手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コロナの果ての人類の衰退

 昨晩はごちゃごちゃ書いていたら、3000字を超えてしまいました。どうしても学校閉鎖の無意味までは書きたかったので、長いブログになってしまいました。すみません。私のブログの欠点は話が長いことです。続きをお話しします。

 

 ロックダウンは外科手術

 ロックダウンとスウェーデン方式の違いは、今の、生活をストップすることでコロナの活動を止めるか、生活を維持しつつコロナの対策を考えるか、の違いです。

 単純にコロナの活動を止めるだけならロックダウンは効果的です。今回も見ていると、医師も、政治家も、学者もロックダウンを支持していました。

 でも、ロックダウンは人類を衰退に導きます。人が営々と築き続けてきた活動は、安易に壊してはいけないのです。日々何気に行われている日常の行動も、よくよく見たならどれも理由があって、細かな行動様式で作られています。

 

日常の中のルール

 毎日、駅の改札からたくさんの人が出て来ますが、それはどの人も決して思い付きで適当に改札を利用しているのではなく、きっちり理由を持って、規則的に改札から出て来ています。一回一回、出て来る人をチェックしてみれば、毎日毎日、きっちり同じ時間にほとんど同じ人が出て来るのです。無論例外もありますし、わずかな時間の違いはありますが、ほとんどの場合はルールができていて、ルールに沿って人が改札を出入りしています。

 私の家の前には、環七と言う東京の主要道路があります。車はひっきりなしに走っています。どの車も私には縁のない車が走っていますから私の目には、ただたくさん車が走っているとしか思えません。

 然し、この車の流れも実は、細かなルールで走っています。仮に、ここ車の流れを一時間、ビデオで撮って、翌日同じ時間をビデオで撮って、見比べてみれば、全く適当に別々の車が走っていると思っていたものが、その実、同じ人が、同じ車で、同じ時間に、ほとんど時間を変えずに走っていることに気付くはずです。

 高円寺の駅前は焼き鳥屋が多いのですが、彼らは毎日適当に思い付きで焼き鳥を焼いているわけではありません。彼らは、たくさんの改札から出て来る人の中から、誰が店に来てくれる人なのかを知っています。そして、来る人が、タレが好きなのか塩焼きが好きなのか、何曜日に来て、何本食べて行くかも知っています。毎日毎日、理由もなく焼き鳥を焼いているわけではなく、月曜日は何本くらい売れる。そのうちのタレの焼き鳥は誰と誰が買う、と言うことを知って焼いています。それ故に、焼き鳥は余らないのです。焼鳥屋は漠然とした人の流れから、ルールを悟り、その日の自分の仕事を作っています。これが人の生き方です。

 

 ルールの乱れが社会不安につながる

 私の話は回りくどく、長いのですが、私が、一年を通して、舞台に立つ活動をしていても、毎回、いつごろ私に舞台の仕事をくれる人があるか。と言うことを知っています。「そろそろあの人から仕事の依頼がきそうだ」。などと思って仕事を待っています。長くこの仕事をしていれば、その予測はほとんど外れません。そうした読みがあるから、毎年毎年全く白紙のカレンダーから仕事をスタートしていて、一年たってみたなら、前の年とそう違わない仕事の本数をこなしているのです。

 ところが、ロックダウンは、こうした人の営みを破壊してしまいます。ロックダウンはまるで外科手術です。不用と思われる部分は容赦なく切り取ってしまいます。切り取った結果、局部の治療は効果を生みますが、人の営みに狂いが生じてきます。

 

 焼鳥屋のおやじが、たれと塩焼きの本数を読み違えたと言うだけの話なら、大した話ではありません。それがロックダウンによって、いつも来る人が来なくなり、売り上げが大幅に下がるとなると、親父の生活に支障をきたすようになります。やがて親父に体の不調が出て来ます。レバーを焼いていた親父が自分レバーが機能しなくなり、やがて親父は店を閉店することになります。すると、店に出入りしていた肉屋や八百屋が売り上げを落とし、やって行けなくなります。それまで互いが支え合って生きてきた地域の社会が、ドミノ倒しのように崩れてきます。

 

 手妻師の廃業が、文化の損失になる

 単にマジシャンや、手妻師が仕事がなくなると言うだけの話なら、人はほとんど注目をしないでしょう。然し、一人の手妻師がいなくなることで、年間の漆職人の支払いや、指物師の道具代等が数百万円。衣装代が数百万円などと支払っていた金額がなくなってしまうと、指物師も、蒔絵氏も、塗師屋さんも、衣装やさんも仕事が成り立たなくなってゆきます。そうなればぽっかり文化芸術が途絶えてしまいます。

 

 数式に出ない損失

 恐らく一年後、コロナウイルスの影響で、何の業種がいくら売り上げを落としたなどと言うグラフが出て、業界の損失が語られるでしょう。然し、本当の損失と言うものはそうしたところには出ません。ロックダウンで、人と人のつながりが壊されてしまったのです。何人かは廃業し、何人かは規模を縮小し、人と人が細かく結びついていたものが、縦糸も横糸も修復できないほどにつながりが戻せなくなって行ったのです。

 コロナの前なら何でもなく出来たことが、どうしてもできなくなるのです。「あの人が死んでしまった」。「あの人が辞めてしまった」。気づいてみると紡いでいた糸が方々で切り離されてしまったのです。これは大きな戦争をした後と同じ状況です。アジアもヨーロッパも、アメリカも、必死になってロックダウンをした結果、細かく結びついていた人と人とのつながりが絶えてしまったのです。

 それがどれほど大きな損失か気づいていないのです。机の上だけでものを考えている人は、土足で人の仕事場に入り込んできます。そして、半世紀をかけて作り上げた人と人とのつながりを壊してゆきます。「またコロナが去ったらつくればいい」。いやいや、不可能です。一度消えた人とのつながりは二度と作れないのです。私は学者を、医者を恨みます。無謀なロックダウンを、決めた学者、政治会社を恨みます。わずかばかりの見舞金ですべてを解決させようとしている、人達を恨みます。

