日本のアスリート大活躍
イタリアの冬季オリンピックで日本人が大活躍をしています。欧州とは時間差が真逆ですので、同時映像はなかなか見られませんが、ニュースを見る限り、その活躍は素晴らしいものです。
特に驚かされるのは、日本のアスリートの数です。一つの種目に3人も4人も日本人が参加をしています。世界のレベルから考えても日本のアスリートの数は多いのではないでしょうか。特にスノボーなどでは数もそうですが、圧倒的に日本の強さが際立っています。
私などはスポ-ツの才能が有りませんので、日ごろアスリートがどのような活動をしているのかも知りません。全く私の知らところで、これほど多くの人たちが黙々と練習を重ねていることが驚きです。
ウィンタースポーツと言うのは、上を目指そうとしたら、とてつもなく費用の掛かるスポーツです。雪や氷の張った時期なら野外で練習もできますが、冬だけ練習していたのでは技術を伸ばすことは出来ません。一年中練習するには、施設を毎日借りなければ無理です。しかも広大な施設を自分一人のために長時間使用しなければなりません。
この費用がけた違いに大きいのです。夏のオリンピックには190カ国もの参加国がありますが、ウィンタースポーツにアフリカやアジアからの参加国が少ないのは後進国は国の支援も少なく、個人収入も限られているためです。誰かが膨大な資金を提供しない限り、ウィンタースポーツのアスリートは育たないのです。
かつてフィギュアスケートでメダルを手にした佐野稔さんが、子供のころからスケートリンクを借り切って練習するのを両親が応援し続けました。その結果、お父さんは経営していた山梨県の観光ホテルを売却して、全財産を投資して、佐野稔さんを支援し続けたのです。ウィンタースポーツで一人のメダリストを育てることはそれだけ大きな費用が掛かることなのです。
スノボーの選手もジャンプの選手も同様でしょう。大きな施設を長時間借り切って、練習するのは簡単ではありません。日本では国の援助は限られています。いやむしろほぼゼロと言ってもいいかしれません。必然的に家族や、周囲の仲間の支援が頼りになります。すなわち50年近く経っても、佐野稔さんの時代と大して変わっていないのです。
そうした中で、オリンピックの時だけ大騒ぎされて、時が過ぎればまた周囲の無理解と、足らない資金のなかで細々活動して行かなければならない現状は、アスリートにとっては辛い日々でしょう。
それでもメダルを取って名前を挙げたアスリートにはマスコミやスポンサーも感心を示して、巧くすれば支援を受けることもあるでしょう。然し、メダルに届かなかったアスリートに対してはまたもつらい日々が続くことになります。
私はオリンピックの4年に一度と言う開催期間は、アスリートにとっては相当に過酷なのではないかと思います。その理由は、仮にメダルを取ったとしても、その話題が4年間(つまり次のオリンピックまで)も持続しないのではないか。世間が大騒ぎする期間はせいぜい1年か1年半ではないかと思います。
一時の話題で、臨時収入は手に入れても、後半の2年は、アルバイトをしなければ生きては行けないのではないか。4年に一度と言うのはアスリートにとってかなりきつい時間なのではないか。と勝手に推測するのですがどうでしょう。
そして、アスリートにとっての最大の問題は、4年と言う年月が自分のピーク時期を終えてしまうのではないでしょうか。芸能と違って、アスリートの活躍できる時間は限られています。30歳の声を聞くともう体力の衰えが出てしまいます。
26歳27歳でメダルを手に入れたとしても、次のオリンピック開催が30歳を超すとなると、ほぼ自動的に引退時期になってしまいます。これは過酷です。せっかく努力を重ねて来ても、年齢が限界に至ったのではどうにもなりません。
マジシャンで考えるなら、30歳と言う年齢は、これからどうにかなろうかと言う歳です。それがアスリートでは引退の年齢なのです。そんな年齢で、自身の第二の人生を考えなければならないのですからアスリートで生きることは厳しいのです。
そんな世界にあっても、次々に若い人が出てくるのは、その世界に夢があるからなのでしょう。雪山を背景に美しくジャンプをしている姿、あるいは、スノボーで激しく空中回転している姿には独特の世界があるし、人を引き付けるものがあります。
マジックにも独自の世界、美しい姿があります。それをもっともっと広く社会に見せて行かなければなりません。技法でもなく、イフェクトでもなく、スポーツと同様に、その美しい世界を見せることが大切なのでしょう。
ところが最近のマジックは、どうしても 現象にばかり走って、不思議さを追い求めるあまり、芸能そのものの美しさが置き去りにされがちです。もっと色彩豊かであるべきですし、美しさを訴えなければ人の心を掴めないでしょう。そのためにマジシャンは人の心を捉えて離さないような絵柄を見せて、見る人を虜にしなけなければなりません。
理屈を超えたところに人の感動があるのです。
続く