小浜旭座 三国湊座
私が文化庁の学校公演をしていた頃ですから、もう15年近く前のことです。小浜の小学校で公演をした時に、小浜に芝居小屋があることを知りました。公演の合間に市の教育委員会の方々に車で案内してもらいました。
場所は、港にも近い町の中心にありました。建物は残っていましたが、その時は、酒屋の倉庫になっていました。中をのぞくことは出来ませんでした。中はすべて取り壊してしまったと言うことです。全くひっそりと建物が建っていました。それでも建物が残っていれば、改築をすることは可能ですし、外観から想像してサイズもざっと400人くらい集客するであろう劇場で、実に手ごろなサイズです。芝居小屋は、旭座と言い。正面玄関の上に昔のままに旭座の文字が残っていました。
「これはいいな、これを復活させたら結構人を集めて、観光名所になるのではないか」。と思いました。実際その後、旭座は市が買い取り、建物自体を移築して、もっと中心に移設して再建したようです。
私は再建した芝居小屋を見てはいませんが、移築する際に、持ち主とひと悶着あったようで、酒屋をしている持ち主は、早くに芝居小屋を売却したかったようです。倉庫としか使えない芝居小屋を、所有していても、不動産税ばかり負担して、メリットがないため、壊してビルにしたかったようです。然し、市の規制が入ってしまって、壊すことが出来ません。
縁あって、私は旭座の所有者とお会いして話をする機会がありました。学校公演の3年後、小浜に行き、所有者と話をしました。その中で。「もしよかったら藤山さん建物を差し上げますから、どこかに持って行って移築してくれませんか」。と言われました。市役所が、移築する、移築すると言いながら、予算が足りず、ずっと放ったらかしになっていて、なおかつ税金だけ取られていることが不満だったようです。そりゃぁそうでしょう。
私は建物を貰える、と言うことで、内心嬉しくなりましたが、こんな大きな建物をどこに移していいものか見当もつきません。貰ってもどうしようもないのです。私との話はそれで終わってしまい、その後、旭座は、めでたく市が買い取り、別の場所に移築して、今は町の観光に一役買っています。
写真で見る限り昔の形をそのままに再現してあり、桟敷(さじき=畳座敷)にもなり椅子席にもなるように工夫されています。現代に残して使用するとなると、こうした造りに変えなければ成り立たないのでしょう。何にしても市が旭座を残したことはめでたいことだと思います。
ただ気がかりだったことは、芝居小屋の中を見せてもらった時に、舞台のあった所に回り舞台の轆轤(ろくろ)を差し込む礎石があったことです。昔の舞台と言うのは、回り舞台を回転させて、舞台背景を変えていました。それがちょうど、独楽ののように、中っ心を軸として、舞台全体が回るようにできていたのです。舞台を廻すのは、人力の仕事で、恐らく4人とか、6人の人が、奈落で手押しで舞台を動かしていたのでしょう。
回り舞台は、現在では歌舞伎座も、明治座も、国立劇場も電動で回っています。でも、せっかく復活するなら、ここは昔通りに手押しで回したいものです。これはとても貴重な資料です。セリなども今はエレベーターを取り入れて、自動で人が昇降するようになっています。昔は駕籠かきと同じように、太い担ぎ棒を差し込んで、人力で、舞台を持ち上げていたのです。こうした仕掛けは、今となっては東京、大阪にも残っていないので、是非とも福井県で残していただきたいと思います。
但し、市が劇場を運営維持することは簡単ではありません。劇場と言うのは、毎日毎日観客動員して人を集めることで利益を出して行かなければなりません。時代の流行感覚も身に着けていなければなりませんし、歴史伝統の知識も必要です。日本中にあった何千もの芝居小屋がなぜ維持できなかったかと考えると、観客のニーズを絶えずつかみ、維持管理して行くことは簡単ではないからなのです。
何より、町の人達が、芝居小屋があることを誇りに思うようでなければ意味がありません。自分達とは何の関係もないと思って、全く芝居小屋の活動に興味を示さなければ、芝居小屋は維持できないのです。
更には常に、大阪と東京の芸人を呼んで公演していては費用がかかりすぎます。何とか地元の芸人を育てて、地元の人気者を作らなければ芝居小屋は維持できないのです。こうして考えると、芝居小屋と言うのは大変に難しい運営を求められます。
私は小浜の芝居小屋が落成できてよかったと思います。但し、その後私と小浜との縁は絶えてしまいました。
それがひょんなことから、少し町起こしに関わっている三国に湊座と言う芝居小屋があったことが資料で発見できました。湊座は明治期に松旭斎天一さんが出演しています。北陸本線が全通していなかった時代は、金沢から福井に入るには船を使って移動し、先ず三国に上がったのです。芸人は三国で2~3日興行して、その後、川船で福井に上がったと思われます。福井には、昇平座、加賀屋座と言う、500人以上入る大きな芝居小屋があり。天一師はそこで10日間の興行を打ったようです。生まれ故郷で10日も興行できるようになったと言うことは、天一師にとっては得意だったでしょう。
その昇平座の跡は今は文化町と言いう地名で福井の繁華街の中心にあります。そこは雑居ビルになっています。石碑が残っていたのを見た記憶があります。町の様子から、芝居小屋の復活はあり得ないでしょう。
三国の湊座は、今は跡地が原っぱになっています。可能性としては、湊座が建つチャンスはあります。三国と言う細長い古い湊町で、湊座が出来れば、いい観光スポットになるでしょう。
できれば、回り舞台の轆轤も復元させて、町の有志が応援して、舞台を動かして行ったなら、面白い展開になると思います。そんな日がいつか来るでしょうか。いやきっと来ると思います。
続く