手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大谷選手快進撃

大谷選手快進撃

 

 最近は明日に何が起こるかわからないような、不安定な日々が続いています。ウクライナの戦争は一向に終結せず、コロナも下火になったかと思えば再発し、不景気風は収まらず。台風も、大雨も頻繁にやって来て、生活を破綻させて去って行きます。何をどうしていいものか、途方に暮れてしまいます。

 

 そんな中で、エンジェルスの大谷選手は、多くのファンの期待を一身に集めながら、確実に毎週ホームランを飛ばしています。一昨日(9月1日)はヤンキースを相手に30号3ランホームランを達成しています。バッターとして30本のホームラン。ピッチャーとしては11勝を挙げています。今やベーブルースの記録を超えたアメリカ野球界の大スターです。

 これほどの実力を持っていながら、いつでもさわやかで、にこにこしています。野球ファンの少年たちが憧れるのも当然です。いや、少年どころか、大谷の活動はアメリカ国民の多くが注視していて、毎日スポーツニュースで大谷選手の活躍を必ずチェックする人によって視聴率が急上昇しています。今やアメリカ人に最も愛されている日本人と言っても過言ではないでしょう。ものすごい人と私たちは同じ時代を生きているのです。但し、無理が祟って怪我をしないことを祈ります。

 

 昨日(2日)は月に一回の糖尿病の検査でした。朝からしとしとと小雨が降っていました。湿度が高く鬱陶しい一日でした。午前中に病院に行き、血液を取って数値を確かめます。このところ数値はかなり良くて、大きな問題はありません。穀類を控えていること、酒を週に一回程度に抑えていることで安定しているのでしょう。要は、暴飲暴食を控えて、つつましく生きていれば糖尿病は恐れる病気ではないのです。

 然し、あれは食べられない、飲めないと言うのは、何とも地味でさえない毎日です。食べたいものを食べて、飲みたいだけ飲んで、ばかばかしい話をしてパーッと派手に遊びたいものです。それを我慢して長生きを目指すことが本当に幸せなことなのか。もう後先のこと考えずにやりたいことをして生きようかな。と誘惑にかられます。

 

 昼をどこかで食べようと、数か月前に行った三軒茶屋のレストラン通りを歩いてみました。その時、ここは面白そうだなと思った店で、プントと言う小さな店に入って見ました。地下鉄の駅から徒歩三分くらいですが、道が細くてわかりにくいかもしれません。外装は奇麗に作ってあります。イタリアンです。ランチはパスタが中心です。見るとナポリタンがあります。長いこと食べていませんので頼んでみました。

 ナポリタンとはなんと懐かしい言葉でしょう。私が子供の頃はスパゲティーと言えばナポリタンが当たり前で、麺にケチャップをかけて、ピーマンと玉ねぎとハムを細く切って一緒に炒めたものがナポリタンでした。子供のころ初めて母親に作ってもらって食べたときには、世の中にこれほどうまい食べ物があるのかと思うほどに感動しましたが、今ではパスタは数々あっても、イタリアンレストランで、ナポリタンは先ずメニューに出て来ません。

 そもそも、イタリアに行ってもアメリカに行っても、ナポリに行ってもナポリタンと言う名前のスパゲティー料理はありません。なぜケチャップで炒めたスパゲティーナポリタンなのかもわかりませんが、あの甘酸っぱいケチャップ味で炒めた麺にハムやピーマンの入ったスパゲティーが妙に懐かしく今でも時々食べたくなります。

 と言うわけで注文しました。先ずサラダが出ました。そしてパスタです。色は昔食べたナポリタンと同じです。ケチャップの味は市販のケチャップよりも少し高級な香りがしました。ウインナーソーセージが切って入っています。

 麺は堅めです。この茹で方は現代のレストランの触感です。付け合わせにパンを頼みました。パンはスライスしたものを少し温めてあります。ちぎって、オリーブオイルをつけて食べます。パンはほの甘く、オリーブオイルと合わせると口の中でパンの香りが立っていい味わいです。「あぁ、パンを頼んでよかった」。と納得。但し一枚だけです。

 仕上げにアイスティーが出ました。雨模様のせいかお客様も少なく、ゆっくり食事を楽しめました。全部頼んで1050円。格安です。いい雰囲気の店でした。今度もう一度行って違うパスタと、肉料理を頼んでみようと思いました。

 

 テレビでは香川照之さんのホステスとの騒動が盛んにネタになっていました。銀座のクラブでホステスのおっぱいを揉んだ云々。一度は示談金を支払って収まった話を、週刊誌が嗅ぎつけて再燃したとか。示談金を支払ったことなら何も大騒ぎをしなくても、と思うのですが、そうではないようです。

 香川さんと言う人は生まれながらにストレスの塊のような人です。先代市川猿之助(猿翁)さんの実子で、母親は女優の浜木綿子さん。先代が浮気をしたことで夫婦は離婚。その時、学生だった香川さんが母親側について、先代を罵ったことから親子の関係は悪化。

 その後、大学を卒業した香川さんは就職、しかし、役者の血がふつふつと沸いて来て、劇団に入団。マスコミなどで売れるも、芝居そのものに悩みを抱え、思い切って歌舞伎座に出かけ、先代に謝り、歌舞伎の入門を申し出ます。

 この時の様子を私の友人は一部始終を見ていました。歌舞伎座の楽屋の入り口に土下座をして、頭をこすり付けて、父親に謝り、入門を乞うたそうです。然し、先代は一瞥もくれず。確執の深さをまざまざと見せつけたと聞きました。

 その後、香川さんは一念発起して現代劇に没頭、人気爆発。結婚し、男子を儲けます。するとその子を歌舞伎に入れたくなります。ちょうど澤瀉屋(おもだかや=市川猿之助一門)には跡継ぎの男子が一人もいないため、今のままでは100人の座員と、澤瀉屋流の芝居が絶えてしまいます。先代もそのことを憂慮してか香川さんを許します。晴れて香川さんは澤瀉屋一門に入り、市川中車と言う大きな名跡を継承します。

 しかし50歳近くになって全く歌舞伎を経験したことのない香川さんが、歌舞伎をするのは、いかな猛優であっても簡単ではなく、閉鎖的な歌舞伎の世界は冷淡で、嘲笑と失笑の嵐です。そもそも、香川さんは先代の実子でありながら、歌舞伎の発声、所作が全くできません。

 それでも子供のためにとカオスな人生を自ら正して、身を犠牲にして、日々頑張っている姿は賞賛に値します。しかし世間の目は厳しく、ドラマや昆虫の番組の間に歌舞伎に出演して、へたをさらし、冷遇される日々は針の筵でしょう。

 わかります分かります。そんな時に、たまの息抜きのホステスのおっぱいを揉んだことが今は命取りになりました。いっそカマキリの着ぐるみを着てホステスのおっぱいを揉んだならまだ愛嬌があって許されたのかも知れません。カマキリのしたことですからと大目に見てもらえたかもしれません。

 香川さんは抜群の知名度と、俳優としての才能を高く評価されつつも、生涯抱えきれないストレスを背負い続けて、生きなければならない人なのでしょう。簡単に言いますが、これほどつらい人生があるでしょうか。

続く