 環七通りの車の流れを見て、毎日ある種の法則で車が通って行く、と言いました。同じことを1000年前に、鴨長明(かものちょうめい)が鴨川を見て語ったのです。

「行く川の流れは絶えずして しかも元の水にあらず よどみに浮かぶうたかたは かつ消え かつ結びて 久しくとどまることなし 世の中にある人と すみかもまたかくの如し」

 続く

コロナの果ての尻拭い

 この5か月間の、一連のコロナウイルス騒動を経験して、これが一体何だったのか、私の考えを申し上げましょう。毎度のことではありますが、これだけ日本中が大騒ぎをして、多くの日本人が苦痛を味わった事件であるにもかかわらず、この問題の最高責任者が、首相なのか、厚生労働大臣なのか、知事なのか、医師団のアドバイザーなのか、さっぱりわからないまま、それぞれが勝手に意見を言い合い、ほとんどは責任を全うしないまま、コロナウイルスは徐々に収束しつつあります。

 収束しつつあるとは、すなわち数値からの収束であって、具体的に、一体どうなったら収束なのかの指針も回答もないまま、誰が終息宣言を言うのかもわからないまま、私のような何も知識のないものが見ていても、全く曖昧なまま収束しようとしています。

  

今回全く納得できないいくつかのことについて書かせていただきます。

 

ロックダウンは必要なかった

 非常事態宣言、ロックダウンは必要ありませんでした。今になって見たなら、死者500人程度のウイルスです。アメリカの8万人、イギリスフランス、イタリアの2万5000人から3万人の死者数と比較したなら、日本の国の規模とか、人口を考えますと、5万人くらいの死者がいても不思議はなかったはずです。それが百分の一である500人です。仮に死者5000人だったとしてもロックダウンをする理由はなかったでしょう。日本とアメリカでは感染の規模が違いすぎます。国を挙げて外出禁止をしたり、子供たちが学校を休む理由などなかったのです。

 

 本来はスウェーデン方式であるべき

 ロックダウンは一時的に感染者を止めはしますが、それを解除した後、家に閉じこもっていた人が外に出て活動を始めますから、結局ウイルスを広めてしまいます。そうなると一層感染が長引くのです。

 方やスウェーデン方式ですと、日常の仕事や生活をつづけたまま、普通に感染者を増やし、感染した人が自力で完治した後、免疫力を持ち、免疫を持った人が数多くできることでコロナウイルスを囲んで繁殖を止めてしまおうとするものです。

 このやり方は特別新しい考え方ではなく、大昔から、満足に特効薬もない時代に、自然に感染者を減らしてゆく方法として行われていたのです。ところがスウェーデン方式だと、一時的には、いたずらに感染者を増やして、死者が増加するからいけないと言う医師がいます。いえいえ、結果は同じです。ロックダウン方式であろうと、スウェーデン方式であろうと、特効薬や、ワクチンが開発されない限り、死者の数は変わりません。方式がいいの悪いのと言う話ではないはずです。

 

日本人は既に免疫力を持っていた

 今の日本が、感染者が爆発的に広がらなかったのは、ロックダウンの成果ではありません。日本ではすでに昨年から免疫力を持った人が大勢いたからです。普通に考えても、昨年末までは飛んでもない数の中国人が日本の隅々までもを観光していたのです。多くの日本人は、この人たちに接していながら、昨年の内に日本人がコロナウイルスに罹った人がいなかったと考えるほうが不自然です。

 少なからぬ日本人が、昨年からコロナウイルスに罹り、人によっては全く症状らしいものが出ないまま感染し、完治し、免疫力を持っていたのです。お陰で、年が明けて、本格的にコロナウイルスが流行りだしても、日本では感染者が増えなかったのです。

この点が、アメリカやヨーロッパ諸国とは根本的に違っていたのです。

 それ故に、本来スウェーデン方式は、日本で試されたほうが、効果は大きかったはずです。何にしても、普通に生活したままでコロナを封じ込めようとする考え方ですから、既に免疫のできた国民が、普通に生活しつつウイルスを封じ込めたなら、国民の生活を脅かすことがなかったのです。子供たちも学校を休む必要もなかったのです。

 

 パンデミックは起こらなかった

 結局日本では、パンデミック(爆発的感染)は起こりませんでした。なぜかと言うなら、既に免疫力のある人が大勢いたからです。中にはそうではないと言う人もあるでしょう。そうならなぜ日本でパンデミックが起きなかったかを説明してください。

 

 医師の努力の成果だった

 中には、パンデミックが起きなかったのは医師の献身的な働きの成果だったと言う人があります。確かに日本の医師は優秀で、誠実にコロナウイルスに立ち向かいました。素晴らしい成果です。然し、実際には、非常事態宣言の後、マスコミが話題を煽り、身の危険を感じた人々が病院に押し掛けたことで医療機関がパニックに陥り、その過程で院内感染が広がりました。ロックダウンも、非常事態宣言も、結果は院内感染を広げる結果になってしまったではありませんか。

 私が常に言う、誤謬(ごびゅう)の帰結です。どんなに良きことでも、国の規模で行動すると、とんでもない弊害が生まれるのです。院内感染はまさに誤謬です。

 

 山手線を見ればわかります

 日本でなぜパンデミック(爆発的な感染)が起こらなかったかと言うなら、その答えは山手線が示しています。私のブログをお読みの方は、私が度々山手線を例に挙げて話をしていることでお分かりと思いますが、世界中で最も密集した環境に置かれているのが、山手線、中央線、京浜東北線の朝のラッシュアワーなのです。もしあの状況下で、感染力の強いウイルスがまぎれ込んだなら、日本は初手でたちまち百万人の死者が出たでしょう。然し、実際は百万人の死者は出ません。半年騒いで500人です。なぜですか。

 つまり、コロナウイルスは繁殖力が弱いウイルスなのです。繁殖力が弱いと言ったら嘘になりますが、日本のように、免疫力が備わった国では繁殖しにくいウイルスなのです。私は、どうして、マスコミも、医師も、国も、山手線に注目しないのか不思議に思います。あの山手線の車内の状況で、勤め人が毎日通勤していて、コロナウイルスに罹らないなら、パンデミックはあり得ないではないですか。

