手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

天性の物

天性の物

 

 子犬や猫は常日頃、自分が人に愛されたいと思って行動しているわけではありません。別段犬猫として普通に生きているのに、仕草が何とも可愛い。その天性の可愛さが人を引き付けて、人は子犬を飼いたいと思います。

 と、のっけから当たり前の話をしましたが、これは全く芸人にも当てはまります。芸能の世界に入って成功して行く人、いくらやっても目が出ない人、いろいろあって、なぜ人気があるのか、なぜ実力がありながら理解者が少ないのか。

 いろいろ考えてみると、そもそも天性の魅力があって人を引き付けている人はそこにいるだけで人が集まります。別段自分が何か特別なことを考えたり、愛されるための芝居ををしているわけでもなく、心のままに生きて人に愛されます。

 ところがそうした天性の恵まれた人はごく少数で、大多数は人としての魅力に乏しく(これには語弊があります。まだ自分の魅力に気付いていない人、自分が何をしてよいかわからない人)、ただマジックが好きで、ひたすらマジックのスキルを学ぶことがマジシャンとして成功して行く道だと求道者のような考えを持って、マジックのスキルに没頭して行く人など、いろいろです。

 誰からも愛されて、陽気で快活な人がマジシャンになれば、人気があってうまく行くだろうと思いますが、実は、そうした人が必ずしも芸能界で成功するわけでもなく、さりとて、地味で陰気で、人づきあいの悪い人が成功して行くかと言えば、これもまた成功するわけではありません。

 成功の道は針の穴のように細く、単純なものではありません。そこには芸能人としてこういう人なら成功すると言う、王道の道なんて存在しません。成功する人は千差万別で、何がうまく行くかなんてわからないのです。

 私は良く、ひと受けのする、見かけの良い人なら先ず上手く行く。と言います。弟子を取る時の基準もまずそこにあります。

 見た目がいいと言うのは大きな要素ではあります。然し、そうだからと言って長い目で見て、その人が大きな成功を掴むかと言うと、必ずしもそうはなりません。見た目がいい人が成功すると言うのは、プロ活動を始めて、5年10年のスタートラインならば何とかやって行けると言う話です。本当に成功を掴むには飛んで見せなければなりません。普通にしていては駄目なのです。

 人が考えもしなかった世界を見つけ出して、それを具現させることで自分だけの世界を作り上げなければならないのです。普通のマジックをして、人とのつながりだけで、上手く世の中を生きて行こうとしもどうにかなるものではありません。

 芸能で成功する人は必ずと言っていいほど、通常の人には見えない世界が見えていて、その世界を熟知しているかのような行動をします。それが本当に見えているのかどうかはわかりません。分かっているように見せかけているのかも知れません。

 つまりブラフなのかも知れないのです。でも、お客様はブラフでもいいのです、何か目に見えないものを少しでも形にしてくれて、全く違う世界の片鱗を見せてくれる人には無限の興味を抱きます。

 マジックをまやかしだのインチキだのと言う人がいますが、案外その言葉は真実なのかもしれません。ありもしないものを作り上げて、信じ込ませ、嘘八百の世界に引き摺り込んで、虚実を混同させて混乱の世界に落とし込む。それがマジックなのだと言われれば妙に納得します。

 

 今から20年以上前に私は、「そもそもプロマジシャンと言うものは」。と言う本を出しました。そこにはどうやったらプロになれるか、プロは何をしなければいけないか。を詳しく書きました。その内容は、純粋にマジックに浸っていた少年少女には衝撃な内容で、マジシャンが手に入れるべき年収が書いてあったり、お客様が何を考えているのかを詳しく解説したり、コンベンションの嘘が書かれていたり、通常のマジックの解説本には決して書かれていない話が書かれていました。

 とにかく本の内容は話題になり、日本中の読者からたくさんの手紙をもらい、電話を貰い。コンベンションなどに行くと、人がたくさん集まって来て、いろいろ質問されました。今でも、どうしたらプロになれるかというハウトゥー本は存在せず、そのため密かに「そもプロ」は読み継がれていて、いろいろと聞いてくる人があります。

 中には直接会って「私はプロになれるでしょうか」。と質問する人までいます。そう言われても何と答えていいか困ります。「私だってこの道で50年生きて来て、未だに自分がプロに向いているかどうかわからいのに、今あったばかりのあなたが、プロに向いているかどうかは分かりません」。そう言う外はありません。

 但し、そうした人は、私から承認してもらいたいのでしょう。「藤山さんがプロになったらいいよ、と言ってくれた」。と宣伝をしたいのでしょう。別段私がプロになったらいいと言ったとしても、それでプロとして成功するわけではないのですが、そこは一縷(いちる)の頼みで縋(すが)って来ているのでしょう。

