手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

伝えることの難しさ

 昨晩の東京は、雨が降り続き、雷のすさまじい音が深夜までずっと鳴り渡っていました。どうも妖しい雰囲気です。これは何かあるな、と思わせるような状況です。相変わらず朝から」私のブログは、大勢の人がひっきりなく覗きに来ています。私が何か書くことを期待してくださっているのでしょうか。

 

 今日は、なぜ私が大地震について、心の内を告白したのかについてお話ししましょう。既に今までの文章をお読みになれば、私が、予言者になりたいなどと望んでいないこと。予知能力があって、それを生かして生きて行きたいなどと考えてもいないこと。むしろそれをずっと秘して生きてきたことはお分かりいただいていると思います。

 こうして書いていても、地震のことを伝えてしまったことがいいことなのかどうか、計りかねています。なぜと問われるまでもありません。当たりはずれの世界に身を置くのが嫌だからです。外れたならインチキ扱いですし、当たったなら当たったで、地震の対策に追われる日々になり、今まで以上に舞台活動は遠のいて行きそうです。

 ただ、私はほかの生き方はしたくありません。手妻を皆さんに見ていただくことで生きて行ければ幸せなのです。予言者や呪い師の道などは少しも有難くはなのです。

 私は手妻師なのです。手妻と言う世界を多くの皆様に知らしめて、この良き芸能を後世に伝えて行くことが私の仕事です。そのことに関して、支持者も少なからずいます。コロナウイルスの問題さえなければ、私が残りの人生を手妻師として全うして行くくらいは何ら心配なかったのです。

 

 間違いの始まりはコロナウイルスです。非常事態宣言以降が舞台人の生活の全てを奪っています。私は結局、2月以降、今日まで全く無収入です。一本の舞台チャンスもありません。幸いにもこれまでの蓄えと、国立劇場正門前の水芸の公演のキャンセル料が入ったお陰で、何とか生命をつないではいます。他の中止した公演に関しては、一切のキャンセル料もいただいておりません。更には、この先今年いっぱいの舞台出演の依頼が全く途絶えています。

 これをお読みの公務員の方がいたなら、お尋ねします。あなたがもし、2月から12月まで無収入だったら、どうやって生きて行きますか。10か月以上も無収入の生活を強いられて、「コロナウイルスが収まるまでのあいだ、じっと自粛をすることだ。」と要求されて、納得できますか。国や都は、何の資格があって、舞台人をそこまで追い詰めるのですか。

 この問題は私個人だけの問題ではありません。私がこんな状態なら、他のマジシャンや、俳優、音楽家も全く同じ状態です。

 自粛とはそもそも、自分の意志で活動を休むことです。今の状況は、第三者が自粛と言う名のもとに、活動休止を強制しています。こんな世界で生きて行けるのは、公務員か、医者だけでしょう。コロナウイルスが、無事消滅したとして、日本列島に残っている日本人が、公務員と医者だけになれば、税金を払える市民は激減します。公務員はどこから公務員の給料を得るのでしょう。コロナウイルスと同時に、患者の職業を奪っておいて、医者は誰を診ることで生きて行くのでしょう。

 明らかに今の政策は誤謬の行き着く先なのです。医師団にすれば、日本人を外に出さず、働かせず、子供を学校に行かせず、酒も飲ませず、野外バーべキューもさせなければ、新規の患者数は減るでしょう。然しそれは机上理論です。人は働かなければ生きては行けないのです。

 マスコミに出ている医者は言います。「しばらくの我慢だ」と。さぁ、この人は一体しばらくをいつまでと考えて言っているのですか。年内仕事がない現実で、どうして生きて行けますか。「国や、地方公共団体から金を借りたらいい。」そうです。200万や300万程度なら貸してもくれるでしょう。然しそうして得た金は、結局休職中に売り食いして使ってしまう金です。返す当てのない借金をして、このあとどうやって返済して生きて行けますか。まるで国は、プータローの倅が、親にたかって小遣いをもらって生きていくような生活を奨励しているのと同じです。それも、来年になったら面白いように仕事の依頼がかかって来るなら返済もできるでしょう。そうなると誰が言えますか。今年がこんな状況なら、来年も再来年も大不況になるのは目に見えているではありませんか。それで借金して、今を生きて行こうと考えている人がいるなら。芸人以上に能天気な人です。私の親父でさえ、生きていたならそんな金は借りないでしょう。

 

 今の状況を考えたなら、仕事が2019年の活動にまで復元するのは10年はかかるでしょう。しかし、私ごとで失礼しますが、私はいま65歳です。これから借金をして10年不景気に耐えろと言われて、「はい、そうします」。とは言えません。10年たったら、私はもう引退の年です。舞台人の中には80,90まで舞台に立つ人もいますが、それはそれで立派なことですが、私の判断としたら、正直いってそれは抜け殻のような人生です。75を過ぎれば芸の力は急激に落ちて行きます。落ちた力で、大きな借金をして、どうやって生きて行けますか。多くの仲間の芸人のことを思うにつけ、このままでは間違いなく芸能は破局を迎えます。

 

 私は、以前から、スゥエーデンのように、ロックダウンもせず、感染者が免疫力を持つことでコロナウイルスに対抗してゆくことが一番の解決策だと考えています。実は、これをあえてスゥエーデン方式と呼ぶのはおかしなことで、昔から日本ではこのスタイルでウイルスに対抗してきたのです。ただしこのやり方ではリスクが大きく、患者を増やしてしまうため、ロックダウンのような極端の方法で感染をとめることの方を政治家は支持します。然し、結果として、スゥエーデンの方式以外、人々の生活と、ウイルス対策を両立させる方式は見当たらないと思います。

 コロナウイルスを止めると言う目的だけを見たなら、ロックダウンや非常事態宣言は有効でしょう。然しそれでは人の生活が成り立ちません。あくまで国は、人の生活を守りつつ、病気や災害の対策を立てなければならないはずです。今のやり方では国が衰亡してゆきます。それがベストの方法であるわけはないのです。みんながみんなウイルス対策に踊らされています。誤謬の果てに来るものは大不況であり、国の衰退なのです。

 

 私は、非常事態宣言が出されたときに、こんなことをしていてはいけないと思いました。本当に怖いのは、ウイルスではなくて、国の衰退です。しかも国民みんなが今の国のやり方を支持しています。全く一つの考え方にみんなが突き進んでいます。海に飛び込んでいく小動物の群れの行進を見るごとくです。危ないからよせ。と言っても誰も後戻りできません。私は、コロナが出始めた時から、もう一つ、背後に大きな災難が来ることを何となく感じていました。

「このまま連日、テレビがコロナの感染者の数を数えているうちはまだ幸せな世界で、この先、もっと大きな問題が来るのではないか」。と思っていました。それが何であるか初めは皆目わかりませんでした。然し、先月末に見た夢でわかりました。さて、それを皆さんに伝えるべきかどうか、悩みました。今も実は悩んでいます。但しもう語ってしまったことですからどうにもなりません。この先は、次に来る大きな問題を何とか小さな災害で治めることです。震源地が少しでも東京からそれて、太平洋のかなたで動き出したなら、不幸中の幸いです。後は個人がしっかり身を守ることです。

また明日お知らせします。