 それを「この先日本人は40万人の死者が出る。」などと言った医師が出ました。その根拠はどこにありますか。嘘八百ではありませんか。

 

 山手線は危険

 今回は、満員電車に乗っても、コロナウイルスは繁殖しませんでした。ただし、この先、新しいウイルスが出たら、今の通勤電車をそのままにしておけば、とんでもない数の死者を出すことになるでしょう。日本ほど発展した国で、優秀な国民が勤勉に生活していながら、その実。日本人の個々の人々の扱いは、まるで捕虜収容所のような粗末な扱いです。基本的人権が守られていないのです。ここは日本人は我慢していてはいけません。日本人に憧れてやってきた外国人が、今の満員電車を見たなら、日本人の置かれている現実が見えて失望します。普段の生活がとても先進国の国民には見えないのです。鉄道を改善して、二階建ての電車を走らせるとか、時差通勤を徹底させるなどして、混雑緩和を本気で考えなければいけません。

 

 学校閉鎖は必要なかった。

 そもそも、コロナウイルスは子供はかかりにくいと初めから言われていたのに対して、なぜ学校閉鎖をしたのかわかりません。学校閉鎖が日本人から多くの人の仕事を奪ったことは事実です。(多くのパートをしている家庭の主婦が、子供の対応で仕事ができなくなりました)。多くの人に犠牲を強いていながら、閉鎖の効果があったのかと言えば、ほとんど効果はなかったと思います。(なぜなら初めから子供はウイルスに罹りにくいからです)。政治が主導して行った行為に中で最も愚策です。

 こう書くと必ず、「もし子供がウイルスに罹ったらどうする」。と言う人があります。愚問です。世界中に蔓延しているウイルスの対策に、一人二人の例外を上げて学校を閉鎖する人がありますか。どれだけ多くの人が生活を乱されているかを考えたなら、本末転倒のものの考え方なのです。わずかな数の子供の感染者を針小棒大に捉えて、学校閉鎖をする理由はないのです。言ってみれば、蚤のたかった猫を見つけた時に、蚤を取らずに猫を殺処分してしまうようなものです。蚤を取るために猫を殺す理由などないのです。極端から極端に考えが進むから多くの人が迷惑するのです。

 

話はまだ続きますが、ひとまずここで止めます。続く。

オオカミ少年シン

  「オオカミが来たぞ」、と言って、いつも嘘をついていた少年が、本当にオオカミが来た時に、村人は誰も相手にせず、食われてゆく少年を助けてくれなかった。「だから日ごろの行いが大切」。と言う有難いお話し。

 今回の「大震災が来るぞ」も、適当なことを言いながら、連日ブログに載せていた私は、さしずめオオカミ少年シンです。昨晩も、2時まで、地震が来るかと起きていましたが、地面はピクリとも動きません。動かないのは良い知らせではありますが、そうなら、私の予感はどこへ行ってしまったのか。全く人騒がせで、すみません。良かれと思ってしたことですが、結果、お騒がせしただけに終わってしまいました。

 以後、地震の予測などと言う、大それたことは慎み、おとなしく、地味な手妻師として生きて行くようにいたします。

 

 ここで、予言や予知が本当に信じられるかどうか、今回の経験から、少し考えてみようと思います。

 

 経験は役に立たない

予知や予言をする人は、全くあてずっぽうで言っているわけではないと思います。彼らは彼らなりに、過去にいくつか当たった経験を持ち、それが一体なぜ当たったのか、自分なりに法則を見出して、次なる予知に活かしているのでしょう。

 私の話を例にとるなら、まず夢に誰かが出て来ます。私の場合祖母です。祖母は福島生まれで、その後塩釜に働きに出て、そこで祖父に出会い、祖父と結ばれます。祖父は職人ですが、祖父の母はかまぼこ屋の娘です。祖父は塩釜で関東大震災を知ります。この関東大震災大正12年)と言うのがまず私の耳に残り、印象付けられます。

 祖父は東京に行き、翌年、祖母も東京に出ます。つまり二人がなぜ東京に出てきたのかと言う理由が関東大震災と言うキーワードなのです。

 私が20代の頃、寝たきりの祖母を見舞いに行くと、祖母は、繰り返し、大正12年の話をしました。そしてその数日後に亡くなったのです。ただそれだけの話が、30年後に、私の夢の中に突然現れます。そして二週間後、東日本大震災が起こります。

 ここで私は、東北と言う地域から、祖父母の生まれ育った土地を連想します。しかも私が見た夢は祖母から聞いた震災の話です。これにより、関東大震災と、東日本大震災が、私の頭の中でつながります。更にそれが二週間と言う時間を経て起こった話で、夢に、身内が出てきたことで何かメッセージがあるかのような錯覚を起こさせたのです。

 ここで私は、自分に予知能力があるのではないか、と妄想します。「そうそう、そういえば、自分は子供のころから運がよく、よく母親にくっついて行って、商店街の福引をすると、二等や三等を当てて、味噌や、醤油を貰い、母親に、『この子は運がいい』と褒められた」。などと、どうでもいいような話が運の裏打ちとなり、奇妙な自信につながって行きます。脈絡もなく法則が生まれます。夢、身内、地震、二週間、己の運。

 

 根拠のない裏付けから法則を見出す

 夢に祖母が出て来て、それがたまたま東日本大震災につながったと言うことから、今度はこれまでに自分がいかに運がよかったか、あるいは感がよかったか、を裏付けるため、様々なことをつなげて考えるようになります。ここから発想が少し自分寄りになってゆきます。単に運がいいと言うことから、自分は人にない才能があるなどと思い込むようになります。少し危ない道に入ってきます。

 考え方の根拠がしっかりしていればいいのですが、元々、夢のお告げですから、根拠はありません。根拠のない所に、いかにももっともと思われる話を塗りたくるわけです。つまり言ってしまえば、基礎杭を打たずにビルディングを立てて、その外側を、豪華に見せるために石やタイルを貼って行く作業をしているのです。出来上がったビルディングは外観は立派なものですが、中身は耐震構造も何もできていません。基礎杭すら打ってはいないのです。何かがあればすぐに倒れてしまいます。