 然し、そうであるならなおさら私の発言は気を付けなければいけません。当然のこととながら、私は、プロになったらいいとも、やめた方がいいとも言いません。答えなど出せないのです。プロになると言うことは、人生をそこに賭けることであり、一生かかってそれが成功だったか失敗だったかを自身に問うことなのです。私が何かを言うことではないのです。にもかかわらず、何人かの人には、プロになったらいいとか、やめた方がいいと言いました。

 昨晩10数年前に、プロになるのはやめなさい。と言った、その当時明治大学の学生だった、チャーリーさんと久々寿司屋で一杯やりました。

 大学卒業後、会社員をして、その間も何度か顏を合わせてはいましたが、なかなかじっくり話をする機会がありませんでした。彼としみじみ話すのは久しぶりです。彼は「あの時、プロなるのをやめた方がいいと言われたことは間違いなかったと思います。自分の思いのままプロになっていたら、きっと上手く行かなかったと思います」。と言いました。チャーリーさんは今はマジックグッズの製作販売をしていて、かなり成功しているようです。結局、勤め人をやめて、マジックの沿革で活動しているわけですが、さて、私の言ったことが本当に正解だったのかどうか。今もって謎です。案外罪なことをしてしまったのかも知れません。

続く

 

 

花の他には松ばかり

花の他には松ばかり

 

 能の道成寺の冒頭、「花のほかには松ばかり、花のほかには松ばかり、暮れ初めて鐘や、響くらん」。花とは桜のこと。桜が辺り一面に咲いて、桜の他には松が茂るのみ、夕暮れになって、寺の鐘が寂しく響く。

 わずかな歌詞で周辺の景色が語られ、時刻までが想像出来ます。季節はまさに今、四月の風景です。能ではここで若い僧、安珍紀州の村に住む、清姫の悲恋が語られます。歌舞伎では、それからさらに数百年が経た時代に白拍子花子と言う、舞の達者な芸人が、道成寺に招かれ、舞を披露すると言う時に、釣鐘を見て、突然清姫に憑依して、数百年来の清姫の怨念が甦(よみがえ)ります。

 いきなり能だ歌舞伎だと言う話になってしまいましたが、今私は道成寺の鼓と太鼓を学んでいます。毎週毎週、朝9時に梅屋巴先生がアトリエに来て下さって、私と朗磨に鼓、太鼓を教えて下さいます。さて、道成寺長唄の中では屈指の大曲で、歌舞伎でも、これを舞うとなると1時間かかります。曲の演奏だけでも30分以上かかります。

 それを、鼓を学び、鼓が終わると太鼓を学びます。鳴り物はすべて口唱歌(くちしょうが=口伝えで譜面なしで暗記する)と言う、伝承方法で、かれこれ1年間かけて学びます。ようやく終盤の山尽くしに入ろうとしていますので、あと数か月で終了するでしょう。随分大変なお稽古です。

 私は演奏会を開くわけでもありませんし、ひと前で演奏することもありません。ただ芸能の素養として学んでいます。もう20年間鳴り物(鼓、太鼓)を続けています。

 「そんなことは無駄だ」。と思う人も多いでしょう。無駄と言えば無駄なのです。ところが、私が手妻を演じていると、三味線の演奏の合間に鼓や太鼓がリズムを刻んでいるのが聞こえます。勿論誰でも鼓や太鼓の音は聞こえますが、頭の中でよほどしっかり意識をして聞かないと、拍子から自然に体が動いて行くようにはなりません。

 聴いていると、メロディーとリズムが必ずしも一体となっていないことに気付きます。奇妙です。リズムは心臓の鼓動と同じ、メロディーは感情の表出です。それが一致しないのはなぜか?。大きな疑問が生まれます。

 実は歌舞伎音楽は、本来あった能の拍子、語りを、数百年後の江戸時代になって、当時の最新の楽器、三味線と当時の流行りの音楽、長唄によって、かなり種類の違う音楽を加えてアレンジしてしまったのです。それが1600年代のことです。

 恐らく当時の人にとって三味線音楽は日本の音楽の大革命だったでしょう。そもそも奈良、平安のころに使われていた、散楽や、田楽のリズムに、古くからの語りを取り入れて演奏していた能に、東南アジアで流行っていた音階を取り込み、流行り歌や、楽器演奏をそっくり取り入れて造り替えてしまったのです。

