手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

鮭の切り身

鮭の切り身

 

 もう二十年以上も前の話になります。私の親父(漫談家、南けんじ)がまだ生きていた頃、親父は、新宿末広亭の寄席に出ると、帰りは大概私の家に来て泊まって行きました。親父の家は上板橋で、新宿からですと帰りは40分くらいかかります。私の家は中央線で5分ですので、徒歩を入れても20分で帰れます。末廣亭に出演するには便利ですので、ちょくちょく定宿にしていたのです。

 親父が泊る理由は、便利さからだけではありません。いろいろあります。第一は、孫のすみれに会いたかったのです。当時娘は幼稚園で、親父と遊ぶことを何より喜んでいました。また、親父は、孫の前では真にシャイで、孫と話をするのでも、とても恥ずかしそうに話しをしました。愛していたのでしょう。

 高円寺に来るときには、名探偵コナンの単行本を買って、紙袋に入れてやって来ます。孫のすみれは、親父がコナンを毎回買って来ることを知っていますから、ひたすら親父の持ち物を探します。親父は何食わぬ顔をしていますが、やがて見つかってしまい。孫が大喜びをします。それを親父は新聞を読みながらにやにや笑っているのです。親父にとってはこの時が一番幸せな時なのでしょう。

 親父の手帳には、何号のコナンを買ったか、番号を控えてありました。競馬の予想や、パチンコの出る台をチェックするのと同じページに、「すみれコナン」と書いてありました。

 夏場は特に頻繁に高円寺にやって来ました。と言うのも上板橋の家は、母親がクーラーをあまり喜ばないために、夏でもめったにクーラーをつけません。親父は汗かきですからクーラーをつけたいのですが、母親に遠慮をして何も言いません。そこで、よほどに暑いと高円寺にやって来ます。居間でクーラーをふんだんにつけて、「あぁ、何て幸せなんだ」。と言って喜んでいます。

 親父が寝ている傍らには、トイプードルのマリリンと言う犬がいて、これも親父のことが大好きで、親父が来るとその喜びようは大変な歓待をしました。私の家は、マジックショウで犬を出すため、必ず一匹犬を飼っていました。初代はマルチーズリュウちゃんと言う犬で、10年生きていました。その次がトイプードルのマリリンです。

 但し、犬好きは私と親父だけで、女房はさほど好きではありません。すみれも、犬に対してはあまり興味を示しませんでした。そうなると、マリリンは私か親父がいる時ははしゃぎまくります。犬は自分を好いてくれない人には寄って行かないのです。

 私の家は4階が寝室で、3階が居間です。二回は東京イリュージョンの事務所で、一階は当時車を二台駐車していました。こう書くと大きな家に思えますが、飛んでもないことで、どの階も一間です。

 マリリンは、二階の事務所と三階の居間は出入りしますが、4階は女房が嫌がるために部屋には入れません。普段は三階で生活しています。寝る時も三階です。それが親父が来ると、親父は三階の居間をことのほか喜びました。広々していますし、日当たりが良く、クーラーも効いています。マリリンもいます。親父が泊りに来るときだけ、孫も三階で寝ます。広い部屋で、犬は布団の脇でうずくまり、孫が布団に入って来て親父と話をしながら寝てしまい。左手で犬の顔を撫でて、右手で孫を抱いて、クーラーをかけてぐっすり眠る生活は、親父にとって最高の幸せだったのでしょう。

 

 親父は、泊った翌日は、のんびり競馬新聞を見ながら予想をします。昼は私もいない時がありますので、自分で散歩がてらコンビニに昼飯を買いに出かけます。その日は鮭弁当でした。格安の鮭弁当で、ほとんどおかずは鮭だけでした。

 親父はあぐらをかき、お膳の上に鮭弁当を乗せて、新聞を広げ、競馬の予想を始めます。ひとしきり予想を立てて、さて昼飯を食べようとすると、飯の上に乗っていた鮭がありません。まるで手品です。「あれっ」。と思って、マリリンを見ると、口の周りをぺろぺろさせています。「あっ、こいつ」。と言うと犬はすかさず部屋の隅に逃げて、ペロペロさせています。

 食べられてしまいました。鮭弁当で鮭を取られてしまうくらい情けないものはありません。ご飯が鮭の形にくぼんでいるだけの弁当が残されていました。親父は仕方なしに冷蔵庫から、つくだ煮や、ウインナーを出して、おかずにします。

 それを見ていたマリリンは、新たなおかずの匂いを嗅ぎつけ、又もらえるかと思って膝に乗ります。憎らしい犬ですが仕方ありません。但し、マリリンはその後で、水をがぶ飲みしていたそうです。塩のきつい鮭一枚は小さな犬には毒です。但し、食べて見たかったのでしょう。目の前にオレンジ色のこんがり焼いた鮭があれば、誰でも食べて見たくなるものです。

 但し親父は、後々までも鮭を食べられたことを覚えていて、「こいつ、俺の鮭を喰いやがって」。とマリリンを見るたび、口を抑えて文句を言っていました。そんなに前のことを言われても犬は覚えていません。親父にすれば、食べたいものが忽然と無くなるのは返す返すもショックだったのでしょう。

 

 親父は65歳で大腸がんになり。その後肺がんになり、築地の癌センターに入退院を繰り返して、73歳で亡くなりました。それでも65歳から、退院後に、癌漫談と言うのを始めて、かなり人気になって、晩年はあちこちで講演を頼まれるようになります。

 講演ともなると、一回20万円から30万円もの講演料がもらえますので、恰好を付けないといけない、と思ったのか、私をマネージャーに仕立てて、私の愛車、シトロエンXMに乗り、私を運転手にして、病院や、市役所などに出かけて行きました。その時の親父は、マネージャー付き運転手付きで、随分と気持ちがよかったようです。

 私としても、親父がもう長くないことを知っていましたから、せめてもの親孝行と思い、講演に付き合いました。あの時の親父がいくつだったのかと考えてみると、ちょうど今の私の年齢だったと気が付きました。

 「随分年寄りに思っていたけど、私と同い年だったのかぁ」。そう思うと親父と言う人は幸せ者でした。どんなに家族に不義理をしても親父を慕ってくれる若い人達がいたのです。そして、死亡する間際まで出演の場がついて回ったのです。

 飛び切りの有名人ではありませんでしたが、固定ファンがいて、尊敬してくれる後輩がいて、家族がいて、芸人としてはこの上なく幸せな人生でした。今は親父も亡くなり、犬も死に、娘も嫁に行き、女房と二人だけになった居間に座って、賑やかだった昔を思い出しています。

続く