 そんなビルを建てたところで何の役に立つのか、と第三者は思いますが、これがどうしてどうして、自己のプライドを満たすのです。仮に、法則が毎回外れ続けたなら、いい加減自身の運を諦めもしますが、勝手に作った予知の法則が、なぜかその後、当たり続けるのです。私で言うなら、熊本地震です。熊本地震を予知し、なおかつ支援金まで貰ったとなると、心は有頂天です。インチキビルの隣にもう一つ新社屋を建てようかと考えます。こんな時は、小さな予知もよく当たります。もういっぱしの予言者です。

 そして、今回の関東大震災です。少し調子に乗りました。今、しみじみ自分は才能がないと反省しています。然し、そんなことを言っているうちに、昼とか、夕方に地震が起きたなら、またもむくむくと根拠のない才能がもたげて来ます。そして新社屋建設の夢が膨らみます。朝反省して、二度と予言などしないと思っていたのに、午後にはタイルを貼り始めます。懲りないのです。どうしようもありません。

 

 私が文化庁の仕事で学校公演をしていた時に、地方都市に行き、地元の小中学生に手妻を演じて見せていたのですが、生の演奏家まで連れて、総勢25人の一座で回っていました。費用はすべて国が支払い、地元の学校の体育館で公演します。学校での公演ですから、午後3時には終わってしまい、ホテルに戻ると、まだ5時です。それ以降はスタッフ、出演者は自由時間です。

 照明のA君と、音響のB君はパチンコが好きで、行く先々の町で、パチンコ屋を探して、熱心に玉を弾いていました。特にA君は熱烈に好きで、ある時、「どうしてパチンコにはまったの」。と聞くと、「学生の頃、友達に誘われて、パチンコ屋に行き、その日一日だけで30万円稼いだんです。パチンコってこんなに稼げるんだって思って、毎日通ったら、三日後に70万円稼いだんです。」「本当に、パチンコで70万円も稼げるの」。「その時はバブルのさ中ですから、パチンコ屋も出す台は目いっぱい出したんです。それで次の日、中古の自動車を買いました。それからしばらくは、行くたびに3万円5万円と金になったんです。もうそうなると、バイトで日当5千円くらい稼ぐのがばかばかしくなって、しばらくパチプロ気取りで、パチンコ屋に出入りしていたんです。」「でも、そんなの長く続かないでしょう。」「えぇ、バブルがはじけたら出なくなりました。でもやっているうちに何となく、パチンコと言うものがどういう風に出て、どうすれば稼げるかがわかってきたんです。」「それで勝率が上がったわけね。」ええ、でも、長くやっていると、だんだん勝率も下がってきます。今はなかなか取れません。でも面白いからやめられないんです。」

 そう言いながら、連日熱心に地方の町のパチンコ屋に通うA君を、ある日時間をずらして密かに店に行ってみました。いました。その店は、人がほとんど入っていません。一見して、「これじゃぁ出ないだろうなぁ。」と思います。その一角でA君は黙々とパチンコを打っています。出ていません。然し楽しそうです。そのとき彼を見て、第三者である私は、絶対成功しない道をひたすら信じているA君を気の毒に思いました。今の地震の予知の話で言うなら、「あぁ、A君は根拠のない法則を信じて、黙々とタイルを貼っていたんだなぁ。」と思います。

 人のことは言えません。人は必ず間違えます。でも、無根拠の法則に男は憧れます。根拠なんかなくったって、のめり込める世界を持っていることが楽しいのです。

 

続く

地震は来るか

 昨晩は、私の夢のお告げを確かめるべく、深夜2時まで起きていました。然し、何も起こりません。もっとも、一日中、私の体が高揚したり、胸騒ぎをすることもありませんでしたので、「これは来ないな」。と思っておりました。「そうなら明日か」。と思い、昨日の今日、つまり9日は、変化が起こることを自身で注視したいと思います。

 もし今日、何も起こらなければ、私の夢はインチキだと思ってください。然し、もし小さな地震でもあれば、それは前触れの予震かも知れません。そうなら更に三日後までに大きな地震が来る可能性があるかも知れません。ご興味ある方は、そこまではご注意ください。

 但し、仮に11日に地震が起こったとしても、11日は、私以外に地震を予知している有名な先生方が何人もいらっしゃいますから。それはその先生方の予知能力が当たったのだと思います。私の予測は今日、9日深夜2時(10日の未明2時)で一度区切ります。11日に地震が来たからと言って、私の予測ではありません。まるで人の予言に便乗して勝ち馬に乗ったような当たり方は本意ではありません。

 いずれにしましても、当たれば当たったで決して目出度いことではなく、外れれば危険が遠のいたことなのだと思います。

 

 この一週間、私はいろいろ考えました。今まで地震を予測していた日に何か、事前に心の変化があったかと言うなら、東日本大地震の時には、三日前にあった小さな前触れで、近々何かあるのかと感じました。

 しかしその後は何も予感がなく、いきなり三日後の日中に地震がきました。あの時は東京も大きく揺れました。私が趣味で集めていた、陶器が棚から落ちてみんな割れてしまいました。マジックの道具も棚から落ちました。私の家は東西南北がきっちり取れていますので、東西に置いた棚は、みな扉が開いてしまい、中のものが散乱しました。事務所と自宅(ともにすぐ近くです)、の両方がやられて、復旧するのに一週間かかりました。

 当日の地震はかなり長い地震でしたし、大きなものでしたから、これはてっきり関東大震災が来たと思いました。その後片付けながら、私に何か予知能力があるのか、と思いました。この時、初めて、二週間前の夢に出てきた祖母のことを思い出しました。

 

 熊本地震の時には、全く東京は影響がなく、夢のことも地震のことも全く思いもしませんでした。地震はその晩のテレビのニュースで知りました。夢に原田さんが出て来てから地震までは恐らく七日くらいだったと思います。私の夢のお告げ、14日の予定よりはかなり早かったように思いました。この地震と原田さんの夢の話とはしばらくの間、つながりませんでしたが、熊本と聞いて、すぐに原田さんの会社に電話をして、安否を気遣い、御社の損害を知って、手紙を出しました。その後しばらくたって、徐々に夢とのつながりを思うようになりました。