 それはちょうど、1900年代になって、世界中で、それまでクラシック音楽をベースに作られた平明な音楽が歌われていたものが、黒人の歌うゴスペルなどが流行り出し。それがブルースになったり、ジャズになったり、サンバやルンバやタンゴに発展して、音楽が一遍に広がりを見せて行ったことと似ています。やがて黒人のリズム感はロックを生み、音楽の世界全体を呑込んで行きます。

 1600年代の日本の音楽はまさに20世紀のロックの発展の時代に似ています。当時の流行は、それまでの日本人が聞いたこともなかった独特な音階で演奏されます。しかも三味線は、それまで使われていたメロディー楽器の琵琶よりもはるかに取り回しが良く、軽快な演奏が出来ます。当時の若い人が三味線に飛びついて行ったのは、現代の若い人がピアノやヴァイオリンからギターに移って行き、ロックバンドがあちこちで活躍するようになって行ったのと同じことです。

 

 戦国時代末期、出雲阿国が歌舞伎踊りを始めたのもちょうどこのころで、歌舞伎はその後、昔の物語に三味線を加え、長唄を唄いながら、能の話に添いつつも現代舞踊を作って行ったわけで、それが今日に残る娘道成寺です。

 話の筋は昔を語っていますが、内容は全くの現代劇(江戸時代の現代)です。ところが、ここに困った問題が起こります。道成寺のベースに流れているリズム感は、奈良、平安時代のもので、そのリズムの上に音楽として乗っているメロディーは、江戸時代の物なのです。これがうまく重なっていればいいのですが、時に、メロディーと関係のないところでリズムが盛り上がったりします。

 私は始めのうちはなぜこのようなリズムを打つのか見当がつきませんでしたが、リズムが先にできて、メロディーが数百年後に作られたためと知り、納得しました。

 私は三味線や長唄は元々習っていたのですが、その後に鳴り物に興味を持ち始め、稽古に通うようになりました。これが結果と日本のリズム感を掴むことに役に立ち、ようやく三味線音楽と言うものの構成が分かりようになりました。

 分かったからどうと言うものではありませんが、能の拍子は、意識をしていないと全く聞こえてきませんので、三味線の音だけを聞いて舞踊を踊ったり、手妻をしたりしても、時にリズム感のない演技をしがちです。和の音楽はリズム感にかけると思っている方が大勢いらっしゃいますが、それは、ベースに流れる拍子が聞こえていないだけであって、実は相当に複雑なリズムを刻んでいます。その面白さが分かると、日本の芸能が一層面白いと感じるようになります。

 弟子が何人も育ったなら、一度一門会の余興で、舞踊から、鼓、大鼓(おおつづみ)、太鼓、三味線、長唄を全員一門だけで演奏をして、舞踊をやって見たいと思います。さて、あと10年以内にそれが達成できるでしょうか。

続く

綱渡りの岸田さん

綱渡りの岸田さん

 

 自民党のパーティー券のキックバック問題を、大甘に済ませてしまった結果、昨日(4月28日)衆議院の補選で、3つの地域の立候補者が、全て立憲民主党に入れ替わってしまいました。

 こうなる結果は誰もが分かっていたことを、実際にやって見たらその通りになったわけです。これは大きく自民党の信頼を落としたことになりますし。この分では岸田さんは総理大臣を続けられる可能性はなくなりそうです。

 つい先日まで、アメリカに行って大歓待を受け、バイデンさんといい関係を維持して、アメリカの国会議事堂でギャグを飛ばして人気者になっていたのに、全く、一寸先は闇の夜ですね。

 それにしても、これほど国民がはっきりと拒否反応を示した選挙も珍しいのではないでしょうか。自民党に不満が溜まっていたことは誰でもわかりましたが、その結果がいきなり立憲民主党に3議席そっくり渡してしまったのは驚きです。

 もう日本の国民は自民党を信用しなくなったのですね。政治に金がかかることはみんな分かっています。だからこそ政党助成金を毎年支払っているのに、結局幾ら金を渡しても、更なる裏金を作ろうとする政治家の卑しさに愛想が尽きたのです。

 パーティー券のキックバックは結果において脱税です。それを何十年にもわたって繰り返してきたのですから、弁護の余地はありません。そんなことを画策して資金集めを繰り返して来た政治家は、永久に代議士になれないように、法律を変えて取り締まるべきです。降格や、自民党からしばらく離れる、などと言う安易な解決法では誰も納得しません。

 と多くの国民は思っているのでしょう。とは言うものの、恐らく今回関与をした政治家さんはみんな、有能な人たちなのでしょう。どんな仕事でもバリバリこなして、人が何を求めているのか、顔色を見れば素早く察知して、どうしていいかわからないような難問も、いとも簡単に答えを出して、官吏をうまく使いこなして解決をしてしまう。日本の政治家の中でも稀有なほどに有能な人ばかりなのでしょう。

