手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

北朝鮮のミサイル

北朝鮮のミサイル

 

 朝起きるとテレビで、北朝鮮がミサイルを発射したと言うニュースが流されていました。北朝鮮のミサイルは今に始まった事ではありませんので、別段どうと言うことではなかったのですが、テレビの画面が動かずに、ずっと緊急速報を流し続けています。

 「おやおや、これはひょっとして本気で打ち込んできたのか」。そうだとすると、これは問題です。北朝鮮から日本にミサイルが届くなら、距離と時間を考えたなら、30分くらいでしょうか。青森が狙われていると書いてあります。

 然し、そうだとしても、このニュースにくぎ付けになっていては仕事が出来ません。ここはミサイルが落ちるにしても落ちないにしても、今私がしなければならない仕事を済ませなければなりません。私は今日は、糖尿病の定期検診に出かけます。そのため8時30分には家を出ます。それまでできる限りブログを書こうと思います。

 ブログを書き始めていると、太平洋沖に、ミサイルは落ちたと言うニュースが聞こえました。先ずはめでたしめでたしです。

 それにしてもたびたび人騒がせな将軍様です。我が国にミサイルを撃ち込んで何の得があるのでしょう。何を求めてそんなことをしているのか、見当が付きません。仮に、ミサイルを打ったとして、彼らが何を得るのでしょうか。よくわかりません。日本人は彼らを見て、「おかしな人たちだ」。と思うでしょう。国を挙げて、高価な費用を支払って、意味のないことをして、そのメリットは何なのでしょうか。

 北朝鮮が世界的に裕福と認められる国なら、ミサイルに一つや二つ、打ち上げてもたいした問題にはならないでしょうが、国民全体が、食事も足らず、衣服も足らず、今年の冬さえしのげるかどうかわからない状況にある国が、限られた国の予算でミサイルを飛ばしている場合でしょうか。

 誰が考えても無意味で理解不能な行為を繰り返しています。日本政府は、秘密裏にゴルゴ13に頼んで、将軍坂を狙撃したほうが良いのではないかと思います。このままではきっといつかミサイルは日本の土地に落下するでしょう。そうなったときに一体どうするのか。煎じ詰めて言えば、日本自体も北朝鮮をどうしていいのかわかっていないのでしょう。これまで、問題がなかったからとりあえず不問に付しているのであって、問題が起こったときにどうするのかの姿勢は全く見えません。

 むしろこうした相手には、「問題を起こしたなら、こうなるぞ」。と、明快な答えを先に示しておいた方がいいのではないかと思います。そのためには、日本国内の法の整備が必要です。自衛隊国防軍に昇格させ、明らかに侵略を考えている国に対しては先制攻撃も出来るように法律を変えなければなりません。

 こういうと「それは物騒だ、平和憲法を踏みにじる行為だ」。と言い出す人が出て来ます。然し、闇雲にミサイルを撃ち込んで来る国が隣にいて、その国とどう向かい合ったならミサイルが飛んでこないようにできるのでしょうか。

 北朝鮮が、ミサイルを発射するたびに、国民も、政府関係者も、「国内にミサイルが落ちませんように」。と少女の如く手を合わせて祈っている姿は、国民はいざ知らず、政府の姿勢はとても一国を守る姿ではありません。

 国の判断を運に任せているのです。「お願いだから来ないでください」。と懇願しているのです。そんな可憐な気持ちを汲んで善政を敷いてくれる人とは思えません。髪型を見たならわかります。決してデリカシーのある人ではないのです。

 政府は、日本国内にミサイルが落ちて、実際に国民に被害が出たときはどうするのかをはっきり決めておかなければなりません。自国にミサイルが落とされると言うことは戦争なのです。そこに願いも希望的観測も通用しないのです。相手は日本人を殺戮するための行動をしているのです。そこへ相手に寛容な態度をとっても意味がないのです。

 さて、もう病院に行かなければなりません。北朝鮮のミサイルに関してはまた後日書かせていただきます。

続く