鮎茶漬け
先々週辻井さんに岐阜の料亭で鮎の塩焼きをご馳走になり、感動しました、実はそれから一週間して、名古屋の小島新吉郎さんが東京に来て、一緒に食事をしようと言う話になり、東京駅のステーションホテルで懐石を頂くことになり、そこでも鮎の塩焼きが出ました。
岐阜の物よりは少し小振りな魚でしたが、その分二匹の塩焼きが出て、これが焼き具合が絶品でした。しかも締めの飯に鮎一匹を米と一緒に炊いて、炊きあがったところで、鮎を細かく崩し、鮎の混ぜ飯にして出て来ました。正に鮎尽くしです。
鮎は脂肪の少ない魚ですから、いくら食べても満腹感と言うものはほとんどありません。然し、いい鮎は独特の水草の薫があり、それを炊いた飯と合わせて食べると素晴らしい涼し気な景色が浮かんできて、水草や苔の香りとともにさっぱりとした味わいがいただけます。ある程度年齢が行くと、こうしたものにこそ旨味を感じます。牛肉や豚肉などの強い脂身よりも、ほのかな香りと適度な脂身の方が有難く感じます。
私にすれば、前の週の岐阜の藁川の鮎で十分満足していたところに、東京駅で鮎の塩焼きと、混ぜ飯を頂き、毎週贅沢をして、これほど幸せなことが続いていいものかと、喜んでいました。
それが、何と言うことか、昨晩(7月31日)、女房が、鮎の甘露煮を友人からもらって来ました。鮎の甘露煮はビニール袋に二匹納まっていました。これが旨いおかずであることは多くの人は知っています。然し、なかなか普段の晩飯でこれを食べることがありません。甘露煮ですから甘じょっぱく煮てあります。そのまま温めて食べても旨いでしょう。然し私は、これを見てすぐさま、鮎茶漬けにしようと思い立ちました。
私が人生で最もうまいと感じた食事三題の一つ、貴船の鮎茶漬けです。大学時代に京都に行って、貴船の茶屋で鮎茶漬けを食べた思い出は今も忘れません。そう、あれを再現しようと思いました。
先ず丼に飯をよそい、そこに鮎の甘露煮を丸々一匹乗せ(長さは15㎝くらい)、お湯をたっぷりかけます。そして5分蓋をして待ちます。全て昔の段取りの通りです。
さて蓋を開けると、鮎の香りが漂って来ました。僅かながら鮎の脂身がお湯に浮かんでいます。鮎の身を箸で崩して行きます。よく煮てありますので鮎は簡単にほぐれます。甘みのある醤油だれがお湯に溶けて行き、とろりと飯に沁み込んで行きます。
丹念に鮎を細かくして行くうちに、甘露煮の甘すぎるたれが程よく落ちて行き、身は身欠き鰊(にしん)のような、小さな塊となって行き、本来の鮎の銀色な肌が出て来ます。身は、徐々に飯に混ざって行きます。
こうしている間も早く食べたいと気持ちが逸(はや)ります。でもここは充分甘露煮の甘みを落とし、鮎の身を細かく飯に混ぜて行かなければこの後の感動が得られません。箸で混ぜて行くうちに、骨も細かく砕けて行き、内臓も混ざって行きます。頭も砕けてしまい、全てが飯に混ざり合って行きます。
さて準備が出来ました。まだ頂き物の鮎の味がどんなものか、味わっていません。箸で米を数粒、鮎の身をひとかけら一緒に乗せて口に運びました。箸先に乗った小さな鮎身でしたが、味はまごうかたなき鮎です。さっぱりとした身で、嫌みがなく、噛むとほのかに脂身を感じ、わずかに青みを感じました。それを飯と一緒に食べると、50年前の学生時代を思い出しました。
貴船で食べた鮎茶漬け。20歳の自分が一体茶漬けの何に感動したのか、長いこと忘れていました。その頃の私は、とんかつや、焼き肉のこってりとした脂身のほうが巧いと感じていたはずだったのですが、この時、鮎が持っているほのかな、淡い脂身の旨さを発見したのです。初めての体験でした。
さてそれから、何度も京都に行きましたが、貴船は京都にいてもとても遠いところですので、簡単には行けません。行きたい行きたいと思いつつ、ついに貴船の茶漬けを食べることはありませんでした。それが、図らずも昨晩、再現出来ました。もしもう一度貴船で茶漬けを食べたなら、少し味わいが違うかもしれません。甘露煮の出汁の作り方などが一格上かも知れませんし、鮎ももう少し高級な味がするのかも知れません。
でも、それはまたの機会です。今は50年前の味が再現できたことを喜びに思います。更にこうして、毎週鮎の料理を食べられたことは幸いです。
テレビでは男子のバレーボールが熱戦を繰り広げています。アルゼンチンのチームは強そうです。然し、日本チームは確実に点数を上げて行き、勝利を収めました。全く最近の日本のチームは、バレーにしろ、バスケットにして、サッカーにしろ、海外勢に全く引けを取りません。大したものだと感心をします。
鮎茶漬けで、バレーボールを観戦し、満たされた晩飯でした。
続く