 確実に、今回問題を起こした政治家の中からこの先、大臣や、首相になって行く可能性のある人たちなのです。その人たちの経歴に傷がつき、一時的にでも大臣ポストから外されることは自民党にとっては大きな痛手でしょう。

 今、自民党の中は秋の総裁選で浮足立ってしまっています。ひょっとすると衆議院解散になって選挙になるかも知れません。この状況下で誰が自民党をまとめるのでしょうか。ポスト岸田が暗躍しています。先日帽子をかぶってトランプさんを訪ねて行った、麻生さんがどうも怪しい。と思う人は多いようです。なぜあのタイミングで麻生さんがトランプさんのところに?。 

 恐らく麻生さんは次の大統領と仲良くするために、日本の代表者として出掛けたのでしょう。そうなら、麻生さんが再度出て来て首相になるのでしょうか?。よくわかりません。誰か別の人を立てて麻生さんはプロデュースする側に回る可能性もあります。

 いやいや、案外菅さんがもう一度出て来るかも知れません。菅さんは今でも人気がありますから。いや、むしろダークホースで石破さんが出て来るかも知れません。あの地味で陰気臭く、怪談噺でもしそうな石破さんが、この場は流れを変える意味で、色物のような扱いで、短期にピンチヒッターを務めれば、その間に自民党を立て直すことが可能かもしれません。時期も夏場を控えていますので、ここは納涼大会の意味で石破さんの出番かも知れません。

 いずれにしても、次の選挙で自民党は大きく議席を減らすはずですから、公明党の他にもう一つ二つ、どこかの政党とくっつかなければうまく行かないでしょう。立憲民主党が自民の誘いに乗って来るかどうか、あるいは維新の会が乗って来るか。

 立憲民主党が乗ってくれば、自民は連合政権を立てて、とりあえずは泉健太さんを首相に据えて内閣を立てる以外はないでしょう。かつての村山政権と同じ手法です。

 それもこれも昨日三議席全て立憲民主党が取った実績は大きかったのです。恐らくこのまま行けば秋の総裁選で、自民との連立をして、泉さんが首相になる可能性は大でしょう。昨日の選挙は、長らく不遇をかこっていた立憲民主にとっては千載一遇のチャンスで、恐らく今頃は立憲民主党事務所の大広間でみんなで踊るぽんぽこりんを踊って大はしゃぎでしょう。

 

 そうだとすると、先に話した、麻生さんは消えてしまうのかと言えば、そうではなく、結局、実際の運営は自民党がやらなければ政治は動きませんから、影のプロデューサーとして大活躍をするでしょう。菅さんはと言えば、それほど望んで出て行こうとは考えてはいなかったでしょうから、ここはおとなしく元に戻るだけ、石破さんは名前まで出て、期待されつつも今一歩及ばず。やむなく怪談噺をしながら時が来るのを待つしかないでしょう。

 でも、どっちにしても、自民党に取り込まれれば、以前の社会党と同じように、初めは融通に効かない固いことを言っていても、やがてとろとろと溶けだして、終いには党が影も形もなくなってしまいかねません。お気をつけて下さい。特に立憲民主はくれぐれもお気をつけて下さい。以前の民主党の体たらくをお忘れなく。

続く

 

 

 

 

舟遊び

舟遊び

 

 去る4月12日に屋形船の催しをしましたが、その際、何件か、別の日にちで同じ規格を希望される方々がいらっしゃいました。年に何回か同じ規格をやってもらいたいとか、プライベートに屋形船を使いたいと言う依頼です。勿論、それは可能です。実は、コロナ以前は何度か、こうした企画をしていました。

 日本人だけでなく、EUの役員さんであるとか、大きな企業の経営者であるとか、企業のお得意様の招待であるとか、いろいろ経験いたしました。確かに屋形船で隅田川東京湾をめぐって、食事をして、その上で私の手妻を見ると言う遊びは、なかなか贅沢で、体験としても面白いと思います。

 通常、屋形船は芸者さんたちを別に頼んで、座敷遊びを船で楽しもうと言うことになります。大概の船宿は、芸者さんや、落語家などの伝手がありますが、手妻となると珍しく、これまでに、三か所の船宿さんから依頼を受けただけで、なかなか仕事としてはそうそう頻繁にはやっておりません。

 手妻は途中、お台場あたりで船を停めたときに演技を致します。通常30分から40分くらい致します。

 「船はどうも揺れるからいやだ」。と言う人もありますが、実際、東京湾の中で船を走らせる分にはほとんど揺れません。船内で立って歩いても問題ありません。

 食事は、刺身やてんぷらなどの和食で、アルコールも何でもあります。お客様を接待する場合でも、何も持たずに、手ぶらで集まってもらうだけで、全ての接待が出来ますので、接待係は楽です。