 私が熊本に伺ったのは、その後数度原田さんと手紙のやり取りをした後です。原田さんが私に何か強く伝えたいことがあるのは手紙の文面からわかっていました。夢に関しては、地震のことは全く理解のほかで、原田さんの心の思いのほうが、私とのつながりが強かったように思います。そこになぜ、熊本地震がついて来たのかはわかりません。むしろ地震を機に、原田さんが私に熊本に来てほしいと願う思いが強まったのかもしれません。そうなら何としても地震のすぐ後に伺うべきでした。それでも一年後にお伺いできたことは幸いでした。そしてさらに一年後に原田さんは亡くなられました。

 飛行場から、病院へ行く途中、息子さんの車で、市内の中心部を走りました。お城はほぼ全壊でした。町中の大きなビルもところどころ破壊されて、修復中でした。あの光景は生涯忘れることはないでしょう。

 

 思いついたついでと言っては何ですが、私が人をお見舞いに行くときに、人の寿命に気づいてしまうことは、実はマイナスな結果を生みやすいのです。私には何となくその人の寿命が見えます。そのため、ついつい私の表情からその人を値踏みするような眼が見えるのでしょう。もちろんこれは決して悪意でそうしているのではありません。

 私が感がいいから、先読みができてしまうのです。健康そうにしていて、間もなく退院だと言われている人でも、私の目には、背後に青白い光が見えたりします。

 ある有力なアマチュアAさんが入院した時に、お見舞いに行きました。その人は日ごろは体格がよく、顔だちも目鼻がしっかりしていて、立派な人でした。然し、病院で見たA さんは全く別人でした。これでは私でなくても、もうそう長くはないなと思うでしょう。Aさんは、私に礼を言い、いくつか言葉を交わした後、少し目を閉じました。この時、私は小さくなったAさんの体全体をしみじみ眺めました。そして私の目がAさんの顔に戻ったときに、Aさんと目が合いました。Aさんはじっと私を見ていたのです。

 私は自分の心の内を読まれたかなと心配になり、咄嗟に、「早く元気になってください。また一緒に舞台に立ちましょう」。と、話をしましたが、Aさんは既に私の顔から、自分の死期を悟ったようです。全くあきらめの表情に変わっていました。本来は、もっと鷹揚に人を見る配慮が必要なのでしょう。こうしたときの私は、目端の利いた、多少知恵のある小者に過ぎません。結果としてAさんにすれば悪魔が病床を尋ねてきたように思えたのでしょう。Aさんはそれから一週間後に亡くなりました。

 こうしたことがいくつかあったため、前のブログでは、相手の健康状態がわかっても、体の不調のこと、指揮が近づいていることは決して言わない。と書いたのです。先が読めることは決して良いことばかりではないのです。

 但し、その話と先日のスピリット百瀬さんの死とは無関係です。私の夢に出てきた人は百瀬さんではありません。夢の登場人物の話は、数年後にお話しします。

 

続く

 

 

 

 

春の麗らの隅田川

 昨日は、朝から、免許証の再発行に行ってきました。多分置き引きにあったのだと思いますが、銀行からお金を降ろし、駅前のスーパーで買い物をし、その日は雑用に追われ、翌日バッグを探したのですがありません。銀行のカードや、免許証が入っていましたので困りました。銀行で降ろした現金はジャケットの胸ポケットに入れていたので無事でした。財布には1万円しか入っていませんでした。不幸中の幸いです。

 かつても同じようなことがありました。どうも、私が銀行から出て来るときから狙っている人がいたような気がします。とにかく、財布はあきらめて、まず免許証を再交付してもらわなければなりません。東陽町の運転免許試験場に行きました。

 せっかくここまで来たなら、マジックランドに顔を出してみようと、その後にランドに寄りました。ママさんと、聰さんが二人で店番をしています。東さんはもう店に来ることはほとんどないようです。とりとめのない話をして帰りましたが、この間一人もお客様がきません。コロナだからやむを得ないとは言いますが、これでは生きて行くことすら難しい」でしょう。

 マジックと言うコアな世界の、更にアマチュアを対象としたマジック用具の販売。と言う、コア中のコアな仕事がこの先も続けて行けるものかどうか。いやいや、マジックのアマチュアと言う存在もこの先どうなるか分かったものではありません。人のことは言えません、プロもどうなるか分かったものではないのです。アマチュアが全くいなくなると言うことはないにしても、それを対象として、アイディアを考える。道具を作る。などと言うことが仕事として成り立つかどうか。前途は多難だと思います。

 

 FISM(世界に支部を持つのマジック団体)が3年に一度、マジックの世界大会を開催していますが、来年がカナダです。70数年のFISMの歴史で初のアメリカ大陸での開催です。それがどうも中止になりそうな状況です。総勢2500人ものマジシャンが集まる大会が、仮に来春、ウイルスが終息したとしても、夏にすぐに開催できるかどうかとなると。実際には難しいだろうと思います。

 特に、アメリカが今の現状では、アメリカの参加者を当て込んで人集めしているカナダにとっては自国の判断だけで開催するわけにはいきません。FISMの本部は、この先、世界大会を開催することそのものに懸念を抱いている人もあるようです。これまでなら、大きな大会を開催することが、人をたくさん集める強力な力だったのですが、将来、大きな大会ゆえにリスクが一層大きくならないか。心配が募ります。

 そのことは、他の大会も同様で、マジック界の問題だけでなく、国際会議、国際見本市等々、多くの人を集める催しがこの先は開催しずらくなってきています。

 私は以前、このブログで書きましたが、「この先は、原子爆弾やミサイルが人類を滅ぼすのではなく、ウイルスを撒くことで、簡単に一国の経済を混乱させることができる。ウイルスの開発は、原子爆弾の開発よりはるかに安価にできる。持ち運びも簡単。陸続きの国なら、ドローン1万機にウイルスを乗せて、隣国に飛ばして、撒き散らせば簡単に他国を制圧できる。低空でドローンを飛ばされたなら、レーダーにはかかりにくく、見つかっても、1万機すべてを打ち落とせるミサイルなんてありえない。」

