手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

追悼文や、事象の感想など

追悼文や事象の感想など

 

追悼文

 私が、亡くなった人の追悼を熱心に書くのは、マジックの世界で、ほとんど誰もマジック関係者の追悼文を書かないからです。多くのマジックマニアの興味は種仕掛けであって、マジシャンその人に関心がない場合が多いのです。マジックの世界がいつになっても、外の人を取り込めないのも、種仕掛けのノウハウを論じるばかりで、人を語らないからです。

 それではいけないと、なるべくマジシャンや、マジック関係者の足跡を語るようにしていますが、こうして日々人の事を書いていると、亡くなったマジシャンの関係者から、「○○先生のことを書いてくださいよ」。と、追悼文の催促を頂くことがあります。私はなるべく多くの方々にマジック関係者の功績を書き残したいとは思いますが、誰でも平等に書くわけではありませんし、あくまで私の判断で書く、書かないを決めていますので、求められたからと言って追悼文は書きません。

 どうもマジック関係者は人を自己の都合で考える人が多いように思います。私のしていることは利益を求めていることではありません。マジック界が少しでも面白く楽しく、理解者が増えるにはどうしたらいいかと考えて行動しています。

 マジシャンに関しても、亡くなった人が生前、私に散々嫌がらせをした人でも、その人の活動が素晴らしければ、追悼を書きます。活動の仕方に疑問があれば、書きません。なるべく人を良く見ようと考えていますが、マジックのためにならない行いをした人は名前も書きません。口にも出さないようにしています。あえて否定はしませんが、語らないことが私に取っての唯一の否定です。

 どうもこのところ、私の書いていることがマジックの世界で話題になることが多いらしく、何かマジック界で事件があると、私のブログの読者が一気に増えます。熱心に見てくれるのは有り難いことですが、私の書いていることは飽くまで私の考えであって、マジック界の基準ではありません。

 私の書いていることを捉えて、コメントしてくる人や、批判してくる人がありますが、私は一切返事を出しません。返事を出す理由も、議論する理由もないからです。第一相手が誰であるかもわからない人と話す理由がありません。私の公演に頻繁に来て下さっているとか、私のマジック教室に通っているとか、そうした中で仲良くなって、一緒にお茶でも飲むようになったなら、話もしますが、ネットの中での議論は無意味です。

 たびたび世間で聞く、ネットの炎上と言うのは、互いが知らない者同士、自分の主張を押し付け合うから炎上するのです。分り合っていればもめごとも回避できるはずです。現代で最も危険な行為は、見えない相手とあまりに軽率に会話をすることです。悩み相談や、恋愛、職業の話、趣味の話、何を話そうと結構ですが、極力深入りしないで、無防備に相手を信用しないことです。

 人を善意で見ることはいいことではありますが、善意の裏にはリスクがあることを忘れてはいけません。よく知っている人なら、少々のリスクも諦められるでしょう。少々の迷惑なら許せると言う人にだけ深い話をすることです。

 追悼文は、これまで亡くなった人と数十回話をして、いろいろ学んだり、経験したりした人に対して行うことで、余り良く知らない人のことは書かないものです。と言うわけで、追悼文の依頼の多くはお断りしています。

 

事象の感想

 ウクライナ侵攻に対しても、安倍さんの狙撃に関しても、東国原さんの選挙にしても、世の中のことをいろいろ書いています。これもあれこれ書いてはきりがありません。書く、書かないは私の判断でしています。読者の中には、「是非とも竹島問題に関して書いてほしい」、とか、「統一教会に関して書いてほしい」。などと意見を求める人があります。

 たとえ日本の社会の中で極めて重要な問題でも、書く、書かないは私の判断ですので、書かないことはたくさんあります。但し、ロシア、ウクライナ問題、中国、台湾問題は直接日本の将来を妨げる問題に発展することですので、熱心に書いています。

 ブログでも何度も書きましたが、1914年の第一次世界大戦は、始めはバルカン半島での小さな諍(いさか)いが原因でした。こんな問題は数か月のうちに解決すると、欧州各国はみんな思っていたのです。それが世界全体を巻き込んだ大戦になるとは誰も予想が出来なかったのです。

 ウクライナの戦いは第一次大戦によく似ています。但し相手がドイツではなく、ロシアだと言う点、そして今回は始めからアメリカが関与している点です。上手くまとめれば今でも解決の道はあるはずです。

 然し、欧州で対戦が起これば必ずアメリカの経済は発展します。発展はいいのですが、アメリカの経営者や、ユダヤ系の金融業者が大儲けをして、稼ぎを一層増やそうと、戦いを引き延ばしたり、別のところで戦争をけしかけたりして、利益をむさぼると、結果、世界大戦につながります。

 どうもウクライナは危険な領域に入って来ています。アメリカの支援を取り付けたゼレンスキーさんは、やりての政治家ですが、長い目で見て彼のした行為が成功と言えるかどうか。どこかで行き過ぎた戦いを収束しないと、アメリカ人やユダヤ人に経済を乗っ取られてしまいます。

 同じことはロシアにも言えます。味方のいないロシアにとって、今回の戦いで勝利の可能性はありません。そうなら早くに休戦をしないと、ロシアは自国を維持できなくなります。誰がそれを止めるのか、進路がはっきりしないまま、ロシアは暴走を続けています。こんな危険な状況が来年まで持ち越されるなら、来年以降、大不況が来ます。

 

 そんな中、国内では新興宗教の問題が盛んに言われていますが、宗教は、国会議員が選挙の票を宗教に求めている限り、持ちつ持たれつの関係ですから、何とか法律で形を作るように見せかけて、抜け道を作り続けるでしょう。

 だから政治家がいけないとは言えません。日頃政治に無関心な有権者がもっと積極的に政治に関与しない限り、有権者の票で成り立つ政治家はどう生きていいのかわからないでうろうろするだけです。政治家が宗教に票を頼るのは、選挙民の意思が薄弱だからです。政治家にすれば、宗教は当面考え得る最も効率のいい解決策なのです。

 一度その味を覚えてしまったなら、もう政治家は宗教を否定はできません。それがいけないと言うなら国民がどうしたらいいかを示さない限り、何度選挙をしても同じ結果になります。私から見たら、今の新興宗教の解決法は意味のある方法とは思いません。

でもほかにい方法がないのでしょう。

 続く