 東京湾から眺める東京の町はとても美しく、レインボーブリッジから、東京タワー、お台場、永代橋スカイツリー、東橋から眺める浅草寺など、日ごろ町中から眺める景色とは全く違って見えます。想像している以上に東京の町が美しくてびっくりすると思います。香港の景色が素晴らしいとか、サンフランシスコが奇麗とか言いますが、実際には東京が一番かも知れません。とにかく綺麗で風格のある街です。

 

 もし屋形船での舟遊びを考えている方がいらっしゃったら、最低人数で15人以上を集めて下されば、貸し切りは可能です。本来の江戸時代の屋形船と言うのは、もっと小さなもので、6人とか8人が乗れる小さな船なのですが、今は船のサイズが大きくなっていますので、どうしても15人くらいは参加者がいないと成り立たないようです。

 人数が多い分には100名でも対応が出来ます。無論、6人、8人でも可能ですが、その分料金が高くなります(料理を高級化して金額を上げる方法などがあるそうです)。費用としては、前回は、食事付き、私の手妻付きでお一人1万8千円で致しました(但し、前回の参加者は30人でした。人数が少なかったり、季節によっては金額が変わります)。

 まず基本的に15人以上の参加者があれば船の貸し切りは出来ます。出演者も、必ずしも私の手妻でなくてもいろいろ企画はあります。私の日程が無理な場合でも、大樹や大成、あるいは若手マジシャン。クロースアップマジシャンなど、何人かに依頼することは可能です。芸者衆、太鼓持ち、落語家なども声をかけることもできます。但し一人増えるごとに費用が掛かります。

 ご希望とあれば東京イリュージョンまでご一報ください。企画いたします。

 

 一時、私の二十歳くらいの時には、東京湾が汚れていて、どぶのような匂いがして、とても舟遊びが出来る状態ではありませんでした。その後河川の浄化が進み、この20年くらいは普通に釣り船を出して、鯵やキスや穴子が釣れるようになりました。

 船から海を眺めても、水は透き通って見えます。すぐ近くで魚が泳いでいるのが見えます。お台場で船を停めて、食事をしますが、その時、あちこちで魚が跳ねるのが見えます。かなり大きな魚が飛び跳ねますので、びっくりします。

 船を出して、釣りをして、その場で天ぷらにして食事をすると言う企画もありますが、釣れないときは食べるものがありませんから、事前に食材を用意しておいて、その上で何か釣れたら天ぷらにする。と言うようにしているようです。但し、船の時間を長くしなければいけませんし、また、釣る魚によって、係留する場所が変わります。釣り好きにとってはたまらない話です。

 

 船宿は東京に何軒かありまして、品川や浅草橋、浅草近辺にそれぞれ何軒か船宿があります。便利なのは浅草近辺で、船から上がった後に、もう一か所どこか呑みに出かけられますので便利です。

 

 屋形船は、船の中に座敷が拵えてあって、屋根がついています。ガラスの窓が全面についていて、障子が締まるようにもなっています。形は昔の通りですが、和船ではありません。通常の船に、上部だけ木造の建物を乗せた形になっています。トイレも台所もついています。天井高が低いのが難点ですが、船の構造上、高い建物を建てられないのでしょう。

 そのため私が蝶を飛ばすときには、私の頭の高さと天井がぎりぎり擦れますので、少し腰をかがめて演技を致します。これがなかなか難しく、巧く高くは飛ばせません。更に天井にエアコンがついていたりすると、風の勢いで蝶がどこかに飛んで行ってしまいます。無論、事前に蝶を飛ばすときだけエアコンは切ってしまいますが、難しい場所であるのは間違いありません。

 但し、見渡す限り室内は全面日本建築ですので、雰囲気は最高です。夜の運航では屋根の庇に提灯がずらり並んでいて、灯りを灯しますので、暗い海の上を、たくさんの提灯が並んだ屋形船が進んで行くのは、まるで江戸時代にタイムスリップしたようでとてもいい雰囲気です。

 

 おかしな話ですが、東京に暮らしていると、東京が海の近くであることを認識することはめったにありません。日頃移動する場所が、銀座から新宿であるとか、高円寺から浅草であるとか、全く海を見ることなく、勿論船に乗ることなどなく、海とのかかわりを持たずに暮らしています。そのことを日ごろは何とも思っていないで暮らしています。

