手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

クロアチア戦、渡辺徹さんの死

クロアチア戦、渡辺徹さんの死

 

 

クロアチア

 昨晩(今日の深夜0時から)サッカーの日本クロアチア戦がありました。多くの日本人は期待を持って見たことでしょう。前田大然の活躍で一点を取り、前半はいい流れでした。後半にクロアチアに1点を取られ、1対1の同点となりました。然し、ゴールキーパー権田修一が体ごとボールにぶつかってクロアチアの猛攻に耐え、素晴らしいプレーを見せました。結局勝負がつかず、延長戦に持ち込むも、互いに点数が入らず引き分け。やむなくPK戦になりました。

 PKで日本勢は惜しくも敗れました。それでもクロアチアと互角に戦い、物凄い熱戦を見せてくれたことを日本人は一生忘れないでしょう。ほんの鼻先一つの差で敗れましたが、この鼻一つの差が越えられるようで越えられない世界の壁なのでしょう。選手や、関係者に拍手を送ます。

 

渡辺徹さんの死

 俳優の渡辺徹さんが先月の末に亡くなっていました。若いころから糖尿病を発し、その後、大きな病気を繰り返していたようですが、外見からはそうした病気の苦労を感じさせずに常に、明るく振舞っていました。享年61。

 私は30数年前、ホテルオークラでのマジックショウの仕事をしていた時に、隣の部屋で石原軍団のパーティーがあり、多くのスターに交じって渡辺徹さんがインタビューを受けていた姿を見ています。部屋が隣だったため、何度か廊下などで顔を合わせて、その都度、縁のない私にまでニコニコ挨拶してくれた姿をいまだに記憶しています。

 この時点で渡辺さんはかなり太っていて、100㎏は軽く超えていたのではないかと思います。そもそもこの体格で若い女性ファンがたくさんいると言うことが驚きでした。

 デブキャラだの、デブアイドルだのと週刊誌に書かれ、当人はそれを否定もしませんでした。とにかく顔立ちがよくて、愛想のいい人ですから、みんなに可愛がられたのでしょう。アクションスターが多い石原軍団の中にいて、この体格が生き残って行けたのが不思議です。上下関係の厳しい石原軍団で生き残れたのは、先輩から可愛がられていたのだと思います。

 渡辺徹さんが出て来たのはバブルが始まるさ中で、出て来た当初は、今日の大谷翔平選手によく似ていて、好体格で童顔な二枚目俳優でした。それがみるみるデブになって行きました。

 当時、新宿伊勢丹デパートの前で、露天商がミニウサギと言うのを販売していました。そこには「大きくなりません」と書いてあり、OLはその言葉を信じて買って帰りましたが、すぐ大きくなってしまいました。ミニウサギなどと言うものは世の中には存在せず、ただウサギの子供を売っていただけでした。言ってみれば詐欺です。

 アイドルとして売り出した渡辺徹さんが、わずか1年で見違えるほど巨大に進化したのは、まさにミニウサギと同じでした。この時代でも、若い女性に愛されるスターで、デブと言うのは論外でした。デブはスターにはなれなかったのです。それが、デビュー後いきなり太りだして、意外なことに多くの女性から「可愛い」。と騒がれたのです。そうなると、もうデブが社会から解禁されたようなものでした。

 一般の会社の中でも、自己紹介をするときにデブの社員が「僕はよく渡辺徹に似ていると言われます」。などと図々しくも渡辺徹を出して、自分のデブを肯定するようになります。無論同僚の女子社員は「どこが渡辺徹」と心の中で呟いて、デブ社員を否定します。実際に、顔立ちは渡辺徹と似ても似つかない、ただ童顔なだけで、ウエストのみが渡辺徹と同じサイズの、自称渡辺徹似が巷(ちまた)に溢れました。

 然し、デブ当人は、社会でデブが肯定されたと、勘違いをするようになり、サラリーマンの間で、不摂生の末に武運拙くデブになった男が激増する結果になりました。

 彼らの言い分は、「だって、渡辺徹だって、あんなに太っているのにファンの女の子がいっぱいついて、騒がれて、たくさん稼いでいるじゃないか」。と言うわけです。

 ここに渡辺徹の罪があります。いやいや、渡辺徹さんには本来罪はありません。但し、全くないわけではなく、世の中のデブを錯覚させ、デブを肯定させてしまったことに罪があります。彼はデブキャラと言われることをむしろ誇りに思ったらしく、その後太るだけ太って、最盛期は130㎏あったそうです。恐らく130kgもある有名人で、若い女性が寄ってきた例は、昭和30年代の大鵬以来でしょう。

 然し、大鵬は相撲取りです。相撲取りと並んでその体格を騒がれたスターなんて前代未聞です。

 

 渡辺徹さんの異常体形はすぐに体調に異変を発します。30歳にして糖尿病を発症し、その後心臓、血管、あらゆる成人病を併発します。糖尿病の仲間として申し上げますが、恐らく渡辺さんの過食は、ストレスからくるものだと思います。稼ぎが大きくなり、仕事上も責任の多い仕事が増え、ハードな仕事を繰り返していると、自由な時間が持てなくなります。

 そうなるとストレスのはけ口が見つからず、酒か暴食に走ります。元々体の大きな渡辺さんは食べることに何ら抵抗なく食べ続けたのでしょう。食べている時だけが心の平安だったのです。分かります分かります。巧いものを食べなければやってられなかったのです。その結果、病気のしっぺ返しがやって来たのです。

 明るく陽気な性格を維持するためにも、げっそり痩せた姿は見せられず、食べてはいけないと言われながらも、痩せない程度には食べ続けて、顔のふくらみは維持しなければならなかったのでしょう。最後まで人に気を使い、スターの人生を全うしたのです。

 芭蕉の句に、「面白てやがて悲しき鵜(う)船かな」。と言うのがありますが、一旦デブキャラで売れた渡辺さんは体に悪いと知っても、食べ続けて、健康そうな顔をして見せなければならなかったのでしょう。傍から見たならデブで健康そうで、いつも楽し気に映って見えたでしょうが、晴れやかな表情の裏には苦悩があったのです。スターと言う役を全うして生きて見せた渡辺徹さんに喝采を送りたいと思います。合掌。

続く