手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

youtube のストーリー

youtubeのストーリー

 

 yourubeに上がっているさまざまなストーリーを時々見ています。それがフィクションなのか、ノンフィクションなのかはわかりません。内容は、夫婦の不仲、夫の不倫、舅、姑のいびり、親子の不和、会社の上司のいじめ、結婚相手の両親の無理解。助けた人の恩返し。様々な話が出て来ますが、どれもいくつかの共通した話の展開があり、それぞれ共通した結論が出て来ます。

 話の多くは、弱者へのいじめであったり、差別であったり、相手の無理解であったりします。然し、そこから出た結論に必ずしもすんなり納得できるわけではありません。いろいろ疑問を感じてしまいます。「それって、本当の結論なのだろうか」。と思います。

 

 会社の上司にいじめを受けてやめさせられたり、社長に無理な仕事をさせられて左遷をされたり、下請けの社員が、大手の企業の仕入れ担当の課長に虐め抜かれたり。

 その問題の解決が、たまたま知り合った別の大手の会社の社長のお陰で、大手会社から問題の会社に、「もう取引はしないぞ」。と脅してもらい。嫌がらせをした上司を左遷させたり。会社の社長を謝らせたり。

 これは水戸黄門のストーリーと同じです。御代官様に虐げられていたお百姓が、たまたま通りがかった水戸黄門様に助けられ、お代官を叱ってもらう。昔からあるパターンです。但し、これは、力によって、力のある者を制するわけで、力を肯定しています。結果として力に乗っかってものを言っていることに何ら変わりません。立場が変わっただけで、上司や社長と同じことをしているのです。

 むしろ、日本の社会の中で、企業の取引が、商品のクオリティとか、価格とか、アイディアとか、純粋な取引の対象とは別の部分で曲げられていることの方が問題だと思います。社内で嫌がらせだの無能な上司が幅を利かせているだの、その時点でその企業は成長しないことの証なのだと思います。水戸黄門さまが出て来て、一人二人の悪代官を叱ってくれても、腐った組織は同じことを繰り返すと思います。

 その時その時で自分一人は助かっても、駄目はいくら繰り返しても駄目です。結局はさっさと会社から離れたほうが成功を掴めるはずです。

 

 とは言っても、無理解な仕事先はいくらでもあるでしょう。仕事とはそんな無理解な人たちを相手に生きて行くことが仕事なのだと思います。立場の違いで虐げられることもしばしばると思います。そんな時に、いじめる上司のことにばかり悩んでいても問題は解決しないでしょう。

 それなら、何か別の道を探して、例えば趣味の世界に入ることで今までの人生とは違う世界を見つけて、楽しみを探し出すことの方が人生を幸せにできるかも知れません。いつ来るとも知れない、水戸黄門さまを求めるよりも、自分自身が少し違ったところに人生の価値観を置くことは人生を豊かにすると思います。

 

 夫婦間の問題に、姑や、義理の姉妹などが絡んで、一軒の家の中で嫌がらせをされる話も、日本的で、およそ悩まなくてもいい問題に首を突っ込んでいる話だと思います。姑が息子を可愛がり、嫁に息子を取られたと錯覚して、嫁をいびり出そうとする話は、昔から延々繰り返されてきました。

 そのため、夫の家に暮らすと言うことは相当な決断を要します。なおかつその家に、夫の姉や、妹がいると、一族が束になって嫁いじめをします。それに耐えて生きて行くことはほぼ不可能なことです。

 初めから、夫の家に入るときには、家の中の役割分担を決めたうえで入るなどしなければ、必ずもめる結果になります。曖昧なまま人の善意を信じて夫の家に入るなどすればうまく行かないのは当然なのです。

 私の経験でもそれは理解できます。結婚前に、度々今の女房が家に来ていましたが、私の母親と女房の両方からたびたび不満が出ました。始めは家を買う資金が出来るまでの数年間は同居しようかと考えていましたが、これは無理だとわかり、すぐにマンションを買うことにしました。

 やはり一家に主婦が二人いると言うのは無理なのです。無理を互いが我慢しているとやがて破局に追いやられます。youtubeの話で多くは、結局は離婚に発展します。嫁の日頃の我慢が溜まって行き、姑が陰で嫁に罵詈雑言を言っているのを嫁が録音しておいて、親戚一同が集まっているときにみんなに聞かせる。などと言う行為に出て、結局離婚をします。

 それは姑がしたことを考えたなら当然な仕返しなのかもしれませんが、それが嫁が求めた結論だったのか。と考えると、少し疑問に感じます。本来主人と二人で仲良く暮らせて行けたら何の問題もなかったことが、主人の家に入ったことが、無駄なストレスをためる結果となって、夫婦間も壊れてしまったわけです。他にもう少し工夫をして生きて行く方法はなかったのか。そんな生き方でよかったのかどうか。

 

 あるいは、夫の浮気が発覚して、離婚すると言う話も、夫の間抜けな生態がいろいろ書かれていて、いよいよ離婚となったときに、自身が、パソコンを駆使して株をやっているとか、パソコンで料理の指導をしているなどの副業を持っていて、十分収入があるため、生活に困らないから徹底的に夫の不正を暴いて離婚をする。と言う話になっていて、めでたしめでたしの話で終わっています。

 然し、それが本当にめでたいのか。それでよかったと言うなら、初めから結婚する必要もなかったのではないかと思います。

 どうもyoutubeのストーリーは、狭い世界の袋小路に自分をい込んで、自分や周囲の社会を壊すことで終結しているものが多いように思います。与えられた条件の中で花を咲かせる話がなかなか出て来ません。そうした点で読んでいてなにかもやもやとします。

続く