 然し、屋形船に乗ると、自分が島の中で暮らしていることを再認識します。八丈島とか、小笠原島とかのパンフレットを見て、「ああいう離島に行ってみたい」。と思っている人はたくさんいますが、実は、我々は既に島に住んでいますし、言って見ればみんな生まれながらに島育ちなのです。そう考えると、もっともっと海とのかかわりを持って、海を生かして暮らすことをもう少し考えたら、より生活が楽しくなるのかなぁ、と思います。と言うわけで、年に一度は海に親しむ日があってもいいのではありませんか。

続く

終わりなき戦い

終わりなき戦い

 

 ウクライナとロシアの戦いがなかなか決着を見ません。最近ではニュースでも、時間を割いて戦況を語ることが少なくなりました。毎日毎日戦争が続いていることは事実なのでしょうが、詳細が分かりません。

 ロシア軍に被害が出ていることは事実のようです。連日ウクライナはドローンを飛ばして、ロシア人が守っている要塞を攻撃しているようです。その戦果が、戦車を倒したとか、輸送車を破壊したと言う情報は流れて来ています。

 然し、同時に、ロシアからもドローンやミサイルが飛んできて、ウクライナ軍にも少なからぬ死者が出ています。又ウクライナ住民の被害が大きく、無差別で、ウクライナ国民の民家が破壊されています。

 形勢は互角か、ウクライナが少し有利なのではないかと思いますが、戦死者がたくさん出てもロシアはすぐに兵を補充して、固く要塞を守っていますので、全く解決には至らないようです。

 こうして塹壕を作ったり村ごと要塞化して闘う戦争は、ロシアが歴史的に繰り返してきたことで、ロシア兵の死者は累々と積み重なっていても、彼らは全くそのことを意に介さず戦争を続けます。第一次世界大戦の時も、第二次世界大戦の時も、ドイツ軍の数倍の死者を出しながらも戦い続けたのです。

 ロシア(当時はソ連)と戦えば、必ず消耗戦になって行き、互いが武器や燃料食料が尽きて撤退するまで続きます。第二次世界大戦の際のレニングラードスターリングラードなどの戦いは、まさに消耗戦で、ロシアは徹底して都市を守り抜いて、結局ドイツ軍が音を上げて撤退するまで続いたのです。その代償は第二次世界大戦で、ドイツ軍350万人の死者に対して、ロシア軍は2000万人の死者を出しています。日本軍の死者が300万人であったことを思えば、ドイツ、ロシア共にとんでもない消耗戦をしたことが分かります。

 特に、ロシアは民間人が1200万人も死んでおり、兵士と合わせて3200万人の死者が出ています。当時ロシアの人口は1億7千万人でしたから、5分の1の人口が大戦で亡くなったことになり、その後ロシアは今日に至るまで戦前の人口が回復することがないのです。

 そうした過去を考えたなら、ロシアと戦うことがいかに困難かが分かります。つまり、戦争が長引いて塹壕に籠って攻め合うようになれば、ロシアは決して負けないのです。ロシアを打ち負かすには、かつての日露戦争の時にように、短期間に大きな戦い(黄海海鮮、旅順港攻撃、奉天開戦、日本海海戦等々)で勝利して、すぐさま和平工作に乗り出さない限り、長期戦になれば、小国は大国ロシアに勝利する可能性はありません。

 今の現状を考えると、NATOが本格的にまとまってロシアを攻撃しない限り、ウクライナの勝利はありません。でも現実にはNATOはそこまでの戦いをしようとは思わないでしょう。結局消極的な支援を繰り返していても、ウクライナの勝利はあり得ないのです。

 そうであるなら後は外交で、少しでも有利な交渉をする以外道はありません。そのロシアとの橋渡しは誰がするのか、と言えばトランプさんでしょう。世の中は上手くしたもので、必ず適材適所に人材が現れるのです。トランプさんは必ずウクライナとロシアの交渉に乗り出すでしょう。

 トランプさんは超現実的な人ですから、イデオロギーも政治哲学も関係ありません。経済が悪くなると思えばさっさと手を引きます。恐らくロシアに対して、ウクライナの東部4州と、クリミア半島を渡して、政治決着を試みるでしょう。当然ゼレンスキーさんは大反対をするでしょう。そこで、ウクライナのメンツを立てて東部4州の内1州をウクライナに戻すなどして決着をするでしょう。

 このトランプさんの裁定に内心欧州連合はほっとするでしょう。これで軍事支援をしなくて済むし、ロシアとの関係も回復するからです。然し、これですべてが丸く収まるかと言うと、そうはならないでしょう。

