのでしょう。汚いなりですごいマジックをする超人と同等の発想を備えているのかもしれません。そんな人なら私は尊敬します。願わくば、再度店が倒れないことを祈ります。うっかり倒れて、立ち食い蕎麦屋さんの下敷きになって亡くなる人がいたなら気の毒です。同じ死ぬのでも、立ち食い蕎麦屋の下敷きは情けないです。

続く