手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

町おこし 2

町おこし 2

 

 大体芸能と言うものは、その内容にふさわしい雰囲気を持った町で公演してこそ生きてくるものだと思います。実際、ニューオリンズで、毎晩あちこちの酒場でデキシーランドジャズが演奏されます。店の中だけでなく、道端にはみ出してベースを弾いている黒人の親父さんもいます。それを立ち飲みで楽しそうに聞いているお客さんが取り囲んでいます。その姿を見ると「あぁ、ニューオリンズにいるんだ」。という実感がわきます。ここで聴くジャズは町にぴったり嵌っています。

 ハワイのフラダンスもタヒチアンダンスも、現地で浜風に吹かれて酒を呑みながら見ていると実にいい雰囲気ですよね。

 ポルトガルリスボンの酒場で聴くファドと言う、艶歌のような哀愁を帯びた歌も魅力的です。酒場の中でしみじみ聞くと言葉は分からなくても歌い手の思いが伝わって来ます。世界中には、現地で聴くと一層旅情を倍加させる芸能文化があります。これは旅行者だけが知る楽しみでもあります。

 と、こう書けば土地と芸能の密着度が如何に必要かを誰もが納得すると思います。然し、そうであるなら、例えば、手妻がふさわしい町がどこにあるのか。と考えると、なかなか適地を探すのは難しいと思います。

 かつての浅草の興行街、あるいは、道頓堀の興行街、そこいらは、今も興行がされていますので、適地と言えば適地です。

 仮に、私が最適と考えた場所を見つけたとしても、その町の人達が、手妻を受け入れてくれるものかどうか。芸能と町の相関関係は簡単には繫がりません。芸能を演じる側が「この町はいい」。と言っても、それだけで、町で芸能を開催し続けられるものではないでしょう。多くの人の理解があって、初めて芸能が出来るのです。

 手妻を演じ続ける。併せて古い町並みを維持保存して行けて、観光客がたくさん訪れてくれたなら一挙両得なのですが、そんなうまい方法がそうそうあるでしょうか。

 日本中にたくさんある古い町並みを残すのは大切なことですが、なぜ町が古いまま残ってしまったのか、と考えると、その地域の産業が失われ、そのために人口が減ってしまったからなのでしょう。当然企業も、商店も減ってしまい、往時の輝きも薄れて行ったのです。

 その光を取り戻すために、手妻が役に立つかどうか。簡単には約束できませんが、少なくとも、そこに住む人を頼りに公演しても、すぐに行き詰まってしまいます。町を発展させるためには、町の住人を観客と考えていては成功はあり得ません。そもそも人が少ない町なのですから。何らかの形で、外からの観光客を呼び寄せるなり、海外のインバウンドと繋がらない限り人を引き寄せることは不可能なのです。

 さて、そうなるためには、演じようとしているマジックが珍しいもので、独自なもので、その町でしか見られないものでなければ、なかなかインバウンドの観客の話題にはなりにくいと思います。

 マジシャンは世の中にたくさんいますし、名人芸の人もいます。人のやらないマジックをするマジシャンもいます。然し、通常のマジックの枠を超えたもので、尚且つ希少な芸でなければ、人を呼び込みにくいでしょう。

 古風な町でしか見られない。特殊なマジック、すなわち手妻を見せて、お客様が「貴重な体験をした」。とか、「いい夢を見た」。などと言って、感動してもらえれば、次から次と話題を呼んで、多くの人が集まって来るでしょう。

 一旦話題が集中すれば、希少価値が伝わり、そこでしか見られないものと理解されます。そうなると、有名レストランが、一年先まで予約でいっぱいになるようなもので、お客様の方が先待ちしてスケジュールが決まって行くようになるでしょう。そうなれば、町にもお客様が流れてくるようになりますし、ホテルなども潤うようになるでしょう。話は好循環に進んで行って手妻が町おこしの一助となるわけです。

 以前にお話しした、グラン・デイビッドは、それを1970年代に実際演じて見せて、見事に町おこしを果たしたマジシャンなのです。私は彼を尊敬しています。そして、自分の人生にチャンスがあれば、グラン・デイビッドの日本版を達成したいと考えています。

 さてそうなるためにはどうしたらいいのか。明日は具体的なプランを考えて見ようと思います。

 続く