 欧州対ロシアの交渉をじっと見ていた中国は、欧州が如何に立派な哲学を振りかざしたとしても、経済不況が自国に及べば忽ち欧州の結束も乱れると読むでしょう。そうなら軍を動かしてごり押しすれば、台湾は取れる、と判断するでしょう。

 中国にとって、いや習近平さんにとっての悲願である台湾進攻は、案外簡単に攻め取れるのではないか、と邪推するでしょう。欧州やアメリカはいろいろ奇麗ごとを言っても、結局他人の争いには無関心なんだ。と知ります。

 そこで世界紛争は、ウクライナから台湾に移ることになります。しかも、トランプさんが大統領になれば、東アジアの米軍は必ず縮小されます。トランプさんは、朝鮮半島も、日本も、台湾も、それはアジア自身で守って行く事であって、本来アメリカが関与する理由はないと考えています。正に中国にとってはチャンスです。

 然し、然しです、いま中国は最悪の経済状態です。不動産バブルが弾けて、半導体が振るわず、EV車が売れず、国や地方自治体の債務が兆を超えて、京(けい)と言う位になっているそうです。人類始まって以来の京の位の借金です。

 それほどの負債を抱えて、どうして共産党が崩壊しないのかと言うなら、ウクライナ戦争に忙しいロシアがあらゆる物資を中国から買っているからです。隣国が戦争をすれば、近隣の国は大儲けをします。そのお陰で中国は今のところは輸出が好調なのです。然し、ロシアがウクライナ侵攻を終結させれば、景気は落ち込みます。中国の本当の不況は、これから数年後、ウクライナ戦争が終結した後にやって来るでしょう。

 ロシアは、世界中から経済封鎖をされながらも、実質の経済は維持されています。維持できている理由は、石油や天然ガスが売れているからです。そして売れて儲かった金は、軍事物資の生産費用に回しています。お陰でロシアの軍事工場はフル稼働で、儲かっています。欧米がいくら経済制裁をしてもロシアはびくともしません。

 但しこのまま軍事にばかり金を賭けていると、国全体はやせ細って行きます。長い目で見たならロシアのやり方は国を滅ぼします。戦前に日本が戦艦大和を建造していた時に、東北地方では餓死者が出ていたのです。今のロシアも似たようなものです。

 但しロシアが完全に疲弊するにはまだ10年20年かかるでしょう。幾らウクライナがうまく戦いを進めても、大国ロシアはそう易々とは敗北しないのです。残念ですが、ウクライナの健闘はこの辺りで手を打たなければならなくなるでしょう。

続く

 

マジシャンとは何者

マジシャンとは何者

 

 まだ私の頭の中は昨日書いた感想文、ユージン・バーガー著「マジック&意味」の世界を彷徨っています。但しここからは私の考え。

 現代でマジシャンと言う職業を選択して、それで収入を得て生きて行くと言うことは、いろいろな意味で難しい時代になって来ています。そもそも、現代の観客は、呪いや、予言、魔法を本気に信じてはいません(全くいないわけではありませんが、かなりコアな人達でしょう)。

 いたとしてもそうした人たちが信じているのは、占い師であったり、霊媒師などの、通常マジックとは区別された世界の人達でしょう。マジシャン自身も、彼等とは違った種類の職業である。と考えています。マジシャンは、魔法使いを装ったエンターティナーと自認して、活動をしている場合が殆どです。

 つまり初めから、「自分には魔力はなく、アイディアや修練によって、不思議を作り出している」それがマジシャンであると信じているのです。マジシャンは、エンターティナーであることを公言しているわけです。

 それは結構なのですが、そうした人達が舞台に出て来て、長々ギャグを話し続けて少しもマジックが始まらなかったり。お客様を舞台に上げて、舞台に不慣れなお客様を肴に笑いを取ったり。30秒に一回ギャグを喋るのに、不思議は5分間に一度、お終いにカード一枚が当たるだけ。

 こうしたマジシャンは、「不思議」と「ギャグ」を同じ価値と考えて、どちらでも観客に受ければ観客の満足度は一緒だと思っているようです。何を隠そう、実は私も20代のころはそう考えていました。

 然し、そう言うマジシャンを世間が本当に求めているのかどうか。そもそも、マジシャン自身が、魔法使いとか、予言者とか、呪い師とか、そうした人たちの存在を信じていないのです。信じていない人が魔法使いや予言者を装っても真実味は薄く、お笑い芸人なのか、マジシャンなのか、曖昧な芸になってしまいます。

 と言って、マジシャンの存在を本気で信じて、マジシャンらしい仕草や、三角帽子をかぶって、縒れた杖を持って長い服を来て、毎日生活している人がいるとするなら、その人は、明らかに時代錯誤です。それは街中で忍者の格好で歩いて見たり、琵琶法師となって彷徨っているのと同じことです。

