日本人選手の大活躍
昨日は、オリンピックを見続けていて、つくづく、オリンピックで勝つと言うことは、単に実力や、才能があれば勝てると言うものではなく、最終的には、自分を見つめ、仲間を信じ、自分のこれまでの努力から勝ち得たチャンスを疑わずに前に進んで行くことなのだなぁ。と知りました。
と、偉そうなことを言っても、なかなか人はその通りに生きられるものではありません。自分を素直に見つめると言う、ただそれだけのことでも、目前に大勝負があって、勝負に勝とうとすれば、思いが邪魔して、雑念が入り込んで真っすぐにものを見ることは出来ません。何にしても気持ちを維持する、あるいは気持ちを切り替えると言うことは簡単ではないのです。
柔道の橋本壮一さんは32歳でオリンピック初参加、遅咲きの柔道家です。この人は、相手の襟と袖の二か所を掴んで相手を倒す従来のやり方では、なかなかいい位置を二か所を掴み取ることが難しいことに気付き、左手で、相手の右袖を掴みながら、片手で相手を投げる技法を考案。これにより勝負を早めて、勝ちを手に入れることが出来ると、オリンピックに挑みました。
ところが、実際対戦してみると相手は橋本さんの袖掴みが危険であることを研究をしていて、橋本さんの左手を敬遠して、右袖に触らせません。そのため掴み合いが長引いて、指導が入って橋本さんは失格。結局勝ち進めません。
その後、気持ちの切り替えが出来たのか、敗者復活戦でようやく有効が入って、勝利、第三位、銅メダルを勝ち取りました。この銅メダルは、さぞや当人にとっては重い貴重なものとなったでしょう。
女性柔道の舟久保遥香さんは、抑え込みの独自の技法を考案して、抑えに入ったらとにかく威力を発揮する技で挑みます。然しこれも相手が敬遠してなかなか望む形にならず、順々決勝で敗退。敗者復活戦で再挑戦し、銅メダルを受賞。思った通りに事が運ばない中、何とか考え方を切り替えてメダルを掴みました。
この技を出せば絶対に強いと言う人が、なかなか技を使わせてもらえず、それでも勝利を掴み取ると言うのは、簡単ではないし。戦いは自分の思った通りにはならないことは誰もが承知です。そこで、気持ちを切り替えて、これまで学んできたことをもう一度考えるゆとりが必要なのでしょう。一つことばかりにこだわっていては勝利は手に入れられないのでしょう。
と、言うのは簡単ですが、なかなか自分の考えを切り替えることは出来ません。目の前に大勝負がかかっていて、自分の欲で戦っているわけですから、自分を突っぱねて冷静に考えるゆとりなど出来るものではないでしょう。でも、勝利を手に入れるには、全てを捨てて、冷静に考え直した先に答えが見つかる場合が多いのです。お二人は自分と向かい合って、勝利を掴んだのでしょう。
同様に、男子のスケートボードです。当初の予想では、日本の精鋭小野寺吟雲(ぎんう)、白井空良(そら)、堀米雄斗、永原悠路、の4人が上位を独占して、一位から三位まで日の丸の旗が上がるのではないかと予想していましたが、いやいやそれは日本の勝手な推測で、実際戦ってみるとアメリカ勢が優秀で、一位二位ともアメリカに取られそうな勢いになりました。
このままでは、日本は三位かと思われましたが、最後の最後で堀米雄斗さんがラスト一回で、97点という驚異的な点数を出して、一発逆転で一位になりました。それも何度チャレンジしても失敗していた難易度の高い技を、ラスト一回のチャンスに賭けて見せて成功しました。ものすごい精神力の持ち主です。
少しレベルを落として、安全な技で勝っていたなら、二位か三位は簡単に手に入ったでしょうが、彼は最後まで勝利を諦めませんでした。結果はアメリカ人二人を破って金メダルです。強運と言ってしまえば簡単ですが、そこに至るまでの心の葛藤はすさまじいものだったでしょう。あの度胸の良さには敬服します。
体操男子団体戦は、初手から中国のスター選手が高得点を出して、日本を圧倒しました。「この分では日本はまたもや二位か三位か」。と危ぶまれましたが、ここからが日本人特有のチームの団結力が実を結び、一人一人が細かく点数を上げて行き、ラストのラストで中国を追い抜き、世界一に輝きました。ずっと総合点で負け続けていたため、まさかまさかの優勝でした。チーム全員が肩を組んで、涙を流し合って写真を撮っている姿は、実に日本的で感動の姿でした。
もう一つは、日本は92年ぶりに馬術で銅メダルをとりました。馬術は、オリンピック開始以来伝統的な競技ですが、実は、常に逆境にあって、存続自体が危ぶまれている競技なのです。そもそも馬術は貴族のスポーツで、オリンピック創立は貴族の趣味として存在していたスポーツの祭典だったわけですから、貴重な種目でした。
しかもその時代は戦争に馬が使われていましたので、乗り手も多く、各国が自国の馬術を競っていたのです。それが、戦争で馬は使用されなくなり、オリンピックがアジア。オセアニア、アメリカなどと開催地域が広がって行ったために、馬の移動に経費がかかるために大会も、国のスポーツ団体も、徐々に馬術を敬遠する流れになって行きました。
更に、悪いことに動物愛護団体が、「馬に鞭を当てるとは何事か」。とクレームをつけ、世界的な流れで馬術はやめようとしています。馬が可哀そうだと言うなら、牛も、豚も、鶏も可哀そうだし、鰻や、のどぐろもかわいそうです。
それを食べないなら文句を言ってもいいですが、食べるなら我儘な発言です。あの分厚い馬の皮膚に鞭を当てるくらい大したことではありません。何万年も馬はそうして生きて来て、その分生活を保障してもらって来たのですから、人と馬はいい関係でしょう。第三者が口出しする話ではないはずです。
とにかく、その馬術の団体競技で日本は92年ぶりに銅メダルを取りました。凄いことです。92年前は1932年のロスアンジェルスオリンピックで、その時金メダルを取ったのが、バロン西と呼ばれた、西竹一さんでした。バロンですから男爵で、この人は軍人で、その後、硫黄島でアメリカ兵と戦って亡くなっています。
米軍の将校の中には、ロスエンジェルスのオリンピックでのバロン西の活躍を知っている人もいて、生き残った日本兵の捕虜に対して「この中にバロン西はいるか」。と聞いて回る将校がいたそうです。バロン西の才能を惜しむ人は日本人だけではなかったのです。何にしても、92年ぶりに日本の馬術が認められたことは輝かしい成果です。
どうか乗馬をやめるなどと言う貧乏くさい話はしないでください。乗馬こそ近代スポーツの原点なのですから。乗馬をやめても馬は喜びません。馬は常に人と一緒に駆け回っていたいのです。
続く