芸能で生きて行くには 2
さて、一旦、自分の演技に自信を無くすと、舞台に出ること自体が恐ろしくなって行きます。何をやっても「こんなことをしていていいのだろうか」。と、やることなすこと全てに不安になります。
ついこの間まで自信満々、怖いものなしでマジックをしていたのが噓のようです。自分に自信がなくなり、縮こまって見えます。「そんなことではいけない」、と無理に虚勢を張って、表向きは強気に見せたりもしますが、やることなすことアンバランスに見えます。10代によくある、地に着いた生き方が出来ていない時期です。
現実には、どうやって生きて行っていいのかわからず、何とか取り付く島を探そうとします。心の不安を少しでも和らげるために、毎日のように演芸場に行き、客席でほかの芸人さんの舞台を見るようになります。
私は子供のころから色々な人の舞台を見るのが好きでしたが、それは単なる演芸好きの子供が興味で見ていただけのことで、せいぜい自分の演技の一つ前とか、一つ後の舞台を舞台袖で見ることはあっても、わざわざ客席に回って、全ての演芸を客席から見ることなどほとんどなかったのです。
でも、それは今思えば得難い体験でした。単なる演芸好きな少年から、自分と先輩との芸の差を真剣に考えるようになったのです。やはり芸能は正面から見なければ人の技量は分かりません。実際客席に回って、お客様と同じ位置で見ると、今まで興味にすら思っていなかった芸能まで面白いと思えてくるのです。
浪曲師とか、年取った古いスタイルの夫婦漫才さんとか、それまで何の興味も持たず、少しもいいと思えなかったような芸能ですら、何度も見ているうちに面白いと思うようになったのです。つまり本当の技量が見えるようになったのです。好きも嫌いもなく、何でも見るようになると、周囲の芸人さんの巧さがわかって来たのです。
今考えるとそれがどれほど自分の芸を形作って行くのに役立ったか知れません。古い芸人はなぜ古いと言われるのか、つまらない芸はなぜつまらないのか、巧い芸の法則、駄目な芸の法則が見えて来たのです。周囲の芸人さんのダメが見えると、今度はその法則を自分に置き換えて自身の演技を見つめるようになります。そこで改めて自分のまずさに気付くのです。
初めに、芸能で生きて行くには、何かで日本一になることだと言いましたが、自分自身が日本一かどうかを判断するには、自分自身に客観性がしっかり備わっていなければ自分を正しく評価することはできないのです。
私の18から22歳位の知識や能力はおよそ自身の技量も、他の人の才能も、客観的に判断できなかったのです。そんな中で、ひたすら縮こまっていました、何をやっても自信がなかったのです。
それでもこのままではどうにもなりません。何とか技術を身に付けなければいけないと思い、先輩のマジシャンのお宅に伺い、ひたすらマジックを習っていました。十代の頃は、松旭斎系の師匠を訪ね歩きましたが、18歳を過ぎたころからは、だんだん幅広く学んで行くようになりました。
渚晴彦先生、ダーク大和先生、アダチ龍光先生、二代目松浦天海先生、高木重朗先生、あらゆる人を尋ねてマジックを学びました。このころの活動が、この先どれほど役に立ったか知れません。
やみくもにマジックを学んでいるうちに、気が付けば、周囲の同年配のマジシャンと比べると、相当に知識が付いてきて、少し名前が知られるようになってきたのです。それでも心の中では自分の芸が拙いと言われたことが劣等感となって、舞台に自信が持てないままでいました。
と、こう書くと当時の私は、得意芸もなく、自信もなく、出演依頼も少なかったのではないかと思われると思いますが、実は、出演依頼は多かったのです。なぜなら18歳からキャバレーショウに出演するようになったためです。
キャバレーと言うところはお客様がアルコールを飲んで騒ぐ人が多いため、喋りの芸はあまり歓迎されません。生バンドの演奏で、お客様の会話の邪魔にならないように、スライハンドマジック(指先のテクニカルなマジック)を卒なく演じてくれれば、店は満足なのです。しかも、タキシードではなく、燕尾服を着て出て来て鳩出しやカードを演じてくれたなら、店の品位は上がりますので、大喜びです。
尚且つ、それが18歳の若いマジシャンであったなら、もうどこの店でも引っ張りだこだったのです。肝心のマジックは並のテクニックであっても、見た目の良い若いマジシャンなら売れたのです。私はラッキーだったと思います。内心自分の技量のまずさにびくびくして舞台に立っていながらも、私を求めてくれる仕事場から次々と出演依頼が来て。スケジュールが埋まって行ったのですから。
つづく