 今回のコロナウイルスも、その兵器開発の一環ではないかとアメリカが、中国に言いがかりをつけています。今回のことは言いがかりかもしれませんが、この3年のうちに、ウイルス兵器を開発する国が出て来る可能性は十分にあります。

 東京は、来年にオリンピックを開催しようとしていますが、来年に再び新型のウイルスが流行れば、たちまちオリンピックは開催不可能になります。そうならないことを祈るばかりです。

 私が子供の頃に、「大きいことはいいことだ」。と言うコマーシャルが流行りました。大きな板チョコのコマーシャルでした。

 その時代は、会社でも、スーパーでも、「会社が大きくなれば物が安く作れる、安く販売ができる、そうなれば、消費者にとってもメリットが大きい。」と、大きなことがいいことずくめに語られていました。然し、50年たって、大きなことは最も危険なことになってしまったようです。

 そうした流れの中で我々は生きて行かなければなりません。

 

 さて、免許を取りに行った帰りの地下鉄で、何件も電話がきました。裕里江さんから、石井裕さんから、辻井孝明さんから、共にスピリット百瀬さんのお弟子さんです。百瀬さんがが亡くなったと言う連絡でした。百瀬さんは若いころは大嶽さんといい、私は高校生の頃、名古屋の大須演芸場に出演していて、夜にマジックバーのエルムに遊びに行ったときに、24歳くらいの大嶽さんのマジックを見ています。とてもうまい人でした。しかしその後お会いする機会はありませんでした。

 私がSAMの日本局を作った時に、日本中のプロアマチュアに声をかけ、手紙を出し、700人の会員を集めました。余りに簡単に大きな組織が起こせたため、ある時期、多くの奇術関係者が注目しました。その流れの中で大嶽さん(その時は百瀬さん)がやってきて、SAMの入会を希望されました。私は百瀬さんがアルコール中毒患者になって、一時期寸借詐欺などをして、表に顔を出せない人だったことを聞いていました。然し施設に入って病気を完治させて一から出直すためにあいさつに来たのです。

 その時に、私は20年近く前の百瀬さんを思い出し、この人に賭けてみようと思いました。私はすぐに支部長の資格を用意し、武蔵野支部の会長をお願いしました。百瀬さんはこの時のことをずっと感謝し、私が後輩であるにもかかわらず、ずっと「社長、社長」(私は東京イリュージョンの代表取締役です)、と言って、立ててくれました。

 相変わらずマジックの巧い人でしたが、あがり症で、舞台では能力の半分も発揮できません。然し、人から愛されていました。特に、お弟子の能勢裕里江さんがずっと付き従い、晩年、癌に侵されても裕里江さんが献身的に助けたため、不幸な人生に陥ることなくマジシャン人生を全うしました。幸せな人だったと思います。石井さん、辻井さんはその弟子の一人です。合掌。

 

 マジックランドを出ると、ランドの裏側は隅田川の支流、新川が流れています。橋を超えて、東に川沿いに歩いてゆくと、隅田川です。日頃川を見ることなどめったにないのですが、ランドの路地のすぐ裏側ですからしばし川を眺めて目的もなく散歩していると、滝廉太郎の「春の麗の墨田川」の曲が浮かんできました。

 春の麗(うらら)の隅田川、上り下りの舟人が、櫂の雫(かいのしずく)も花と散る、眺めを何に例うべき。

 明治の時代なら、たくさんの船が行き交っていたのです。川上で荷を積んで川下の東京に運ぶだけでその日の日当になったのです。そこに西洋のボートが通り、ボートの櫂が水しぶきを散らして進む姿が美しいと語っています。実際明治の隅田川はこのような情景で、美しかったのでしょう。日本はまだまだ貧しかったと思いますが、その国は、詩人が詩を書き、作曲家が曲を作ろうとするほど美しい国だったのです。

 平年なら、隅田川には屋形船がたくさん出て、中でキスやメゴチの天ぷらで一杯やりながら、みんなの笑い声が岸にまで届いていたでしょう。今は、そんな光景もなく、船もなく、人もいない情景を眺めながら、明治を思い、淡く、寂寥感が通り過ぎて行きました。

また明日。

春の麗らの墨田川

 昨日は、朝から、免許証の再発行に行ってきました。多分置き引きにあったのだと思いますが、銀行からお金を降ろし、駅前のスーパーで買い物をし、その日は雑用に追われ、翌日バッグを探したのですがありません。銀行のカードや、免許証が入っていましたので困りました。銀行で降ろした現金はジャケットの胸ポケットに入れていたので無事でした。財布には1万円しか入っていませんでした。不幸中の幸いです。

 かつても同じようなことがありました。どうも、私が銀行から出て来るときから追いかけている人がいたような気がします。とにかく、財布はあきらめて、まず免許証を取らなければなりません。東陽町の運転免許試験場に行き手続きをしました。

 せっかくここまで来たなら、マジックランドに顔を出してみようと、その後にランドに出かけました。ママさんと、聰さんが二人で店番をしています。東さんはもう店に来ることはほとんどないようです。とりとめのない話をして帰りましたが、この間一人もお客様がきません。コロナだからやむを得ないとは言いますが、これでは生きて行くことすらできないでしょう。

 マジックと言うコアな世界の、更にアマチュアを対象としたマジック用具の販売。と言う、コア中のコアな仕事がこの先も続けて行けるものかどうか。嫌々、マジックのアマチュアと言う存在もこの先どうなるか分かったものではありません。人のことは言えません、プロもどうなるか分かったものではないのです。アマチュアが全くいなくなると言うことはないにしても、それを対象として、アイディアを考える。道具を作る。などと言うことが仕事として成り立つかどうか。前途は多難だと思います。

 

 FISM(世界に支部を持つのマジック団体)が3年に一度、マジックの世界大会を開催していますが、来年がカナダです。70数年のFISMの歴史で初のアメリカ大陸での開催です。それがどうも中止になりそうな状況です。総勢2500人ものマジシャンが集まる大会が、仮に来春、ウイルスが終息したとしても、すぐに開催できるかどうかとなると。実際には難しいだろうと思います。