 私などは手妻師をしていますが、まさに手妻師となって、和服を着てマジックをすることは、昔の魔法使いや、忍者や、琵琶法師と紙一重の存在なのです。然し、ここに紙一重(紙一枚の隔たり)があることで現代でも手妻は、職業として成り立っているわけです。ここでは紙一重とは何なのかを説明しませんが、ただ手妻だと言って着物を着てマジックをしても、現実には仕事に結びつきません。

 さて、自分に魔法の力がない。そんなマジシャンが舞台に上がって何を演じるべきなのか。先日、ユージンさんの感想でも書きましたが、魔法を演じた後に、「今やったことは、マジックショップへ行って、仕掛けを買えば誰がやっても出来ますよ」。などと言って良いものか。

 そんなことをすれば、目の前で不思議をみて感動していた観客を失望させてしまいます。これではいつまで経っても支援者は増えません。現代に魔法使いで生きることは困難ではありますが、そうであるならどういう位置からマジックをアプローチして行ったらいいのでしょうか。その答えになるかどうかはわかりませんが、3つのことをお話ししてまとめとしましょう。

 

1つは、卑下せず、否定せず、本気で演じること。

 ドラマで医者の役を演じる俳優が、「自分は本当の医者ではありません」。とは言いません。当たり前です。その当たり前のことが、マジックの世界ではマジシャン自身がしばしばマジックを否定します。なぜそんな不用意なことを言うのかわかりません。どんなことでも、真剣に前向きにやり通さなければ、支持者は生まれません。人が魔法使いを信じるか、信じないかなどどうでもいいのです。

 自身が作り上げるべき魔法の世界を、しっかり創造して見せなければ、マジシャンとして存在する意味がないのです。19世紀のマジシャンはほぼ占い師や、呪い師と同業でした、そうした人たちと現代のマジシャンでは余りに生き方が違います。

 然し、根底に流れている考えは同じではないですか。いずれも人助けなのでしょう。占い師にすがって来た人に指針を示すこと。寄り添って一緒に考えてあげることは

人助けになっているのでしょう。そこに本当に魔力があるかどうかは二の次なのでしょう。

 現代のマジシャンは、人助けを、娯楽に置き換えてしまって、人の心を救う活動が失われています。予言が当たったこと、選んだカードが当たったこと、現象が段取り通りにできたことが成功なのではなくて、それが人の心を救っているかどうか、人の心に届いているかどうかが肝心なのです。もう一度魔法使いの原点に戻って考え直すことの大切さをユージンさんは語っているのです。

 

二つ目、他のジャンルをつまみ食いしない。

 舞台に出て来てギャグを連発するマジシャン、踊りを踊る、歌う、当人は人を楽しませるためにやっていることで、いわば善意なのでしょうが、本当に観客が楽しんでいるのかどうか、そこに確証を得なければいけません。その芸が時間つなぎに見えたならすべて偽物です。不思議を作り出さずにギャグを言い続ける行為がいけないのではありません。ギャグが三流だから評価されないのです。

  私が子供のころ、三味線を弾いたり、踊りを踊ったり、義太夫を語ったり、鼓を打ったりして、30分でも1時間でも舞台を務める漫才さんがいました。今考えるとその芸はすべて三流でした。いわば単なる時間つなぎでした。

 いろいろ長く演じることはできても、そうした芸人さんの地位は低いものでした。現代でも、サーカスにいるピエロが、マジックをしたり曲芸をしたり、風船を膨らませたり、いろいろ芸をしますが、どれも心に残りません。それと同じです。

 肝心なことは先ず自身のマジックを確立することなのです。先ずマジックが出来上がっていなければすべて偽物です。逆に言えば、マジックがしっかりできていれば、自分が素人芸に頼る必要はないはずです。

 

 三つ目、魔法を演じることは高貴で、知的で、愛情溢れた行為です。

 この事を心に刻み付けておいて下さい。それでないとマジックは、奇人変人、見世物レベルから抜け出ることは出来ません。マジシャンが今に生きると言うことがどういうことか、マジシャンとして自分が何をなすべきなのか。よく考えることです。

 マジシャンが、物が出た、消えた、カードが当たった、はずれたと言う、即物的な話から離れて自分の世界を考えない限り、現代のマジシャン像を創り出せません。そこに答えを出さないと、忍者が街を歩いていることが不自然なように、レストランで、バーのカウンターで、舞台で、マジックを見せているマジシャンそのものが不自然に見えてしまいます。どうしてもそこに居なければならない人になってこそマジシャンの存在が求められるのです。

続く