 特に、アメリカが今の現状では、アメリカの参加者を当て込んで人集めしているカナダにとっては自国の判断だけで開催するわけにはいかないのでしょう。FISMの本部は、この先、世界大会を開催することそのものに懸念を抱いている人もあるようです。これまでなら、大きな大会を開催することが、人をたくさん集める強力な力だったのですが、人を集めることが将来、安定してできるかどうか、リスクが一層大きくならないか。大きな大会そのものがネックになりつつあるようです。

 そのことは、他の大会も同様で、マジック界の問題だけでなく、国際会議、国際見本市等々、多くの人を集める催しがこの先は開催しずらくなってきています。

 私は以前、このブログで書きましたが、「この先は、原子爆弾やミサイルが人類を滅ぼすのではなく、ウイルスを撒くことで、簡単に一国の経済を混乱させることができる。ウイルスの開発は、原子爆弾の開発よりはるかに安価にできる。持ち運びも簡単。陸続きの国なら、ドローン1万機のウイルスを乗せて、隣国に飛ばして、撒き散らせば簡単に他国を制圧できる。低空でドローンを飛ばされたなら、レーダーにはかかりにくく、見つかっても、1万機すべてを打ち落とせるミサイルなんてありえない。」

 今回のコロナウイルスも、その兵器開発の一環ではないかとアメリカが、中国に言いがかりをつけています。今回のことは言いがかりかもしれませんが、この3年のうちに、ウイルス兵器を開発する国が出て来る可能性は十分にあります。

 東京は、来年にオリンピックを開催しようとしていますが、来年に再び新型のウイルスが流行れば、たちまちオリンピックは開催不可能になります。そうならないことを祈るばかりです。私が子供の頃に、「大きいことはいいことだ」。と言うコマーシャルが流行りました。大きな板チョコのコマーシャルでした。

 その時代は、会社でも、スーパーでも、「会社が大きくなれば物が安く作れる、安く販売ができる、そうなれば、消費者にとってもメリットが大きい。」と、大きなことがいいことずくめに語られていました。然し、50年たって、大きなことは最も危険なことになってしまったようです。

 そうした流れの中で我々は生きて行かなければなりません。

 

 さて、免許を取りに行った帰りの地下鉄で、何件も電話がきました。裕里江さんから、磯尾豊さんから、辻井孝明さんから、共にスピリット百瀬さんが亡くなったと言う連絡でした。百瀬さんは若いころは大嶽さんといい、私は高校生の頃、名古屋の大須演芸場に出演していて、夜にマジックバーのエルムに遊びに行ったときに、24歳くらいの大嶽さんのマジックを見ています。とてもうまい人でした。しかしその後お会いする機会はありませんでした。

 私がSAMの日本曲を作った時に、日本中のプロアマチュアに声をかけ、手紙を出し、700人の会員を3か月で集めました。年会費1万円です。、余りに簡単に大きな組織が起こせたため、ある時期、多くのアマチュアが一斉にSAMに集まってきて、大きな流れが生まれました。その流れの中で大嶽さん(その時は百瀬さん)がやってきて、SAMの入会を希望されました。私は百瀬さんがアルコール中毒患者になって、一時期寸借詐欺などをして、表に出られない穂とだったことを聞いていました。然し施設に入ってしっかり病気を治し、一から出直したいとあいさつに来たのです。

 その時に、私は20年近く前の百瀬さんを思い出し、この人にかけてみようと思いました。私はすぐに支部長の資格を用意し、武蔵野支部の会長をお願いしました。百瀬さんはその時のことをずっと感謝し、私に対しては、個配であるにもかかわらず、ずっと「社長、社長」と言って、立ててくれました。

 相変わらずマジックの巧い人でしたが、あがり症で、舞台では能力の半分も発揮できません。然し人から愛されていました。特に、お弟子の能勢裕里江さんがずっと付き従い、晩年癌に侵されても献身的に助けたため、不幸な人生に陥ることなく全うしました。幸せな人だったと思います。石井さん、辻井さんはその弟子の一人です。合掌。

 

 マジックランドを出ると、ランドの裏側は墨田川の支流、新川が流れています。日頃川を見ることなどめったにないのですが、ランドの路地のすぐ裏側ですからしばし川を眺めていると、滝廉太郎の「春の麗の墨田川」の曲が浮かんできました。

 春の麗(うらら)の墨田川、上り下りの舟人が、櫂の雫(かいのしずく)も花と散る、眺めを何に例うべき。

 明治の時代なら、たくさんの船が行きかっていたのです。川上で荷を積んで川下の東京に運ぶだけでその日の日当になったのです。そこに西洋のボートが通り、ボートの櫂が水しぶきを散らして進む姿が美しいと語っています。実際明治の墨田川はこのような情景で、美しかったのでしょう。日本はまだまだ貧しかったと思いますが、その国は、詩人が詩を書き、作曲家が曲を作ろうとするほど美しい国だったのです。

 平年なら、屋形船がたくさん出て、中でキスの天ぷらで一杯やりながら、みんなの笑い声まで聞こえたでしょう。そんな光景もなく、船もなく、人もいない情景を眺めながら、明治を思い、寂寥感が残りました。

また明日。

伝えることの難しさ

 昨晩の東京は、雨が降り続き、雷のすさまじい音が深夜までずっと鳴り渡っていました。どうも妖しい雰囲気です。これは何かあるな、と思わせるような状況です。相変わらず朝から」私のブログは、大勢の人がひっきりなく覗きに来ています。私が何か書くことを期待してくださっているのでしょうか。

 

 今日は、なぜ私が大地震について、心の内を告白したのかについてお話ししましょう。既に今までの文章をお読みになれば、私が、予言者になりたいなどと望んでいないこと。予知能力があって、それを生かして生きて行きたいなどと考えてもいないこと。むしろそれをずっと秘して生きてきたことはお分かりいただいていると思います。

 こうして書いていても、地震のことを伝えてしまったことがいいことなのかどうか、計りかねています。なぜと問われるまでもありません。当たりはずれの世界に身を置くのが嫌だからです。外れたならインチキ扱いですし、当たったなら当たったで、地震の対策に追われる日々になり、今まで以上に舞台活動は遠のいて行きそうです。

 ただ、私はほかの生き方はしたくありません。手妻を皆さんに見ていただくことで生きて行ければ幸せなのです。予言者や呪い師の道などは少しも有難くはなのです。

 私は手妻師なのです。手妻と言う世界を多くの皆様に知らしめて、この良き芸能を後世に伝えて行くことが私の仕事です。そのことに関して、支持者も少なからずいます。コロナウイルスの問題さえなければ、私が残りの人生を手妻師として全うして行くくらいは何ら心配なかったのです。

 

 間違いの始まりはコロナウイルスです。非常事態宣言以降が舞台人の生活の全てを奪っています。私は結局、2月以降、今日まで全く無収入です。一本の舞台チャンスもありません。幸いにもこれまでの蓄えと、国立劇場正門前の水芸の公演のキャンセル料が入ったお陰で、何とか生命をつないではいます。他の中止した公演に関しては、一切のキャンセル料もいただいておりません。更には、この先今年いっぱいの舞台出演の依頼が全く途絶えています。

 これをお読みの公務員の方がいたなら、お尋ねします。あなたがもし、2月から12月まで無収入だったら、どうやって生きて行きますか。10か月以上も無収入の生活を強いられて、「コロナウイルスが収まるまでのあいだ、じっと自粛をすることだ。」と要求されて、納得できますか。国や都は、何の資格があって、舞台人をそこまで追い詰めるのですか。

 この問題は私個人だけの問題ではありません。私がこんな状態なら、他のマジシャンや、俳優、音楽家も全く同じ状態です。

 自粛とはそもそも、自分の意志で活動を休むことです。今の状況は、第三者が自粛と言う名のもとに、活動休止を強制しています。こんな世界で生きて行けるのは、公務員か、医者だけでしょう。コロナウイルスが、無事消滅したとして、日本列島に残っている日本人が、公務員と医者だけになれば、税金を払える市民は激減します。公務員はどこから公務員の給料を得るのでしょう。コロナウイルスと同時に、患者の職業を奪っておいて、医者は誰を診ることで生きて行くのでしょう。

 明らかに今の政策は誤謬の行き着く先なのです。医師団にすれば、日本人を外に出さず、働かせず、子供を学校に行かせず、酒も飲ませず、野外バーべキューもさせなければ、新規の患者数は減るでしょう。然しそれは机上理論です。人は働かなければ生きては行けないのです。

 マスコミに出ている医者は言います。「しばらくの我慢だ」と。さぁ、この人は一体しばらくをいつまでと考えて言っているのですか。年内仕事がない現実で、どうして生きて行けますか。「国や、地方公共団体から金を借りたらいい。」そうです。200万や300万程度なら貸してもくれるでしょう。然しそうして得た金は、結局休職中に売り食いして使ってしまう金です。返す当てのない借金をして、このあとどうやって返済して生きて行けますか。まるで国は、プータローの倅が、親にたかって小遣いをもらって生きていくような生活を奨励しているのと同じです。それも、来年になったら面白いように仕事の依頼がかかって来るなら返済もできるでしょう。そうなると誰が言えますか。今年がこんな状況なら、来年も再来年も大不況になるのは目に見えているではありませんか。それで借金して、今を生きて行こうと考えている人がいるなら。芸人以上に能天気な人です。私の親父でさえ、生きていたならそんな金は借りないでしょう。

 

 今の状況を考えたなら、仕事が2019年の活動にまで復元するのは10年はかかるでしょう。しかし、私ごとで失礼しますが、私はいま65歳です。これから借金をして10年不景気に耐えろと言われて、「はい、そうします」。とは言えません。10年たったら、私はもう引退の年です。舞台人の中には80,90まで舞台に立つ人もいますが、それはそれで立派なことですが、私の判断としたら、正直いってそれは抜け殻のような人生です。75を過ぎれば芸の力は急激に落ちて行きます。落ちた力で、大きな借金をして、どうやって生きて行けますか。多くの仲間の芸人のことを思うにつけ、このままでは間違いなく芸能は破局を迎えます。

 

 私は、以前から、スゥエーデンのように、ロックダウンもせず、感染者が免疫力を持つことでコロナウイルスに対抗してゆくことが一番の解決策だと考えています。実は、これをあえてスゥエーデン方式と呼ぶのはおかしなことで、昔から日本ではこのスタイルでウイルスに対抗してきたのです。ただしこのやり方ではリスクが大きく、患者を増やしてしまうため、ロックダウンのような極端の方法で感染をとめることの方を政治家は支持します。然し、結果として、スゥエーデンの方式以外、人々の生活と、ウイルス対策を両立させる方式は見当たらないと思います。

 コロナウイルスを止めると言う目的だけを見たなら、ロックダウンや非常事態宣言は有効でしょう。然しそれでは人の生活が成り立ちません。あくまで国は、人の生活を守りつつ、病気や災害の対策を立てなければならないはずです。今のやり方では国が衰亡してゆきます。それがベストの方法であるわけはないのです。みんながみんなウイルス対策に踊らされています。誤謬の果てに来るものは大不況であり、国の衰退なのです。

 

 私は、非常事態宣言が出されたときに、こんなことをしていてはいけないと思いました。本当に怖いのは、ウイルスではなくて、国の衰退です。しかも国民みんなが今の国のやり方を支持しています。全く一つの考え方にみんなが突き進んでいます。海に飛び込んでいく小動物の群れの行進を見るごとくです。危ないからよせ。と言っても誰も後戻りできません。私は、コロナが出始めた時から、もう一つ、背後に大きな災難が来ることを何となく感じていました。

「このまま連日、テレビがコロナの感染者の数を数えているうちはまだ幸せな世界で、この先、もっと大きな問題が来るのではないか」。と思っていました。それが何であるか初めは皆目わかりませんでした。然し、先月末に見た夢でわかりました。さて、それを皆さんに伝えるべきかどうか、悩みました。今も実は悩んでいます。但しもう語ってしまったことですからどうにもなりません。この先は、次に来る大きな問題を何とか小さな災害で治めることです。震源地が少しでも東京からそれて、太平洋のかなたで動き出したなら、不幸中の幸いです。後は個人がしっかり身を守ることです。

また明日お知らせします。